月別アーカイブ: 4月 2021

運命を導いてくれたある団体との出会い

勤務医から
  家族以外に知り合いのいない
  防府で開業しました。

  開業医とは
  病気に困った患者さんが
  来てくれるのをじっと待ち
  勤務医の時とは違って
  周りの医者と
  協力して治療するという
  ことはほとんどなく
  自分ひとりの力で
  患者さんのこと
  そして
  病院の経営のことも
  自身の生活においても
  自分で決めないといけません。

  まさに
  自分あるのみ
  自分の責任でなんでもできるとは裏腹に
  責任も自分ひとりで全部うけなければならない。

  経営者は孤独だという言葉は
  誰がいったでしょうか?

  僕も
  その責任を自分で背負うつもりで
  開業医の世界に飛び込んだので
  後悔などはありませんでしたが
  しかし
  自分ひとりだけの生活が
  息苦しさを感じてきたのは
  開業して5.6年経った頃でしょうか?

  少々人恋しくなり
  互いに胸をわって
  話し合える仲間が欲しいと思ってたときに
  新聞に載っていた。
 「経営者の会が開催されます。
  参加希望の方は
  、名刺をもってご参加下さい」という
  ご案内の記事。

  これに参加してみようと
  名刺を持って参加しました。
  誰ひとり知らない世界のドアをノックしました。
  でも
  その時から
  僕の今の生活が開かれる瞬間でもありました。
  
  その時の講演会は
  今まで本の中でしか知らなかった話が
  目の前の講話者の先生が語られ
  目からうろこの時間でした。
  その時の講話者の先生には
  その後もそして今も
  僕の社会的歩みをサポートして下さっています。

  運命的な出会いでもあり
  その後
  そこから僕の人脈も広がり
  多くの人の力のおかげで
  今、ここに存在できていることと思います。

  現在は
  その時に学んだ意味がもっと深く感じられ
  単なる人脈が広がっただけでなく
  今進めている真実の医療につながっただけでなく
  人としての魂の生き方にも通じることを知る
  大きな大きな出会い、一歩になったのでした。

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誕生日を迎えて

先日5●回目の誕生日を迎えました。
  誕生日を迎えたからと行って
  急に成長するわけではないし
  おめでとうといってもらうことがあっても
  昨日までと
  変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
  正直な実感です。

  そんな時
  伊勢物語の主人公でもあられる
  在原業平の和歌を知った。
  
  「日やあらぬ
   春や昔の春ならぬ
   我が身ひとつは
   もとの身にして」という歌です。

   この歌の解釈を
   作家高樹のぶ子さんが
   こんな風に解釈されています。

   「この月は
   いつぞやの月とは違うのか。
   いや、そんなはずはない。
   今年の春は
   去年の春と違うのか。
   いや、そんなはずもない。
   我が身として、昔のわたしと変わらない。
   それなのに
   なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
   そうか、
   わたしの心が変わったのだ」と
   の書いています。

   そしてあこがれの人を思い
  「あのお方がいた頃のしあわせだった
   わたしが見た月や感じた春は
   あのかたを失った
   今おわたしが見る月や感じる春とは
   確かに違う。
   それほど、わたしは
   あの方を思い続けている」と
  
   熱く、熱く
   純粋に人を愛する気持ちを
   詠った和歌だったんですね。

   自然も時間も
   いつも雄大な流れの中に
   身を置いて僕たちは生きている。
   変わっていくのは
   自分の身、思いだけである。
   だから
   昨日の自分の気持ちと違う
   自分として生まれ変わった気持ちで
   自分の使命、生まれてきた目的に向かって
   これからも明日も、明後日も
   しっかり歩いて行こうと思います。

   僕がどんな時にも
   太陽も、風も、花も虫も
   変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
   応援してくれている。

   ほんとうに  
   有り難いことです。
   今、この時代、この時に
   生きていられることに
   本当に感謝です。

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空海さんの伝える三密とは

大阪、東京も緊急事態宣言が
   発出され
   感染の流れは広がりそうです。
   ですから
   ひとりひとりの感染対策するよう
   求められています。

   そんな時
   人々が口にする言葉
  「三密」という言葉を耳にします。
   この三密と言う言葉
   最近できたように思いますが
   実は
   あの空海さんも仰っていたのです。

