「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
老を愛でる生き方とは
誰にも老いはやってくる。
若いつもりでいても
いつの間にか老いを感じがある。
身体を鍛えている
スポーツ選手だって
体力が落ちて引退する日が必ず来る。
それも、一般的に考えられる
老いる時期よりもずっと早く訪れる。
40代ではまだ
体力の限界だと嘆く人は
少ないだろうけど
次第に
近くの物が見えにくくなったり
堅い物が食べにくくなったり
鏡をみれば
白髪やしわ、しみを発見して
唖然とすることもあるでしょう。
でも、現代では
見にくくなれば、老眼鏡をかければいい
入れ歯を作れば堅い物だって食べられる。
白髪染めもあるし
スキンケア法だってあるし・・・
肉体的老いを感じても
それなりに今まで通り生きる術があるから
肉体的老いることを
それほど悔いることはないと思っています。
老いると、肉体的変化だけでなく
精神的、こころの変化もやってくる。
年をとって
短気になる人もいるし
呑気になる人だっている。
詩人の谷川俊太郎氏は
老いたときの心境を
次のように述べている。
「人生が一段落して
さまざまなストレスが減ったせいか
若い頃はきになっていたことが
気にならなくなった。
若い頃は、どうしても欲しい物があったが
そういうものも少なくなった。」
「年取って自分が前よりも
自由になったと感じる。
これは感受性の鈍化かもしれない
感情が平坦になってきているのかも知れない」
感受性豊かな
詩人である谷川俊太郎氏が
感受性が鈍化することは
悲しいことではないだろうかと思うと
谷川氏は、次のように述べている。
「こうなったのはたいしたことではないや
と思えるのは、
死が近づいているからだろう。
死ぬこと自体は悪くないと思っている。
この世とおさらばするのは
寂しいだろうが
死んだら自分がどうなるのかという
好奇心もある」
と衰えや、死に対してさえも
前向きに捉えているところが
谷川さんらしいと思うし
自分も、身体の衰えは
医学の力でなんとか補って
生きることができるなら
谷川氏を見習って
老いも死さえも楽しんでいこうと思う
2.5人称
看取りに全身全霊を込めて
ご尽力にされ、
僕も見習いたいと思っている先生に
柏木哲夫先生がいらっしゃいます。
その先生が
2.5人称の立場で看取りをしていると
仰っていました。
2.5人称って?
客観的な第三者でなく、かといって
家族のようにはなれない。
第三者の泉温かというより
できれば2.5人称という立場で
いたいと仰ってました。
僕も
診療中に患者さんの気持ちに
できるだけ寄り添ってあげたいと思っているのですが
家族ではないし、どこまで・・・・?と
思うことも度々ありました。
そんな時聞いた2.5人称という言葉。
そうか、2.5人称という立場で接すればいいんだ
そう思うと
とてもこころが楽になりました。
もう一つもっとかえないといけないことに
病院そのものについてです
病院は
からだもこころ癒やす場のはずだけど
みなさんドキドキ、血圧も上昇している方も
多々いらっしゃいます。
病院はこころ癒やす場であって欲しいけど
みなさんの思いは少しギャップがあるような。
「癒やす」という言葉には
けがや病気を治すことと辞書には書いてあります。
だから
病院できてもらって
病気を治せば、癒やしていることになるけど
それだけでなく
「癒やす」には
渇を癒やすという意味
つまり長い間ほしくてたまらなかったものを
手に入れて満足する
という意味があるようです。
病院に来て
健康を呈することは当たり前のこと
なのでしょう。
ですから
僕は病院で
健康の奥に隠れている
本当に手に入れたい物に気づき
それを与えられる場所を目指していることに
気がつきました。
これが僕の目指す病院の姿なのです
それに向けてこれから精進したいと思います。
笑顔の理由
ぼくは、このブログで
よく、どんな時にも笑顔でいること
それがしあわせの方法であると
書いています。
確かに「笑顔」は
しあわせになるひとつの方法だと
いつも思っています。
笑顔と一言で言っても
いろんな笑顔があると思います。
長野オリンピックで金メダルを取ったの
原田雅彦選手は
いつもニコニコ笑顔でいるため
スマイリー原田と呼ばれるぐらい
笑顔の似合う選手でした。
勝負に負けたときも
ニコニコしてたので
「なぜ、負けてもニコニコしているのか?」と
聞かれたとき
「これが私のスタイルです」と答えるぐらい
笑顔の人でした。
だが、妻の恵子さんは
夫の笑顔の違いに気がついていたそうです。
「こころからの笑顔、
憎々しい笑顔、
あきらめの笑顔、
微妙医違うんです」と仰っています。
笑顔という
ひとつの目に見える形でも
その中身や意味は様々なのです。
笑顔のにも色々ある
笑顔の理由を見極めていくのも
大切なことなんです
自画像とと自撮り
自分の顔は正確には
自分ではわからない。
だから、他人が
自分の顔をどのように見えているか
気になる。
それは、今も昔も同じ。
だから、画家は
自画像を描き残しているのだろう。
今は、自分の顔を描くのではなく
スマホなどで
自分の顔を自分で撮ることができる。
自撮りをすることで
どんな笑顔をしてるのか
どんな時のどんな表情が
魅力的に見えるのか
日々研究している。
鏡を見る以上に
頻回に自分の表情を客観的に
みることができる。
でも、
頻回に撮っていると
あるときの表情が全くちがって見えたり
連続して撮っていると
刻々と表情が変化していることに気づいた。
どれが本当の自分の顔なのか
ますますわからなくなる。
自分の数ある写真を見ていると
どこか
自分だけがわかる
自分しかわからない
本心の表情があることに気づき
ハッとさせられた。
まさにこれが自分の顔なのだと
思わされた写真があるのに気づいた。
画家も
単に自分の顔を描いているのではなく
自分の本能を描き出していたのだろう。
自分の本能があぶり出された
写真をこれからも僕も
みることができるだろう。
だから自撮りはやめられない。
人間関係をよくする方法
誰でも、人生の中では
色んな困難な問題にぶち当たり
失敗することも多々あると思います。
数ある問題の中で
悩まされ、一番大変なのは
人間関係にまつわることだと思います。
人間関係は自分だけの問題ではないので
人間関係を自分ひとりでは
解決は難しい問題です。
だから
人間関係問題が起きると
防衛なこころが作動して
ちょっとしたことで
傷ついたり、起こったり、悲しくなったり
するのです。
人間関係のトラブルは
自分自身で防ぎようがありませんし
学びにならないことも多々あります。
そんな人間関係のトラブルを
大きくしない最善の方法は
潔く謝ることが一番だと思います。
頭を下げられて
嫌な気持ちがしませんし
相手を許そうという気持ちが
湧き上がってくるでっしょう。
言い訳したいこともあるでしょう。
そんな時にも
そんな気持ちをぐっとこらえて
まずは
「すみません」「ごめん、ごめん」と
自分の非があることを認めて
頭を下げるのです。
目立つトラブル以外は
謝らずにうやむやにしてしまう人もいます。
頭を下げられないのが
つまらないプライドと意地が
あるからではないでしょうか?
