月別アーカイブ: 3月 2022

偉大な力の存在

最近の報道されるニュースは
コロナ感染、ウクライナ状況
電力不足、値上がりラッシュ、
人々の誹謗中傷の声・・・
世の中の乱れが日に日に強くなり
誰もが不安な気持ちが
ましてきます。

でも
そんな世の中でも
冬には水仙が咲き
その後梅が咲き終わり
河津桜、菜の花そして桜が咲き始め
どんなに人々のこころが乱れていても
春は訪れるし
夜は明け朝仁なり、また日が沈み夜を迎えます。

そして
これは自然現象だけの現象だけでなく
人のからだも
どんな状況でも
呼吸し、心臓は拍動し、
ものを食べれば寝てても消化し
僕たちが寝ても起きてても
からだは働いています。

自分が生きているのは
自分の力だけではないと思わざる終えないのです。

人間も含め
あらゆる物質の秩序は
規則正しく整然とした形式の中にあり
少しの狂いもなく
自然の法則通り
働いているのです。

この自然の法則は
太陽も月も、もちろん地球を含めた
全ての天体に及んでる力がある。

これは
ただの偶然だと考えていいだろうか?
いや、考えても考えても
偶然ではない
何か偉大な力が働いている
気がしてならない。

その偉大な力=神?
思ってしまう。
だから
僕は神は存在している
と信じてしまうのかもしれない

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明るい心

毎日こども達と接していると、
小さいこども達は
天真爛漫な心、無邪気な心を持っていて、
どんな時も素直な気持ちで過ごしているなぁ
こどもは天性の明るさに溢れている
存在だと思います。

実はこの明るさは
こどもだけの特権ではなく
誰もが持っている
天から授かったもののはずなのに、
おとなになると、
生きていくうちに悩みが増えると
元々持っていた
明るいこころを忘れてしまい
こころが暗くなってしまう気がします。

仕事がうまくいかない時、
心身共に疲れた時こそ、
元々持っていた天性の明るいこころを
取り戻したいものです。

こどもの頃もっていた
天真爛漫な心を呼び起こす時には
こども達と積極的に関わって
童心に戻って見てください。
もしお子さんが身近にいなかったら、
自分の幼い時の写真を見て
そのこどもの時の笑顔に触れることで
自分の心の中にある明るさを
蘇らせられることができます。

天性の明るさを心の真ん中に置く生き方は、
日本人の生き方そのもの。

太陽のような明るい考え方、
明るい表情、明るい雰囲気、明るい言葉は、
すべての人のしあわせな人生に
つながっていると思います。

どんな時も、
心の真ん中に明るい心を
持って過ごしましょう。

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人が善行に励むわけ

ウクライナとロシアの戦争のさなか
戦争反対の声をあげる人は
日に日に増え
それに応じて
その声を上げる行動の表れとして
様々な寄付機関もあり
少しでも平和な世の中になるように
なればと思ってる人が増えています。

世の中が乱れたときに
困った人がいれば
その人を助けてあげたいと思うのが
人情ですが
その時、行動に出るきっかけが何かを
神経学者の池谷祐二氏が
「人は他人の目が合った方が
善行に励む」と
仰っています。

慈善のスタンスは国によって大きく異なるけど
2018年のCFAの世界寄付指数レポートによると
慈善活動をに寄付した国民の割合
第1位が見ヤンマー、2位がインドネシア
いかがオーストラリア、ニュージーランドと続き
日本はランク外
アメリカも最近は寄付離れがすすみ
12位という結果がでたそうです。

その寄付離れの理由は
「他人のための行動は
利己的な行動よりも清らかなことだ」
と寄付を美徳として
崇めすぎた結果だと
池谷氏は分析しています。

つまり
人は他人の目が合った方が
善行に励みます。
名前を公表する方が
寄付も集まりやすいそうです。

そういえば
日本も海外の援助するときも
ニュースになることがほとんどです。

寄付をした行為を
知ってもらえた方が
寄付の励みになるのは
わかる気がしませんか?

