期待してください

当院は
   赤ちゃんからおとなまで
   様々な年齢の方を対象としているので
   外科的な処置が必要でなければ
   診療をしています。

   ですから
   色んな目的で受診されてこられます。
   主治医の先生が
   お休みなので  
   いつもの薬だけ欲しい。
   とりあえず今の状態を診てもらいたい。
   コロナワクチンの時期なので
   コロナワクチンだけでなく
   ワクチン接種だけお願いします
   などなど
   当院の受診目的は様々です。

   僕の目の前に
   座った患者さんは
   患者さんの目的が薬だけであろうと
   100%、全身全霊を込めて
   診察しています。

   日頃診てもらってる主治医の先生ほど
   患者さんのこれまでのことはわからなくても
   今僕がわかる範囲で
   できることをしよう
   診察後
   主治医先生の迷惑にならないように
   診療をしようという思いで
   患者さんを診させていただいていますが
   ・・・・・
   患者さんには
   当院を受診した思いはまちまち。
   薬屋さん感覚で
   この薬を下さいとか
   注射だけでいいですとか
   露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
   患者さんとの出会いも
   一期一会かもしれないけど
   いい出会いになればと思って
   診療をしているのですが
診察室で
   医者と患者という立場で
   相対していますが
   その前に
   お互い人として
   向き合っていることも
   忘れてはいけないと思ってます。

   もし、目の前の患者さんが
   この先生は、偉大な人なんだ
   この先生について行けば大丈夫。
   この先生について行けば
   頑張れるし
   どこまでもついて行きます
   なんて言われると
   奇跡でも起こせそうです。

   逆に
   何か間違えでもしたら
   糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
   萎縮して
   いい診療なんてできません。

   医者のパフォーマンスは
   患者さんに期待されると
   上がるんでスンね。

   これは
   医者だけではなく
   学校の先生や塾の先生に
   期待すると成績が上がるし
   お父さん、お母さんや
   ご夫婦でも相手に期待すると
   期待した本人にも
   結局いい結果を産むということは
   心理学の世界では
   よく言われることで
   ビグマリオン効果と呼ばれています。

   是非
   この先生はいい先生だと思って
   いただけると
   僕の力は100倍にも1000倍にもなって
   患者さんもっともっと良き方向に導けます。

カテゴリー: 真実の医療 | 期待してください はコメントを受け付けていません

中今とは夢中になること

最近こころに響く言葉のひとつに
 「中今」があります。

  この言葉は
  神道の言葉であり
  生きていく中心軸を
  今という時間を
  大事に、一生懸命生きることを
  伝える言葉だと理解しています。

  最近その「中今」という言葉は
  もともと
 「中夢 なかゆめ」という言葉から
  派生した言葉だということを
  知りました。

  中夢
  夢のまっただ中
  夢の中にいること。
  つまり夢中で生きると言う意味。

  中今と夢中
  考えてみると
  確かに関係があると思いました。

  何かに夢中になる時って
  時間があっという間に経ちますよね。
  自分の中では
  一瞬に感じる時間であっても
  実際の時間および
  辞意分以外の人が感じる時間は
  2.3時間は経っているって
  よくありますよね。

  浦島太郎が
  竜宮城で過ごした時間が
  まさに
 「中夢」の時間だったと思いいます。

 「中今」が
  中夢という言葉から派生した言葉なら
  中今は
  今の時間を夢中になって過ごす。
  目の前のことに没頭して
  集中して過ごすことが
  自分にとっての
  夢の時間に思える時間になるってことですよね。

