年別アーカイブ: 2026

2.5人称

看取りに全身全霊を込めて
ご尽力にされ、
僕も見習いたいと思っている先生に
柏木哲夫先生がいらっしゃいます。

その先生が
2.5人称の立場で看取りをしていると
仰っていました。

2.5人称って?
客観的な第三者でなく、かといって
家族のようにはなれない。
第三者の泉温かというより
できれば2.5人称という立場で
いたいと仰ってました。

僕も
診療中に患者さんの気持ちに
できるだけ寄り添ってあげたいと思っているのですが
家族ではないし、どこまで・・・・?と
思うことも度々ありました。

そんな時聞いた2.5人称という言葉。
そうか、2.5人称という立場で接すればいいんだ
そう思うと
とてもこころが楽になりました。

もう一つもっとかえないといけないことに
病院そのものについてです

病院は
からだもこころ癒やす場のはずだけど
みなさんドキドキ、血圧も上昇している方も
多々いらっしゃいます。

病院はこころ癒やす場であって欲しいけど
みなさんの思いは少しギャップがあるような。

「癒やす」という言葉には
けがや病気を治すことと辞書には書いてあります。
だから
病院できてもらって
病気を治せば、癒やしていることになるけど
それだけでなく
「癒やす」には
渇を癒やすという意味
つまり長い間ほしくてたまらなかったものを
手に入れて満足する
という意味があるようです。

病院に来て
健康を呈することは当たり前のこと
なのでしょう。
ですから
僕は病院で
健康の奥に隠れている
本当に手に入れたい物に気づき
それを与えられる場所を目指していることに
気がつきました。

これが僕の目指す病院の姿なのです
それに向けてこれから精進したいと思います。

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笑顔の理由

ぼくは、このブログで
よく、どんな時にも笑顔でいること
それがしあわせの方法であると
書いています。

確かに「笑顔」は
しあわせになるひとつの方法だと
いつも思っています。

笑顔と一言で言っても
いろんな笑顔があると思います。

長野オリンピックで金メダルを取ったの
原田雅彦選手は
いつもニコニコ笑顔でいるため
スマイリー原田と呼ばれるぐらい
笑顔の似合う選手でした。

勝負に負けたときも
ニコニコしてたので
「なぜ、負けてもニコニコしているのか?」と
聞かれたとき
「これが私のスタイルです」と答えるぐらい
笑顔の人でした。

だが、妻の恵子さんは
夫の笑顔の違いに気がついていたそうです。

「こころからの笑顔、
憎々しい笑顔、
あきらめの笑顔、
微妙医違うんです」と仰っています。

笑顔という
ひとつの目に見える形でも
その中身や意味は様々なのです。

笑顔のにも色々ある
笑顔の理由を見極めていくのも
大切なことなんです

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平安な死

安らかに死をむかえたい
苦しまないで死にたい
と願っている人は多いと思います。

苦しまない死とは
きっと身体的なことではないでしょうか?

孤独な死も望んでないでしょう。
人の温かみの中でその時を迎える。
その瞬間に安心を精神的に感じたいと
願っている人も多いことでしょう。

その願いを
どんな人にも平等に叶えてあげようと
頑張ってこられたのが
マザーテレサの偉業でした。

これらの死の迎え方を
人は「よき死」と考えられるでしょう。
でも僕は
「よき死」として考えないといけないものに
平安な死があると思うのです。

平安な死を
ひと言でいうなら魂の平和をもって
死を迎えることです。

どちらにしても
人々は安心してその時を迎えたいと
いうことでしょう。

誰かが側にいるから安心だというように
安心は横から訪れるのだと思うのです。
それに対して
魂の平和、安心は
横からではなくて
上から来るのではないかと思うのです。

魂が何について平安を感じるかって
神か?仏か?超自然力か・・・・・
人によって違うでしょう。
しかし
魂の平安は上からやってくるような気がするのです。
それは
上から僕のからだを隅々
包み込んでいく感覚でしょうか?

安心は横から「こころ」に
来るともいわれています。

人の死に対する思いは色々あると思いますが
僕は
身体的に痛みがなく
精神的に安心で
魂には平安がある死を望んでいます。

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何を食べるか?

人間は食べることによって
エネルギーを得て
この地球で生きて活動することができます。
ですから
何をどう食べるかは
昔からの関心事で
偉い人が様々の言葉を残しています。

例えば、イエスキリストはこうおしゃってます。
「殺した物を口にすると
その死んだ物もまたあなたを殺すことになるから
食べてはいけません。
また火にかけたり、煮たりして
その性質をかえたものは控えるように。
木の果実や畑の作物は
母の生命の炎をそのまま取り入れるので
何を食べてもいい」と。

肉は食べるな・・・てことだけど
現代社会では
少し合わない面もあるけど
この事実を知って食べるかどうかが
からだに影響するのはまちがいありません。

また、江戸時代の木食上人は
肉食を避け、木の実と野菜だけを食べながら
全国を巡り、長寿で仏像を全国に残しています。
その長寿の秘訣の食事方法として
こんな風におしゃっています。

