「心の調べ」カテゴリーアーカイブ
ストレス対応の窓口
☆現在インフルエンザワクチン、コロナワクチン接種開始中。
サンタインフルワクチン2026
マイナス感情を抱くことで
人はその感情をストレスという。
そしてそのストレスがたまると
病気になりやすくなることも
経験的に知っているけど
そのストレスに対する対応は
なかなかわからないのが現実だと思う。
ストレスがあるというのは
いくら寝ても、休んでも疲れがとれないとか
悩み事、一年中あって絶えないといった人は
ストレスが発散できないために
ストレスがたまる一方になっているのかも
しれません。
ストレスや感情も
ひとつのエネルギーです。
ストレスエネルギーが身体中にたまってくると
からだが緊張し、硬くなり
血液、リンパ、神経の流れが滞り
筋肉(からだ)のだるさ、頭痛、肩こり、腰痛などを
生み出し
胃腸、肝臓、子宮、卵巣、心臓そして脳の
変調を生み出してしまいます。
ストレスというエネルギーを発散するのは
大事なことだと思います。
でも、どうしたら発散できるでしょう。
ストレスのない生活とは
どんな生活かを考えてみると
お金に不自由がなく
家族全員が健康でしあわせなら
ストレスがないかというと
このしあわせがいつまで続くのか
失うことへの不安が生まれてきませんか?
仕事がストレスだと思っているお父さん
忙しい仕事がなかったらストレスがなくなりますか?
育児をストレスに感じているお母さん
育児から解放されたら逆にさみしくなりませんか?
こころの持ちようで
どんな状況でも
ストレスを発散するのは難しいです。
そんな時
メタトロンをうまく利用していただけたらと思います。
なぜなら
ストレスがエネルギーであるから
メタトロンでのエネルギー・メタセラピーが
解決の糸口になることでしょう
足の痛みが伝えることは?
☆現在インフルエンザワクチン、コロナワクチン接種開始中。
サンタインフルワクチン2026
メタトロンをすると
日頃気づかないことを
教えてくれる。
その気づきをほっておくと
からだは
もっと強いサインとして
症状をだすことがある。
医師としては
患者さんの症状という苦悩を
取り除こうと
努力するが
これで止まってはいけない。
なぜ、その症状が起こったかも
考え、改善する働きをしないと
本当に治ったとは言えないし
治したとも言えない。
だから
医学的アプローチだけでなく
様々な角度から考えていかないと行けない。
先日
歩けないほどの
足の痛みがあると受診された患者さん。
足を見ると
足の親指が発赤、腫脹し
少し動かしただけでも
痛みが走り、歩くことも苦悩の状態。
骨には異常がない。
痛風発作?なども疑ったが
血液検査も異常なし。
検査しても
異常がないことは
度々経験することであり
そのようなときは
原因がなにより
今苦痛の症状をとることに成り
局所の炎症を取り除く治療を行った。
1週間後再来され
局所の炎症は改善され
痛みも少なくし
歩きやすくなっていたよう。
なのに・・・・
患者さんは
痛みが取れたはずなのに
ちょっと悲しそう、苦しそうな笑顔
なんです。
足の原因の可能性について
もっている医学知識を総動員して
説明したが
患者さんの表情は曇ったまま。
なぜ??
患者さんと
その後診察をくり返しているうちに
夕方になると
涙があふれて来るんです。
患者さんは、
コロナの状況になって
目標を失って
目標探すと同時にからだを休めるために
故郷に戻ってきて
ふるさとの力で
からだは癒やされたけど・・・
こころが癒やされてなかったのですね。
これからの未来に対して
何をするべきか迷いに迷った時期
足の不調も相まって
前に進めなくなったんですね。
ですから
こころの進めない状況を
足の不調が教えてくれているんですね。
前に進んでごらん
一歩前に踏み出してみてごらん
動き出せば
足の痛みも忘れるから
前に一歩踏み出して・・・と
応援してくれている気がしました。
そう、患者さんに
伝えました。
今後
患者さんが前に歩く姿を
後ろからしっかり支えようと思います。
フロイトとアドラー
☆現在インフルエンザワクチン、コロナワクチン接種開始中。
サンタインフルワクチン2026
毎日健康上悩みを解決しようと
こどもからおとなまで
様々なかたが来院されます。
そして
お話を聞いてると
その人の考え方が2種類あることに
感じます。
それは
前向きに考えるかどうか
物事をポジティブに捉えれるかどうかが
大きいなと思います。
ネガティブに考えてしまう人も
出来るだけ前向き、ポジティブに考えた方が
いいと思って
お話しするのですが
中々一筋縄ではいけません。
そんな時
心理学者のユング、フロイトの考え方
それと
アドラーの心理学のちがいの話を聞きました。
そこで、今日は
フロイトとアドラーの心理学のちがいを
お話しようと思います。
フロイトは「原因論」と言われ
過去にこういう原因と考えられることが
合ったので
今があるのだ。
つまり
今こうなったことの原因を探し
その原因をみつけて
原因を改善しようとします。
それに対して
アドラーは「目的論」と言われ
その人の今の状態は
その人が選んだことでしょう
ということなのです。
全ての原因を
自分以外の外に求めるのではなくて
自分自身に求めているという
ことです。
日頃診察しても
この2つのパターンを
感じることがよくあります。
病気などの何かのからだの不調を感じたときに
普通は
なんでこうなったんだろうと考え
食事、運動が悪い
寝れなかったから
仕事のストレス
人間関係の不調が
あるから起こったんじゃないかと
一生懸命
その原因だけを探そうとします、
アドラー的に考えると
今この状態にいようとするのは
自分が選んだこと。
何のために
自分はこの状態を選ぼうとしたのだろう
この選んだことで
どんなことを考え、
その考えたことで
自分の気持ちが変わってきてないだろうか?
