年別アーカイブ: 2025

ゆきてかへらぬ

中原中也と小林秀雄が
ひとりの女優長谷川康子をめぐる
恋愛模様を描いた映画。

中原中也をいえば
山口県出身の詩人としても有名で
小林秀雄といえば
文学評論家であり
かつて入試などで
現代国語の問題によく出てきた作者。
そして最近
「考えるヒント」という本を読んで
高校生の時も難解な文章だったけど
今読んでも
まだまだ難解な文章に四苦八苦した。

そんな二人が
一人の女性を巡って
三角関係?があったことは知らなかったし
自分的にとてもタイムリーに思えて
是非みないといけないと・・・・観に行った。

世の中で一番の贅沢は詩だとのべ
自分の心の襞を描いた
詩を書くことに才能を捧げた中也。
しかし、詩を書くには
繊細でないといけないから
長谷川康子との恋と別れ
愛する我が子との別れを
経験し・・・人生が不安定になりはじめ
結核も患い
若き死を迎えたことを知った。

長谷川康子も
不幸な生い立ちを抱えつつ
本当の愛を求め生き続けたひと。
様々な恋を経験し過酷な愛を生き続けた康子。
康子の劇中のセリフ
「私たち、神経と神経でつながろうとしましたの。
それが一番深い愛、深い愛だと思ったから。」
それは中也もそうだったのだろう。

桜の開花のニュースが耳に入った。
桜の花を見ながら
二人が語ったセリフ
「この花びらは、散っているのか、散らしているのか」を
思いだし、
僕は、今年桜の花を見ながら
何を感じるだろうか?

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きちんと若さを卒業していく

前回年をとっても進化できる
どんな風に年をとりたいかを
考えておくことが大事だという話しを
書きました。が
生きていると確実に
老・病・死は迫ってきます。
肉体的な衰えは避けられない事実です。

ですから
老いることを畏れないことと共に
きちんと「若さを卒業していくこと」も大事なことです。
おじいさん、おばあさんになることを畏れるのではなく
かっこいいおじいさん、おばあさんになれるか
努力をしていくのです。

テレビを観ると
いつまでも美しく若々しい芸能人の
姿がクローズアップされます。
でも、同じ人間ですから
表側は変わらなくても
裏側は並々ならぬ努力もあり
犠牲とすることもあるでしょう。

芸能人は、自分自身が商品とも言える面があるので
いつまでも変わらないことに
価値があるのですが
周りにそんないつまでも変わらない人がいたら
魅力を感じるというより
少し畏れ多く感じてしまうのではないでしょうか?

人には
その時代、その時代での輝きがあるはずです。
年をとったら
美しさという感性の領域よりも
もっと内面的な知性の領域を磨くことが美しい年の取り方では
ないでしょうか?

いつまでも
若くいよう、若さにしがみつくよりも
若さを卒業することが大事ではないでしょうか?

母親が
我が子をもっとゆっくり大きくなって欲しいと願うように
老いもゆっくりゆっくり受け入れていくことが
大事なのでしょう。

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まわり道

“何がしあわせかわからないです
ほんとうにどんなつらいことでも
それが正しい道を進む中での出来事なら
峠の上り下りであっても
ほんとうのしあわせに近づく一歩なら
それも必要なこと”

これは
宮沢賢治作”銀河鉄道の夜”の一節。

今歩いている道が
どんなにつらくても
この道が
しあわせに続いていると
わかっているなら

この道を
通らなければしあわせになれないなら
どんなことも
がんばれるはず。

もし
この道が
あなたの夢の実現に
必要な事なら
どんな勉強でも
どんな批判でも
ごんな苦労でも
きっと
乗り切れるはず。

その苦労が
しあわせに続く道の一部で
あると分かっているば
きっと乗り切れる。


もし、まわり道をしていると思ったら
もう一度
何がしあわせなのか
考えてみよう。

どうなりたいのか
考えてみよう。

今いる道が
まわり道かどうかは
どうなるのが
しあわせかどうかを
わかっているかどうか。

しあわせになるために
まわり道なんかはない。
この道が
あなたが信じる道なら
まわり道じゃなくて
きっと
しあわせになる道

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治っていくことに感謝して

先日来られた患者さんは
多発性硬化症のため
全身の痺れや麻痺、しびれ、めまいなど
全身の神経症状に悩み、苦しみ
不自由な毎日をすごしていらっしゃる。

治療を開始してから

めまいがなくなり
足先の感覚が戻ってきて
一歩が出しやすくなってきた
階段を昇りやすくなってくることがある
などなど
少しずつ改善傾向が現れてきました。

でもまだまだ
元気な時に比べれば
歩くことも、手を使うことも
不自由な状態が続いている。

でも
健康な人からみれば
本当に些細な変化かも
しれないけど
その改善が喜びでもあり
そして
その喜びをかみしめることで
感謝の言葉を自然に口にする
患者さん。

からだが良くなることを喜び、
そのことを感謝することで
からだ自身も喜び
感謝してもらえることに喜んでいる
そんな風に
今回診察をして感じました。

今は小さな一歩かもしれないけど
必ず治る方に向かっていると
からだに感謝すれば
からだは必ず応えてくれる。

そのことを患者さんから
教えてもらいました。

 

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我思うゆえに我あり

デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。

そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。

我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。

だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。

だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。

そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。

宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。

“我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。

現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。

21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?

Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。

我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?

あなたは
神からのメッセージを信じますか?

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時の流れを感じる時

以前入院していた時は
日曜日もなく
毎日、曜日は関係なく
リハビリに取り組みました。
機能回復に重要な時期に
休みなくリハビリに励めたのは
とても有り難いことでした。

でも
ある意味、それは
同じ毎日の繰り返し
今日が何日であっても、何曜日であっても
関係ないのです。
有り難いことだけど
曜日関係を意識しないでいると
時の流れに鈍感になります。

まだまだ認知症の進む年齢でなくても
意識しないと
わからなくなりそう。

病院も
できるだけ季節感を感じてもらおうという
配慮から何でしょう
節分、ひな祭り、バレンタインの時には
まめ、桜餅、チョコのババロアなど
その行事を感じることができる
食事が出てきます。
また
日曜日の朝だけパンがでるのです。
季節を感じる食事をとれることは大事
もっと広くいえば
旬の物を食べることって
からだにとっていいだけでなく
心にも大事なことなんですね。

でも、日々今日を感じるために
個人でも努力することは大事です。
僕は
自由時間には
必ず新聞を読むことを欠かさずしました。
1面からテレビ欄までじっくり
今の世の中の動きを想像しながら
呼んでいきました。

そして、テレビのニュースも
その当時
プリンスダイヤモンド号での
コロナウイルスのニュースばかりで
日常とはかけ離れたこと
そして
今もそうですが
感染者数がどうだと・・・
報道される内容やコメントは
いつも同じだということに気がついたんです。

そんな時
朝起きたら、カーテンを開けて
外を見渡しました。
僕の病室からは
視線に入ってくる人工物は
道、電線以外はありません。

僕の目の前に広がる世界は
毎日違う光景なんです。
予想しない太陽の光が織りなす
刻々と変化する
空の色、雲の形
植物の戻りの色、そして鳥が飛んできて
みせてくれる風景は
一瞬たりとも同じ光景はありません。

昨日見た風景、おととい見た風景とも
明らかにちがう光景。

テレビや、スマホではぜったい感じられない
最高のエンターティメントに
心奪われ
時間が過ぎていくのも忘れて
ずっと窓の外を見ていました。

自然は刻々と変化している
昨日と同じ今日はないことを
教えてくれています。

これは自然の中だけの話ではなく
自然の一部である僕自身も
昨日と違う僕なんだということに気がつきました。

だから
今日も新たな自分に感謝して
一歩一歩歩いていけるんだということに
気がつきました。

入院中の身であっても
今日生きている、
昨日と違う自分で生きられることを
教えてくれた入院生活でした。
そして
退院した今もそのことは続いています。

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「この世に私のものは一つもない 」

たった今、コンクラーベが終わり
新しい教皇が決まったようです。
そんな時
前フランシスコ教皇が最後に残された手紙の存在を知りました。
温かい言葉を残されたことに
とても感謝しています。

温かい世界になることを願い
フランシスコ前教皇の手紙を紹介します。

「この世に私のものは一つもない 」― フランシスコ教皇 ―

この世の
すべての愛する子どもたちへ。

私は今日、
この人生を通り過ぎる者として、
小さな告白を
一つ遺したいと思います。

毎日、顔を洗い、
身だしなみを整え、
鏡の前に立って生きてきました。
その姿が「私」だと
信じていました。
しかし、振り返れば、
それはただの、
一時的にまとう衣でした。

私たちはこの身体のために、
時間を使い、
お金を使い、
愛情と情熱を注ぎます。
美しくありたい。
老いたくない。
病気になりたくない。
そして……
死にたくないと願いながら。

