しあわせな健診

保育園の健診に行ってきました。
今年初めてのクリニック以外の仕事。

昨年秋以来お会いする、園長先生をはじめ
先生方の以前と変わらない笑顔で迎えられ
健診スタート。

こども達も緊張しながら
泣きたいのを必死でこらえながら
教えられとおり
前のお友達がしたとおり
気をつけして
僕の前に立ち、がんばって診察を受けてくれる。
終わった時の笑顔がとってもかわいい。

今回はいつもと違い
病気後だったので
以前と同様に診察できるか
こども達同様
僕も少し緊張して診察していました。

途中休憩の時
園長先生に
{すっきり、やせられましたね。
 どうやってやせられたんですか?」ときかれ
全く僕の体のことも触れられず
病気だったことを知らない風だったので
きっと、診察も以前通りできたんだと
園長先生から合格をいただいたようで
とてもうれしかった。

この半年以上の期間
僕も
そして
園長先生をはじめ先生方も
いろんなことがあったはず

でも、こうして
以前会った時のように
同じようにまた会えることって
奇跡だし
とってもしあわせなことだと思った。

そして、健診も無事終わり
こども達と再会できたしあわせをかみしめながら
園児の笑顔に見送られながら
園を後にした。

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人は使命を持って生まれてくる

友人が会いに来てくれた
 顔をみての第一声は、
「元気そうで、よかった」と
 安堵の表情で喜んでくれた。
 
 その後は安堵し、緊張もとれ
 お互い以前のように
 この半年間の近況報告をしあった。

 話題の中心は
 僕も病気後なこともあり
 自分たちのからだ、健康について。
 友人も健康診断をうけて心配なことがあるみたい。

 そして話していると友人が突然
 「とても、前向きなんだね。
  顔色もいいし、元気なオーラがでてるね。」と。

 そういえば
 退院後久しぶりに会った方に
 僕が病後であることを知っているかどうかに関わらず
 よく言われるんです。
 「お顔がすっきりしましたね。
  顔色がとてもいいですね。」
 そして、真顔で
 「どうやって、やせられたんですか?」と
 きいて来られる方もいる。

 今の自分
 病気にする前に比べて、
 日常生活は送れるし
 仕事もしているけれど
 完全に戻ったとは言えない状態。

 でも
 会った人
 患者さんにも言われることもあります
 「オーラがちがう」と。

 自分自身は全く
 そんなことわからないし、確認する術もないけど
 みんなが言われるので
 きっとそうなんだと思ってきました。

 病気したおかげで、
 いい意味で
 からだも心もリセットできたのかもしれない。
 また
 こうして日々再び、
 患者さん
 を診せていただけることは
 何か大きな意味、そして使命があるからではないか?
 とも思えてきました。

 この世に生まれてくるってことは
 きっと意味が、目的があるんじゃないか?
 誰もが使命を持って
 この世に生まれてきてると思うんです。

 その使命を知る方法は・・・・
 

 

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今日の空は特別?

今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。

思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。

そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。

「この一瞬、一瞬が
 特別なんだよ。
 この世の全てのものが
 君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。

贈り物?

確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。

今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない

だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね

だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。

人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。

今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。

そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。

今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終わろうと思います。

みなさんにとって明日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。

今日もありがとうございました。

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免疫力をつけるとは?

コロナ対策で世の中のみんな頑張ってます。
 行動規制して、自粛して、仕事を休んで
 感染が広がらないように
 感染を広げないように
 ひとりひとりが
 気をつけて過ごしています。

 そんな時
 よく聞かれるのが
 ”免疫力”を上げましょうという言葉。
 免疫力を上げる?とは
 どういうことでしょう
 
 コロナ感染に負けない、これは戦争だ
 国民全員で戦いましょう・・・など
 戦うという姿勢を鼓舞する言葉をよく耳にします
 これは戦いだから
 ウイルスをやっつけなければ
 ワクチンが薬が必要
 そして
 免疫力をつけて戦いましょう・・・・と続きます