今こころに起こった意地を捨てて
謙虚さと取り替えてみる。
そして、その姿勢があれば
大抵の人間関係のトラブルは
修復され、トラブルを食い止められるでしょう。
「あきらめない」生き方
毎日クリニックには
同年代以上の患者さんも
来院されます。
ちょっと年配の方々と
接して感じることは
みんな個人差はあるにしても
「あきらめている」方が多いということ。
僕も還暦を過ぎましたが
同年代の多くは
ある程度生活が安定し
ある程度会社などの社会においても
立場が確立しているから
「もう、いいや」という気持ちが
出てくることが多いように感じます。
ましてや、新しいことに
チャレンジしようという気持ちも
少なくなって来ていることでしょう。
この年になると・・・と言ってしまいますが
「もういいや、俺ってこうだから」
「自分ってこういう人間だから」と
ちょっと後ろ向きになっていませんか?
でも、よく世の中を見渡すと
何歳になっても
現役で頑張っていらっしゃる方は
多くいらっしゃいます。
我が身を振り返ると
「もう、いいや」と考えるのは
今に始まったことではなく
実は若いときから
「もう、いいや」と考えていた
自分がいたことを思い出します。
だから
実は若いときから諦め癖を
これから見直していこうと思いますが・・・
体に染みついた考え方を
いきなり変えるには
かなりの努力がいると覚悟しています。
年って後悔しないように
若い人に伝えたい。
もし、20才代の君が
「もう、いいや」と考えていたら
せっかくの柔らかなこころが
さび付いてしまいます。
だからそうならないように
自分で自分を鼓舞しましょう。
もし、30代の君が
何回かチャレンジしただけで
あきらめてしまったら
せっかくの失敗が失敗で終わってしまいます。
もし、君が40代なら
全てがわかったような顔して
現状に安住しているのなら
その現状さえ維持できなくなるかも知れません
これからの世の中は
「うまくいった過去のやりかた」を
コピー&ペーストしているだけでは
生き残ることは難しいでしょう。
だから
自分も含め、全ての年代の人に伝えたい。
何事に対しても
「あきらめることなく」
生きていきましょう。
「登る山を見つければ、もう半分上ったのと一緒」
この言葉は
ソフトバンクの孫正義氏が
よく口にされる言葉らしい。
山とは何でしょう
目標、ビジョンなど
山の解釈は人によって
様々だと思います。
いろいろ解釈があっていいと思います。
目標が見つかったなら
もう半分くらい目標は達成されている。
目標が見つければ
動き始める事ができます。
目標も、ビジョンがなければ
何をどうするかがわからないことでしょう。
ですから
目標を見つけることが大事だと
大経営者である
孫正義氏はいっているのです。
【ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より】
最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。
他人ごとで生きていかない
最近、色々な人と会ってお話すると
自分のことなのに、
どこか他人事のように思って
すっと身を引いてしまっているなぁと
思う方が多い気が気がします。
そう、思う理由はおそらく
「自分のキャパシティはここまで」と
自ら線を引いてしまい
「それを越えるものについてはうけいれない」と
決めてしまい
「あ、もう無理だ」と思ってしまい
逃げているのかも知れません。
だから、冒険したくない
チャレンジしたくない
失敗したくないなどと言って
自分に能力が実はあるのに
ガンバらない理由がここにあると思うのです。
これもある種の
自己防衛なのかも知れません。
新しい事を
はじめないと行けない局面になると
人間は
守りにひってしまい
必死になってやらない理由を探し出します。
この状況を打破しないと
人間成長できません。
この状況を打破するには
自分は、こうありたい
こんなことをしたいと
熱い情熱が必要です。
年を重ねると
情熱の灯火さえ
消してしまおうとしていませんか?
情熱の炎は
死ぬまで燃やすことは可能だと
僕は信じています。
是非、情熱の炎を燃やし続けて
生きていきましょう。
いのちは地球よりも重い
僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。
もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの
この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。
昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
「人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。
今回の政府の動きは
ダッカ事件の時とは異なり
いのちだけでなく経済重視するあまりに
迷い行動できなくなってるように
僕は見えてしかたありませんでした。
ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。
人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。
