年別アーカイブ: 2021

お金は友達

お金とはどんな関係ですか?って
聞かれると
友達みたいな関係じゃないでしょうか。

世の中には
友達の多い人も、少ない人もいます。
友達が多い人って
友達と仲良くしようと思ってるので
友達に対して嫌われることは
しないですよね。
相性があるから
相手から嫌われるかもしれないけど
友達にできるだけ
友達に嫌われないようとするし
友達を大切にしましょうって
物心ついたときから教えられていますよね。

友達に大切にするけど
友達に多くを求めすぎたり
友達にうそをいってしまったり
友達との約束を破ったりしてしまうと
友達を傷つけることになってしまうし
自分をも傷ついてしまったってことを
経験したことはありませんか?
だから
友達や自分以外の人に
喜ぶことをしようを
友達を活かすように行動しよう。
友達を信じよう、分け合おう。
友達や仲間と仲良くなるための
考えや思いはつきませんよね。

今考えた
友達をお金に換えて考えてみると
・・・・
お金に対しても
同じじゃないですか?

お金を持ってる人は
お金を傷つけるようなことは
していません。
お金に対しても
大切に、活かすように使い
お金をうその根源にならないように使い
お金を独り占めしたり

お金が嫌がるような使い方を
していないのです。

お金を喜ばし
お金と自分が。
自分だけでなく自分の仲間とも
うまくいくような
使い方をすることが
大切ではないでしょうか?

お金自身が喜んでいれば
お金は喜んであなたを活かしてくれて
あらゆることから守ってくれて
何かあれば全力で守ってくれる
存在なんでっすね。

お金と友情を築けた人って
とてもしあわせな人生を送るような
気がします。

だって、お金を作ったのは・・・・
あの方だから。
続きは次回のブログで

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お金ってなに?

世の中のトラブルの原因に
お金の問題が絡むことが
原因となることが
ほとんどではないでしょうか?

コロナ流行が治まってくると
経済を回すための政策が目白押し
これも人々が経済、お金を
重視しているあらわれでしょう。

お金は
生きていくために大切な物であるのは
間違いないことだと思います。
でも
もしひとりひとりに
お金についてお聞きすることができると
返ってくることえは様々でしょう。

それは
お金がその人の仕事や暮らしと
切っても切れない関係だからでしょう。

お金は
確かに生きるための道具です。
自分が何かしようと行動するときに
背中を押してくれることもあります。
それなのに、日本では
お金の話ばかりすると
時に人格を疑われる、なんてこともあります。
お金は大事な物なのに
お金は僕たちの生活や暮らしを
豊かにしてくれてるのに
感謝すべきことなのに。

今土の時代から風の時代に
物の時代からこころの時代に変化してる
今だからこそ
お金について
考えていかないといけないと思います。

今後お金や欲にまみれた社会を
なくすために
避けては通れないことだと思います。

あなたにとってお金ってなにですか?
これから一緒に考えていきましょう。

これからの人生、時代を豊かにするために。

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瀬戸内寂聴さんと細木数子さん

昭和、平成そして令和にかけて
悩める人々に生きる道を説き、導かれ、救った
女性が同時期に逝かれた。

なにかひとつの時代が完全に幕を下ろし
令和は新しい時代となってくることを
感じる。

細木数子さんは
TVの番組で
ズバリ言われる姿に圧倒され
色々黒い噂もあったり
贅沢三昧に???と思ったり
使っていた占いにも
僕は手に取ることはなかった。
でも
あんなにはっきり言えるのは
相手にいい人生を歩んでもらいたいという
愛の強さの表れのように思え
生き方は賛否はあるかもしれないけど
愛を説くことが使命だったような気がします。

そして
愛と人間の業を説かれた
瀬戸内寂聴さんが同じ時期に亡くなられた。

瀬戸内寂聴さんの小説は読んだことはないけど
やんちゃな芸能人と
対談する番組や対談本を
なぜかよく読んでいた。

今思うと
僧侶なのに
肉も食べ、お酒も飲み
本当でない話を小説として発表したり
(本人はうそをつけないと小説は書けないといっていた)
破天荒な、物と欲にまみれた
ある意味人間らしい
人生だったのかもしれない。

物に溺れることは
今したいことをすること
思い残すことなくすること。
寂聴さんは
いつ死んでも思い残すことはない
毎日が死に支度という言葉を残され
まさに
中今を生きてこられた人生なんだと思います。