   同じ「三密」という言葉ですが
   内容は異なります。
   現在の感染を避ける意味での「三密」とは
   換気の悪い”密”閉空間をさけ
   大人数が集まる”密”集を避け
   間近で会話などの発声する”密”接を避ける
   意味の”三密”ですが

   空海さんのおっしゃった三密とは
   ”身密・口密・意密の三密。
   ①身密:手に仏の象徴である印を結ぶこと
   ②口密:口に仏の言葉である真言を唱える
   ③意密:心を仏の境地に置くこと
   つまり
   現代の”三密”とは意味合いがことなり
   仏様すなわち神様と
   密接になる方法だということがいえます。

   すなわち
   この”三密”を実行することで
   空海(お大事様)さんまたは仏様と
   いつも共に歩むことができる。
   四国にいなくても
   どこにいてもできる
   お遍路の方法ともいえるのではないでしょうか

   そして
   この三密ができることを監視されています。
   監視しているのは
   現代の自粛警察という冷たい視線ではなく
   お天道様という温かい視線なんでしょうね。

   昔の人はよくいってました
   誰がみていなくても
   ”お天道様がみてるよ”って。

   現代の感染対策である”三密”とともに
   こころを一つにする空海さんから教えていただいた
   ”三密”も大切に今日も過ごしましょう

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健康に生きるとは

  健康と一口に言っても
  人それぞれの考えかたもあるし
  人それぞれ
  様々な考え方があるでしょう。

  世界の健康問題について考えている組織
  WHOによると
  健康とは・・・
 「身体的、精神的、社会的に良好な状態であり
  単に病気がないとか、虚弱ではない
  ということではない」と
  しています。

  つまり
  からだに問題がない
  健診などの検査で異常がない
  ことだけが健康ではないということ。
  つまり、肉体だけでなく
  精神的、社会的の3つの点で
  充分バランスがとれているということになります。

  これが
  全世界でめざしてる健康の定義ですが。
  1998年、WHOが健康定義を作る時
  「肉体、精神的、社会的」という言葉に加えて
  「スピリチュアル」という言葉を入れようとしました。
  しかし、スピリチュアルの
  メンタルという意味合いもあり
  神、霊という意味も含まれ
  世界中の国々、社会で様々な考えがあり
  統一した見解がないので
  生きがいという意味にもとられますが
  現在までは 
  この言葉は保留状態のままになっています。

  僕は
  この言葉は是非とも入れて欲しいとも思います。
  と言うのも
  人のからだは
  肉体だけでできているわけではなく
  肉体、心、魂の3つをもったからだが
  社会全体とも調和をとれた状態が
  健康な状態と
  僕は考えます。

  魂をスピリチュアルと
  考えていいと思います。

  この考えは
  僕が考えたわけではなく
  日本人は昔から魂の存在を
  知っていたのです。
  そのことは
  日頃使っている日本語を読み解けば
  わかるのです。

  日本語というのは
  他の外国語とは違って
  言葉は音を表すだけでなく
  一つ一つの音に
  意味があるのです。

  たとえば、「ひと」について
 「ひ」は
  いのちや本源という意味という意味
  このいのちの源、すなわち尊きいのち(魂)が
  とどまっている。
  そして
 「ひ」の本の国に生まれた
  日本人は
  いのちの源「ひ」をとどめ、輝かせながら
 「霊統(ひと)として霊性進化し、
  この世のモデルとして生きる役割」を
  になっている存在が我々「ひと」なんです。

  つまり
  人とは
  「霊(ひ)がとどまる」存在です。
  霊とは魂と考えていいでしょう
  魂が肉体、精神とバランスを保ちながら
  他のひと(魂)と学び合う存在であることに
  人間の生きる意味があるのだと思います。

  これから
  肉体、精神的、社会的そして霊的にも
  健康であることを目指すのが
  これからの真の医療だと
  僕は考えます。

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リハビリをする意味②

  リハビリに対しての
  思い、気づきは様々ありましたが
  でも
  リハビリの目的は
  病気になる前の
  からだの状態に戻すことです。

  今まで
  何も考えずに
  手、足を使って
  自分の思いのまま生活していました。
  今は
  病気前のように
  何も考えない状況で
  自由に動かす、動くことはありません。
  どうやった動かすか
  これまでの経験を軸に
  使い方を覚えていく
  それがリハビリなんです。

