月別アーカイブ: 6月 2026

メタトロンが教えてくれたこと~高血糖の理由~

その患者さんは
当院ができた時
10年以上の付き合いのある患者さん。

患者さんは
糖尿病を長年患っておられ
糖尿病専門医の指導を受けているので
僕は
セカンドオピニオンの立場で
漢方薬とメタトロンでの
診療をずっと続けてました。

その患者さんは
長年薬を内服しているにも関わらず
Hb1acは7-11を変動し
ずっと正常値に至ったこともなく
数値だけ見ると
とてもコントロールできている状況ではない。
数値を初めて聞くと
どの医者も大慌てするとか。
でも
インシュリンは分泌されているとのことで
Hba1cが高くても
インシュリンの皮下注射は使わない方針のこと。
その患者さんを
15年近く僕も診ているが
不思議と合併症状を起こすこともなく
血糖値だけが高いが
からだが高血糖であることを
正常だと言っているような気がして
膵臓だけでなく
セカンドオピニオンとして
全身状態を診させていただいた。

最近は
メタトロンを使って
専門医と異なる着眼点で
その患者さんの診療を続けていた。

その患者さんのメタトロンは
膵臓はもちろん
神経も、腎臓の血管も、目の血管も
合併症がある状況でなく
メタトロンの治療にもよく反応して

毎月メタトロンをする度に
臓器から良くなっているのが
わかっていたので
Hba1cが8代前後で推移しても
そのうち正常値に近づくと予想していた。

しかし
先日その患者さんが受診されたときには
とても心配そうに
「今日は悪いと思う」
「○○内科の血液検査で
Hba1cが9台になったので
今日は覚悟してますと」

糖尿病は
表だった症状が出にくいので
検査値など
他覚的評価中心になるので
取り急ぎ
メタトロンをはじめた。

結果は
前回よりもいいぐらい
膵臓も、神経も、眼も
他に心臓も、肺も若いひとにも負けない
力強い状態でした。

糖尿病の悪化は考えにくい
なら、なぜ血糖値が上昇したのか?

もういちど
患者さんを診ると
腰にコルセットをしている。
尋ねてみると
今、自宅の庭の改築に力を入れられてて
自ら工具を持ち、木を伐採したり
結構日々
重労働をおこない
ギックリ腰になり
まだ痛みが残っているので
原因を整形外科で検索中だとか。

庭作り
7月完成うぃ目指して
今つゆ時期に入り
晴れ間には寸暇を押して
作業に入っている。
メタトロンでも
腰を使っているサインが出ていた。

僕は話を聞いて
血糖値が高い原因は
これだと思った。

つまり
庭作りに頑張っていることが
アドレナリンがでて
グルカゴンがでて
血糖値を上げて
血圧も上げて
からだが戦闘態勢に入っていることがわかった。

Hba1cが高いのは
頑張っているから高いのだ
膵臓が悪いからではない
頑張るからだになるようにしてるんだ。
だから
腰も痛めている
庭作りで頑張り過ぎたからだを
いやしてあげたら
きっと血糖もさがり
血圧も、腰の状態も良くなるはずです。

今の
患者さんの高血糖の原因のことをはなすと
患者さんも納得されて
来られたときのゆうつな表情とは
全くちがう明るい顔で帰られた。

患者さんに1ヶ月後会うのが楽しみ。
そして
7月患者さんの新しい庭に
お伺いするのが
僕も楽しみにして診療を終了した。

検査などの数字だけに縛られることなく
その人の暮らしぶりから
患者さん自身を診ることの大切さを
あらためて教えられました。

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親はこどもとどのよう接すればよいか?

小児科の診察室には
病気の悩みだけでなく
いろいろな心配ごとで来られます。

保育園で、
お友達とけんかばかりすると
保育園の先生に言われます。

思春期になると
暴れたり、ものをとったり
社会的に問題となる行動へと
エスカレートするケースもあります。

こどもがこのような行動をとるのは
「愛情不足」の裏返し
お子さんともっとスキンシップをとってください。
の一言で済まされるような単純ではないよな
と話しながら思っています。

そこで、今回は
こどもとの関わり方について。

こどもは
おとなと関わりをもつことで
社会性を身につけ
成長していきます。

こどもは、幼いときに
いっぱい抱きしめられぬくもりを感じ育ち
うまく言えない、表現できなくても
自分の気持ちをわかってくれた時の喜び
たくさん遊んでくれた時の楽しさなど
多くの出来事でプラスの感情が芽生えて来ます。

逆に
いじめられた痛み、つらさ、
離婚や死別などの家族間の悲しみ
自分の気持ちを理解してもらえないつらさ
などの出来事があると
こどもの心にはマイナス感情が残ります。

