現代人が失った、古代人とのちがい

今回偶然にも
エジプト展に行ってそのあと映画お終活を観て
偶然にも現代の日本人との
死生観のちがいを
知る(感じる)機会になったのですが
同じ人間として生まれてきて
歴史を紡いでるうちに
何が変わってしまったのでしょう。

人間としての考え方は
古代の人は
現代人に比べてとてもシンプル
ではなかったのではないだろうか?

古代人の考えを形つくっているものは
月や太陽の走行
月の満ち欠けと女性との関係
太陽と四季の移り変わり
そして植物や生物の成長の関わり
をずっと見つめて考え生きていたに
つがいない。

現代と違って
車も飛行機もパソコンも携帯もない。
感じるものは
今生きている自然が全てであり
自然が自分の生きていく術の全てであった。
だから
何を考えるのにも
その考えを遮るものも少なく
現代人よりも古代の人は
何事に対しても
集中して考え行動してたいた気がします。

だから
縄文時代の精巧な土器ができたのも
現代人にはまねできないことができたのも
集中力がちがうのも
環境のちがいがなせる技なのかもしれない。

かつての自然は
ノイズひとつない
耳を澄ませば、こころ落ち着く
安らぐ自然の音にあふれていて
深呼吸すれば
新鮮な心地よい空気を吸うこともできた。

そんな環境の中で生きていけば
どんどん集中力も高まり
忘れていた埋もれた才能が目覚め
クリアな発想も次々浮かぶことでしょう。

ですから
誰も覚えていない
来世、死後の世界について
気がつく人も多かったのかもしれません。

一見便利なものに囲まれて
生きている現代人だけど
化学物質に囲まれ、まみれて過ごしている
現代人は
古代人がもっていた大切なものを
失ってしまったのかもしれませんね。

カテゴリー: 真実の医療 パーマリンク