そういえば
天皇陛下が
東日本大震災の被災者や
コロナの医療従事者に対して
ご自身の資産から1億円寄付された
ことを思い出しました。

みなさんは
天皇陛下のこの寄付のことご存じでしたか?
僕は知りませんでした。
それを知ったときに
天皇陛下は
やっぱり徳を積まれている方なんだと
思いました。

僕も天皇陛下を見習って
僕も他人の目を意識せずとも
善行を積める人間になれるように
日々精進したいと思います。

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なぜ働くのか?

人は働いて
その対価としてお金をもらい、稼ぎ
食べ物を買ったり、洋服を買ったり
生活の糧を得て
生きていくことができます。

でも、それだけのために
お金を稼ぎ、物を得ているのなら
争いや競争
まして国同士の戦争なんて起こらないはず。
実際は
今世界中のあちこちで
権力闘争が行われている。

生きるためのはずが
いつのまにか生に対して
満足するだけでなく
自分の欲を満たすために
争いはじめている。

人間は賢いはずなのに
とても愚かな動物だと思ってしまう。

これは遠いところの話ではなく
ニュースにならないだけで
些細な問題かもしれないが
身近でも起こっている。

人は
いったいなんのために稼いでるのか?
生きていくためだけ?
なんのために
自分の欲を満たそうとしているのか?

そう思ったときに
ロシアの文豪トルストイの代表的作品である
「戦争と平和」で

人間のあらゆる願望、
生への意欲は
自由拡大の願望に尽きるからである。
富と貧困、名声と無名、権力と隷従、
力と弱さ、健康と病気、強要と無知、
労働と余暇、飽食と飢餓、善と悪は
自由の程度の程度の大小にほかならない

と書かれていたのです。

思わずトルストイに心を見抜かれた気がしました。
富を得たいのも
名声も権力もそして健康でありたいのも
自由でいたいから。

もっと自由でありたいから
人は稼ごうとするのだ。

稼ぐ意味はわかったけど
自由とはなに?
僕は肉体的自由と
心からの自由があると思っています。
お金で本当の自由が得られるのか・・・・

自由については
また別の機会に書きたいと思います。

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天国が宮殿だとしたら

誰も死んだ後のことはわからない。
でも
僕は死んだ後の世界は
きっと自分の望んだことが
全て叶うような世界ではないかと
勝手に思ってるけど・・・

そんな自分の望んだ世界にいるのだとしたら
どうして
またこの世に生まれてこようと
思うのだろうか?

そんな時
ロシアの文豪ドストエフスキーの
「死の家の記録」に
以下のような分があることを知った。

ひとつ宮殿を建ててみるがいい。
大理石や絵や金細工で飾り立てて、
極楽鳥を放ち、色とりどりの庭を作り
ありとあらゆる趣向を凝らす・・・
そしてそこにはいってみるのだ。
きっと
もはやどこにも行きたくなくなることだろう。
諸君は本当にそこからでないかもしれない。
何でもそろっているかららだ!

「幸せ者は高望みをしない」と言うではないか。
急にちょっとした変化が生じる。
諸君の宮殿のまわりが塀で囲まれて
諸君はこう告げられるのだ。
「何もかもおまえのものだ!
存分に楽しむがいい!ただし
ここから一歩もでてはいけない」
すると、請け合ってもいい、その途端に
諸君は自分の極楽を捨てて
塀を乗り越えて外に出たくなるのだ。
そう、そこに足りないものはただひとつ
自由だ!
自由で気ままな暮らしなのだ

とドストエフスキーは書いている。

きっと帝政ロシアの
静粛された時代の中で生きてきて
自由に生きることが
どんなに大切かを感じたのだろう。

多少生きづらくてもいい
自由にその時の自分が感じるままに
生きたい。
そんな自由に生きることを
人間は求めて生きているのだろう。

だから
天国にいたとしても
人はまた生まれ変わってこの世に生きたくなる。
だとしたら
今、どんな状況であっても
この世で生きることが僕たちの望んだこと
だから今という時間を
大切に生きないといけないんですね。

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春の息吹

毎朝、日の出前に
散歩をしています。

ここ数日
外に出た途端
温かいなぁと感じ
四季が移り変わっていることを
肌で感じて
からだ全体の細胞が目覚めて行くのを
からだいっぱい感じるようになりました。

ある日
真っ暗な中
温かくなったなぁと思っていると
どこからか
いい香りが・・・
花の香り、梅ん香りでしょうか?
あたりは真っ暗なので
どこにどんな花が咲いてるのかは
全くわかりません。

