月別アーカイブ: 2月 2022

3つのエレメントでできている

今の世の中
コンピューターが進歩し
全てのもの、事柄を
「0」と「1」の2つで
表し、進歩してきた。

しかし
全てのものは
2つの事柄でできているのではなく
実は3つだと思うのです。

今肌に感じるもの
目に見えるもの、聞こえるもの
手でさわれるもの、匂いを感じるもの
それぞれ
感じられるものがあるからわかる
そして
その五感をもっている我々がいるから
それらは存在できる。
しかし、それだけではなく
感じようという意志が働くことによって
初めて
そのものは存在する。

つまり
感じようとする、感じたいという
目に見えないエネルギーの存在が
ないと
この世のもの全て
存在しないと思うのです。

昔から
人々は3つのエレメントを感じてた思うのです。
世界中の神話には
「太陽と月ち地球」を意識し
キリスト教では
「父と子と聖霊」
日本の古事記でも
「三種の神器」「三貴紳」を
尊びました。

現代物理学でも
原子は
「陽子」「中性子」「電子」の3つから
できていることがわかっています。

全てのものも
3つのエレメントからできているのです。

からだも
「肉体」と「こころ」そして
「魂」から成り立っていることを
意識することで
健康に過ごせるのです。

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何のために生まれてきたか?

あなたは何のために
生まれてきたと思いますか?
これはなかなか答えの見つからない
大命題ですよね。

お金を儲けて、欲望を満たして
気楽にふけって楽しく生きるためにうまれてきた?
何も目的もなく
ただなんとなく生きていられる間は
生きていこうと思うのか・・・
これだけでは
鳥や獣と変わりませんよね。
中村天風先生が
インドのカリアッパ聖人の下で
修行していたときに
「人間はこの世に何のために生まれてきたと思う?」と
聞かれたそうです。
先生も即答はされずに
考えに考えて
「人間は宇宙本来の面目である
進化と向上に順応するために生まれてきた」
と答えられたそうです。

宇宙本来の面目?
進化と向上に順応するため?
字を目で追っただけでは
何のことなのかは
わからないですよね。

でも
口に出して、声をだして
「僕は宇宙の進化と向上のために生まれてきたのだ」と
お経のように何度も唱えていると
ふと宇宙と進化に順応するということは
「みんながしあわせになれるように努力すること」
ではないかと思ったんです。

みんなとは
自分の知っている人のことばかりではなく
人間も動物も植物も、
全ての生けとし生きるものなんだと。

みんながしあわせになれるように
生きていけば
あなたの周りのしあわせがどんどん広がり
僕もあなたも、みんな
こころもからだも健康に
しあわせになれるのだということではないでしょうか?

偶然ですが
10年前に当院を開院したときに
ここからしあわせが広がることを願い
そのために僕は働こうと
当院を開院しました。

今日から11年目スタートです。
医療を通して
みなさんがしあわせになれるために
進んでいきます

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所有するとは支配したいから?

ものにあふれ
物欲にまみれ
ものを所有することに
こだわる我々。

お金だって
一度手にすると
手放すことができなくなって
もっと、もっとという気持ち
ばかりが大きくなる。

お金もそうだけど
もっているもの全てに
名前をかくことはできず
所有を証明する明確な方法はないので
人々は
一秒も休まず
「これは私のものだ」
「これはぼくのものだ」
「これは我々のものだ」と
叫び続けなければならない。

そして
ものをもてばもつほど
物質ではなく不安が増えていることに
気づかなくてはいけない。

ものをもったと思った瞬間に
実際は
ものにこころが支配され
もっと欲しいと思った瞬間から
人間は壊れはじめる
ものにこだわることで
不安なこころが増大し
人間が壊れはじめることがある。

ものをもとうとするより
手放した方が
楽なのかもしれない。


緊急事態宣言を
だそうかどうかの瀬戸際だとか?
緊急事態宣言で何を守るのだろうか?
こんな時代だから
どう生きていけばいいのかを
我々に伝えてくれている気がする。

そんなことを
コロナウイルスが伝えたいのかもしれません。

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食事は宗教ではない!?

食事とは宗教だ
同じような種類のたべものを
腸に入れたものが
同じような行動をとり
同じような発言をし
同じようなことで悩むように
なるのだから・・・・という
言葉が目にとまり
確かにその様な面があると思った。

連日
健康のためには
これを食べたらいい
これが不足してるから
この食材、
すぐ採れなければサプリを・・・などという
情報が耳に、目に飛び込んでいる。
食べ物が気になるのは
この体は
空気と、水とそして食べ物でできているから
気になるのは
当たり前なのだが・・・

情報にも
はやり廃りがあるのか
いつのまにかあれだけ重要だと言われた食材が
別の食材に変わってしまうこともあり
次の食材に飛びついてしまう。

食の重要性は
わかってるから、健康のために
少しでもからだにいいものを撮りたいと思う。

食事とは宗教だと言葉でハッとした。
確かに
これを信じないと健康になれないよと
耳元で囁かれると
そうしないといけない気がしてくる。

実際
同じ食材を撮ってると
つまり食事信者のような行動を撮ってしまう。
例えば
ファーストフードおを食べている若者は
みな同じようなファッションをし
同じように切れて
同じ時間に集まり
同じライフスタイルをとってしまっている。

