月別アーカイブ: 7月 2021

本物の味を知る

  入院を経験したことのある方から
  こんな話をきいた。

  入院中
  治療のため
  絶食を強いられていた時期が
  あったそうです。

  絶食中
  絶食後初めて食べるものは
  どんな食べ物でも
  どんなに美味しいことだろうと
  思っていたそうです。

  しかし
  絶食後はじめて口にした
  おかゆがとてもまずかったと
  教えてくれました。

  おかゆは
  お米と水が大切なので
  とてもシンプルな分
  最高のごちそうになるけど
  まずい食べ物になるのです。

  その患者さんは
  舌で感じる味覚の感覚が
  絶食したことによって
  磨かれ、敏感になったのです。
  おいしい水、お米の味を
  区別できるようになったのでしょう。
  それからは
  それまで嫌いだった野菜のおいしさが
  わかるようになって大好きになったとか。

  僕たちがおいしいと感じるのは
  舌で感じた味覚に対して
  驚きがあるときなんだと思う。

  この驚きを産むために
  最近テレビでは
  魔法の粉とか、別の素材を使って
  驚きのおいしさを演出しようとしているものが
  増えてると
  舌の味覚が衰え、
  本物を知る感覚が麻痺してしまいます。

  いわゆる
  おいしさを手軽に感じるために
  巷では
  添加物が多く含まれる食品にあふれています。

  実際
  舌が元気だと
  添加物が多いと
  味が濃く感じたり、
  なんだかその素材に違和感を感じて
  食が進まなくなるのです。

  おかゆでさえまずく感じた患者さんは
  絶食したことによって
  舌の麻痺していた感覚も
  改善したのでしょう。

  現代は
  一年中、季節に関係なく
  好きなものをいつでも食べられる
  時代に生きているのはのは
  しあわせなことでしょうか?

  最近、肥満や腸の異常で
  受診される方が増えてきている気がします。
  自然にあるはずの
  本物を取り入れていれば
  こんなに今苦労しなくても
  良かっただろうにと
  食生活の話をききながら
  思います。

  今からでも遅くありません。
  人の手のなるだけかかっていない
  自然にある本物のものを
  取り入れて生活して欲しい。
  そのことをお伝えしたく
  患者さんにお話しています

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僕が飛び跳ねる理由

  オリンピックの連休を利用して
  映画「僕が跳びはねる理由」を
  観た。

  この映画は
  自ら自閉症があり
  今は作家、エッセイスト、詩人として
  活躍中の
  東田直樹さんが13歳の時に書いた
 「僕が跳びはねる理由」を
  海外の映画監督の手によって
  映像化されたドキュメンタリー映画。

  この映画には
  東田直樹さんだけでなく
  世界中からの
  自閉症の方の生活や
  また、
  ご家族のインタビューを通して
  僕たちに
  「普通とは?」
  「個性とは?」
  「会話(=コミュニケーション)の大切さ」
  「多様性の重視」など
  普通に生活している人でも
  分断を感じるこの
  コロナの時代だから
  また奇しくも
  オリンピック東京大会が開催される
  時だから
  今よく耳にする
  多様性の意味を
  考えさせられる映画であった。

  映画のあとに
  現在の作者自身のインタビューが
  紹介された。

  東田直樹さんは、
  世界はひとつ。
  自閉症が差別と偏見ない世界になることを願う
  そう思って希望を持つことで
  この世を変えていくと思う。 
  これからも
  全ての人が愛と絆を忘れずにいれば
  自閉症などの多様性があっても
  生きていける。
  とも語られた。

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全人的に診療するとは

我々医師は、毎日
  患者さんのからだを
  毎日に診させてもらっています。

  患者さんのからだを
  診察するってこと
  つまり病気を診るために
  医師は
  全てを全身全霊込めて
  患者さんと向き合っています。

  でも
  医者も人間。
  これまで生きてきた中で
  様々な勉強、経験をして
  最高の治療を提供していくために
  勉強しています。

  しかし医師も人間
  医師それぞれ
  考え方も違います。
  色んな考え方に対して
  医者はこうあるべきだと
  医師を戒めるような言葉があります。

  最近よく耳にする言葉に
 「病気を診ず、患者さんを診なさい」
 「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
  そうあるべきだと  
  僕も思います。

