信貴山参拝の思い出

2022年も残り少し
今年もコロナウイルス共に一年過ごすことを
模索した虎年になった気がします。

虎といえば思い出されるお寺が
奈良の信貴山にあります。
いつかいってみたいと思っていたお寺で
寅年の時には
このお寺を開かれた
聖徳太子も受けられた特別なご祈願ができると
聞いたので
この機会を逃すと12年後に
行けるかどうかわからないので
診療の穴を空けずに
お参りをすることができることがわかったので
思い切って行ってきました、

寅年のご祈祷を受けさせて
いただきました。
内容についてはお話することは
できないのですが
ご祈祷が終わった後
本堂から見た太陽、
斑鳩、伊勢湾まで見合わせた風景は
僕の胸に深く深く刻まれました。

このお寺は
本堂でお参りできるだけでなく
空海さんとの縁も深く
四国の88カ所のお遍路と同じ体験ができる
お堂があったり
毘沙門天の仏様以外にも
多くの仏様ともご縁がいただけるお寺です。

お遍路や、お寺を巡ることは
体力的にも難しい自分には
ありがたいほどのご縁をいただいたお寺。
信貴山は、お寺のアミューズメントパークても
言えます。

近くにバンジージャンプもできるところがあり
次回は
バンジージャンプを経験して
新たな体感を経験しようと画策してます。

みなさんも
機会があれば、奈良の信貴山を訪れては
いかがですか?

ちなみにお寺の中に泊まることもできますよ。

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どうすればしあわせになれるか

それは
今日一日を喜んで生きていけばいい。
でも、喜ぶことには、覚悟がいる。
苦しい時も、悲しい時も喜こんで受け入れないといけないから。
よろこべば
よろこび事が
よろこんで
よろこびを集めて
よろこびが来る
どんな時も、どんなことがあっても
よろこんで受け容れる生き方ができたら
きっとしあわせな人生なんでしょうね
今日、東京のセミナーでこんなお話しを聞きました。
そして
自然流育児を提唱されている真弓定夫先生に
お会いすることができました。
ご高齢のためこの夏クリニックを閉院されましたが、
しっかりその熱い熱いお気持ちを感じ、
受け止めることができたことに
よろこびの一日に感謝感謝です。

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あたりまえ

以前、僕が支持している
溝口メンタルスクール校長の溝口先生が
こんなお話をしていました。

「元気がない。平和でない」って
あたりまえのことになっているこの世界。
これってあたりまえのことではない
だから
「みんなを元気にするために
みんなに平和が訪れるように」
力を尽くさないといけない。

そのために
人のあり方を学ぶことが大事だと
教えていただきました。

AI時代になっても
人を癒やすのも
人をしあわせにするのも
機械ではなく人
それも
ひとの温かい心だと思います。

病気になると
心も冷えてきます。
心が冷えると
ますます元気がなくなってしまいます。

心も温かくなる
医療を
今日も、明日も、明後日も・・・
ずっと、ずっと届けようと思います。

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何を食べるよりも伝えたいこと

以前参加した
小児科医会のセミナー
「こどもの食環境、職場環境」での話

赤ちゃんを育てる時に
多くの人を悩ますのが
離乳食をどう進めるか?
何を、どんな風に
食べさせるか
試行錯誤の毎日だと思います。

離乳食と言う字をみると
母乳(ミルク)依存からの脱却
というイメージを持ちますが
実は
海外での離乳食は補完食なんです。
つまり
母乳では足りないもの
例えば
エネルギー、タンパク質、鉄などを補うのが
本来の離乳食の役割

だから、欧米では
母乳を
2歳以上になるまで、
頻繁にほしがるままにあたえています。

離乳食は植物性食品に最初は偏りがちだから
タンパク質が不足になりやすくなります。
タンパク質を補うために
肉や魚、卵も与えてもいいし
ビタミン不足になりがちなので
果物、野菜も食べさせてもいい。
おかゆも重湯ではなくて
5分粥からはじめても問題ないと
海外では報告されています。