「腹一杯食べるものではありません。
よく噛んで食べてください。
噛めば、水分が増えて
水の天使が体内でそれを
血液に代えてくださいます。
食事は、食欲の天使達に呼ばれるまでは
食卓についてはなりません。
しかし、食事が癖になっているなら
太陽が天に一番高く上がるときに1回食べ
日が暮れてからもう1回軽く食事をします。
すると、あなた方は
もう二度と病気をみることはありますまい」と

現代社会は
からだを作るために
食べないといけないのだいわれて生きてきたけど
これほど食べ過ぎてる時代になったことは
なかった。

今こそ
聖人の言葉に耳をかした方がいい時代に
なったような気がします。

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成分に惑わされるな

健康志向の高まりにつれて
からだにいい食品を摂ろう
その食品を食べるのは
その食品に含まれる○○が
△△にいいから理由で
摂取を勧められることもあるでしょう。

でも
その選択、ちょっと待って。

食べるものを考える時
肉や野菜という「食品」と
リコピンや糖分といった「成分」の
2つがあります。
以前は、食品の成分を分析して
この成分がからだにいいことを証明する時代がありましたが
現在では、考え方がすすみ
食品そのものが重要であって
成分はあまり重要でないという報告も
目につくようになりました。

例えば、くだものを例にすると
りんごやミカンは食品だけど
くだものに含まれている
ビタミンCや果糖が成分だ。

くだものに含まれる果糖は
確かに血糖が上げます。
しかし
くだものを丸ごと食べたときは
くだものの果糖を抽出して摂ったときほど
血糖値は上がらないことがわかっています。

また以前βカロチンはからだにいいと言われてましたが
βカロチンは
肺がんのリスク、心筋梗塞のリスクを高めるという
報告もでています。

緑黄色野菜の摂取は病気のリスクを下げるものの
そこに抽出されるβカロチンなどの成分は
むしろ病気のリスクをあげてしまうことも
知っておかないといけない。

昔から
からだにいいものは、
そのもの丸ごと食べられるものだと言われています。

ですから
からだにいいと昔から言われる
野菜、魚など食品を丸ごと美味しく摂取すると
それがからだにいい食べ方なのですよ。

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自画像とと自撮り

自分の顔は正確には
自分ではわからない。
だから、他人が
自分の顔をどのように見えているか
気になる。

それは、今も昔も同じ。
だから、画家は
自画像を描き残しているのだろう。

今は、自分の顔を描くのではなく
スマホなどで
自分の顔を自分で撮ることができる。

自撮りをすることで
どんな笑顔をしてるのか
どんな時のどんな表情が
魅力的に見えるのか
日々研究している。
鏡を見る以上に
頻回に自分の表情を客観的に
みることができる。

でも、
頻回に撮っていると
あるときの表情が全くちがって見えたり
連続して撮っていると
刻々と表情が変化していることに気づいた。

どれが本当の自分の顔なのか
ますますわからなくなる。

自分の数ある写真を見ていると
どこか
自分だけがわかる
自分しかわからない
本心の表情があることに気づき
ハッとさせられた。

まさにこれが自分の顔なのだと
思わされた写真があるのに気づいた。

画家も
単に自分の顔を描いているのではなく
自分の本能を描き出していたのだろう。

自分の本能があぶり出された
写真をこれからも僕も
みることができるだろう。

だから自撮りはやめられない。

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人間関係をよくする方法

誰でも、人生の中では
色んな困難な問題にぶち当たり
失敗することも多々あると思います。

数ある問題の中で
悩まされ、一番大変なのは
人間関係にまつわることだと思います。

人間関係は自分だけの問題ではないので
人間関係を自分ひとりでは
解決は難しい問題です。

だから
人間関係問題が起きると
防衛なこころが作動して
ちょっとしたことで
傷ついたり、起こったり、悲しくなったり
するのです。

人間関係のトラブルは
自分自身で防ぎようがありませんし
学びにならないことも多々あります。

そんな人間関係のトラブルを
大きくしない最善の方法は
潔く謝ることが一番だと思います。

頭を下げられて
嫌な気持ちがしませんし
相手を許そうという気持ちが
湧き上がってくるでっしょう。

言い訳したいこともあるでしょう。
そんな時にも
そんな気持ちをぐっとこらえて
まずは
「すみません」「ごめん、ごめん」と
自分の非があることを認めて
頭を下げるのです。

目立つトラブル以外は
謝らずにうやむやにしてしまう人もいます。
頭を下げられないのが
つまらないプライドと意地が
あるからではないでしょうか?