でも
どこかで花が咲いてて
花の生命の息吹を発していると感じるのです。

ああ、いい匂いだ。
その匂いを嗅ぎ、感じる度に
からだの底から
エネルギーの息吹が
湧き上がってくるのを感じました。

その息吹を感じながら
僕は
目に見えない力が
僕だけでなく、植物からも
エネルギーを発して受け止めて
生きていることを感じたのです。

日の出前には
地球上は目覚めのエネルギーにあふれるのです。
だから元気に過ごせるのです。

その日
花の匂いを感じながら
生命のエネルギーに感謝していると
空が白みかけました。
あ、夜が明けると思った瞬間
・・・・
花の匂いは消えていました。

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思いやりのこころ

人は日々戦っています。
武器を持たなくても
生存競争、受験戦争に
日々の生活の中で闘い続けています。

生きるためには
必要な戦いもあるけど
ただいのちのためにではなく
自分の欲を満たすために
自分以外の人を傷つけてしまう
戦争も起こしてしまうことも
あります。

人間はいつから
戦うことを覚えてしまったのでしょう。
人間は元々は
戦うことは望んでいなかったと思うのです。

なぜなら
生まれた時は
喜びいっぱいの気持ちに溢れて
この世にいたはず。

そして
こどもの時は誰でも、
困っている人を“助けたい”と、
優しい気持ちを
いっぱいもっていたずです。
それなのに
おとなになるにつれて
優しい気持ちが薄れてしまうのでしょうか?

でも
こども達と接すると、
どんなに戦闘モードに入ってた人でも
こどもの時に感じていた
優しい気持ちを思い出す場面があることでしょう。

でも
日々こどもと接すして働いていても
いつもこどもと同じ無垢な感覚を
持ち続けることはできないのが悲しいところです。

しかし
こころが洗われた瞬間があると
今までの生きる世界が変化を感じます。

看護師、保健師、学校の先生などのように
こどもと関わる方々だけでなく
子育て中のお父さんお母さん
子育て中でなくても
バスの中、町中で
無邪気な子供の姿に触れた時
こどもの時感じたことを思い出し
こどもの気持ちをもっとわかってあげられると思います。

子育ては大変だと思われている方
ご家族の介護でお疲れの方
ご家族のことが手いっぱいで
仕事、家事、全てのことを
完璧にできない時もあると思います。

僕も仕事で疲れ切った夜は、
いつも優しい父親でいることはできません。
でも、
こどもの顔を見ると、どんな時でも不思議
と「明日もまた、頑張ろう」と活力をもらいます。
家族は思いやりのこころという
絆でつながっていると思うのです。

だから、
こどもと過ごした時には
ご家族と過ごした時間は貴重な時間です。
生きていることに感謝し、
いつもこどもの頃持っていた
“思いやりの心”を思い出して
過ごすことができれば
きっと、戦争なんて起こらない世の中になると
思うのです。

こころが荒れたと思った時に
そっと目を閉じ
ご両親の温かさや
こどもの時の気持ちを思い出してみませんか?

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試練を乗り越えるために

春は旅立ちの季節
その旅立ちにむかっての
報告が耳に入ってきます。

希望の通り出発できる人だけでなく
進路変更を余儀なくされた人
次のステップのために
力をつけることを決意したり
悲喜こもごもあります。

今の状況で人生が決まるわけではないので
今示された道を
しっかり歩いてもらいたいなぁと思います。

そして
今がどんな状況であっても
これまで順調であっても
長い人生の中で試練は訪れるでしょう。
また
今試練の時が訪れていると思ってる人も
いるでしょう。

試練は
いつか誰にでも訪れます。
試練が訪れるのは
決してあなたを挫折させるためではないのです。

僕も
病気という挫折を
人生の中で何度か経験することが
ありました。
その時に試練を乗り越えたときに感じた思いは
全てに対する感謝の気持ちが
心の底からあふれてきました。

試練の時には
神なんっていない・・・なんて
全てのもの
神様にさえも当たってしまいます。
試練をもたらしたのは
もちろん神様ではありません。
実はあなた自身が
自分の成長するために
試練を与えているのです。