  これまでの経験をもとにって
  すなわち
  頭で考えてからだを動いてもらう。
  歩くために
  どの筋肉をどのように動かすか
  からだの姿勢はどうか
  傾いていないか、背筋の状態は
  重心はどうなってるかなど
  瞬時に判断して、
  歩くという行為につながるのです。

  だから
  意識が不十分で
  ただ、歩こうとあせってしまうと
  足が動かずに、絡まってこけそうになります。
  これまで反射神経も手伝って
  無意識にできていたことが 
  歩くという
  これまでできてた、単純だと思ってたことが
  この筋肉を
  次々に順番に動かすこと
  それも左右の筋肉を協調して動かすことで
  平衡感覚を使い
  重力に抵抗して
  歩いてたことを知りました。

  今まで
  淡々動かしていたけど
  様々な神経が、筋肉が
  細かく動いていたことを知りました。

  からだの
  そんな細かい動き、働きを知り
  実感することが
  機能を回復する以上のことがある
  からだはもとの通りにならなくても
  からだ全体で
  僕が生きていけるようにしてくれている
  強くて優しい心があることを知るのが
  僕にとってのリハビリの目的だったんだと
  僕が知ることになったです。

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魂の存在理由、目的とは

魂とはなんでしょう
  魂は何のためにあるのでしょう。

  この命題って
  生きている間に
  これだという答えを見つけることは
  できないかもしれない。
  なぜなら
  この世での生が終わったときに
  魂の謎が明かされる気がするのです。

  でも
  今、魂と共に生きていると
  考えていると
  魂について
  気づくことがありました。

  それは
  魂は自分自身である存在のことで
  魂は自分自身であるともに
  宇宙全体の一部分でる気がするのです。

  僕は音楽が好きですが
  好きな音楽に例えると
  魂は、ひとりひとりに
  生まれたときに与えられた楽器の
  気がするのです。

  つまり
  生まれる前に
  みんな自分に合ったまたは演奏したい
  楽器を持たされて生まれてきます。

  ある人はピアノ
  ある人はヴァイオリン、チェロだったり
  また
  美しい声だったり・・・・
  思い思いの好きな楽器を携えて生まれてくるのです。

  生まれてから
  楽器を使う、ならすことが楽しくて
  必死でならそうとします。
  最初に出す音は
  耳の痛い雑音のような音でも
  周りと協調できない不協和音であり
  とても音楽とは言いがたいかもしれないけど
  毎日毎日使っている内に
  だんだん美しい音が鳴らせるようになってきます。

  すると
  もっと美しい音楽を作りたい
  色んな人と一緒に音楽を楽しみたい
  と思うようになり
  異なる楽器をもつ身近な人と合奏
  するようになり
  美しい音楽めざし、人々と切磋琢磨するようになります。
  ひとりひとりずつ
  一緒に合奏できるようになると
  オーケストラのように大編成になります。
  大編成になると
  様々な個性のもつ楽器も増え
  それぞれの思いだけで演奏しては
  美しい音楽にはなりません。
  すると
  楽器をもっている人をまとめる人が
  必要だということに気がつきます。

  つまり
  指揮者にあわせて
  みんなで音楽を奏でることを学びます。
  その指揮者の方が
  宇宙にいらっしゃる神という存在なのかも
  しれません。

  神とともに
  心、気持ちを一つにして
  地球にいるみんなとも思いをすることで
  美しいシンフォニーができあがることを知ります。
  その時
  自分の今いる存在の意味を知るのだと思います。

  魂の目的は
  宇宙にいる神の思いを
  みんなと共有して成長することだと思うのです。

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情報リテラジーの力を身につける

   先日、ブログで
   大昔の縄文時代に見習う点が
   多くあるということをブログに書きましたが
   現代社会を生きていくために
   縄文時代になかった力が
   必要になっています。
   その力とは
   情報リテラシーの力です。

   情報リテラシーとは
   必要な情報を効率的に探し出し
   精査し、情報を使うことができる能力のことです。

   現代は情報化時代であり
   インターネットの急速な発達において
   誰でも、手軽に多くの情報を
   手に入れることができます。
   手軽に情報をとれるという反面
   世の中は
   必要か、不必要か
   重要か、重要でない関わらず  
   情報はちまたであふれています。

   ある試算によれば
   世界にもたされている情報の量は
   年間44ゼタバイトといわれてます。
  (1ゼタバイトは、地球上の砂浜の砂を全て集めた数
   10の21乗)
   44ゼタバイトなので、
   とつてもない天文学的な数の量ですね。
   ほとんどの情報が
   自分にとってジャンクな情報の可能性大
   と言うことですのね。