ですが、
結局この身体は、
私の願いにかかわらず、
太り、
病み、
老い、
そして、
静かに私から
離れていきます。

この世で、
本当に「私のもの」と呼べるものは、
一つもありません。

愛する人も、
子どもも、
友人も、
そしてこの肉体さえも。
すべては、
雲のように、
一時的に留まるだけの存在です。

憎い縁も、
美しい縁も、
すべては
私に与えられた
人生の一部でした。

だから、
避けられないなら
抱きしめてください。

誰かがしなければならないことなら、
「私が先に」
そう思って
取り組んでください。

無理やりではなく、
喜びの心で。
やらなければならないことがあるなら、
先延ばしせず、
今日、今すぐに行いましょう。

あなたの前にいる人に、
あなたのすべての心を
注いでください。

泣けば、
解決するでしょうか。
怒れば、
良くなるでしょうか。
争えば、
勝てるでしょうか。
この世の出来事は、
すべて、
それぞれの流れに従っています。

私たちができるのは、
その流れの中で
少しの余白を与えることです。
少しの譲り合い。
少しの思いやり。
少しの控えめさ。
それが、
誰かにとって
温かな息抜きとなります。
そして、
その温もりが、
世界を再び
包み込む力となるのです。

今、
私は旅立つ準備をしながら、
この言葉を
遺したいと思います。

「本当に、
ありがとう。」
私の人生に
触れてくれた
すべての人々へ。
すべての縁へ。
そして、
この美しい世界へ。

「私と縁を結んでくれたすべての人々に、
心から感謝します。」
静かに振り返ると、
この人生は、
感謝に満ちた
奇跡のような旅でした。
どうか、
あなたの人生にも、
このような静かな奇跡が
訪れますように。
心から
お祈りしながら、
この手紙を終えます。

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人を愛するとはその人のしあわせを願うこと

時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。

愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。

ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。

若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。

豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?

戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。

これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。

これが人の愛ある行動なのです。

相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。

つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。

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お金を稼ぐ目的は

今後の生活をどうするかを考えるときに
いのちは大事だけど
経済活動も止められない。
そのために、なにができるのかと
政府も人々も悩まされている。

お金を持ちたい、
裕福になりたいという気持ちは
どなたにもあるでしょう。
そしてそのために
働いて、お金を稼がれていると思います。
でも、お金を稼ぐこと一生懸命になりすぎると
働く本来の目的がわからなくなります。

そんな時
海外のある寓話をききましたので
ご紹介します。
それは、次のようなお話です。

メキシコの小さい漁師町の港に
アメリカからハーバード大出身のMBA取得の
ビジネスマンがやってきて
漁が終わったばかりの漁師さんに尋ねました。

「その魚をとるのに何時間漁をしましたか?」
「ほんのちょっとの時間です」
「どうして、もっと長い時間漁をして
もっとたくさんの魚をとらないのですか?」
「家族が食べる分だけとれれば充分ですから」
「漁をしない余った時間はなにをしてるんですか?」
「たっぷり寝て、漁に出て
岸にいる時間は
こどもと遊び、妻と過ごす。
それから村へ行き
仲間と酒を飲み、ギターを弾く
そしてまた漁に出るの繰り返し。
忙しい人生なんですよ」

すると、ビジネスマンが苦笑して
アドバイスをはじめました。

「もっとたくさん漁をして
お金を稼いで
もっと大きな船を買う。
そうすれば、もっと稼げるし
もっと船を買えて、船団を作って
もっと、もっと多くの魚をとる。
そうすれば、缶詰工場を作って
魚を製品加工して
大量に売りさばけば
もっと大金が手に入ります。
大金をもっていれば
都会に出て
おおきな会社を作ればいい。
そうすればお金の心配することが
なくなりますよ」と
提案しました。

すると、今度は漁師が尋ねました。
「そこまでなるのは、どれくらい時間がかかるんだ?」
「20年から25年かな」
「その後は何するんですか?」
「株を売って、億万長者になれるよ」
「億万長者になったら、何をするんですか?」
「引退して
小さな漁村にでも移り住んで
こどもたちと遊ぶ、妻と過ごし
仲間達と酒を飲んで
ギターを弾いてのんびり過ごすのです。
どうだ、すばらしいだろう」
「????」

この話を読んで
何を感じられましたか?

豊かな人生って
お金を持つ、稼ぐ目的っなんでしょう。
ひとりひとりのしあわせってどこにあるでしょう。
お金では買うことのできないもので
身近にあるものかもしれませんね。

あなたの今もってるしあわせに気づき
失わないように過ごすことが
しあわせなことなんでしょうね。

お金、経済活動だけでは
人はしあわせになれないことを
今の時代が教えてくれているのでしょう

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人生の三計

人間には成長段階に応じて
三つの計画を立てながら生きています。
「生計」「老計」「死計」の三つです。

若い時は「どのように生きるか」を考えます。
これが生計です。
そして徐々に年をとるにつれて
「どのように老いるか」をかんがえるようになります。(老計)
最後は「どのように死んでいくか」を
考えるようになります。(死計)

サンタブログ202504
本 執行草舟「老に学ぶ」P159
言葉上  127

#8人を愛するとはその人のしあわせを願うこと
時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。

愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。

ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。

若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。

豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?

戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。

これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。

これが人の愛ある行動なのです。

相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。

つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。

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