  人生において
  無我夢中になるものを見つけ
  無我夢中の中で生きていると
 「我」も消えてしまい
  自分の真の人生を生きられるようになる。

  そのことを
 「中今」と言う言葉は
  教えてくれているのでしょう。

  目の前のことに
  夢中になって過ごしてみましょう。

カテゴリー: 真実の医療 | 中今とは夢中になること はコメントを受け付けていません

魂を包むオーロラ

患者さんから
  臨死体験の話をお聞きしました。

  患者さんは
  交通事故で全身打撲の
  重傷ん状態で病院に
  救急搬送された時の
  話をしてくれました。

  事故が起きた瞬間のことは
  全く今も覚えていなくて
  目を覚ましたら
  とても綺麗なオーロラの毛布に  
  包まれていたそうです。
  今まで経験したことのないほどの
  気持ちよい状態で
  いつまでもこのままの状態で
  いたいなぁと思ってたのですが
  その時
  小さいおばあさんが現れて
  ニコッと笑って
  パッと包まれていた
  オーロラの毛布を
  剥ぎ取ったのです。

  その瞬間
  経験したことがないほどの
  耐えられない痛みに襲われた瞬間
  患者さんは
  ICUのベットにいたというのです。

  そこで
  自分はこの世?
  今まで生きてきた世界に
  帰ってきたことを理解したそうです。
  と同時に
  それまでの気持ちの良い世界と違って
  なんと苦痛を伴う世界だと言うことも
  理解したというのです。

  体調も安定したときに
  主治医から
  救急車で運ばれた時からすると
  よく助けられたと
  感想をお聞きしたそうです。
  ご本人は  
  今もそうですが、その時の状態の記憶は
  全くないそうです。

  これは
  いわゆる
  臨死体験ということなのでしょう。

  臨死体験のお話を聞きながら
  思いました。

  肉体を持つことは
  痛みを感じたり
  動きにくく自由になりにくい
  とても不自由な状態であるのだ
 
  しかし、
  今生きていることは
  ある意味生きにくい状態かもしれないけど
  得られない体験と引き換えに
  不自由を覚悟で 
  この世に生きているのかもしれません。

  その不自由さを感じずに
  有意義にこの世、今という時間を
  過ごせるように
  お手伝いできれば・・・と
  患者さんのお話を聞きながら
  思ったのでした。

カテゴリー: 真実の医療 | 魂を包むオーロラ はコメントを受け付けていません

メタトロンが教えてくれたこと⑩何に気をつけたらいい?

メタトロンでは
  まだ発症していない
  症状もないので
  まだまだ未病の状態から
  チェックしています。

  未病の状態で気づき
  改善することができれば
  理論上は
  死ぬまで元気に過ごせるという
  ことになります。

  でも
  元気でないところが
  あることをお伝えすると
  みんな
 「何を食べたらいいですか?」
 「もっと、運動しないといけませんね」と
  なんとかこの悪い状況を
  脱しようと考えます。

  僕は
  メタトロンを受けて
  注意点が見つかったときに
  何かをしようとする前に
  自分の状態を知ること
  からだ自身の力で
  症状をだすことなく
  いつものように過ごせていることが
  大事なんだとお伝えします。

  からだが頑張ってることを
  気づくだけで
  感謝してくれることで
  からだは喜んで
  元気に過ごせるように
  働いてくれるのです。

  何もすることはありません。
  今のからだの状態を
  知ることが大事なんですね。

  人間のからだだけでなく
  いのちは
  もともとあるがままで
  完全な状態であるんですね。

  ですから
  人間の考えだけで
  人間の浅はかかもしれない
  思いつきの知恵で
  行動した行為は
  帰って、完全なるいのちの
  完全なる力の妨げになることも
  ないわけではありません。

 「いのちは
  無始より来りて無終に至る。
  我を通じて、無限に広がり、
  我を貫いて、無限につなる」のです。

  元気な時も
  病に伏した時でも
  自らのこころもからだも
  自然の思いのままに
  生きていくことができれば
  本当の自分に出会える気がするのです。

  自分をよくする生き方ができれば
  宇宙をよくすることにつながり
  人のためになることをすることは
  自分をも助けることになるのだと思います。

カテゴリー: 真実の医療 | メタトロンが教えてくれたこと⑩何に気をつけたらいい? はコメントを受け付けていません

しあわせのハードルが下がる

病気と健康の状態を比べると
  病気になるより
  病気にならないほうがいいに決まってる
  と誰もが思うだろうし
  それは真理だと思うから
  人々は病気にならないように
  巷では
  いろいろな健康法が発表され
  僕の元にも
  からだのいろいろな悩みを抱えて
  訪れる人がいる。