今こころに起こった意地を捨てて
謙虚さと取り替えてみる。
そして、その姿勢があれば
大抵の人間関係のトラブルは
修復され、トラブルを食い止められるでしょう。

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生きてきたように死を迎える

人はピンピンコロリと苦しまずに
死んでいきたいと多くの人が
思ってるかもしれませんが
実際
死のうと思っても
人は死ねるものではありません。

人の生と関わる仕事をしていると
避けて通れないのが死の問題。
人はある意味
死にむかって生きてるし
生きてきたように死んでいくのでは
ないかと思うのです。

ですから
今をどういきるかが大事になって来るのです。

人生は
「集める人生」と「散らす人生」に
分かれると言います。

集める人生とは
お金、物、アイデア、知識などを
集めることが中心になる人生。
散らす人生とは
お金、知識、経験、能力、時間などを
周りの人に散らす人生です。

散らす人生を過ごされた方は
平安な最後を迎えられるような気がします。

散らすものの中で
最も大切な物は時間ではないでしょうか?
人生は時間の集積ですから
時間を自分のために使うか
人のために使うかによって
その人の最後の瞬間がきまるような気がします。

日野原重明先生は
「いのちとは、今あなたがもっている時間のことです。
いのちをもっているということは
使える時間が与えられているということです。
自分が使うことができる時間こそが
いのちであり
それを何にどう使うかということが
生きていくということです
時間の使い方は
そのままいのちの使い方です」

あなたのいのち、
与えられた時間をどのように使うかが
いや使ったが
どのように死を迎えるかということに
なるのだと思います。

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「あきらめない」生き方

毎日クリニックには
同年代以上の患者さんも
来院されます。

ちょっと年配の方々と
接して感じることは
みんな個人差はあるにしても
「あきらめている」方が多いということ。

僕も還暦を過ぎましたが
同年代の多くは
ある程度生活が安定し
ある程度会社などの社会においても
立場が確立しているから
「もう、いいや」という気持ちが
出てくることが多いように感じます。
ましてや、新しいことに
チャレンジしようという気持ちも
少なくなって来ていることでしょう。

この年になると・・・と言ってしまいますが
「もういいや、俺ってこうだから」
「自分ってこういう人間だから」と
ちょっと後ろ向きになっていませんか?

でも、よく世の中を見渡すと
何歳になっても
現役で頑張っていらっしゃる方は
多くいらっしゃいます。

我が身を振り返ると
「もう、いいや」と考えるのは
今に始まったことではなく
実は若いときから
「もう、いいや」と考えていた
自分がいたことを思い出します。

だから
実は若いときから諦め癖を
これから見直していこうと思いますが・・・

体に染みついた考え方を
いきなり変えるには
かなりの努力がいると覚悟しています。

年って後悔しないように
若い人に伝えたい。

もし、20才代の君が
「もう、いいや」と考えていたら
せっかくの柔らかなこころが
さび付いてしまいます。
だからそうならないように
自分で自分を鼓舞しましょう。

もし、30代の君が
何回かチャレンジしただけで
あきらめてしまったら
せっかくの失敗が失敗で終わってしまいます。

もし、君が40代なら
全てがわかったような顔して
現状に安住しているのなら
その現状さえ維持できなくなるかも知れません

これからの世の中は
「うまくいった過去のやりかた」を
コピー&ペーストしているだけでは
生き残ることは難しいでしょう。

だから
自分も含め、全ての年代の人に伝えたい。
何事に対しても
「あきらめることなく」
生きていきましょう。

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魂の痛み~スピリチュアル・ペイン~

人間の感じる痛みは
4つにあると言われています。

1つは肉体に感じる身体的痛み。
2つめは、不安、おそれ、怒り、鬱状態などの
精神的痛み
3つめは、人間関係、仕事関係などで経験する
社会的痛み
そしてあとひとつは
スピリチュアルペインともいわれ
人間がもつ霊性、魂があるから
感じる痛みがあると言われています。

このスピリチュアル・ペインは
魂の痛みとも考えられます。
具体的には以下の質問の答えを
見いだせずに苦悩する苦しみでしょうか。
例えば
①生きる意味への問い
こんなになって生きていてもしかたない
自分の人生って何だったのだろう
こんな病気になって何を支えにいきていけばいいのか
②苦難に対する問い
こんなに自分だけ苦しみのはなぜ?
これらの問いに対する答えが見つからない苦しみ。
他に答えの見つからない苦しみとして
③孤独感
④罪責感
⑤自分以外の人に迷惑をかける
⑥死後の世界

こんな時感じるのが
魂の痛みです、

この魂の痛みには
自分ひとりでは答えが見つからない
自分以外の人に
助けを求めても答えが見つからない
そして
解決するために死さえ
選んでしまうこともある
とても苦しい痛みだと思います。

この苦しみから逃れるために
こころのよりどころになる思いを
もっていればいいのだけど
人々はずっとそれをもちたいと思っている
それが神であり、宗教なのだと思う。

あなたの魂の痛みを救ってくれるのは
誰でしょう?
あなたには神様はいますか?

僕は神様ではないけど
あなたの魂の痛みを和らげることが出来るように
精進したいと思っています。

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