  しかし
  言葉で言うのは簡単でも
  実際は難しい。

  病気の痛み、つらさなどの
  症状をこることは
  医師として医師としての経験、知識を
  駆使すれば
  患者さんの臨むレベルの治療をすることは
  可能かもしれません。
  
  でも
  病気をしたことによって
  生活がどう変わったか
  お金に困っている
  ご家族が困窮している
  職場や学校生活での苦悩
  色んな問題が
  病気になったことで表面化し
  それが原因かもしれない
  大事な事柄なのもわかる。

  だから
  病気を診るだけではなく
  患者さんの生活、生き方にまで
  意識を向けないといけないということを
  僕は思うし
  その意味で、「全人的」という意味は
  理解できるけど
  それを、僕ひとりの力だけで
  解決することは難しい。

  病気が治すためには
  なんと言っても
  本人の力、そして気づきが必要なのは
  わかってきている。

  生命を含めて
  患者さんの苦しみの全てを
  解除するのなんて、無理な話。
  そんなとこができるのは
  神様しかできないでしょう。

  ただ医師として
  僕ができることは医師の仕事は
  検査したり
  投薬、手術などの医療行為を
  おこなうだけでなく
  病気がよくなって
  仕事も、人間関係も改善し
  将来が明るくなることを
  病気を診ながら
  その患者さんの明るい未来を
  祈ることが
  全人的に診ることなんだと思う

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この世で恐ろしいものとは

  暑くなってくると
  ちょっとでも涼しく過ごそうと
  肝試ししたり
  お祭りではお化け屋敷があったり
  テレビでは心霊現象の番組が放映されたり
  幽霊の話をよく耳にする。

  幽霊は
  目に見えないものの代表
  目に見えないから怖いものの代表的な
  ものです。

  現代科学をもっても
  幽霊の存在を証明することは
  まだできていませんが
  世の中には
  幽霊を見ることができると
  仰るかたがいるのは確かです。

  僕も
  幽霊って何だろうと
  自分の目で確認できないものに
  興味があり
  幽霊を感じる方のお話を
  聞くのが好きです。

  最近
  幽霊より怖いのは生き霊
  つまり人間の思いだという話を
  聞きました。

  その方が仰るには
  生き霊とは霊ではなく、人間の思い。
  人間の思いの問題、つまりもめ事は
  人間同志、当事者同志で
  解決するしかないというのです。

  死んだ方の死ぬ前の思いや念は
  死んだあとは
  上から俯瞰的に見ることができるそうなので
  生きたときの念や思いを
  和らげ、解決することができるそうです。

  しかし
  生き霊とは生きている人間の念、思いであり
  その人が
  思い続けている限りは改善することができないのです。

  有名人が
  人気が落ちると
  転落人生を経験されることは
  よく耳をしますが
  それは人々の
  妬みや嫉妬の念を受けるからとも
  言われています。

  これは
  有名人だけの話ではなく
  僕も含め
  普通に生きている人も
  生きている限り
  人からの念をいつも受けているのです。

  病気の全てではないにしても
  病気もひとつの念の現れであるとも
  思うのです。

  病気になるのは
  病気に対する免疫力が
  落ちたからなどと言われますが
  免疫力には
  人の思い、念も関わっているでしょう。

  有名人が
  人気絶頂の時には
  人々から好きだ、楽しい、有り難いという
  陽のエネルギーを受けているから。
  でも、逆の嫉妬、妬み、恨みなどの負のエネルギーも
  受けていたはずですが
  まだ陽のエネルギーが優勢なため
  人気ものでいることができるのでしょう。
  しかし、負のエネルギーが逆転すると
  からだを壊したり  
  運命の歯車が狂い出すのでしょう。

  僕も
  診療中
  様々な方の思いを受けているはずです。
  今までずっと診療ができるのも
  きっと
  陽のエネルギーに守られているおかげなんだと
  思っています。