   ですから
   これだけの量の中で
   自分に必要な情報量を受け取ることは
   とてつもない能力ですよね。
   実際
   ジャンクな情報に
   踊らされている人も多いと思います。

   実際、診療中にも
   インターネットで調べて
   収集がつかなくなり
   不安がかえって増大され
   受信されるケースも珍しくありません。

   現時点も
   コロナウイルス感染症の情報が
   次々伝えられます。
   最近は、変異株の問題の情報が
   インターネット上をにぎわかせていますよね。

   ですから
   必要な情報を情報を
   短時間で、確実に手にする
   情報リテラシー力をもっていることは
   とても大切になりますよね。

   情報リテラシー力をつけるには
   どうしたらいいでしょうか。
   
   一般的には
   提供された情報の元となっている
   一次情報を確認すること。
   矛盾点がないか、
   発信者側の都合で脚色されていないかを
   調べることだと言われます。
   つまり
   情報の裏をとるということになるのですが
   ・・・・

   そこは
   情報発信側もその点は心得ていて
   手の内をみせないよう
   様々な仕掛けを積み重ね
   説得させるようにして発信します。

   どこか
   情報発信者と受け取る側の
   いたちごっこの面もあると思いますが
   ひとりひとりに求められることは
   自身の直感力を磨くと言うことです。

   直感力を磨くための方法って
   これに対しても
   調べれば色んな方法が出てくると思いますが
   その情報が
   あなたにとって大事かどうかって
   実はあなたしかわからないわけですよね。
   情報にもエネルギーがあります。
   その情報がもつ波動エネルギーが
   ご自身のもつ波動エネルギーと
   共振しているかどうかを
   ご自身で判断できればいいんですね。

   もう少しわかりやすい言葉で言うと
   受け取った情報が
   何ら違和感なく 
   スッと心に響いてくれば
   情報のもつエネルギーが
   あなたのこころと共振してるんですね。
   その情報は
   あなたにとって
   必要な情報だということですね。

   また、逆に
   何か引っかかったり
   あなたのこころをかき乱すような情報は
   あなたにとって必要のない
   フェイクニュースの可能瀬もあり
   情報源の確認や
   別の角度でその情報を探ることが
   必要でしょうね。

   このように
   星の数ほどある情報の中から
   必要な情報を受け取るのは
   あなた次第なんですね。

   直感力を磨くためには
   日頃から
   心をオープンにして
   素直に物事を見つめる姿勢なんでしょうね。

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リハビリをする意味①

入院してからというか
  この病気になってから
  日々ずっとリハビリの毎日。
  この今を乗り切るのには
  薬は役に立たない
  あっという間に治す魔法すら
  存在しない。

  毎日のリハビリの積み重ね
  だから毎日の気づきも多い。
  こう思うのは僕だけの考えでなく
  リハビリを行ってる方々も
  同じ思いだと思います。

  そんな思いを代弁している方が
  いらっしゃいます。
  ご自身も脳梗塞で
  リハビリの思いを語っている
  免疫学者の多田富雄先生のことばを
  紹介したいと思います。

 「リハビリは単なる機能回復の訓練ではない。
  まずは、人間の尊厳を回復すること。
  そして、
  今までしらなかった能力を発見する
  創造的営み」だと
  仰ってます。

  つまり
  それまでは
  知らないうちに、歩いてたし、しゃべってたし
  それを今度は
  今までと違った神経経路
  そしてこれまでの経験を総動員して
  考え、動かす努力をするのがリハビリ。
  それが
  先生の言われる創造的営み何だと思います。
  
  そして
 「汗を流して、苦しみながら歩いていると
  生きている感を取り戻すことができます。
  リハビリは人を強くします」とも。
  
  リハビリ師さんが仰ってました。
  綺麗に歩くことを目指してたけど
  綺麗に歩くことよりも
  自分の意志で、生きたいところにいける
  自由さ大事なんですよね。と

  そうなんです。
  自分の意志で動いて
  しないといけないことができることが
  大切なんですよね。
  形ではないんですよね。

  形と言えば
  多田先生の
 「こうなってみると
  人の友情や善意がよくわかります。
  病気に倒れた友人や弟子の気持ちも
  手に取るようにわかります。
  口先だけの親切も、わかるんです」