ある意味
お二人とも
魂の思うままに生きられた人生だった
のかもしれないと思うのです。

愛に生き、愛に溺れ、愛を説き生きられたお二人の
教えられたことに感謝し
お二人のご冥福をお祈りいたします。
合掌

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今の気持ちをあぶりだす

メタトロンでからだの
経絡、各臓器のエネルギー状態を診た最後に
必ず
感情をチェックします。
なぜ、メタトロンでは
をチェックするかといえば
感情やこころの状態が
からだの健康に大きく影響しているからです。

昔から
「病は気から」と言われるように
昔の人は
その人の気持ちが
健康に左右することを感じていたんでしょうね。

実際、先日
メタトロンをメンテナンスとして
使われている患者さんも
前回来院されてからは
からだの調子はいいけど
家族のことで心配事が
現実になっということを
お話されていました。

家族といっても
すでに独立しているので
遠くから応援するしかないけど
心配は尽きないもの
そのことを
メタトロンは
血管系にストレスがあることがわかり
ストレスをのりきるために
からだが反応していることが
手に取るようにわかりました。
そして最後に
感情をみると
ご自身の気遣いの気持ちが
からだの不調に影響していることが
わかりました。

まさに
今の生活の問題点を
メタトロンはあぶりだしてくれました。
それを知ると
知ったことで対応することができます。

メタトロンを受けた後
患者さんは、
メタトロンの結果をしっかり受け止められ
しっかり過ごそうという気持ちが
お顔の表情から現れてました。

きっと
次回来院するときは
スッキリして来院されることでしょう

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古代から引き継がれた感染対策

世界的に襲った
コロナ感染そしてパンデミック。
国中で
様々な感染対策が行われている。

人類の歴史上
パンデミックに襲われたのは
今回だけでなく
最近ではインフルエンザがありましたが
その他には
種痘、ペストなど
現在では人類が
撲滅できた感染症もあります。

日本でも
応神天皇や聖和天皇の時代に
日本全国に
痘瘡、はしかなどが流行した
記録が残っています。

日本でも
何度も感染症を経験しているので
古代でも感染対策がされた
痕跡が生活の中に残っているので
紹介いたします。

お公家さんがもっていた
扇子を持ち歩いて
話をするときには広げて
口元を覆って会話しました。

実は
これは扇子をマスク代わりに
使って感染対策に役立ってたのですね。

そしてお公家さんが被っていた
とんがった烏帽子帽。
お互いの烏帽子がぶつからないように
帽挨拶すると
自然にソーシャルディスタンスを
とることになります。

そしてお住まいは
北側だけが土壁で塗り固められ
そこにトイレ、お風呂などの水場を作っていました。
水場には
ばい菌が発生しやすく
昔の人もとても神経を使ったのでしょうね。
土壁には小さく刻んだわらがz入ってるので

わらの中で麹菌や酵母などの
微生物が発生して
空気中に発生した
ウイルスや細菌をやっつけてくれていたんです。

また
東と南と西は障子で囲まれて
換気がよくできるような
作りになってたんですね。

現在やってる
感染対策は、何も今始まったことではなく
昔から培っていた
人々の生活から生まれてた知恵なんですね。

ウイズコロナの時代だからこそ
人類が生き抜いてこれた
古代の人の生活の知恵から
学ぶことも多いのかもしれませんね。

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検査と医師頭②

我々医師は
今の患者さんの状態を把握したいとき
今患者さんに起こってることを知るために
これから患者さんに起こるであろうことを知るために
検査を行います。

患者さんのために検査をしているはずなのに
悪い数字や良くない状態を
この目で見てしまうと
患者さんだけでなく
医師も思考停止の状態になってしまい
検査結果をもとに
あれはダメ、これもダメ
こうしましょうと
あれもしましょうと
考え方だけでなく
生き方の変更も求められてしまう。

例えば
アレルギーが心配だからと
血液検査をすると
今まで食べていたものにアレルギーがでると
その瞬間に
その食べ物は食べることを禁止してしまう。
それまで好きで食べれたものを
禁止してしまう。

その食べ物が
アレルギーを起こす原因なら
禁止するべきだけど
その兆候がないのに
禁止してしまうのは
その食べ物を目の敵のように扱うのは
行きすぎではないだろうか?

悪い結果がでたことは
その食べ物そのものがが悪いわけではなく
その食べ物の摂取の取り方
採れるようなからだになるように
警告してる。
だから
その結果を
これまでの自分の生活中での関わりを
捉えることが大切だろう。

これは
アレルギー検査だけでなく
健康診断にも言えることでは
ないでしょうか?