このプラスとマイナスの感情を
バランスを保ち育つかどうかが
どんなおとなになっていくかに関わってきます。

ぬくもり、喜び、うれしさ、楽しさという
プラスな感情を多く持ってもってこどもは育つと
思春期になると自立していきます。
逆にマイナス感情が多いまま大きくなると
なかなか自立できない傾向にあると言われています。

マイナス感情が大きいまま大きくなると
乳幼児期に戻ろうと願い
乳児期のこどもがするように
親の目を引くような行動をとってしまうのです。

からだは乳幼児の時期に戻れるわけではなく
こころだけ乳幼児期になるこどものこころを
おとな達は
理解することはできません。

ですからそんなこども達に対して
おとな達は
起こったり、叱ったり
もっと大人になれと
こどもが望むのと
かけ離れた行動をとってしまうのです。

このマイナス感情をプラス感情に
変えていくことができないこともは
非行少年のまま
おとなになってしまうのです。

ですから非行少年を更生させるには
マイナス感情をプラス感情に
変換する必要があります。
そのための関わりを
おとなはこどもしないといけないのです。

それが思春期を迎えた
こどもとのコミュニケーションで
大切なポイントです。

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内なる声を聴くとは

入院していたときから
自分の内なる声を
感じるということを経験しました。

例えば
リハビリ中に
動かない手が
動く手の動きをサポートするように動いたり
次の日には
動かなかった指が
少しずつ動くようになっていたり
小さな奇跡というような
出来事がありました。

そして
その奇跡を感じたときには
からだの中から
ニコニコ笑顔で
「よかった、よかった」という
声が聞こえてきたのです。

この声は最初は
自分自身の心のつぶやき
喜びの声だと思っていたのですが
毎日度々、異なるときに
同じような声が聞こえてくるし
僕のリハビリを加勢してくれている
見守ってくれている力が
あるように思えるようになりました。

内なる声、内なる力が
あるのではないか?

この内なる声は
決して自分の感情やつぶやきと
必ずしも一致しない
思いもしない言葉のことも多くあり
僕自身の感情の声ではないんです。
この声は
感情の心のもっと奥の、深いところにある声で
その時の感情や出来事に関しては
淡々と見つめている
もうひとりの自己が確かにいる、ある。
それが内なる声なんですよね。

そして
この内なる声を最初は気のせいだと
否定してましたが
だんだん受け止めて、
その内なる声を意識して
暮らしいると
心強い味方がいつも見守って下さってるような気がして
毎日が、行きやすくなったような気がします。

内なる声は
病気をしたから聞こえてたのでしょうが
聞こうともせず、従うこともなく
無視して暮らしていたので
病気になってしまったのでしょうね。

僕自らのせいで
病気を招いてしまったのに
内なる声は
だから、言っただろうと叱咤すること
そんな怒ったそぶりも全く見せず
親身になって応援してくれるのです。

僕が内なる声を裏切ったとしても
内なる声を裏切ることなど
全くありません。

その
内なる声に気づいたときに
有り難くて、有り難くて
涙が止まりませんでした。

これは
僕だけのことではありません。
みなさんの中にも
内なる声は存在するのです。

僕の医者としての仕事は
みなさんに
その内なる声を聴けるように
お伝えすることのような気がしてます。

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あの世にもっていけるもの

人は
裸一環でこの世に生まれてきて
死ぬときも
この世で手に入れたもの
からだ一つ
持って行けない。

からだも
無くなるので
確かに今生で手に入れたものは
なに一つ持っていけない
全てのものを置いて
魂のふるさとへ
帰って行くと思っていた。

しかし
持って行けるものがあることに
気づいた。
それは”徳”

そういえば
松下幸之助さんが
「徳を積むことはこの世で
最も尊い行為である」と
語られていたし
稲盛和夫さんも
「利他の心、徳を積むこと」の
大切さを
度々語られていたことを思い出す。

これは、松下さんや稲盛さんのような
偉大な経営者が語った言葉ではなく
おじいちゃん、おばあちゃんなど
身近な方にも
徳を積む生き方をしなさい
徳を天に貯金しておきなさい。
あなたは、ご先祖さんの徳の貯金を使って
生きていることができるんだよ・・・・など
”徳を積む”ことの大切は
からだに染みついているのです。

徳を積むということは
魂のレベルを上げることに
つながっているのではないかと
僕は思っています。

また
魂をある意識対と考えるなら
魂という意識体は
この世では肉体を伴うことで
活動している。
しかし
この世で死を迎え
肉体が滅んでしまった後には
意識体である魂だけが
あの世に戻っていく。

あの世で何をするか?
次回生きるための
人生を設計、大枠を作っていると
思います。
今回得た経験を分析し
魂を成長させるために
何が必要で、必要でないかを
今回の徳を分析して
判断するのだと思います。