  でも
  いざ病気になって
  それも長い間入院生活を強いられると
  病気になったから
  わかったこと
  それも良かったと思えることがある。

  それを
  日々忘れないように
  こうして少しずつだけど
  書き留めているわけだけど

  病気になって感じた
  良かったことのひとつに
  しあわせだのハードルが下がったことがある。

  すなわち
  今までなんとも感じなかったことに対して
  感動することが増えるのです。

  例えば
  朝起きたとき
  昨日全く動かなかった左の指がピクピク動き
  ベットの手すりがつかめたこと
  ・・・・そんなことだけで
  うれしくて涙がでました。

  朝起きて
  毎朝山から日が昇り
  色も形も異なる
  朝焼けの光景に感動して
  写真を撮っては
  家族に送ってました。

  その他にも
  鳥が病室前の手すりに止まっただけでも
  会いに来てくれた気がして
  喜んでました。

  初めて
  病院の外を散歩したときは
  風が僕の歩みを
  応援するかのように
  背中を押してくれてるように
  有り難く思いました。

  食事も
  肉と言えば鳥
  魚と言えば鮭ばかりだったけど
  あるときは煮てたり、揚げたてあったり
  カレー味だったり
  ムニエルだったり
  同じ味ではないことに
  感謝でした。

  これが健康の時だったら
  朝起きても、外を歩いてても
  食事をしているときでも
  仕事のこと
  今やらないといけないことなど
  考えることがいっぱいありすぎて
  今の太陽の姿も
  遊びに来てくれたかもしれない
  鳥にも気づくことなく
  毎日の食事も
  エネルギーとしてからだに放り込むだけの
  食事だったに違いない。

  なんと
  自分の周りにたくさんあったしあわせに
  感謝せずに過ごしたことだろうか?
  と言うことに
  病気をしたことで
  気づかされました。

  これは
  病気をして
  しあわせのハードルが下がったから何ですよね。
  病気をしたおかげで
  しあわせのハードルが下がり
  しあわせをいっぱい感じられるようになりました。
  ですから
  実は病気をしたことにも感謝なんです。

カテゴリー: 真実の医療 | しあわせのハードルが下がる はコメントを受け付けていません

足下の木の葉

その朝
  いつものように
  氏神様の周りを
  竹箒で掃いて
  さっぱりした気持ちで
  お参りをしていた時の
  ことでした。

  さっぱりした気持ちで
  神様の前で
  手を合わせて
  ふと足下をみると
  足先に黄色い木の葉が
  合ったのです。

  お参りの前に
  はいたばかりなので
  こんな目立つ木の葉が
  あるはずはない
  掃かなかったはずはない・・・と
  思って
  自分の掃除をしたということを
  肯定しようとしてました。

  その時
  ふと思ったのです。
  ここに確かに木の葉があるのです。
  もしかしたら
  掃いたときにもあったのかもしれない。
  その木の葉の存在に気づかず
  見ようとせずに
  勝手に掃除ができたと
  思ってしまったのかもしれない。

  掃除完了と
  判断したのは自分自身の頭。
  つまり
  思考だったのです。

  実際に
  やらないことは 
  まだ残っていたのに
  終了としたのは
  自分自身の心。

  病気の時も
  見落としていることって
  多くないだろうか?
  原因を頭だけで
  考えてないだろうか?
  そうしていると
  大きな木の葉
  つまり大きな原因が
  足下にあっても
  気づかないんですよね。