  つまり
  みなさんのありがとうと言う
  言葉に支えられて今生きているのですよね。
  みなさんの思いで
  僕は今活かされていることを
  常々思います。
  だから
  みんなに喜んでもらえる日々を過ごすことが
  僕の使命なんでしょうね。

  これからも
  よろしくお願いします。

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オリンピックに学ぶ

コロナパンデミックの状況下での
  色んな制限、議論がありましたが
  東京オリンピックが始まりました。

  連日報道されるニュースや
  日頃観ることのできない競技を知り
  選手の汗、涙する姿を目の当たりにして
  新たな発見があり
  様々感動と共に
  こころが洗われ
  様々な気づきを教えていただいてます。

  先日も
  柔道で金メダルを獲った
  選手の試合とインタビューを観て
  その謙虚な態度に
  感動しました。

  喜びいっぱいの時に
  その喜びを
  からだいっぱいで表現しても
  世界一に相応しい努力を讃えて
  その喜びを気持ちを
  観てる側も受け入れる場面です。

  でも
  勝者の態度は
  自分の戦った戦場(畳)を降りるまでは
  相手の健闘をたたえ
  その場にいることに感謝して
  礼を尽くし
  インタビューでの第一声は
 「パンデミックの状況下で
  オリンピックを開催していただいた」ことに
  対する
  感謝の言葉でした。

  この場にいられることは
  当たり前じゃないことを
  一番感じているのが
  選手ひとりひとりなんだと
  言うことを感じました。

  その気持ちが
  インタビューの言葉に
  なったんだと思います。

  そして戦ったのは
  己自身だと・・・

  勝者だから
  日々一生懸命、精一杯生きてるから
  感じる思いかもしれません。
  でも、実際は
  オリンピックだからではなく
  特別なことでもなく
  コロナの状況でも  
  生きていること
  生活できていること
  仕事できることなど
  できることを
  喜んで生きていくことが
  大事なんだと言うことを
  教えていただきました。

  色んな制限がある中での
  オリンピックだけど
  どんな状況であっても
  受け入れ、全力を尽くして
  楽しんで生きていくことが
  大事だと言うことを
  オリンピックを観て感じるのです。

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期待してください

当院は
   赤ちゃんからおとなまで
   様々な年齢の方を対象としているので
   外科的な処置が必要でなければ
   診療をしています。

   ですから
   色んな目的で受診されてこられます。
   主治医の先生が
   お休みなので  
   いつもの薬だけ欲しい。
   とりあえず今の状態を診てもらいたい。
   コロナワクチンの時期なので
   コロナワクチンだけでなく
   ワクチン接種だけお願いします
   などなど
   当院の受診目的は様々です。

   僕の目の前に
   座った患者さんは
   患者さんの目的が薬だけであろうと
   100%、全身全霊を込めて
   診察しています。

   日頃診てもらってる主治医の先生ほど
   患者さんのこれまでのことはわからなくても
   今僕がわかる範囲で
   できることをしよう
   診察後
   主治医先生の迷惑にならないように
   診療をしようという思いで
   患者さんを診させていただいていますが
   ・・・・・
   患者さんには
   当院を受診した思いはまちまち。
   薬屋さん感覚で
   この薬を下さいとか
   注射だけでいいですとか
   露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
   患者さんとの出会いも
   一期一会かもしれないけど
   いい出会いになればと思って
   診療をしているのですが
診察室で
   医者と患者という立場で
   相対していますが
   その前に
   お互い人として
   向き合っていることも
   忘れてはいけないと思ってます。

   もし、目の前の患者さんが
   この先生は、偉大な人なんだ
   この先生について行けば大丈夫。
   この先生について行けば
   頑張れるし
   どこまでもついて行きます
   なんて言われると
   奇跡でも起こせそうです。

   逆に
   何か間違えでもしたら
   糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
   萎縮して
   いい診療なんてできません。

