SACHIKO

朝散歩してたとき
 ふと頭に浮かんできた歌があります。

 それは
 ばんばひろふみさんが歌っていた
 「SACHIKO」です。
 この歌は1979年に発表された歌で
 僕が中学生の時に流行った昭和歌謡です。

 当時から
 やさしい節と
 妹?娘?に対して歌われた
 心温まる歌詞に心温められる
 大好きな歌でした。

 そんな好きな歌でしたが
 お散歩の神社を巡っている時に
 突然頭のなかでなり出したのです。
 
 ♪しあわせを数えたら
  片手にさえ余る。
  不幸せ数えたら
  両手でもたりない。♪
 
 そして、途中はわからず
 サビの部分が浮かんでくるのです。

  ♪SACHIKO 思い通りに
   SACHIKO 生きてごらん
   ・・・・・・・
   いつでも帰っておいで
   僕はおまえのそばにいるよ ♪

 という歌の同じ歌詞の部分が
 何度も何度も
 頭の中でリフレインされたのです。

 その歌を流れるときは
 心も晴れやかに
 足取りも軽やかになるんです。

 ただ好きな曲だから
 ここちよい歌だから頭に浮かんだんじゃないと
 それは
 僕の頭に浮かんだ
 単なる鼻歌ではなく
 神様からの応援歌だということに気づいたんです。

 ♪ふしあわせなことより
  しあわせなことを
  数えて生きていけばいいよ。

  これからは
  思い通り 
  生きたいように生きてごらん
  いつでも戻ってきたらいいよ。
  いつもおまえのそばにいるから ♪

 ときっと神様が
 僕の魂を応援してる声だったんです。

 この歌の歌詞のように
 思いっきり今日という時間
 今この瞬間を生きていこうと
 思います

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発熱は免疫力を上げてるサインです

病気になると「熱」がでます。
高熱がでると不安になります。

熱が出たとき、病院を受診するのは
 どんな時でも間違いではありません。
 遠慮なく病院にかかって下さい。

 ただ
 熱=病気のサインだけれども
 熱=悪いサインとは限らない
 ということを知っておいて下さい。
 
 熱は、
 病気を治そうとしている
 からだの免疫反応なのひとつです。

 そこで
 あわてて熱を下げてしまうと、
 からだは免疫力を高めようと、
 更に高熱を出そうとします。

 熱を発生するには
 全身のエネルギーを使うので、
 体力を消耗します。

 熱がある時動けなくなるのは、
 体力を消耗しないで欲しいという
 からだからのサインなんです。

 熱以外のすべての症状も同じです。
 症状は全て
 からだがあなたを守っているサインです。

 あなたを苦しめるため
 症状があるわけではではないのです。

 症状という 
 からだがあなたを守ってくれているサインを
 素直に受け止め、
 対応し治療することが早期治癒につながります。

 当院では、
 どんな病気に対しても
 からだの発するサインを応える治療を行っています。

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がんを病む心

 かつて
 結核は不治の病と言われていましたが
 医学の発達、抗生剤の登場で
 結核は治る病気、予防できる病気になり
 変わって、現代における
 不治の病は癌であることに
 異論を唱えられる方はいらっしゃらないでしょう。

 不治の病である癌に対して
 ちまたでは
 癌にならない方法はないか
 癌と縁のない生き方はないのか
 癌にならない考え方、心の持ち方はないかと
 誰もが模索しているようにも思えます。

 癌とはどんな特徴があるのでしょう
 癌という字は
 とても硬いということを僕たちに
 教えてくれています。

 実際
 乳がんになると、
 通常は柔らかい乳腺が
 とても硬くなります。
 胃癌では、強力な胃液でも
 溶けないほど硬いしこりに成っていることが
 わかっています。

 癌になると
 硬くなるのは臓器や組織だけでなく
 心の中にも
 硬くて、暗いしこりができているといわれてます。
 旦那さんやご家族に不満を持っている方
 愛されてないとと嘆く深い悲しみの中にいる方
 旦那さんやご家族のわがままにおびえて過ごしている方
 そんな心模様をお持ちの方は
 乳がんや子宮癌を発症される方が
 多いといわれています。

