年別アーカイブ: 2025

おもしろきこともなき世はおもしろく

これは
幕末の勤王の志士・高杉晋作の有名な歌です。
この歌に共感する人も多いことでしょう。

やはり、人生、おもしろいことなんてあまりない。
憂えることばかりと
嘆かれている方も多いことでしょう。

でも
高杉晋作がいってるように
憂えることの多い中に
自分でおもしろいことを見つけようとすることも大事。
自分が楽しもうと思えば
どんな世の中になっても
人生の楽しみを見つけることは見つけられるのです。

おもしろきなきことと思えば
おもしろさなき人生になってしまう。
だから
おもしさを見つければ
人生はおもしろくなる。
おもしろきことは、周りにたくさんある。
それを見つけて生きるのが人生。

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働かざる者食うべからず

”働かざる者食うべからず”という
言葉があります。

この言葉を聞くと
怠けるなと言われている
ような気がして
ちょっとドッキリする言葉です。

実はこの言葉は
禅語の
”一日不作、一日不食”
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)
からきている言葉です。

禅では、作務をおこないます。
作務というものは
単なるそうじではなく
人が人であるための基本行為
または
人としてやるべきことを
をさしています。

つまり
人のためにすること
人が社会に対してすることが
作務
人間としての
務めと考えているのです。

人は人との関わりで
生きている。
一人では
生きていけないと
わかっているのに

人は
周りの人や
自分が勤めている会社
そして社会に対して
要求ばかりだしてしまいます。
そして
要求が叶わなければ
すぐ
まわりの人や社会のせいに
してしまいます。

一人で
生きているわけではないので

うまくいかなった時
自分で解決する努力を
していただろうか?
自分に対して
甘えがなかっただろうか?

振り返ってみることが
大切じゃないでしょうか?

社会の中では
人はお互い支え合って生きている。
やるべきことを放棄して
支えられることばかり考えていては
社会は乱れてしまう。

どんな小さなことでもいい
自分のできることをする
誰かのために
自分のできることをする

どんな小さな一歩でもいいから
自分の脚で歩いてみることが大事。
誰かのために
一歩踏み出すことができれば
困った時には
きっと誰かが手を指しのばせてくれる。

誰かのためにして初めて
”生きる”意味がわかるのかもしれない。

“働かざる者食うべからず”という言葉は
そんなことを
教えてくれている気がします。

 

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過去最早の梅雨明け

先週の6/27に山口県は梅雨明けしました。
観測史上最早の梅雨明け
だそうです。

この週末
まだ梅雨明け宣言してない東京での
日差しは
もう真夏と変わらない
肌につきささるくらい痛いほど。

肌感覚はもう夏真っ盛りの
日差しでした。
そして
昨日初めて朝セミの声を聞こえました。
そう言えば
これまでは
セミが鳴き出したら、梅雨明けを感じていたけど
セミも今年の梅雨明けにはびっくりして
急いで地上に出てきたかもしれません。

今日から7月。
今年はどんな夏になるでしょう。
暑くても、みんなが元気に笑顔で
しあわせに過ごせる夏になりますように。

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人生において、約束されていること

人生において
失敗し、悩み苦しむことも多々あります。
ですから
人生で全てのことに成功することは希でしょう。
ですから
「人生において、成功は約されていない」と言えます。

それなら
成功するために努力することは
無駄なのでしょうか?

僕は、そうは思いません。
今頑張ってることが
成功するかどうかの保証などどこにもありません。
でも
頑張った、その努力は
必ずその後の成長につながっていると
僕は感じています。

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生きる意味

“生きる意味”について考えてみた。

ある人は、人の役立つこと
ある人は、魂を磨くこと
などなど
みんなそれぞれの考えを持ち
どの考えも正しいと思うし
きっと答えはひとつではないのだと思う。

人間だけが
生きる意味を考え
生きていくことが
“人は考える葦と言われる”所以なのだろう。

そんなことを考えさせられた週末
ある子宮頸癌を患っていた 女性の
最後の手記、最後の言葉を知った。

「 一日一日を丁寧に“暮らす”
ひとつひとつを心を込めて“暮らす”
その積み重ねが“生きる”ということなのだと
強く思いました。」と
頭で考えるだけでは
生きることの意味はわからない。

今この瞬間の人生を生ききることで
“生きる意味”わかるのだと思う。
“今を生ききり”
そして
“この瞬間を生きていること”に感謝

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好みが変わったのは

病気をしてから
生活も一変しましたが
好みも嗜好も変わった気がします。

入院中している間
体重が7kg落ちました。
食べれないような病気ではなかったし
いつも3食とも完食でしたし
病院だから
カロリー計算もされている食事だったから
やせたんでしょうね。