試練の時は
あなた自身が選んだ必要な時期なのです。
だから卑屈になり
自暴自棄になってはいけません。
自分自身で選んだ必要な試練なので
そこには必ず救いがあるのです。
ですから、試練の時こそ
冷静になって周りを見渡してみましょう。

そこに
あなたが歩むべき
銀色の道を感じませんか?
今、あなたがしないといけないこと
やらないといけないこことを
感じるはずです。
順調な時には感じなかった、意識しなかった
あなただけの光り輝く道が
目の前にあることに気がつくでしょう。

それが試練が
あなた自身が用意した
あなた自身が成長するために
必要なことなのです。

ですから
今が試練のときでも
喜んで試練の時を受け止めて
自信を持って進んでいきましょう。

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聞く力

昨日のブログで
田村淳氏が即時力の話をされた
ということを書きましたが
その講演会の最後に
即時力と共に
ずっと聞く力がとても大事だと
思っていたので
今その聞く力について
まとめているところですといっていた。

聞く力の大事さは
仕事をしているときに
僕も感じていたことで
聞くことは難しく
まだまだ磨きをかけなければと思うところ。

医者は毎日
患者さんの苦しみを
受けいなければならない。
そして
その苦しみの原因と治療法を見つけ
患者さんが安心して
過ごせる道を歩いてもらうことが
目的なのです。

そのためにも
患者さんの訴えに
まずは耳を傾けないといけないと思うけど
ついつい
途中で自分の意見を言ってしまったり
アドバイスをしてしまったり
自分の思いを途中で口走ってしまい
患者さんの思いのたけを
中断させてしまい
自分の未熟さを感じ、反省する毎日なのです。

淳さんにしても、さんまさん、タモリさんにしても
一流のお笑い芸人って
特に受けるようなネタをもっているわけでなくても
相手のいいところ、おもしろいところを
引き出して
輝かせることで
自分も輝いていっている。

そう
聞く力があるから
話が盛り上がっているのだ。
その秘訣を是非聞いてみたいと思う。

田村淳氏は
話し終わると
ここまで話すつもりはなかったのに
といわれることも多いとか。
この力だ
そのためにも忍耐も必用だと。
そうだ
一生懸命に相手の言葉を
大切に受け取ることから
はじめないといけないのだ。

そのためにも
診療時間は今までよりかかり
診療待ちの患者さんには
更にお待たせすることになるかもしれません。

マザー・テレサも次のように言われています。
たとえ私の口が閉じていても
わたしは目で30分の間
あなたに語りかけることでしょう。
あなたの目をみるだけで
あなたの心が平安かどうか、見分けることができます。
わたしたちは喜び輝いてる人々を見ます。
そしてその目の中に
純粋さをみることができるでしょう。
もし、わたしの心に静けさが欲しいのなら
眼差しに静けさを保つことです。
あなたの両方の目で
もっとよく祈れるようになりましょう。

実際の診療で
あなたの診察時間は、
あなたのこころを開く時間となり
診察室室からでた時には
世界が輝いてもらえるように
僕も100%の力で
あなたの内なる声にも
耳を傾ける時間になればと思います。

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即時力

ロンドンブーツ1号2号の田村淳氏の
講演会”即動力”に行ってきました。

田村淳氏は
相棒の不祥事に対して
相方のために相方のことを思ってとった
対応を報道で観て
また
最近の政治家をめざしてる?
と思いたくなるような
ただの芸人の枠にはまらない
世の中に訴えかける活動を注目していたので
是非生の声を聞きたくて参加した。

最初に言われたのは
自分は他人軸ではなく
常に自分軸で考え動いていると。
そう、自分の気持ちに従って
こころに頭に浮かんだことに対して
体裁、他人の目など気にせずに
怖れずに動くこと
それが”即動力”だと。

動いて失敗してもいい
動いて悩めばいい。
今悩んでるのなら
動いてみればいい。

自分のこころに浮かんだもの
それは
潜在意識かもしれない。
そして、もしかして
神様からのメッセージかもしれません。

そのメッセージは
予期せずに、突然訪れます。
気づかないと
気づかないままで
一度聞き逃すと
次はいつ自分の耳に届くかどうかは
わかりません。

そのメッセージを
聞き逃さないためにも
”即動力”を身につけておくことが
大事なのです。

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