  頭で見るだけでなく
  肉眼の目を
  心の目でも素直にとらえることが
  大事なことを
  足下の木の葉が教えてくれました。

  病気の原因は
  必ずあるし、示してくれている。
  それに気づける生き方を
  しなさいということを。

カテゴリー: 真実の医療 | 足下の木の葉 はコメントを受け付けていません

直観力を磨く

  現代は多くの情報が
  インターネットを通じて
  多くの人が
  簡単に受け取ることができます。

  手軽に
  情報を手にすることができるので
  便利な反面
  戸惑いを感じている人も
  多くいらっしゃるのも
  今の世の中の特徴だと言えるでしょう。
  
  我々の受け取っている情報量は
  時代ごとにに換算すると
  平安時代であれば一生分
  江戸時代であれば一年分の情報量が
  1日に受け取ってる情報量と
  言われています。
  
  情報量はどれくらいか
  わからなくとも
  その量の多さは
  現代人の誰もが感じていることでしょう。

  現代の人々の生活は
  江戸時代に比べものにならないぐらい
  激しく、動いているいるので
  生きていくために必要な情報量は
  格段に増えているのも
  確かでしょう。

  しかし
  全ての情報量が必要かと言えば
  決して
  そうだとは言えないでしょう。

  莫大な量の情報のなかから
  必要な情報をピックアップする能力
  つまり
  自分自身の直感力を
  磨く必要がでてきています。

  今必要な情報のひとつに  
  コロナウイルスに関することがあります。
  ウイルスがめにみえにものであってり
  まだ不明な点も多く
  様々の専門家が各々の立場で
  意見を述べられるので
  全ての話に耳を傾けていると
  文字通り目が回ってしまいます。

  その情報を
  自分にとって有意義かそうでないかを
  ふるい分けるのが
  直感力です。

  直感力は
  本来の自分、本質の自分に
  訴え判断する力です。
  その力は
  自分のこれまで経験したの中から
  判断するのでなく
  潜在意識、超意識を働かせて
  判断するのです。
  脳の部分で言えば
  論理的に考える左脳を使うのではなく
  右脳で判断するということだと
  思います。

  このことを
  自分自身の声、内なる声、ハイヤーセルフの声と
  言えるかもしれません。

  右脳に働きかけて
  判断された自分の思いなのです。
  その声を常識や経験に根ざした
  左脳の働きで
  右脳からの直感力にきずかずに
  過ごしてしまうことが
  多々あります。

  右脳からの声は
  いつも我々の耳に届いているのです。
  それに
  気づかないふりをして
  我々は生きているのですね。

  ですから
  直感力を磨くために
  ①いつも内なる声に耳を傾ける
  ②その内なる声に従って行動してみる
  ③行動することで生まれた結果を
   内なる声に従って行動した結果であると
   自分の行動を納得する
  と言う生活をつづけると
  あなたは、直感力に従って生きられる
  情報に振り回されずに
  生きていけることができるのです

カテゴリー: 真実の医療 | 直観力を磨く はコメントを受け付けていません

自然法則に従って生きている

  梅雨明けしました。
  梅雨が開ける前の大雨で
  多くの人の
  目に見えることから
  目に見えないこころまで
  大きな傷跡を残して
  梅雨明けました。

  梅雨が開けても
  まだ大きな傷跡に
  苦しまれてる方がいらっしゃいます。
  1日でも早い復興を
  こころからお見舞い申し上げます。

  梅雨明けすると
  雨の心配することなく
  安心して朝の散歩を続けています。

  僕たちは
  天気予報で
  梅雨明けしたことを  
  核心するのですが
  朝、歩いてるときに
  自然が全く異なるのを
  肌で感じます。

  まず
  空を見上げると
  雲が少なく
  澄み切った朝焼けの
  グラデーションに
  思わず足を止めて
  空を見上げてしまいます。

  吸う空気も
  肌に当たる空気も
  さらっとして
  エネルギーいっぱいの風が
  僕のからだを包んでくれます。

  そして
  耳を澄ますと
  梅雨時期に毎晩聞こえていた
  カエルの大合唱が聞こえないのです。
  変わって
  巣立ったツバメのさえずり
  そして
  暑さでイライラしてるのでしょうか?
  お互いを威嚇するような
  カラスの鳴き声。