 相手の悪い心の闇に囚われるなど
 ご自身の心持ちが悪いと
 その心ががん細胞を育ててしまいます。

 あなたが
 心の闇に囚われてしまい
 その闇を発散できないでいると
 その暗闇が心のしこりとなり
 その方の持っている運の悪さなどが重なって
 癌となって体に現れてしまうのです。

 癌にならないために
 どんなことがあっても
 明るい心を失わないことが大切です。

 さらさらとしたよどみない
 流れるような清い心
 なんでも受け入れられるる豊かな心
 機嫌のよい心
 感謝の気持ちを持ち続ける心
 常日頃から持っていることが
 癌にならない心を持ち続けること。

 何事も
 汚れた部分に目がいくのではなく
 美しい部分をみている心の持ち主は
 陽気で、癌と無関係な生き方をしている方でしょう。

 心配、取り越し苦労、おびえる心
 これが心のしこりとなり
 それが目に見える形となって現れたのが
 癌の姿だと言うことを
 忘れないで下さい。

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日々の喜びをかみしめて過ごす

 11/19のブログで
 希望は持つな
 遠い未来に対して
 あれこれ思っていてもしかたが無い
 それよりも大事なことは
 今だというをお話しました。

 僕も入院した当時は
 からだが動かない現実を知り
 これからどうなるのか
 わからない未来のことを思って
 不安に思っていました。
 
 僕が不安な気持ちにいるときでも
 からだは一生懸命、一途に
 僕を、僕のからだを守って
 くれてたんです。

 入院して1週間ほど過ぎた
 ある日、朝目覚めると
 少しだけだけど
 それまで全く動かなかった
 左手が動いたんです
 そして、短い時間の間だけど
 手を水平に上げて
 短い時間でしたが維持もできんです。
 わずかな動き、そしてほんの瞬間的な時間だし
 支えはいるけど
 以前のようにはいかなくても
 動かしたい方向へ動きをわずかでも
 動こうという動きを示してくれる。

 本当にうれしかったですね。
 特別ななことをしたわけでもない
 動かす薬を飲んだだけではない。
 いうならば
 自分の意志とは形で
 僕のからだは治ろう、治すという
 僕のために治そうという
 慈愛に満ちあふれた力を感じました。

 動かなかった手が動く
 それが小さい動きであっても
 僕にとっては
 大きな大きな喜びでした。
 そしてその喜びが大きな希望になりました。

 喜びが希望になりそして心も明るくなり
 不安な気持ちも吹き飛ぶんですね。

 希望は持たなくてもいい
 不安など払拭しようとしなくてもいい
 からだは見放さず
 しあわせの方向に導いてくれる
 今を信じて、今生きていること、起こっていることを
 ただただ喜べばいい。

 日々喜びをかみしめて過ごせば
 希望持とうと思わなくても
 自然と希望が湧いてくるんでしょうね。

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なぜ初めに言葉があったのか?

  言葉ひとつで
  人生が変わってしまうことがある
  言葉ひとつで
  願い事が叶うこともある。
  僕は言葉はとても
  大事なものと思っています。

  聖書に
  「はじめにことばあり」と
  世界のはじまりは言葉からはじまったと
  書いてあります。

  人類が言葉を持つようになったのは
  人類が誕生して
  かなり経ってからだと
  記憶してるので
  この聖書のはじまりの文には
  どこか違和感を感じ
  なじむことができませんでした。

  しかし
  最近、いろんな書物を読むようになって
  この言葉ありきの解釈に触れる
  ことが多くあり
  少しずつ意味がわかってきました。

  聖書でいう言葉というのは
  どうも神そのものの存在を表してる
  という結論に至りました。
  
  神は光であり、エネルギー波動であり
  時間をも支配する存在。
  神の力を総じて
  わかりやすく述べているのでは
  ないのでしょうか?

