年別アーカイブ: 2025
なぜ老いを考える?
高齢化社会が年々進むにつれて
どう老いるかは
社会的問題にもなってきている。
そういう自分も
今年還暦を迎え
当分先だと思っていた老いが
身近に感じるようになり
これからどう老いるかが
自分らしく人生を歩むために外すことができない
問題になってきました。
老いる時期を迎えると
この時期の生き方が
自分の人生の結果にも繋がるといっても
過言ではないと思います。
今までの自分の生きてきた社会は
物にあふれ
飽食と美食を追い求め
まずは自分と自分の周りの家族のしあわせを
追求することが
大事な目標になっているのが
現代社会の実情ではないでしょうか?
今では自分のしあわせをまず追求して生きること
を当たり前だと思っているけど
自分たちの親世代までは
自分だけのしあわせを追求することを
どこかエゴイズム、恥ずかしいことと
考えていたので
あまり公言せずに腹の中にとどめるように
生きていた気がします。
不幸な戦争を経験し
より自分を犠牲にしてでも
僕たちの自由を守ろうとしてくれた結果
現代社会は
若者中心の文化になってしまいました。
自由を謳歌した若者も
いつのまにか老いてしまうのです。
その時になってどう生きていくか迷わないように
迷いたくないと思います。
今還暦を迎え
これからどういきるかが
人生の目的結果になると思うのです。
そこで
これからみんなと
これから新しい老いる生き方を
考えて行きたいと思います。
はじめにしあわせがあった。
真夜中、ひとり
目には見えない
くり返す波の音を聞きながら
思う。
今もくり返される
波の音は、いつ始まったんだろう。
地球が生まれてきた時から
刻み続けられている
正確な永遠の時間。
でも
波の音に耳を傾けていると
打ち寄せてくる波の音は
全く同じ音ではないことに
気がついた。
波の音に
風の木々を揺らす音が重なり
雨音の音が
絶妙なハーモニーを醸し出している。
この自然のハーモニーを
最初に作り出した人は
きっと人間の
いや、世界全体のしあわせを願って作り
永遠にしあわせを作り出すと
思っていたにちがいない。
この世界ができた時には
確かにしあわせが合ったのだと思う。
そのしあわせな時間を壊してしまったのは
ひょっとしたら
人間なのかもしれない。
主人公
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺先生が
著書「臨済録に学ぶ」の中で
京都の禅寺相国寺の田中芳洲老師の
次のような詩を紹介していました。
この身に
地位・名誉・財産・学歴・男女などに汚れない
主人公がいる。
あなたにも、誰の中にも、
その人の主人公が紛れもなく住んでいる。
彼は私が善いことをした時には
私に心の底から喜びを与えてくれる。
彼は私が悪いことをした時には
私の心に動揺と反省を与えてくれる。
誰にみていないと思っていても
いつもどこでも私の心と行動を観ている。
彼は自分を偽らず
悲しい時には素直に涙し
うれしい時には心の底から喜び
怒るべき時には晴天の雷のごとく
雷鳴の後には雲ひとつなく
和らいだ光を放つ
そういう「主人公」に出会えた時
人は歓喜し「悟りを得た」というのである。
ここでいう「私」は
普段考えたり、思ったりしている
自分のことです。
それとは別に
自分をどこかで観ている存在がいる。
それをここでは「彼」と言っています。
一般的に言えば
神やお天道様とも言えます。
それが「主人公」であり、
そんな本当の自分が誰の中にもいるのです。
健康が目的ではない
新年の決意で
“健康”を第一に掲げた方も多いことでしょう。
でも
あなたは今年健康であればいいですか?
健康であれば、ほかに何も望みませんか?
実は
盲目的に健康を目指す方は
意外に不健康であることの裏返しだと言われています。
健康を目標に掲げた時
健康が目標になっていませんか?
健康が人生の目的になっていませんか?
健康でいたいのは….