 実は免疫力をつけることは
 ウイルスと戦う、相手に勝つことばかりではありません。
 確かに、免疫力には
 ウイルス、アレルギーなどの
 体外からの侵入者を排除する”拒絶”する力を
指すこともありますが
もう一つ
妊娠したお母さんが、非自己である胎児を
 ”拒絶”せず受け入れるように
愛で育むという
 ”寛容”という力もあります。

 今までのように
 病気にならないように
 病を、ウイルスを拒絶、排除するのではなく
 たとえ
今回のコロナウイルスのような未知のウイルスであっても
 相手の見えない病気であっても
 大きな愛で包み込めるような
 受け入れる”寛容力”をつける ことが
必要な時代に
これからは変わってくるのだと思います。

ですから医療も
これまでの闘う医療一辺倒でなく
 病を受け入れられる力をつける医療に
 相手を憎む医療でなく
 愛で包み込む医療
が求められる時代になると思います
それが
 これからの時代に必要なこと免疫力であり
そして
僕の理想とするこれからの医療。
 当院でめざし推進している医療です。

愛に溢れる社会になることを
願って活動していきます。

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いのちは地球より重い

  緊急事態宣言が出た後
 東京都と政府そして各自治体の足並みのちがい
  が報道されました。

 様々な考え方があると思いますが
  今回の報道に触れ
  現代社会の命に対する考えのちがいを
  顕してるような気がしました。

 僕は
 人間が生きていくには2つの面が
 必要であると思います。
 ひとつは
 衣食住という動物的欲望を満たす
 いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
 そして、もうひとつは
 真善美を求めて行動する人格を形成する
 いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。

 もう少し具体的に言うと
 生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
 つまり
 利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
 これに対して生命体系とは
 いのちは尊いものだというような
 親子のつながり、日本で生まれたことによって
 培われた道徳的なつながりとも言えるもの

 この2つの体系、価値観の中で
 僕たちのいのちは支えられ
 生きているのだと
 改めて自覚させられた気がします。

 昭和50年代に
 日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
 身代金などを要求したダッカ事件がありました。
 その時の総理は
 「人間のいのちは、地球よりも重い」と
 様々な批判を交わして
 16億もの身代金を決断して
 乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。
 
 今回の政府の動きは
 ダッカ事件の時とは異なり
 いのちだけでなく経済重視するあまりに
 迷い行動できなくなってるように
 僕は見えてしかたありませんでした。
 
 ダッカ事件から時は流れ
 時代は昭和から平成、令和と変わり
 その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
 明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
 してきた日本人の体質が
 決断できなくさせているような気がします。

 人はパンがなくては生きていけないけど
 パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
 僕たちは生きていかなければならないってことに
 気づき、その気持ちを大事にして
 これからは生きていかなければならないのでしょうね。

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おかげさま

 緊急事態宣言が発令されました。
 
しかし
 緊急事態宣言が出た今日も
 一日無事に終わることができました。
 働くことができました。
 美味しくごはんが食べれました。
 温かい布団の中で眠ることができました。

こんな危機的な状況でも
 いつものように過ごせた時
 浮かんできた言葉・・・それは
 「おかげさま」

今日こうして過ごせたのは
 家族のおかげ
 身近な人のおかげ
 役所の人の頑張りのおかげ
 医療前線で命をはって頑張ってる医療者のおかげ
 身をもってコロナ感染の怖さを教えてくれた患者さんのおかげ
 物資の生産者、物流、販売など
 命の源を届けてくれた多くの人々のおかげ。
 また、目に見えるものだけではなく
 ふとした瞬間に心を癒やしてくれる
 満開の桜、心地よい風、芽吹いている春の息吹
目に見えない自然のおかげもあります。

今生きているのは
 当たり前のことではなく
 有形無形の有り難い「おかげ」をいっぱい
 いただいているからだと思います。

今生きられるのは
 自分ひとりだけの力じゃない
 様々のおかげさまの中で生きているんだと思えたら
 全てのものに素直に「ありがとう」と言えませんか?
おかげさまと思えたら
 少々不自由なことがあっても我慢もできませんか?