  肌で、目で、耳で
  自然に気持ちを向けると
  確かに
  時は流れている。
  季が変わった
  つまり  
  梅雨明けしたことを感じます。  
  そして
  感じているのは
  人間などの生物だけでなく
  自然も生物と同様に
  地球全体、いや宇宙全体にある
  自然法則を感じているのだと思います。

  ニュートンは
  リンゴが木から落ちるのを見て
  万有引力に気づいたという  
  有名な話がありますが
  僕は
  ニュートンのこの話について
  最近
  この話は万有引力に気づく発想に
  結びついたのは
  間違いないのでしょうが
  リンゴが木から落ちたのは
  万有引力の問題だけでなく
  リンゴの実が充分熟したので
  リンゴ自身の意志によって
  木から落ちたのではないでしょうか?

  目には見えないけど
  リンゴも生きている
  生きているものだけでなく
  この世に存在する全てのものに
  生きている力、意志があるような気がするのです。

  地球上に存在する全てのものが
  宇宙の法則に従って
  この世に存在しているのです。
  
  梅雨が明けたのも
  今朝太陽が昇ったのも
  今、僕がこうして生きているものも
  朝、セミが一斉に鳴きだしたのも
  自然の法則に従ってることのあらわれ。
  決して、時計、カレンダーをみて
  生きているわけではない。
  ニュースや科学ではなく
  自然を感じて生きる
  自然法則に従って生きていることを
  忘れてはいけない。

  と言うことを
  梅雨明けの朝、散歩しながら
  感じました。

カテゴリー: 真実の医療 | 自然法則に従って生きている はコメントを受け付けていません

メタトロンが教えてくれること⑨病がからだと心を操る

  病気が発症する前は
  心の状態が
  からだの状態に影響している。

  つまり
  病気になる前は
  心が主人で
  からだがこころの指示のもと
  動いていた。
  それが病気になると
  そのからだと心の主従関係が逆転し
  だんだん
  からだのほうが主人になっていって
  こころがからだの指示にしたがうという
  立場が逆転してしまうのだ。

  先日
  受診された高齢の患者さんは
  何年ぶりに受診された。
  数年前に
  からだのしびれ、睡眠障害などの
  症状があり
  メタトロンも受けられ
  1回だけの受診で
  その後音沙汰のなかった患者さんだった。

  この数年間で
  良くなっていたら良かったけど
  今飲んでいる薬を処方してくれと
  受診された。

  お話をきくと
  睡眠障害は続いて
  最近専門病院で
  薬を調整してもらい
  睡眠できるようになったが
  その病院が少し遠方にあるので
  お一人での通院が難しいので
  ご家族の付き添いがないと通院ができない。
  ご家族も
  忙しく、近くの病院で
  薬をもらえたら・・・と思って
  思い切って当院を受診されたようでした。

  今の薬で
  眠れるようになったようだけど
  今まで通っていた
  病院にいけない理由があるようだ
  話していると
  それは、物理的理由でなく
  不信感などの理由で
  いけなくなっているようでした。

  少しでも
  力になれればと思ったが
  今飲んでいる薬は
  専門医でないと処方も難しく
  その処方までの間に
  医師の苦労の跡も
  薬歴からも感じられ
  僕ができること
  しないといけないことは
  処方をすることではないと
  強く感じました。

  患者さんは
  眠れないという極限の
  からだの状態が
  こころをも支配し
  こころがガチガチに硬くなり
  自分を苦しめている。
  からだに支配されている
  こころを解放させてあげるないと
  この苦しみからはずっと続く。

  まずは
  今の病院の先生に
  こころをむけて
  患者さんの思いを届けることから
  はじめないと思った。

  そのための方策を
  いくつかお話して
  僕ができる薬の処方をして
  その日の診療は終わった。

  数年ぶりに会ったこの患者さんは
  人が変わってしまったようになっていた。
  病気になると
  こころも、性格も
  病気の状態にあるからだに支配され
  変わってしまうのだろうか?