入院前の食生活が
いかに高カロリーを摂取していたって
ことでしょうね。

入院中の月一回の体重測定で
最初は体重減少するのをみて
生活を反省しながら
体重が減るのを楽しみにしてましたが
毎回、毎回減るので
なんか違う病気があるんじゃないかと
ちょっと不安になったりしてましたが
退院後は
ぽっこりお腹も凹み
顎のラインもしっかりでて
何よりも
今まで切れなくなった、ズボン、シャツなどが
着れるようになったのが
何よりもうれしかったです。

入院中は
ある意味ストイックな生活でしたから
その反動で
退院後は生活が
乱れるかと心配してましたが
その心配はありませんでした。

嗜好が変わりました。
まず、ビールが飲めなくなりました
久しぶりに飲むビールは苦かった。
とても飲めたもんではない。
今まではゴクゴク飲んでました。
飲んでも飲んでも酔わないぐらい
飲んでました。
そんなビールが飲めなくなりました。

ビールを一口飲んだとき
こどもの時、祖父のビールを
一口いただいて苦くて、まずいと思った
記憶が蘇りました。
元々、ビールはダメなんですね。
ビールは飲まないけど
お酒は嫌いではない。
飲もうとおもう機会は少なくなりましたが
リラックスしたいときには
不思議と飲みたくなるんですね。
特に、赤ワインが飲みたくなります。
そして焼酎、日本酒も
リラックスしたときに、食事と一緒にいただき
お酒とは
言いお付き合いさせてもらってるような
気がします。

次に間食です。
僕は甘いものも辛いものも好きな
両刀だったのですが
脳出血を起こしたので
塩分は意識して控えるようにしてます。
甘いものは
あんこが欲するようになったのです。
あんこが食べたくなるんですよね
おまんじゅう、どら焼き
いわゆるあんこスィーツが欠かせません。
クリームよりもあんこ
あんこの後のおせんべいはいらなくなりました。

そういえば
とある神社の宮司さんが
僕が、あんこが好きで、抹茶と所望するのが
好きなんですといわれたのを思いだし
納得しました。

入院中といえば
ストイックな生活を強いられますが
確かに
ある面ストイックな生活ですが
嗜好が変わったというより
本来の自分を思い出す時間
だったと思います。

以上入院後1年たったブログですが
現在は・・・
好みは変わっていないのですが
病気をして6年目となり
年が過ぎ、体重も少しずつ増加中。
当時よりを思い出し
もう少し食事に気をつけねばと
気持ちを入れ替えたところです。

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ニュートンが生きた時代と現代の関係

ニュートンと言えば
万有引力などの古典物理学を確立した
誰もが知る大物理学者であります。

ニュートンが生きた時代は
17世紀のことで
今から350年前に活躍しましたが
この時代は
昨年末まで続いていた
土の時代の始まりの時期だったんですね。

*ちなみに現在は
風の時代なんですね
詳しいことは
5/27のブログに書いているので
見て下さいね

土の時代は
ひと言で言えば
物質中心の時代で
当時錬金術など
お金、経済などが第一に
考えるようになった時代のはじまりなんですね。

歴史はくり返すと言いますが
ニュートンが生きた時代は
土の時代に変化する時期で
世の中の変化が
風の時代に変化している現在と
類似する点が多いんですね。

ニュートンが生きていた
1665年6月にペストが大流行しました。
ペストはネズミが媒介する伝染病で
当時原因も治療法もわからず
死に至る病で
”死病”と言われています。

当時
人から人に感染が広がることは
認識されていたようで
人の接触を制限され
ニュートンが通っていた
大学も閉鎖され
帰郷していたようです。

帰郷している間
今のようにオンライン講義などは
もちろんありませんでしたが
この時期に、ニュートンは
スペクトル分解、万有引力、微分積分など
その後の科学発展に大きく貢献する
理論を発表しています。

1665年6月から始まったペスト流行は
その後18ヶ月続き、終息したようで
この時期、ニュートンの活躍で
発展が滞ることなく
飛躍的に発展し、科学発展に貢献したので
物理学の世界では”奇跡の18ヶ月”とも呼ばれています。

時代が変わるときには
パンデミックのような
人類の危機に襲われるのかもしれません。

今回もコロナウイルスのパンデミックに襲われ
その中で
人類はこの危機を乗り切り
今後の世界を作り出す
知恵と力を蓄えているのでしょう。

そして
コロナ感染が終息したときには
素晴らしいこれからの時代に合った
現代にあったニュートンのような
人智が出現する気がします。

ニュートンは
もしかして
この時期神様に出会い
神から時代を切り開く目的、力を
委託されたから
奇跡を起こせたのかもしれません。

これからの時代を切り開くのは
今を生きている
あなたかもしれません。

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老いると軽く生きられる

人生百年時代といわれるように
世の中にはお手本となる
年の取り方を身をもって教えてくれる
人がふえてきます。

例え多少肉体的衰えがあっても
認知症を感じるような変化が垣間見るような
瞬間が増えてきたと客観的に感じられるようになっても
それをマイナスの現象として捉えず
ひとつの文化として積極的にとらえていくと
ああいう風な年をとりたいと思われるのではないでしょうか?