今回の緊急事態宣言が
 お互いが「おかげさま」と言いあえる社会作り
 のきっかけになり
 感染が終息した先に
 誰もが平和だと思える世界が待ってること
 を願うばかりです。

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コロナウイルスからのメッセージ

 コロナウイルス感染により、
 2020夏の東京オリンピックの延期が発表されました。
  
 オリンピック開催だけでなく
 今世界では、日本、アメリカ、イギリスも、フランスも、
イタリア、 インドも・・・
 世界の国々のトップの方々がが様々な決断を下し、
 コロナウイルスの感染を収束させ、
 社会、経済、教育そして医療も含め
 これまでの活動を維持するために、
 知恵を出し合って頑張っています。

 オリンピックを延期したからといって、
 非常事態宣言を発令したから、
 お金をだしたたからといって、
 このウイルス感染が終息する
 という確証はありません。
      
 僕は今回のコロナウイルスのパンデミックが、
 とても、大きなメッセージを
 人々に伝えようとしているような気がするのです。

 「いろんなことが決められても、
  あなたたちが全てに責任を負うまでは何も変わらない。
  彼らがやったんだ。彼らが決めたことなんだ。  
  彼らがちゃんとやればいいことなんだ・・・
  なんて他人事のように言ってる場合
  じゃないんだよ。

  あなたたちは
    家庭人として
    職業人として
    一国民として
    そして
    未来に対して
    現代を生きる地球人、現代人としての
    責任をひとりひとりが果たしていますか?」と
  ウイルスに、これからの生き方を
  問いかけられている気がするのです。

  つまり
  人類がこの世に生を受けた自分の責任に気づき
  ひとりひとりその責任を果たし始めたときに
  きっとウイルスは終息するような気がするのです。

  この世界危機を救うのは
  政治家でもなく、ワクチン、薬でもない
  ひとりひとりの行動にあるような気がします。

  
   「敵に会ったんだ。それがぼくたちなんだ」という
  アメリカの漫画「Pogo」の作者ウォルト・ケリーの
  有名な言葉があります。

 この言葉がいうように
 敵はコロナウイルスではない。
 ウイルスは僕たちがかわるチャンスをくれている
 メッセージを受け取り行動し始めたときに
 ウイルスは影を潜めるのかもしれない。
 敵は人の心の中にある。

 コロナウイルスは
 実は世界中のひとりひとりの行動を
 みているのかもしれません。

 ☆地球に問題があっても
  みんなを応援してくれているかのように
  いつものように日が昇りました。
  どんな時も
  お天道様はみてます。
  応援してくれています。

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“目覚めよ”

今日は3.11
日本人にとって忘れられない日
東日本大震災から
丸9年経ち、10年目を迎える。

震災当日のことは
震災に直接あったわけではないけど
サンタキッズ&ファミリークリニックを開院して
1ヵ月した時
日々四苦八苦しながら過ごしていた時期の出来事。
当日のことだけは今でも鮮明に記憶に残っている。

そしてあれから
今日でちょうど9年。

9年経った現在の日本、そして世界を
見渡してみると
東日本大震災当時のことが蘇ってくる。
今まさに日本が世界が新型コロナウイルスの災禍に
襲われている。

震災が起きた時のように
テレビは新型コロナウイルスの報道ばかり
プロ野球も相撲などのイベントも自粛、中止。
ディズニーランドなどの施設も休園。
学校も休校となり
経済活動は麻痺し
街からは、人々の笑い声が消えた。

現在の状況は
9年前の震災当日の状況と
全く変わっていない。

人々がこれまで当たり前に行って来た
経済も政治も文化も教育も
ストップされた状態。
それも今回は日本だけでなく
もっと広く全世界に広がっている。

あれから9年経った今
国は「復興創生期間」最後の1年として活動し
一区切りつけようとしている
しかし被災された方々は
被災された方は復興への道はまだ遠いと感じ
風化していくのを恐れている。