今、こういう風に気づくために
この不調という時間が
必要になったのだろうか?
などなど
様々の内なる原因に気づき、
変化が始まるのです。
原因がわかったとしても
それを自分で変えようとしないと
決して先には進めませんよね。
どんな状態でも
原因は自分自身の中に答えがある
そんな気がします。
そう思えた瞬間に
人は変われるのかもしれませんね。
ユートピア
☆10/1(木)~
インフルエンザワクチン、コロナワクチン接種開始中。
サンタインフルワクチン2026
日本の長い歴史の中で
日本が平和な時代だと言われるのは
縄文時代と江戸時代だと
いわれています。
当時の状況を自分の目では
確認することはできないけど
江戸時代末期、外国から江戸に訪れた人が
「まるでユートピア」という言葉が残っています。
どんな光景をみてそう思ったかというと
街並みは素朴だけれども
一枚の絵のように美しく清潔で
男も女もみながしあわせで満足そうに見える
こどもたちは目を輝かせ
底抜けに陽気で、よく笑い、親から愛され、
なんの不満のないように感じると
「日本ほどこどもを大切にする国はない。」
「貧乏人は居るけど。貧困なるものは存在しない」
と書き残している外国人もいます。
それが、明治時代になり
西洋文化が日本国に入ってきて
これまでになかった知識、芸術、教育
そして価値観によって
世界の一員として生きる道を
日本人は選びました。
確かに
日本は豊かになりました
食べることに困ることもなく
生命の危機にさらされることもなく
生きられるようになりました。
何不自由もない時代になったようにみえますが
日本人は本当にしあわせになったのでしょうか?
周りを見ると
からだの不安、こころの不安
今を、未来を満足していきているひとが
どれだけいるでしょうか?
ものにあふれた生活が
しあわせなのではないということに
気づかないと行けないのでしょう。
まずは食生活を見直す必要があると思います。
江戸時代の食事の特徴は
①冷蔵庫がないので、
旬の食材を今日食べる分だけ買う
→新鮮、栄養豊富、エコ
②燃料費が高いので、料理に時間をかけない
→栄養を壊さないに、時短レシピが多く簡単
③料理法は切る、焼く、煮るがほとんどで
油を使わない
→ダイエットに良い、ヘルシー
④4つ足食の禁止されていたので
肉を少量しか食べなかった
→ガン予防、胃腸にやさしい。
食生活だけを現代と比較しても
現在便利になって、SODGsのような
注意点など、昔の生活を見習えば起こらなかったこと。
人間が望んだ、良きと思って発展した文明が
実はよくことを壊していたなんて
どこか皮肉ですね。
日本には温故知新ということばもあります。
現在の
ものにあふれた時代になって
大切なものを失っていたものを
取り返さないと行けない時代になったんでしょうね。
生きるとは
生まれてきたからには
必ず訪れる死。
生きている間のことは
自分の意志で帰ることはできる。
でも
生まれる前のことも
死んだ後のことは
誰に聞いてもわからない。
全く想像の世界であり
考えれば考えるほど
不安や恐怖に憶えてしまう方も
多いことでしょう。
わからないことを
一人で考えても
結論は出てこない。
どう生きるかを考えるために
死について腰を据えて
じっくり考えて洩ることも
いいのでしょう。
死を考えていると
結局行きつくところは
どう生きるかを考えた方が
いいと思うのです。
そんな時
哲学者の芳村思風先生に次の
言葉を知ってハッとしたので
紹介したいと思います。
「生きるとは」
人間において生きるとは
ただ単に生きながらえる事ではない
人間において生きるとは
何のためにこのいのちを使うか、
このいのちをどう生かすかということである
いのちを生かすとは
何かにいのちをかけるということである。
だから生きるとは
いのちをかけるということだ。
いのちの最高のよろこびは
いのちをかけても惜しくないほどの
対象と出会うことにある。
その時こそ、
いのちは最も充実した
生のよろこびを味わい
激しくも美しく燃え上がるのである。
君は何にいのちをかけるか。
君は何のためになら死ぬることができるか。
この問いに答えることが
生きるということであり
この問いに答えることが
人生である
あなたは
この詩を読まれて
何を感じましたか?