  この患者さんを診て
  こころが先かからだが先かを
  見極めることも
  からだの支配から
  こころを解放するのも
  僕の使命だと思った。

カテゴリー: 真実の医療 | メタトロンが教えてくれること⑨病がからだと心を操る はコメントを受け付けていません

カレンダーと希望

  昨年の3月まで入院していたときは
  ちょうどコロナパンデミックが
  表面化し
  入院中の3月初頭に
  山口県ではじめて
  コロナ感染者がでてからは
  入院している病院でも
  面会禁止の状態となりました。

  病院の外で
  コロナ感染症が流行していて
  こどもたちは
  学校も休校に成り
  おとなも
  これまでの様々な会合、集会などが
  中止となり
  入院している者だけでなく
  全ての人が
  人との接触が制限された世界に
  なっていました。

  そんな状況の中で
  それまでと変わりなく
  リハビリができることって
  とても有り難いことで
  守られていることに
  感謝して過ごしていました。

  そうは思っても
  やはり自由に人と会えないのは
  さみしいしつらかったのは
  今振り返っても思います。

  今も
  面会禁止の状態は
  続いているみたいですが
  僕の隔離生活は
  1ヶ月で終了することができたので
  その意味ではラッキーだったと
  思っています。

  でも、今隔離生活を思い
  どのように過ごしていたかを
  ここに書き留めておこうと思います。

  入院中は
  カレンダーとよく
  睨めっこしていたのを覚えています。

  入院生活は
  毎日決まった単調な日々でしたが
  極端な言い方をすると
  今日が何月何日なんて関係ない
  曜日感覚も無くなってきます。
  カレンダーがなくても
  何不自由もなく暮らすことができます。

  でも
  毎朝、看護師さんに
  バイタルチェックされると同時に
  今日は何月何日ですか?って
  聞かれるんですね。
  認知症の確認に必要な質問ですが
  日付を意識していないと
  今日は何月何日かわからなくなります。

  ですから
  毎朝
  カレンダーをみて
  日にちを確認するのが日課でした。
  カレンダーは
  その日を確認するツールでしたが
  退院日が決まると
 「あと退院まで何日・・」なんて
  退院日までの日を確認するのが
  日課になりました。

  そして
  朝何日だから
  今日もリハビリを頑張ろうと
  決心して毎日をスタートしました。
  そのおかげで
  昼間は日付を意識することなく
  リハビリに励めました。
  そして
  翌朝に日付の確認とともに
  当たり前だけど、日々
  確実に退院までの日が減ってるので
  また退院の日が近づいたことを
  喜んで
  その日を活き活き過ごすことができました。

  よく
  過去や未来にこだわらず
  今という時間を真剣に生きていく
  ”中今”な生き方が大事だと言われますが
  僕が入院したときに
  退院日をカレンダーで確認でき
  退院日に向けての希望をもてたので
  その日を充実して過ごせたのだと思います。

  未来を思い描いて生きる生物は
  人間だけかもしれません。
  他の動物は過去も未来もなく
  今を一生懸命生きている姿に感動します。
  人間が希望を持つのは
  人間は弱く、挫折しやすく
  中今を生きることを忘れてしまうので
  中今を生きられるように
  神様が希望をお与えになられたような気がします。
  希望を持つこと、夢にむかって生きることは
  人間に与えられたよく生きるための力
  何だと思います。

  オリンピック開幕まであと10日
  希望、夢を持って
  今日という日を全力で
  過ごして生きましょう

カテゴリー: 真実の医療 | カレンダーと希望 はコメントを受け付けていません