ベジタリアンもそう
野菜だけ食べているからなのか
同じような思考となり
同じような理想をもとめ
なぜか同じ主義主張を求め
同じようなファッション、
ライフスタイルのなるから不思議です。

そう考えると
食事が主義、主張を超えてしまって
どこか宗教のようになってしまいそうな
危険性をはらんでるような気がするのです。

どのような食事をとるかは
健康のことを考えると大事だけど

何を食べるかを選択する前に
口にはいるもの

美味しく満足させてくれている食べ物に対して
何を食べる、食べないでなく
何でも目の前のものに対して
有り難く
感謝の気持ちをもっていただく
ライフスタイルが大事なのではないかと
思うのです。

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清く、明るく、美しく

コロナ感染の先が見通せず
世の中は受験シーズン到来と
春を前に
どこか不安を多く感じ
社会的にも
医師が襲われたり
未成年が暴行されたりと
悲惨なニュースが連日伝えられます。

殺伐した世の中の流れを感じますが
こんな時だからこそ
今生きている世界の本質を忘れては
いけないと思うのです。

「この世の中は、
苦しいものでも悩むべきものでもない。
この世界は
本格的に楽しい、うれしい
そして調和した美しい
花園のような世界である」よいうこと。

でも
実際に感じるのは
花園とはほど遠い
ゆがんだ、曲がった世界ではないでしょうか?
ゆがんだ世界にしているのは
ものにあふれ
情報にあふれ
惑わすものに囲まれた
現代社会のなれのはてなのでしょう。
この曲がった世界にいるので
からだが病み、こころが病む人が増えたのでしょう。

そのためには
あなたのこころを惑わすものを感じたら
「さらり」とかわし
するりするりと後へ残さないようにして
生きていくのです。

そして
ひとつ覚えていて欲しいのは
あなたのこころは
「清く明るく美しい」ものだということです

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こころは元々美しい

毎日赤ちゃんやこどもたちに
接していると
こころが洗われている気持ちがします。

どんなにいたずらな子がいたり
大泣きされても
一緒にいるだけでこころ洗われます。
特に乳児健診で来られた
赤ちゃんに接するだけで
嫌なこと不安なことも忘れて
こころ澄んでくるから不思議です。

人間のこころは
元々「清く、明るく、美しい」からなのだと
気づかさしてくれるのです。

でもおとなになると
美しいばかりでなくなるのは
コレステロールが血管に付着して
動脈硬化を引き起こすように
人のこころにも様々な汚れが付着して
少しずつたまり
こころが汚れていってるのに気づかないのでしょう
こころの汚れがたまると
交感神経の異常や
うつ病のような精神疾患を引き起こす原因になります。
知らず知らずにたまっている
こころの汚れのせいなのです。

こころの汚れは
怒りや不安、悲しみだといわれています。
これらの感情を受けないために
「毎日怒らず、怖れず、悲しまなず」過ごすことが
大事なのです。

そして
人間本来の姿を取り戻す
つまり、元々もっていた
「清らかなこころを取り戻す」こと
なのです。

清らかなこころは
天のこころでもあります。
すなわち
天の命ずるままに
毎日の生活を過ごせれば
こころが汚れることはありません。

またこころが清らかにあるための方法は
自分の前に現れた事柄を
一切合切、無条件で全てのことに対して
感謝することです。

今日も感謝の気持ちをもって
過ごしていきましょう。

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人間は本来健康であるべきです

痛みや病気になるということは
必ず健康を害した理由があります。
その多くは
本人のライフスタイルの中にあるのだと
いうことを
このブログでも
何度も書いています。

ここでいう
ライフスタイルというのは
肉体的な点だけでなく
こころのあり方も反省して
心身ともに変えていくことに
気づかせてくれることなのです。

そして、ここで忘れてはいけないのは
僕たちは、本来健康であることが
自然のあり方なのです。
つまり、痛みや病気自体が不自然なことなのです。
自然の中で、自然の流れに逆らわずに
自然に生きていれば
人間は健康であるべきものです。
もともと人間は
「しあわせ存在」であることを
忘れてはいけないのです。

ですから
からだにトラブルが起きたときは
何か不自然な生き方をしている
可能性があるということです。
不自然な流れに気づき
自然な流れに戻れば
自ずと病は治るのです。

ですが
多くの人は、医師もそうかもしれません。
検査やデータばかりに原因を探し
病気になった真の原因を無視し
薬やサプリメントなどの対症療法に頼って
では病気は治らない。