でも、数字や画像などの
目に見えるものを
そのまま受け止めてしまう傾向にあります。
それは、患者さんだけでなく
医師自身もその結果に
縛られてしまう。

そして
医師自身も
結果自体に振り回され
患者さん自身を診ることを
忘れそうになる。
結果治すよりも
患者さんを診ることを
忘れてはいけない。

いわゆる
これも医師頭。
検査を見ながら
検査結果に踊らされるのではなく
自分のからだを、そして生活を見つめ
見直していきましょう。

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太陽の光のエネルギー

11/6のブログで
ナイチンゲールの
「わたしは、これまでの看護経験から
病気の人にとって大切なのは
新鮮な空気を吸うこと。
次に必要なのは光だ。」と
いう言葉を紹介
空気のエネルギーについて書きました。
今回は太陽の光のエネルギーについて。

太陽には
無限のエネルギーがあり
最近ではそのエネルギーを利用して
太陽光発電が
あちこちで行われています。

太陽の光には
無限の知らざれざる力だあります。
健康についてでも
1日15分程度日光浴するだけで
からだの活力が増加し
健康になるといわれます。

例えば
15分の日光浴で
認知症になるリスクは半減し
認知症も改善したという
報告もあります。
また、昔から
骨粗鬆症を防ぎ
乳がんや前立腺癌をはじめ
いくつかの癌発症のリスクが減少する
癌だけでなく
リュウマチ、糖尿病のリスクも減少する
という日光浴の疾病予防の報告もあります。

また妊娠中の日光浴は
赤ちゃんの運動能力や社会的発達が
選りすぐれるものに
なるのではないかとも考えられています。

その他にも
日光には精神を安定させる作用があり
記憶力が向上し
不眠症が改善し、
からだのホルモンバランスを整える
効果があることも知られています。

かつて
入院していたときに
僕の病室は
東側に大きな窓があり
入院中は日の出が拝め
リハビリが始まるまで
窓際で太陽の光を
からだいっぱいに浴びて
一日をスタートしてました。
不思議と一日頑張ろうという気になり
太陽の力を借りて
薬を使うことなく
病気も治癒することができました。

太陽の力は偉大です。
からだの不調を感じたり
気分が優れないときなど
何か困ったことがあるときは
薬に頼るのではなく
まずは
太陽の光をからだ全体で浴びて下さい。
すると
あなたのからだの中の
生きる力が蘇りますよ。

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海を渡った古伊万里展

秋深まる休日
日本全国コロナウイルス感染も終息にむかい
ちょっと
こころの栄養補給に
山口県立萩美術館で開催されてた
「海を渡った古伊万里
~ウィーン、ローズドルフ城の悲劇~」展に
行ってきました。

海を渡った古伊万里展という
名前にひかれ
きっと日本人、日本の文化に憧れた
西洋のお金持ち方の
コレクションの展示されていて
目の保養になればと
楽しみに行ったのですが・・・・

伊万里焼の歴史からはじまり
並べられた展示品は
歴史が紹介され
美しい陶磁器が並べられ
大きくため息がでるだろうと
呼吸を整えていると。
次にあったのは
欠けたお皿や壺が
現代の技術で修復された姿でした。

展示内容は
ローズドルフ城の悲劇を
伝えたかった内容でした。

かつてはローズドルフ城の城主は
陶磁器の多数のコレクションされ
城内を美しい陶磁器で
彩られてたお城でした。
しかし
いい時代はずっと続くとは限らず
ローズドルフ城も
例外ではなく
第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれたのでした。
そんな時代でも
陶磁器のコレクションを
地下に隠していたのですが
攻めてきたソビエト軍の兵士によって
粉々に破壊されたのでした。

粉々に残されていた
陶磁器の変わり果てた姿をみて
どんなに悲しまれたでしょう
粉粉になった大切なコレクションの前で
城主の慟哭されている姿が目に浮かぶようでした。

城主は
一室に破片を集め
平和への願いを込めて
展示をされたそうです。

粉々の破片が展示されてるだけでなく
現代の技術で修復されたものも
展示されてました。
その姿は
パッと見ただけでは修復の痕など
わからないぐらい
完璧な姿でした。
でも、手にすると
パリっと壊れそうで
もの悲しい哀愁を漂わせていました。