蓮如が「人は軽きがよき」という言葉を残しています。
人は成長すると共に
多くの責任、役割を背負って生きています。
その責任は自分の意志で下ろすことはなかなかできないけれど
老いてくると
肉体的にもできなくなるし
認知症がはじまってしまうと
やることは現実的に無理になってしまうので
自分の意志と関わらず、手放すことになる。

その分
背負ってる分を手放して軽く生きていけるようになるのです。
それが年をとることの現実の生き方だと思うのです。

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病名に怯えないために

先日メタトロンえお受けられた方は
別件で入院していて
偶然胃癌と診断され
心配や不安が募り受診された。

思いもかけない診断名に
まさに晴天の霹靂で
主治医の先生に
次々に検査の予定を立てられたが
混乱したままで
次のステップに進むことに
納得もできず
現状での検査での外科の医師に
説明を受けることにした。

精査は必要だけど
胃癌の可能性がある。
手術困難な部位にあるので
治療は内科的なものが
中心になるだろうと
説明をうけたようだ。

体感的には
やや体重は減っていたものの
食欲もあり、痛みなどの苦痛もなく
まさに、晴天の霹靂のできごとで
頭が混乱してる上に
とても几帳面な性格の面もあるようで
今の状態で
これから検査治療をすすめ
からだがどんどん疲れ果ててしまうことを怖れ
別の観点からからだの状態を知りたくて
当院を受診し
メタトロンをうける運びになった。

早速メタトロンを受けてもらった。
確かに
胃には破壊性のエネルギーを認め
確かに病変の可能性がある。
ただ、病名を探ると
現段階で胃癌とは言えず、
まだ胃癌の前段階も含まれる
過形成の胃炎だと思われ
胃癌の前段階
胃の治癒力を上げることで
対応可能かもしれない常態とも
考えられた。

更に
全身検索を続けると
一番変化が大きかったのは
脳の状態である。
かなり破壊のエネルギーが強かったからなのか
今は、その破壊のエネルギーの修復する
段階になっていることがわかった。

メタトロン的には
ある意味
脳の方が胃よりも心配の常態だった。

きっと
胃の病変は確かにあったが
それよりも
胃癌という大変な病名によって
悩み、脳が疲れ切って
病名そのものがからだを支配し
病気を作っている状態が
今改善すべきだということを
示していた。

胃の病変を治すためにも
免疫力を自ら高めることは
どんな治療をするにも
必要なこと。

そのために
楽に楽しく、喜びをもって
生きて欲しい。
からだのことは
僕たちがしっかりサポートしてるから
自分の望む人生を生きて欲しいと
自らのからだが言っている気がして
そう、患者さんに伝えた。

すると
患者さんの表情が明るくなり
からだが温かくなってきた
と笑顔で帰られました。

これから
様々な困難なことがあるでしょう。
でも、頭で病気を作らないように
からだの思いを正直に伝えることが
僕ができることなんだと
患者さんの生きていくという決意にも感じながら
見送りました。

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適齢適所で生きる

「適齢適所」という言葉は
野球人として様々な記録と共に
多くの名言を残している野村克也氏が
74歳の時日本プロ野球界史上最高齢監督に
なった時に残した言葉。

「監督は体力もさることながら
知力、眼力に分析力という経験が大事なんだ。
頭さえしっかりしていれば、年齢なんか関係ない」と
「適齢適所」で生きていくという言葉を残された。

つまり
何歳になっても
衰えを感じてても
「年齢に応じて輝いて生きていける場所がある」
という、還暦を迎えた自分にとって
とても勇気を与えてくれる言葉。

生きていくということは
年を重ねるということは
「若さ」を奪われていくことではない
「経験」を重ねていくことなんです。

更に監督は
「全盛期を過ぎても、落差に絶えつつ必死でやる。
なんてことを惨めと感じる人はいるでしょう。
ところがボクはそう思わないんですよ。
なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する。
その方が美しいという。
これは僕の美意識です」と語った。

つまり、年齢をできない理由にするなということを
教えてくれた言葉です。
死ぬまで輝いていけることを
教えてくれた力強い言葉です。

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