  実際に言葉でコミュニケーションをとるように成ったのは
  人類が誕生しかなり経ってからだし
  それまでは音として
  音とは波動なんですよね。

  すなわち
  今のように
  耳で感じる音としての言葉ではなく
  波動として
  相手の意志を感じ取り
  自分の意志を伝えていた。

  また
  これも定かではないですが
  昔々、縄文時代、ムーの時代の人々は
  まだ肉体もなく
  波動のままの状態であった時期が
  合ったとも考えられています。

  波動でコミュニケーションをとっていた
  エネルギーを感じていたのではないでしょうか
  
  自分の身の回りの生物をみても
  自分の耳にはわからなくても実際には存在する
  虫の羽尾と、こうもりの超音波、鳥の鳴き声
  全てもものは波動を伝え合っています。

  これは
  生きているものだけでもなく
  神も波動で私たちに話しかけているのは
  昔も今も変わらないことかもしれないと
  僕は思っています。

  言葉は
  波動エネルギーと考えると
  その言葉に、想いという波動エネルギーをも
  乗せて、伝えることもできるはず。
  それが言霊ということに成るのだと思います。

  最初に
  言葉というエネルギーによって
  この世は始まった。
  そしてそのエネルギーによって
  生まれた人間をも含めた地球上の全ての生物は
  神のエネルギーを受けとり
  そのエネルギーの使い手なんだと思います。

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リーダーの素質

 最近
 日本では総理大臣が替わり
 アメリカでは大統領選挙が行われ
 ここ防府市でも
 市会議員選挙など
 リーダーを選ぶ選挙が行われました。

 そこで
 リーダーについて
 少し考えてみたいと思います。

 リーダーとは
 人の上に立つ指導者です。
 人の上に立つということは
 みなさんのことを理解する
 つまり全てのことを
 理解しなければならない立場にいます。

 全てのこととは
 文字通り全てのこと。
 経済などの
 目に見える物質的なことだけでなく
 人の気持ち
 ものを動かす力
 地球、宇宙のエネルギーなど
 全てのものを構成するメカニズムなど
 目に見えない力との調和も
 考えていかなければならないのです。

 物事の道理、真理、真髄を理解し
 自ら行動し、人々を引っ張っていくことが
 リーダーになる人の大きな役割だと思います。
 
 真理を理解し、行動を 
 くみ上げていかないと
 どこかで必ず失敗しかありませんし
 そんなリーダーが作った組織には
 不満しか残りません。
 そんなうわべだけの行動で
 真理に促さない行動をとっている場合は
 いくら知恵を絞っても
 よい知恵、良い結果はえられません。

 これは
 地方自治体だけで無く
 国家においても同じです。

 真理を考えの原点とし
 考え方を変換することが
 国家をも安定させることになります。

 つまり
 リーダーこそ
 意識革命が必要なんです。

 真理に反した行動を続ければ、続けるほど
 もがけば、もがくほど
 地獄に落ちてしまいます。

 世界中のリーダーと言われる方に
 知っていただきたいのは
 私利私欲を優先した行動をしないで下さい。
 真理を無視して
 自己満足優先、自我意識で運営していては
 世界はよくなりません。
 何も変わりません。

 もし、一見経済が復活したとしても
 今回のような
 パンデミックが起きたり
 新たな天変地異が起こるやもしれません。

 子や孫、子孫に残すものは
 財や名誉ではなく
 今いる地球、
 変わらない宇宙、世界のはずです。

 この世界を守るために
 リーダーの意識革命が必要だと思うのです。

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小児科を志す

  進路にも迷いながらも
  医学の道を志し
  無事医学部に入学。

  医学部は特殊な学部です。
  ある意味潰しがきかない学部でもあり
  将来医師になるしかありません。
  ある意味退路を絶ったと言うことになります。
  でもそんな深刻な感じではなく
  周りのみんな
  みな医師を目指す先輩、友人、後輩に囲まれ
  こんな環境に身をおいていたので
  もう迷いもありません。
  別の道を歩こうなんてこと
  考えもしなくなって
  学生生活を集中して謳歌して
  過ごしてました。