また
全ての破片が見つからなかったのでしょうか?
不完全な修復状態で展示され
その痛々しさ、悲惨さに
思わず目を背けてしまいます。

どの展示も悲しい運命を
今に伝えています。

ものあるもの
形あるものは
人間も含めて、必ずその形は
いつかなくなります。
つまり死を迎えるわけです。
どんな死を迎えるにしても
自分の納得する形で迎えることが
しあわせなことなんだよと
悔いなく一生懸命生きてねと
傷ついた展示品が語りかけてくれるような
こころに染み入る展覧会でした。

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医師頭①

僕にとって
入院した期間は
これまでずっと医師として働いて
染みついていた考え方を
見つめ直す時間になりました。

ひと言で言えば
患者さん目線で
医療を見ることができました。

医者は
コンピューターばかりみて
患者さんの顔ばかりみている
という批判はよく耳にして
気をつけないと思っていたのですが
患者さん側にたつと
医療が患者さん目線でなく
医療者側で見ていること
感じる場面がありました。

入院した当時は
告白するのは恥ずかしい話ですが
ひとりでは歩くことも
それどころか
立つことすら
自分ひとりでできず
トイレに行くにも
ひとりでは行けない。
トイレに行くときは
看護師さんをよばないといけません。
昼間は頻回に病室に来ていただけるので
その時にタイミングを逃さないように
看護師さんにトイレのお願いがしました。
でも、夜は
看護師さんの数も少ないので
呼ぶ・・・というのは憚れます。
看護師さんは
「遠慮なく、呼んで下さい」と
仰るのですが
実際はナースコールを押すのは
中々勇気のいることでした。

これもお恥ずかしいお話ですが
排泄の心配をしなくてもいいように
おむつを着けさせられました。
「おむつしてるから、大丈夫ですから」と
言われましたが
とてもとても、おむつをしてるから
その中で赤ちゃんののように
排泄できるものではありません。

でも、その時救われたのが
「トイレは大丈夫ですか?
いつよんでもいいですからね」という
僕のトイレの苦痛を取り除いてくれるような
言葉かけ。
いわゆる
おむつしてるから大丈夫というとことではく
患者さん目線に立った言葉かけに
僕は救われました。

もちろん
ナースコールを押すのには
勇気はいりましたが
僕の気持ちがわかってくれていると思うと
SOSのコールを発しやすくなりました。

忙しい医療の現場で
みんなに効率よい医療を提供しようとすると
医療中心の考えになりがちです。

僕は入院して改めようと思いました
医師目線の医師頭を
気づかせてくれた入院中の一コマでした。

他にも
医師頭を気づかされる体験をしました。
それを少しずつこれから紹介しようと思います。

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現代人が失った、古代人とのちがい

今回偶然にも
エジプト展に行ってそのあと映画お終活を観て
偶然にも現代の日本人との
死生観のちがいを
知る(感じる)機会になったのですが
同じ人間として生まれてきて
歴史を紡いでるうちに
何が変わってしまったのでしょう。

人間としての考え方は
古代の人は
現代人に比べてとてもシンプル
ではなかったのではないだろうか?

古代人の考えを形つくっているものは
月や太陽の走行
月の満ち欠けと女性との関係
太陽と四季の移り変わり
そして植物や生物の成長の関わり
をずっと見つめて考え生きていたに
つがいない。

現代と違って
車も飛行機もパソコンも携帯もない。
感じるものは
今生きている自然が全てであり
自然が自分の生きていく術の全てであった。
だから
何を考えるのにも
その考えを遮るものも少なく
現代人よりも古代の人は
何事に対しても
集中して考え行動してたいた気がします。

だから
縄文時代の精巧な土器ができたのも
現代人にはまねできないことができたのも
集中力がちがうのも
環境のちがいがなせる技なのかもしれない。

かつての自然は
ノイズひとつない
耳を澄ませば、こころ落ち着く
安らぐ自然の音にあふれていて
深呼吸すれば
新鮮な心地よい空気を吸うこともできた。

そんな環境の中で生きていけば
どんどん集中力も高まり
忘れていた埋もれた才能が目覚め
クリアな発想も次々浮かぶことでしょう。

ですから
誰も覚えていない
来世、死後の世界について
気がつく人も多かったのかもしれません。

一見便利なものに囲まれて
生きている現代人だけど
化学物質に囲まれ、まみれて過ごしている
現代人は
古代人がもっていた大切なものを
失ってしまったのかもしれませんね。

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