“やりたいことをやるため”のはず。
ただ、健康でいるだけが目標でないはず。
たとえ今病気であっても
元気になれば、やりたいことがあるはずです。
どんな人も
健康であるその先に
健康のからだになったら、どうしたいかが
きっとあると思います。
実際
人生に目標があり
日々目標に向かって“芯”“軸”のある
生き方をしている人は
からだも強い人が多いのです。
健康であるということは
人生の目的でなく手段にすぎないはずです。
東洋医学に
“心身一如”という考え方があります。
心とからだは繋がっています。
心が元気なら、からだも元気なのです。
心が健やかなら、からだも健やかになります。
やりたいこと
やらないといけないことがある
そのために生きていることを感じて
日々過ごしている人は
心身とも健康を望み
人生を全うするのではないでしょうか。
使命を感じて生ききる
それが
より良い事実した人生を送ること
になると思います。
みなさんが
健康でご自身の生きていく目的が
成就できること願い
応援していきたいと思ってます。
☆ 今年の倫理法人会の書き初めで
“黎明”と書かせていただきました。
黎明とは、夜明けの意味。
今年一年、何かが変わる、変わらないといけない
そんな予感がして、書きました。
今年一年がどんな一年になるかわかりませんが
きっと明るい未来が待っていると信じて
目標、目的を持って突き進んで行きます。
素敵な友達
人は一人では生きていけない。
だから人との出会いは
人生の中でとっても大事。
どんな人と
友達になるかって
とっても大事。
出会った時
素直な心で”素敵だ”と思える人と
友達になれたらとってもしあわせ。
気が合う友達
つきあいやすい友達
お互い気がゆるせる友達。
友達と一言でいっても
いろいろ。
自分が安心できる人は
みんな友達。
”素敵だな”と思える人とも
友達になって欲しい。
友達に
年も性別も関係ない。
”素敵”だと思える人と
友達になってほしい。
その友達は
自分を成長させてくれる。
そして
豊かな人間関係はもたらしてくれる
でも、求めるばかりではだめ
そのためには
”学ぶべきことを学ぶこと”。
”いつかこんな人と友達になれるように”
日々努力が必要。
自分も
”素敵な”友達になれる
準備をしておかないと。
友達にはなれない。
”素敵な”人は
いつ会えるかどうかもわからない。
でも
いつも会うための相応の準備をしないといけない。
こんな”素敵な”人と友達になりたいと
強く思えば、思うほど
そのチャンス、方法が見つかるはず。
そして
友達になってもらおうと
自分磨きをすることになるでしょう。
ですから
あなたと友達になった時は
その人にとっても
あなたはいい友達になり
あなたからも
多くのことを与えられる人になっていることでしょう。
そして
きっと一生の宝物になるでしょう。
そんな素敵な友達と
出会ってもらいたいです。
素直な心
若い時は
「上へ上へ」と上を目指してがんばる時。
憧れのおとなを目標に
なりたい自分目指すためには
成長しないといけない時期。
成長するためには
いつも自分はスタートラインに立ってるという
気持ちが大事。
”チャンスがある”と思った時には
後ずさりすることなく
手を伸ばして
その”チャンス”を掴んで欲しい。
成長するには
チャレンジすることは不可欠です。
でも
いつも成長できるわけではない。
いつもチャンスがつかめるわけじゃない。
その人の持って生まれたもの、環境などで
成長の度合いも違ってくる。
思ったように成長できず
落ち込んでしまうこともあるかもしれない。
そんな時は”上”ではなく、周りをみたらいい
周りに共感できるものを探してみたらいい。
その時大切なのは”素直な心”
いつまでも
こどもの時からもっていた透明な心で
まわりをみて
向き合い、感動したり、驚いたり、喜べることを
見つけられる心が大事。
どんなことに対しても
素直な心で向き合えば
どんな時でも
1つや2つはきっといいことが見つかる。
素直な心を持ち続ければ
必ずいいところを見つけることができる。
いいところを見つければ
そのことに興味をもち、勉強し
もっともっと、深く学ぶようになり
自分の器が広がっているのに気がつく。
素直な心は
それは成長するために必要な心。
こどもの時
誰もがもっていた素直な透明な心。