   医者のパフォーマンスは
   患者さんに期待されると
   上がるんでスンね。

   これは
   医者だけではなく
   学校の先生や塾の先生に
   期待すると成績が上がるし
   お父さん、お母さんや
   ご夫婦でも相手に期待すると
   期待した本人にも
   結局いい結果を産むということは
   心理学の世界では
   よく言われることで
   ビグマリオン効果と呼ばれています。

   是非
   この先生はいい先生だと思って
   いただけると
   僕の力は100倍にも1000倍にもなって
   患者さんもっともっと良き方向に導けます。

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中今とは夢中になること

最近こころに響く言葉のひとつに
 「中今」があります。

  この言葉は
  神道の言葉であり
  生きていく中心軸を
  今という時間を
  大事に、一生懸命生きることを
  伝える言葉だと理解しています。

  最近その「中今」という言葉は
  もともと
 「中夢 なかゆめ」という言葉から
  派生した言葉だということを
  知りました。

  中夢
  夢のまっただ中
  夢の中にいること。
  つまり夢中で生きると言う意味。

  中今と夢中
  考えてみると
  確かに関係があると思いました。

  何かに夢中になる時って
  時間があっという間に経ちますよね。
  自分の中では
  一瞬に感じる時間であっても
  実際の時間および
  辞意分以外の人が感じる時間は
  2.3時間は経っているって
  よくありますよね。

  浦島太郎が
  竜宮城で過ごした時間が
  まさに
 「中夢」の時間だったと思いいます。

 「中今」が
  中夢という言葉から派生した言葉なら
  中今は
  今の時間を夢中になって過ごす。
  目の前のことに没頭して
  集中して過ごすことが
  自分にとっての
  夢の時間に思える時間になるってことですよね。

  人生において
  無我夢中になるものを見つけ
  無我夢中の中で生きていると
 「我」も消えてしまい
  自分の真の人生を生きられるようになる。

  そのことを
 「中今」と言う言葉は
  教えてくれているのでしょう。

  目の前のことに
  夢中になって過ごしてみましょう。

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魂を包むオーロラ

患者さんから
  臨死体験の話をお聞きしました。

  患者さんは
  交通事故で全身打撲の
  重傷ん状態で病院に
  救急搬送された時の
  話をしてくれました。

  事故が起きた瞬間のことは
  全く今も覚えていなくて
  目を覚ましたら
  とても綺麗なオーロラの毛布に  
  包まれていたそうです。
  今まで経験したことのないほどの
  気持ちよい状態で
  いつまでもこのままの状態で
  いたいなぁと思ってたのですが
  その時
  小さいおばあさんが現れて
  ニコッと笑って
  パッと包まれていた
  オーロラの毛布を
  剥ぎ取ったのです。

  その瞬間
  経験したことがないほどの
  耐えられない痛みに襲われた瞬間
  患者さんは
  ICUのベットにいたというのです。

  そこで
  自分はこの世?
  今まで生きてきた世界に
  帰ってきたことを理解したそうです。
  と同時に
  それまでの気持ちの良い世界と違って
  なんと苦痛を伴う世界だと言うことも
  理解したというのです。

  体調も安定したときに
  主治医から
  救急車で運ばれた時からすると
  よく助けられたと
  感想をお聞きしたそうです。
  ご本人は  
  今もそうですが、その時の状態の記憶は
  全くないそうです。

  これは
  いわゆる
  臨死体験ということなのでしょう。

  臨死体験のお話を聞きながら
  思いました。

  肉体を持つことは
  痛みを感じたり
  動きにくく自由になりにくい
  とても不自由な状態であるのだ
 
  しかし、
  今生きていることは
  ある意味生きにくい状態かもしれないけど
  得られない体験と引き換えに
  不自由を覚悟で 
  この世に生きているのかもしれません。

  その不自由さを感じずに
  有意義にこの世、今という時間を
  過ごせるように
  お手伝いできれば・・・と
  患者さんのお話を聞きながら
  思ったのでした。

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メタトロンが教えてくれたこと⑩何に気をつけたらいい?