朝の自分
朝、目覚めた時の
自分って・・・・・
昨日の自分に
今日の自分を
重ねても
どこか微妙にズレている
気がする
一日違いの
二人の自分
昨日はすでに
遠い過去
うれしいような
かなしいような
時間の経過
重ねたときの
そのズレが
美しくあることを
願って生きる
昨日の自分とは違う
今日の自分が
そこにいる
神道には教えがない
現代はみな平和を訴えるものの
戦争地球のどこかで戦争が行われています。
誰もが争いのない世界を願っているのに
平和な世界は無理なのでしょうか?
戦争のない世界を
実は日本では縄文時代に実現していたと言います。
縄文時代の遺跡からは
争った形跡が見つかっていないのです。
植物採取や狩猟のための
道具はあっても
人を殺すための武器や、刀剣、槍などの
武器が出土していないのです。
この平和な縄文時代が
1万年以上も続き
そんな時代があったのは
日本だけでなく人類史上の奇跡だとも
言える状態です。
それは
世界中に人としての
生きる道を説いた宗教があるのに
守れないのでしょうか?
日本の宗教は「神道」です。
神道には他の宗教と
決定的に異なる違いがあります。
それは、「教えがない」ことです。
教えがないから
相手を裁かないし
教えを守らないからと
地獄に落ちることもありません。
地獄がないから、誰かに救ってもらうべく
救世主も必要ないということです。
神道は宗教じゃなくて生活なのです。
神道は生活の本質を示しているのです。
それは、
その行動が美しいか、美しくないかで
判断すると言うことです。
その行動が美しいかどうかを
行動基準にする感性が
日本人にはあったのです。
ですから
火薬が日本に伝わった時に
日本人は、
鉱物資源の発掘のために使うのではなく
花火として火薬を使ったのです。
それが日本人の美しさを求める
感性だと言えるのです。
今でも
あなたの行為が美しいかどうかを
基準にして生きれば
平和な世界実現に近づくと思うのです。
神も仏もないのか
よく人は
自分の思い通りにならないことや
苦しむ状況になると
「神も仏もありはしない」と言う台詞が
思わず口から出てしまうことがあります。
人は
いいことも、悪いことも
自分に起こっていることは
何らかの自分以外の力が働いて起きていると
考えているから
苦しいときに
こんな台詞が
思わず口から出てしまうのかもしれません。
自分が生きているこの人生は
自分だけの人生だし
人生の主人公は自分です。
だから、今起きていることは
昨日までの自分の行動の積み重ねの
結果なんです。
病気になったり
何か苦しいことに出会ったときでも
決して
神も仏のせいではないんですね。
なら
神様も仏もいないのでしょうか?
実は、僕は 入院中いつも
自分を守って、応援してくれている
存在?力?を感じることがありました。
病気になったのは
自分の昨日までの行いの結果であり
それに気づかそうとして
僕は病気になったのかもしれない。
でも
動かなかった左手も、左足も
「こうなったのは、おまえのせいだから」とは
僕にもっと苦難を与えようとは
決してしません。
なぜなら
服を着替えようとするとき
必死でボタンをかけようとする右手を手伝おうと
無意識に右手の手伝いをしようとする動かない左手。
「今日もリハビリお疲れ様。夜はゆっくりして
また明日は、がんばって左足を動かしてみよう」と
語りかけていると
翌日は、指がそして足も昨日より動くんです。
僕は
からだのメッセージを受け取らずに
結果として病気になったのかもしれない。
だけど
からだは、そんな僕を恨んだりしない。
逆に、元に戻れるように応援してくれました。
僕のからだの中には
僕がどんな時でも
僕の力になってくれる存在を感じました。
この力、存在を人は
奇跡、神の力と言うのかもしれませんが
僕のからだにも、あなたのからだにも
あなたをどんな時にも守ってくれている存在がいるんです。
それを、人は神と呼んでるのかもしれません。
神様は
どんな人にも
どんなに苦しい時でも
あなたの中にいる力、存在なのだと思います。
今日の空は特別
今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。
思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。
そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。
「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。
贈り物?
確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。
今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない
だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね
だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。
人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。
今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。
そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。
今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終わろうと思います。
みなさんにとって明日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。
今日もありがとうございました。
神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じることが増えてきました。
そのことが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わ せていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な奇跡的な神秘体験をしたこともありません。
ただ、言えることは� 大病を患ったけど
今をこうしていきているということだけ。
精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、
それがどうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような
苦難を乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という
自己を越えられたという出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も大病という
これまでに経験したことのないような出来事に直面し
心の中に肉体をいう物質的な価値観から
魂という
精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や自分の所有する物に
重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
これからもよろしくお願いします。