東日本大震災に
一区切りしようとしていた時におこった。
新型コロナウイルスの災禍。

現在の
新型コロナウイルスによって惹き起こされた状況は
決して偶然に起こったことではない
気がするのです。

新型コロナウイルスは
東日本大震災の学びが
まだ終わってないことを
伝えようとしている気がするのです。

東日本大震災によって
すべのことがリセットされた。
そこからで学ぶべきことは
元に戻す復興ではなく
全く新しいものを
新しい価値観で一から作り直す
ことだったのかもしれません。

私たちは
今までの価値観に縛られないものに
気づき、変わらなければならない
時に来てるのかもしれません。

コロナウイルスは
東日本大震災の時のように
全てのものをリセットし
そして
我々に“目覚めよ”と言ってる気がする。

これからひとりひとりが今日はこの9年を振り返り
これからの10年後のあるべき世界を地球を
考えて動かないといけない。

政治も
経済も
文化も
教育も
環境も
そして
医療も
問題をそのままにしてしまったら
10年後に
もっと大きな災いが来るような気がするのです。

我々が新型コロナウイルスの真のメッセージに
気づき、行動し始めた時に
きっと
新型コロナウイルスは
普通の風邪のウイルスにまた戻っていく
そんな気がするのです。

問題は大きいけど
自分が気づいたこと
できることから
始める日にしたいと思います。

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伝わる生命力

家族から
防府市の向島小学校にある
満開の寒桜の写真がおくられてきました

今年も青空に向けて
ところ狭しと咲き誇っている姿。
きれいと思っただけでなく
今年は
写真からでも伝わってくる
力強く生きている姿に圧倒されました。

毎年実際に見に行ってる寒桜。
今年は入院中。
そして現在新型コロナウイルスの影響で
実際に見に行くことはできなかったけど、
写真を見ただけでも
その生命力の大きさを感じました。
そして、
その力が写真を通してでも伝わるのだろうか?
体の底から元気が湧いてきたから
不思議です。

大自然に生きている
動植物、全てのものは
たくましく生きている。
そして生命力溢れるものが
生き残っていることを
教えてくれている
そして
その生命力をつなげようと
してくれているような気がします。

ですから
病気の時だけでなく
元気が出ないときは
生命力みなぎるものに
触れること
無理なら写真だけでもいい
生命力を感じ
生命力を引き継ごうと思う事はない
とても大事なことだと思いました。

ちなみににこの寒桜は
樹齢100年、最近蓬萊桜という新種で
山口県の特別天然記念物に指定され
一人で100年以上生きて来ました。
そしてその生命は
接ぎ木された
いわゆるこどもとも言える寒桜につながり
今年は
親に負けないくらいの
立派な姿を見せてくれたようです。

生命力はどんどん伝わっていくんですね。
あなたにも
わたしにも

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病気は愛を知るために

病気になったり
悪いことが起こると
なぜ、どうして
こんなめに合うのだろうかと
考えてしまういます。

僕も病気になって
落ち込み、悩みましたが
日が経つにつれ
病気は
自分に愛とは何かを
教えてくれているような
気がしてきたのです。

人に与えられた最高の感情は
“愛”なんだと僕はずっと思っていました。
今回の病気の経験で
愛を知るためには
悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ、嫉妬など
あらゆる負の感情をも知ることで
本当の愛を理解できる。
つまり
愛とはあらゆる感情の総和
あらゆるものの集合
いいも悪いもない
全ての感情であると思ったのです

そして
あらゆる感情を経験するために
人は様々な経験をするのだ。
様々な経験を通して感じた感情が
人として
心も魂も成長するのだと思います。

だから今回
病気になって感じた
正直な思いを大切にして
生きていくことが大事なんだと
教えてくれていることに
気づきました。

病気になったのも
魂が成長するために必要な事なのかもしれません。
今の思いを大切にして
これから生きていかないといけない。

実はこれまでも
病気になる前にも
愛を学ぶ機会って
沢山準備されてたんですよね。

今日も
どんな一日になるのか
1分1秒先のことさえ
どんなことが起こるのか
誰にもわかりません。

でも
どんなことが起きても
その時の気持ち、思いを
しっかり受け止めて
その思いを大事に生きていかないといけない。
それ が“愛を知る”というなのかもしれない
・・・・・そんな気がするのです

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