母子手帳には
細かいことが書いています。
離乳食をはじめる時は
「なめらかにすりつぶす」と書いてるけど
なめらかでなく、スプーンでつぶせる程度でいいんです。

新しい食品をはじめる時は、一さじずつ与える
と書いているけど
2さじ与えるのはいつから?
食べやすくした脂肪の少ない肉類と
書いてるけど、
脂肪分の少ない肉は硬くないかな?
離乳食って、毎回内容を変えた方がいい?
などなど
読めば読むほど
考えれば考えるほど
次から次に疑問があふれて
前に進めなくなることもあります。

また
現代のお母さんの
食生活、ライフスタイルも様々。

ごはんをうまく炊けないお母さん
お味噌汁を作れないお母さんも
いないわけではありません。

そんなお母さんの
疑問にどう答えるか?
どう指導するのか?

決まり事を伝えるだけでなく
ひとりひとりにあった説明を
する必要がでてきています

何事も
顔を見て話し
向き合うことが大切。
離乳食のことで
何よりも伝えたいことは
何をどう食べさせるかというより
赤ちゃんにとって
食べることは楽しいということ
お母さんにとっては
食べてもらえてうれしいということを
感じてもらうことが大事なんだと
思います。

食べることを喜び
食べられることに感謝することを
忘れなければ
細かなことは少々気にしなくていい。
そんなことを感じた
小児科医会のセミナーでした。

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神の経がいのちの親へと続く

前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。

生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。

つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。

神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。

受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。

僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。

僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。

生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。

いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう

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生みの親といのちの親

この世に生まれてくるためには
必ず父と母がいます。

この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。

血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。

血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。

でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。

受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。

3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。

この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。

僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。

ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。

いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。

両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。

僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。

両親にも感謝
そして
いのちを育んでくださった
大きな存在にも感謝して
生きていかないといけないですね。

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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見えていないのは人間だけ?

目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。

実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。

虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。

このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。

見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。

今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。

だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。

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死によって完成する

生きるとは何か
死ぬとは・・・・
この永遠の命題について
昔から
多くの哲学者を始め知識人が考え
各々の考えを残しています。

昭和の文豪太宰治は
著作「パンドラのはこ」の中で
こんな風に語っています。

「人間は死によって完成せられる
生きているうちは
みんな未完成だ。
でも、虫や小鳥は
生きて動いてるうちは完璧だけど
死んだ途端にただの死骸だ。
完成も未完成もない
ただの無に帰る。
人間はそれに比べると
まるで逆である。
人間は死んでから、1番人間らしくなる
というパラドックスも成立するようだ」と。

つまり
今生きているのは
何か目的をもち
自分を成長するために生きていると
太宰は考えたのだろうか?

死は終わりではなく
死をもって生きて経験したことが
意味をなす。
肉体以外に魂があること
魂の成長のために
生きているのだと言っているのか?

太宰治は
破天荒な人生を生きた方のように
僕は思うのが
何かの成長を意識して
生きてこられたのかもしれない。

太宰治が
魂のことを信じていたかどうか
確認する術は
今の僕にはないが
きっと人は
魂を持ってこの世に生きていて
死ぬと、肉体は死骸だけれど
魂はその後もいきると
考えていたのかもしれない。

太宰治の話を聴くことができるなら
是非きいてみたい。
あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と

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発熱は免疫力を上げるサイン

病気になると「熱」がでます。
高熱がでると不安になります。

熱が出たとき、病院を受診するのは
どんな時でも間違いではありません。
遠慮なく病院にかかって下さい。

ただ
熱=病気のサインだけれども
熱=悪いサインとは限らない
ということを知っておいて下さい。

熱は、
病気を治そうとしている
からだの免疫反応なのひとつです。

そこで
あわてて熱を下げてしまうと、
からだは免疫力を高めようと、
更に高熱を出そうとします。

熱を発生するには
全身のエネルギーを使うので、
体力を消耗します。

熱がある時動けなくなるのは、
体力を消耗しないで欲しいという
からだからのサインなんです。

熱以外のすべての症状も同じです。
症状は全て
からだがあなたを守っているサインです。

あなたを苦しめるため
症状があるわけではではないのです。

症状という
からだがあなたを守ってくれているサインを
素直に受け止め、
対応し治療することが早期治癒につながります。

当院では、
どんな病気に対しても
からだの発するサインを応える治療を行っています。

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