メタトロンでは
  まだ発症していない
  症状もないので
  まだまだ未病の状態から
  チェックしています。

  未病の状態で気づき
  改善することができれば
  理論上は
  死ぬまで元気に過ごせるという
  ことになります。

  でも
  元気でないところが
  あることをお伝えすると
  みんな
 「何を食べたらいいですか?」
 「もっと、運動しないといけませんね」と
  なんとかこの悪い状況を
  脱しようと考えます。

  僕は
  メタトロンを受けて
  注意点が見つかったときに
  何かをしようとする前に
  自分の状態を知ること
  からだ自身の力で
  症状をだすことなく
  いつものように過ごせていることが
  大事なんだとお伝えします。

  からだが頑張ってることを
  気づくだけで
  感謝してくれることで
  からだは喜んで
  元気に過ごせるように
  働いてくれるのです。

  何もすることはありません。
  今のからだの状態を
  知ることが大事なんですね。

  人間のからだだけでなく
  いのちは
  もともとあるがままで
  完全な状態であるんですね。

  ですから
  人間の考えだけで
  人間の浅はかかもしれない
  思いつきの知恵で
  行動した行為は
  帰って、完全なるいのちの
  完全なる力の妨げになることも
  ないわけではありません。

 「いのちは
  無始より来りて無終に至る。
  我を通じて、無限に広がり、
  我を貫いて、無限につなる」のです。

  元気な時も
  病に伏した時でも
  自らのこころもからだも
  自然の思いのままに
  生きていくことができれば
  本当の自分に出会える気がするのです。

  自分をよくする生き方ができれば
  宇宙をよくすることにつながり
  人のためになることをすることは
  自分をも助けることになるのだと思います。

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しあわせのハードルが下がる

病気と健康の状態を比べると
  病気になるより
  病気にならないほうがいいに決まってる
  と誰もが思うだろうし
  それは真理だと思うから
  人々は病気にならないように
  巷では
  いろいろな健康法が発表され
  僕の元にも
  からだのいろいろな悩みを抱えて
  訪れる人がいる。

  でも
  いざ病気になって
  それも長い間入院生活を強いられると
  病気になったから
  わかったこと
  それも良かったと思えることがある。

  それを
  日々忘れないように
  こうして少しずつだけど
  書き留めているわけだけど

  病気になって感じた
  良かったことのひとつに
  しあわせだのハードルが下がったことがある。

  すなわち
  今までなんとも感じなかったことに対して
  感動することが増えるのです。

  例えば
  朝起きたとき
  昨日全く動かなかった左の指がピクピク動き
  ベットの手すりがつかめたこと
  ・・・・そんなことだけで
  うれしくて涙がでました。

  朝起きて
  毎朝山から日が昇り
  色も形も異なる
  朝焼けの光景に感動して
  写真を撮っては
  家族に送ってました。

  その他にも
  鳥が病室前の手すりに止まっただけでも
  会いに来てくれた気がして
  喜んでました。

  初めて
  病院の外を散歩したときは
  風が僕の歩みを
  応援するかのように
  背中を押してくれてるように
  有り難く思いました。

  食事も
  肉と言えば鳥
  魚と言えば鮭ばかりだったけど
  あるときは煮てたり、揚げたてあったり
  カレー味だったり
  ムニエルだったり
  同じ味ではないことに
  感謝でした。

  これが健康の時だったら
  朝起きても、外を歩いてても
  食事をしているときでも
  仕事のこと
  今やらないといけないことなど
  考えることがいっぱいありすぎて
  今の太陽の姿も
  遊びに来てくれたかもしれない
  鳥にも気づくことなく
  毎日の食事も
  エネルギーとしてからだに放り込むだけの
  食事だったに違いない。

  なんと
  自分の周りにたくさんあったしあわせに
  感謝せずに過ごしたことだろうか?
  と言うことに
  病気をしたことで
  気づかされました。

  これは
  病気をして
  しあわせのハードルが下がったから何ですよね。
  病気をしたおかげで
  しあわせのハードルが下がり
  しあわせをいっぱい感じられるようになりました。
  ですから
  実は病気をしたことにも感謝なんです。

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