ですから
あの世には
この世で積んだ徳は持って行けるのです。
徳とは
あなたの全ての行動ではないでしょうか?
あなたは
今の行動は、あなたが望んだ行為?経験?
あなたの魂の成長に必要なことなんだと思います。

何を学ぶためにいきているか?なんて
意識することはできません。
ただ、できることは
今、自分の身に起きた経験を、人生を
一生懸命生きることなんだと思います。

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かわうそ

「かわうそ」を漢字で書くと
「獺」という難しい漢字。

日本酒好きで、山口県出身の人であれば
日本酒の「獺祭」が有名で
読めるけど書くのは難しい漢字の一つだと思う。

そんな「かわうそ」を題名にした
向田邦子の短編小説を読んだ。

小説「かわうそ」で
主人公宅次が絵画「獺祭図」を
みながら考える場面が出てきます。

「かなり大きい絵で
画面いっぱいに旧式の牛乳瓶、花、茶碗、
ミルクポット、食べかけの果物、パンの切れっぱなし
首をしめられてぐったりしている鳥が
卓上せましとならんでいた」

という、想像しただけでも
ちょっと暗くて不気味な絵難でしょう。

なぜ、これが獺祭、かわうそのお祭りかというと

「かわうそは、いたずら好きである。
食べるためでなく、
ただ獲物をとる面白さだけで
沢山の魚を殺すのである。
殺した魚を並べて、
楽しむ習性があるというので
数多くのものを並べて見せることを
『獺祭図』という」

と解説しています。

この小説は
主人公の妻は
周りに不幸と思われることが起こっても
かわうそのように
どこか楽しんでいるように見えてしまうことに
きづいた、どこか人間の恐ろしい部分を
描き出した
後々まで心に引きずる
短編小説の名作です。

それではなぜ
日本酒に「獺祭」とつけたのか・・・
きっと
日本酒を飲むときは
楽しい場面ばかりではない
葬式ややけ酒など
悲しい時にも飲むこともあるでしょう。

どんな時であっても
日本酒を飲むことを楽しんで欲しい
という思いがあるのでしょう。

獺祭の意味を深く心にとめ
これからも日本酒「獺祭」を
たしなみたいと思います。

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受けた恩は絶対に忘れない

人間は一人で生きていくことは
できません。

日々多くの人に支えられ、助けられ
人生を過ごしていきます。
今していること、
今の仕事に関すること
自分の利益につながりそうな人に対しては
誰もが礼を尽くすことを
忘れないでしょう。

でも
自分の目の前を通り過ぎた人
過去にお世話になった人
に対しては
恩を忘れないですか?

人から恩を受けた時の気持ちは
時間が経っても
決して忘れてはいけないものです。

人から受けた恩を忘れず
受けた恩に対して報いる努力をする
自分もまた、他の人に対して
受けた恩を送るような
人生が過ごせたら
しあわせな人生だと思いませんか?

誰にでも
お世話になった人は必ずいます。

両親、師、友人、知人・・・・
誰もがあなたのために
手を差し伸べてくれたのではないでしょうか?

その一人一人に
感謝の気持ちを伝えることができれば
気持ちも人生も豊かに
なるような気がします。

毎日一人づつ感謝したら
一年で365人
3年で1000人近い方に感謝することができます。

現代は、
手紙、電話、メール、ライン
様々な伝達方法があります。
自分に合った方法で伝える
また
決して、形にしなくても
その人に感謝して、しあわせを祈るだけでも
恩を尽くすことのような気がします。

受けた恩を絶対忘れることなく
あなたらしく
感謝をもって日々生きることが
できたら、きっと
あなたの心を豊かにし、
しあわせな人生へと
つながっていくのだと思います。

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年取ると頑固親父になるのか?

若い人は
老人のイメージとして
「頑固親父」「石頭」と呼ぶことがある。

確かに年をとると
頭が固くなる傾向がでるのは
少しは自分でも自覚しています。

これは
これまで自分の歩んできた人生を
納得したいからとも言えるのです。
自分の歩んできた人生という時間を
大事に思う裏返しでもあると思います。

60歳を過ぎると
これまで生きてこれたという
自信の裏返しともとれます。
そう自覚していれば
頑固は、理性でもって修正できる
と思ってます。

つまり
「いくつになっても変われる」と思って
生きていけば
石頭になることなく
柔軟に生きていけると思うのです。

何歳になっても
柔軟に生きることができれば
年寄りが望む「若返る」ことも
可能になるかも知れません。

若返るということは
変わろうとしている自分
変わった自分を
「楽しんでいる」自分だから。
そんな姿を周りからすると
きっと、「若い」「若返って見える」
ことでしょう。

そのためには
自分はまだまだできる、伸びるのだという
自分の能力を見切らず、将来を諦めず
こどもの時に持っていた
好奇心を忘れずに生き続ける事が
大事なのです。

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