  そしてまた
  選択の瞬間がきました。
  それは
  医学部の6年生の時に
  自分の進む方向をまた決めなくてはいけません。

  僕の時は
  現代のような研修医制度がなく
  大学の医局という科に属して
  腕を磨き
  一人前の医師になっていきます。

  学生時代に
  内科、外科、皮膚科、眼科・・・・・など
  全ての科を習い、実習し
  自分の進む科を決めるのです。

  その選ぶときに
  大きな選択になるのです。
  科も大きく
  手術をする外科系と手術をしない内科系
  に分けられます。
  僕は正直にいうと、器用なほうではないので
  外科の選択しはありませんでした。
  内科系、精神科が残ります。
  内科系は、内科系でも
  消化器系、循環器系、内分泌系など細かく
  臓器別に別れていきます。
  癌にも興味があり
  消化器系にも心が揺れました。

  6年の夏休み
  九大の小児科を見学に行きました。
  その時の医局長であられた南先生に
  案内していただき、小児科について説明をうけました。
  その時、先生は
  「こどもを見るのは
  手間もかかるし、時間もかかる
  苦労した割には報酬も少ない科なんだよ。
  でも、こどもひとりを助けた価値は
  そんなお金では換算できないほどの価値があるんだよ」
  と話をされました。

  その言葉に心うたれました。
  お金ではかれないほどの大きな仕事に
  取り組みたいと思いました。

  その他にも
  人間の心にも興味があったので
  精神科も選択しにありましたが

  ひとりで
  まずは自分で診断し治療する医者になりたい
  お金でない価値ある仕事をしたい
  という意味で
  小児科を選択しました。

  お金に価値を置かない考え方
  また
  ひとりで何でも見れる医者になりたいって
  その時は忘れていましたが
  小学校の時した前世占いの
  ぱっと見ただけで診断、治療した名医という
  姿を追いかけていたのかもしれません。

  そして
  自分ひとりの力を尽くして
  病気と闘う人々と共にいようと考えたのは
  自分でもちょっと変わった選択だと思ってました。
  それはB型という血液型による
  自分のせいだからと思って納得していましたが
  実は、魂からの選択であったと
  今振り返ると思えるのです

  そうして
  魂の目的を、夢夢を果たすためかのように
  小児科医として
  歩むことを決意したのでした

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希望をもつな

 人は
 苦しい状況になると
 よく希望を失わないように・・・など
 希望をもつことが
 大切だと良く言われますし
 僕もそう思って
 希望は失わないように・・・なんて
 よく口にしていました。

 でも
 今回入院したとき
 希望をもつということ
 希望を持とうと思えば
 自分を苦しめることになりました。

 例えば
 来月は、3ヶ月後には
 今までのように
 歩いたりできるんだばどと
 希望をもとうとすればするほど
 現実とのギャップを感じ
 希望の大きさに比例して不安を大きくなったんです。

 苦しい時に
 希望を持つ、もとうとすることは
 決してしないといけないことじゃないと
 今では思っています。

 退院して
 入院していたときのことを振り返って
 なぜ、希望がこころの支えにならなかったが
 わかったので
 今回のテーマは、「希望をもつな」です。

 希望をもったとき
 自分の目線がどこを観ているか考えてみると
 どこか遠くに視線を移し
 遠い未来を観ていないでしょうか?
 つまり
 希望をもつということは
 現実を見ずに未来を見ている。
 現実を否定し、未来へと逃避することなんです。
 希望を持つとは
 今は良くないので
 未来に期待しようという考えなんですね。

 でも
 未来を期待したからといて
 現実の今は全くかわっていません。

 人は
 期待に裏切られてしまうと
 希望もないといってしまいます。
 期待が強い人ほど、絶望感が増し
 そして最悪の場合
 自殺してしまう人が出てきてしまうのではないのでしょうか

 希望をもっても
 今を変えることはできません。
 もし何か現実のことから落ちこぼれた状態になった時
 希望を持とうと思うより
 落ちこぼれたって言いじゃないか、失敗しててもいいじゃないか
 これから、こうしてみようよ
 と考えたり、諭してあげる方が
 希望をもとうと遠くの未来のことを考えるより
 ずっと心が楽じゃないでしょうか?