  入院して
  面会はほとんどお断りしてたので
  多くのメッセージやお手紙をいただきました。
  同じ言葉でも
  その奥に含まれた
  書かれた人の思いを感じます。

  本当に有り難かったです。
  逆に、同じ言葉でも
  空っぽな言葉で悲しい気持ちに
  なることもありました。
  
  健康の時
  患者さんにかけた言葉はどうだっただろうか?と
  気づきや、反省する点も
  知る機会になりました。

  リハビリを通して
  日々いろいろなことを
  学ぶことができました。
  
  実際には
  まだまだありますが
  その続きは、また後日のブログで。

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あの世はあるのか?

  最近 
  からだのことだけでなく
  魂のこと、こころのこと
  目に見えないいわゆる
  見えないけどこころで感じることについて
  話すことも多くなりました。

  世間でも
  以前に比べて
  目に見えない世界があると信じて
  胸を張って語られる方、本を出される方など
  情報発信される方も増えています。

  でも、依然として
  目に見えないもの、科学で証明できないことは
  信じないというかたも
  いらっしゃるのも事実です。

  こう語ってる僕は
  目に見えないものは、
  科学で証明できないものは
  信じない、受け入れないというわけではなく
  東洋医学で考えている気が
  エネルギーの流れであることが
  少しずつわかるようになり
  今、ナチュラルメディカルセンターで行ってる
  メタトロンも
  エネルギー、気の医療だと
  いうことになります。

  僕は
  目に見える患者さんを治療する医者ですが
  どうして
  このように普通目に見えないような医療を
  行えるようになったのは
  自分自身の次のような考えがあったからなんです。

  この世の物は
  全て陰と陽、表と裏、男と女というように
  全て2つの面、組み合わせによって成り立ったいるんです。
  ですから
  目に見える部分が全てと言うわけではなく
  目に見えない部分もあるというのも
  当然だと考えていいのです。

  今生きている、今体験できている世界があれば
  もう一面
  目には見えないけど、もうひとつの世界があるはず。
  その世界は、唯物論が中心の現代科学では
  まだまだ証明できません。
  目に見えないから
  証明できていないからという理由だけで  
  否定するのも、少々暴力的な考えだとも
  思えるのです。

  我々のからだも
  2面性で成り立っているのであれば
  目に見える肉体そして
  目には見えないけど存在する魂によって
  成り立っていると考えてもいいでしょう。

  肉体と魂があるならば
  今肉体をもって生きる世界
  そして
  魂がいきる魂の世界が
  目には見えないけど確実に存在していると
  思っています。
  
  この2つの世界のことを
  みんなは
  この世、あの世といってるのです。
  ですから
  魂の生きる世界、あの世はあるのだと
  僕は思っています。

  魂の世界があるなら
  なぜ、今肉体をもって生まれてきたのでしょうか?
  それにも、意味があると思っています。

  これから
  僕の考える魂の世界を
  お伝えしようと思ってます。

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春の使者ツバメ

先日
  チュピチュピという鳥の鳴き声が聞こえ
  空を見上げると
  電線に止まって鳴いているツバメを
  今年はじめて発見。

  ツバメは春の訪れを知らせてくれる
  鳥というだけでなく
  特別な思いがある。

  我が家では
  ペットは飼っていないが
  春になるとツバメがやってきて
  病院の入り口に巣を作り
  多くのツバメが巣立っていき
  毎年戻ってきてくれたので
  ツバメをみると
  家族のような特別な感情が湧いてくるのです。

  昨年は病院にもやってきた。
  その時のことを、次のように書き留めています。

 「窓から外を見るとツバメが3羽飛んでた。
  懐かしい、
  ツバメが春としあわせを運んで来てくれた。
  必ず生まれた場所に帰ってくるツバメの姿。
  
  誰にも戻るところがある。
  家、ふるさと、そして
  魂の戻るところもあるのだろう。
  輪廻転生。

  今日はリハビリで
  進捗状況の評価をうけたけど、
  僕もそろそろ
  現世の戻るところ
  家に帰る時期が決まった。(20200318)」
  と書いています。

  ツバメは
  僕にとって
  春という新しい季節
  次へのスタートを教えてくれ
  勇気づけてくれる
  特別な存在なんです。

  今も、そしてこれからも。
  ツバメのお帰りを温かく
  お迎えしたいと思ってます

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