安心安全の世界とは

オリンピックの開幕日が
  日に日に近づくにつれて
  どのように
  コロナウイルスと共存していくかを
  人々に突きつけられ  
  様々な人が
  オリンピックとコロナウイルスについて
  様々な人が
  意見を交わし
  議論は過熱していってるが
  中々結論に至っていないのが
  現在の状況です。

  そのなかで
  飛び交っているのが
 「国民のいのちを守る」
  そして
 「安心・安全」という言葉。
  何度も聞いていると
  当たり前のことを言ってるようだけど
  実は
  その意味をよく考えないといけないと思います。

  そこで今回は
  「安心・安全」について。

  安心・安全は
  言葉上はよく似てる気がしますが
  実は意味の上では全くちがう言葉何です。

  安全とは
  危険を取り下げること
  または、危険のリスクを下げることです。
  安全を達成するためには
  誰もが納得できる基準
  特に科学に裏打ちされた基準が
  求められます。

  例えば
  シートベルトは車の死亡事故を減らす
  とか
  感染については
  感染源を特定し、感染経路を断てば
  感染を抑えることができるなどのような
  誰もが納得する科学的根拠が
  存在しています。
  ですから
  データーを示すことで
  人々は納得できるのです。

  それに対して
 ”安心”という言葉には
  科学的根拠は存在しません。
  人々の頭の中に浮かんだイメージ
  すなわち
  人が作り出した幻なんです。

  安心という言葉には
  科学根拠というものは存在しません。
  そこにあるものは
  安心という言葉を発した人が
  ”安心”したいという願望を表した
  言葉なのです。

  その言葉は、
  こうありあたいという願いを表した
  言葉なのです。

  菅総理大臣は
  安全・安心の言葉の意味を踏まえて
  発言されると
  国民はもっと納得するのでは
  ないでしょうか?

  どんな行動をすると
  どんな効果が起こり
  感染リスクが下がるから
  安全なんだと。

  これだけリスクが下がると
  人々が
  安心した気持ちで
  オリンピックの開催を喜べると。

  今のままでは
  総理が、国だけが
  安心できる方向に進んでるのかとおもうほど
  人々は安心できてないから
  先行き不安なのだと思います。

  僕も診療中や日常生活でも
  よく使ってる言葉ですが
  言葉の意味をおかみしめながら
  使っていきたいです。

カテゴリー: 真実の医療 パーマリンク