 病気になったときに
 「絶対良くなるから、頑張れ」と
 今頑張っている人に対して
 もっと頑張れとムチをうちようなことに
 ならないでしょうか?
 それよりも
 「病気になって良かったよ
  このまま頑張りすぎてたら、もっと大きな病気になってたよ
  ゆっくりね」と
 言われた方がどんなに楽でしょう。

 希望を持とうと
 未来を想像するのは
 現実から逃避してしまうことですが
 希望をもつよりも
 思ってはいけないことは
 今を拭こうだと思うことです。
 今不幸な状態にあると思うのは
 世間や他人と自分を比較しているからなんです。

 困難に陥ったとき
 失敗だったな、今は反省しようなどと
 いまの状況を受け入れることが
 心にとっての療養になります。
 病気をすると言うことは
 反省する、考え直す時間をくれてるんですね。
 あなたを苦しめるためではありません。
 病気で気づいたことを大切に
 これから生きていきましょう。
 それが
 本当の希望をもつことなんだと思います。

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悟るとは?

前回のブログで
 太宰治は「パンドラの箱」の中で
 人間は死によって完成されると
 書いてあることについて
 書きました。

 同じ文豪であられた
 正岡子規が病床にいたときの
 日々の思いを書き留めていた
「病床六尺」の中で
 悟りについて書かれた箇所があります。

 「悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で死ぬること思っていたのは間違いで
  悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で生きていることである」と
  書いています。

  つまり
  悟りとは
  自分がどう生きていくべきかを
  何か修行をして気づくことではなく
  日々の生活の中で気づくこと
  今を生きること
  すなわち、今を生きていること全てが
  悟りなんだと思う。

  悟りとは
  何を悟るのか? 
  生きている日々の中で
  何を感じたときに悟ったと思うのだろう?

  僕は
  悟りは学ぶものでもなく
  人から教えてもらうものでもなく
  こころで感じるものではないのかと思う。
  こころで感じたものは
  きっと魂が学ぼうとしたもの
  現世に生まれてきた目的
  そして魂の学びを感じられたときに
  悟ったと思うのではないのでしょうか。

  僕も
  病気をして
  全てを失ったときに
  自分の生活、生き方に向き合い
  「愛」の大切さを知りました。

  「愛」を学ぶために
  この世に生まれているのだと思います。
  だから
  今もこうして思い、感じたこと
  つまり僕の感じた小さな悟りを伝えたくて
  毎日ブログを綴ってえるのだと思います。

  今の生活、今生きている瞬間
  全てが悟りの瞬間なんです。
  そんな悟りの時間を
  大切に愛を込めて過ごすことで
  自分の生きていく道、つまり悟りの道が
  広がっていくのだと思います。

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死によって完成する

 生きるとは何か
 死ぬとは・・・・
 この永遠の命題について
 昔から
 多くの哲学者を始め知識人が考え
 各々の考えを残しています。

 昭和の文豪太宰治は
 著作「パンドラのはこ」の中で
 こんな風に語っています。

 「人間は死によって完成せられる
  生きているうちは
  みんな未完成だ。
  でも、虫や小鳥は
  生きて動いてるうちは完璧だけど
  死んだ途端にただの死骸だ。
  完成も未完成もない
  ただの無に帰る。
  人間はそれに比べると
  まるで逆である。
  人間は死んでから、1番人間らしくなる
  というパラドックスも成立するようだ」と。

  つまり
  今生きているのは
  何か目的をもち
  自分を成長するために生きていると
  太宰は考えたのだろうか?

  死は終わりではなく
  死をもって生きて経験したことが
  意味をなす。
  肉体以外に魂があること
  魂の成長のために
  生きているのだと言っているのか?

  太宰治は
  破天荒な人生を生きた方のように
  僕は思うのが
  何かの成長を意識して
  生きてこられたのかもしれない。

  太宰治が
  魂のことを信じていたかどうか 
  確認する術は
  今の僕にはないが
  きっと人は
  魂を持ってこの世に生きていて
  死ぬと、肉体は死骸だけれど
  魂はその後もいきると
  考えていたのかもしれない。

  太宰治の話を聴くことができるなら
  是非きいてみたい。
  あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と

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