本来人は健康なのです。
真の原因を見つけ、それを改善し
本来の姿を取り戻すことが
本当の治療なのです。

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病気とこころのゴミ

毎日患者さんと向き合ってると
みなさん
「早く病気を治したい」
「健康になりたい」と
思われているのですが
時々
病院に来たら安心できるので
来られてるのでは?と
思う方もいらっしゃいます。

症状があるとき
どんなに検査をしても
悪いところが見つからないのです。
想像力を働かせ
患者さんの気持ちになって考え
患者さんが元気になるようにと
薬をだしたり治療するので
患者さんは安心して帰られるのですが
時間が経つと
また同じ症状で来院され
どうにかしてくり返さないように
患者さんと向き合っています。

そんな時
こんな風に感じることがあります。
この患者さんは
病気であることで
バランスをとろうとしているのでは
ないでだろうか。

人間のからだは
肉体だけでできているわけではなく
こころも大きく関与しています。
肉体はこころの結晶体です。
こころの影響が
肉体にも、いわゆる症状として現れるのです。

つまり
こころの中の
マイナスエネルギー
不安、悲しみ、怒り、恨み、不平不満などの
こころの塵がこころのなかに溜まり
その感情を
からだはわかってもらいたいので
症状としてあらわれ
そのこころの苦しさを
わかってもらおう、治そうとして
病院を受診されるのでしょう。

わかってもらえるまで
こころの塵がなくなるまで
同じことをくり返すのでしょう。

ですから
我々医師は
症状だけを診るのではなく
その奥の真の苦しみに手を差し伸べるために
日々努力しなければいけないのです。

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運命を変える方法

中国に伝わる徳積みついての
話をきいた。

その話とは
明の時代に最高の出世コースである科挙の試験に
何度も挑戦していた青年に
親は
「もう諦めて
父と同じ医者になりなさい」と諭され
思い悩んでいたとき
将来を見透せる力のある易者と出会い
「そなたは官僚になる人間だから
必ず合格する。
そしてその後の働き方、生活
最後は中央に戻って高い地位に就くが
53歳で一生を終える。
こどもには恵まれない」と断言された。

その後青年は科挙の試験に無事合格し
易者の予言通りの
「人生は既に運命によって決まっているんだ」と
変に納得し
人生をある意味安心して歩んでいた。

そんなある日
今度は高名な禅僧に出会い
自分の運命・人生は決まっている」と
話をすると
禅僧は笑いながら
「確かにその通り。
しかしその通りに生きるのは凡人だけだ。
世の成功者と極悪人は
それぞれの善の力、悪の力に引っ張られて
定められた運命とは違う人生を生きられるのだ。
そして
運命を変え、人生の成功者になるための方法がある。
それが
「徳積」であるという。
例えば
「死にいこうとする人を助けた」
「災害に遭った人を救護した」
「病人の介護をした」
「道に落ちていたゴミを拾った」
「人のために寄付・募金をした」
などであるが
ここでひとつ面白いのは
善行はポイント制だというのだ
規模が大きいほど高ポイントになるというのです。
ただ
「暴力をふるう」
「盗む」「悪口を言う」など
悪い行いをするとポイントが減るというのだ。

この青年は
この禅僧にあった後
3000ポイントをため
こどもに恵まれ、74歳まで生きたとか。

徳積みのポイントを
実際に確認することはできないが
世の中をよくするため
目の前の人を喜ばそうと
そんな純粋な気持ちで徳積みを行えば
ご自身も
そしてその徳は子孫にも恩恵が続くのでしょう。

運命を変える方法は
徳積みなんですね。

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病気は悪なのか?

これまで医学では
病気は悪、死は敗北である。
人の人生は
死と共に終わりその後は
無に帰する
という考えを根本ににして
発展してきた。

現代の死生観のみならず
疾病観、身体観が
人々の生活のみならず
生き方にも影響している。

その考え方が
これまでの文明の発展の
根本であった。

死で全てのものが無になる。
というのは真実である。

無というのは
どういうことだろう?
無の捉え方次第で
人生の歩み方が変わってくると思う。

無というのは
なくなってしまうと
考えると無くしてはいけないと
思ってしまうが
無とはなくなるのではなく
全てだと考えられないだろうか?
無はゼロ、ゼロは全体、源とも
考えられる。

そして終わりとは
新しいはじまり、出発だと考えると
死は
新しい生への通過地点、乗換駅であると
考えられないだろうか?

それを踏まえて
医師としての使命を
改めて考え治してみると
病気をただ治すだけが
目的ではない。
患者さん自身の体の声、心の声をきいて
自分自身の本当に歩みたい人生を
歩めるようにしてあげることが
真実の医師の使命だと思う。

病気などの
人生に起きた苦難や試練を
悪として捉えるわけではなく
ギフトに変えること。
そこに気づき
心身の健全度をあげ
次のステージに迎えられるように
目の前の方をサポートすること。

人間は
自分ひとりでは生きていない
自然とのつながり
自分以外の人々のつながり
そして
何よりも自分自身の魂とのつながりに
気づいていけるように
サポートすることが
医師の、僕の役割だと思うのです。

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