いつまでも
素直な心を忘れず持ち続けてほしい。
祖先から受けついだ温かい人間味
1960年頃
イラクにあるシャニダール洞窟で
ネアンデルタール人の9体の人骨が
発見されました。
このネアンデルタール人は
今から3万5000~6万5000年くらい前に
生きていた人々であったことが
推定されています。
この人骨の周囲には
多くの花の花粉が落ちていて
埋葬された時には
多くの花に囲まれていたのかもしれません。
周りの人に大切にされ
その死を悼む心が
ネアンデルタール人にもあったのでしょう。
それとともに
僕がびっくりしたのは
この人骨のひとりは
左の眼窩が粉砕骨折していて
右手がなく、足の骨も変形していて
この状態ではうまく歩けなかったことが
想像できるのです。
何らかの事故による損傷かと思うけど
驚いたのは
その怪我が原因で死亡したわけではなく
しばらく生きていた可能性があると
言うことがわかったというのです。
つまり
目も見えない
右手も使えない
つまり自分では何もできない
みんなの力を借りて生きていたという
事実なんです。
現代よりも
医療もなく、過酷な自然の中で
仲間を必死で介護して
共に生きようとした
ネアンデルタール人の心に触れた気がして
胸が熱くなったのです。
そして、その時
その熱い思いが
自分のDNAや魂にも刻み込まれていることを
知ったのです。
自分探しの旅
若い時に
自分探しの旅という言葉に
どこか惹かれていた自分がいた。
若い時は
自分自身がどんな道を歩むべきかわからない。
今と違う道があるし
将来どんな自分になるかもわからない。
だから
今と違う
本物の自分を探し続けようとしていた
時代、時期が確かにあった。
だけど
今60年以上の時間を生きてきて
今感じるのは
若い時に探していた旅ををして
今ここにいるのだけど
今は
このまま生きていこうと
今は全く迷いはない。
自分探しをしてたどり着いた結論は
どんな時にも
今の自分しかないということ。
今の自分が本物の自分だということ。
大事なのは
今を生きる自信を無駄にしないこと
今の自分を行ききること。
今の自分が自分であると言うこと。
若い時の自分に声をかけるなら
「迷うな、今のおまえのままで進んでいけ」
満足できるしあわせ
ひとはしあわせなを感じた時
このしあわせな時間が
もっと、もっと続いて欲しいと願う。
一時的なしあわせ
一日だけのしあわせだけでは
満足できないのが
人間の性。
誰もが
今、しあわせを感じた時に
このしあわせが長く続いて欲しいと願う。
これって
人間のわがままのひとつかもしれない。
でも
今こうして
永遠の時間を刻み続けるような
波の音を聞きながら
目を閉じると
肌をなでるような優しい風
見上げれば
僕のことをずっと見つめてくれている
星の瞬き
僕の周りのもの全てが
しあわせな時間を作り出している
のがわかる。
すると
このしあわせな時間が
一瞬でなく
永遠のしあわせな時間を紡いでくれれいるのが
わかる。
ブレイクスルー思考
生きがい論じたひとつの考え方に
ブレイクスルー思考という
考え方があります。
この考え方は
「人生は思い通りにならないからこそ
価値がある」とする考え方です。
そうなのかなぁ?と思う方も
多いことでしょう。
自分自身の人生を
目的を持って歩きたい
人生成功ししあわせに過ごすことが
目的、目標だと考える人も多いことでしょう。
自分の思い通りにならないと
思い、そのことを受け入れた時に
次のステップの道が
開かれるような気がするのです。
そして
その道を歩き、困難を乗り越えた時に
新しい自分が誕生するのだと思います。
だから
「人生の中で起こる全てのことに
意味があるのです。
たとえ表面的に失敗、挫折、不運にように
思えた出来事でも
全て自分の成長のために
自分自身で用意した試練だというのです」
そして
自分自身が解決するため
自分自身が成長するために
自分自身で準備した問題であるから
乗り越えることは
必ずできるのです。
ここまで読んでこられて
そんなことはない
そんなスピリチュアルなそら言ではなく
現実はもっと厳しいと
いって生きていこうと思う人も
多いことでしょう。
それはそれでいいのです。
厳しい問題を
がむしゃらに乗り越えようとすることも
その人の用意した
生き方だと思うのです。