生きているのではなく生かされている

  新しい年を迎えて
  思うことがあります。

  それは
  今ここにいるのは
  自分の力でここにいるのではなく
  ここでいるように
  生かされている
  という気がとてもするのです。

  思えば
  ひょっとして
  今ここに存在しなかったかもしれない
  出来事が
  これまでに2回ありました。

  一つは
  今から約10年前。
  山登りに魅力を感じていた時期で
  乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
  乗鞍岳は
  3000mを越える山ですが
  初心者の僕でも
  登頂することができ
  山登りの楽しさを教えてももらった
  山でした。

  山登りは
  下山するまでが山登り。
  とも言われます。
  その時
  一緒に同行した方と
  下りは自転車で下ろうと提案してくれて
  サイクリングの経験はないけど
  下るだけなら
  ついて行けるだろうと
  軽く考えてOKしました。

  でも
  そこに魔物がいたんです。
  
  長距離の下り
  ペダルを漕がなくても
  どんどんスピードが乗ります。
  それも3000mの下り坂
  つづら折りのカーブを曲がりながら
  降りていきます。
  スピードも乗って、楽で快適です。
  でも
  ガードレールの下は
  絶壁の崖のところばかり
  スリルも少しは感じながら
  スピード感に酔いしれ
  自転車が加速していきます
  まさに 
  風を切り、風に乗ったと思った瞬間
  カーブを曲がり切れず
  ガードレールを
  乗り越えてしまったんです。

  目の前が真っ暗に成り
  体がふわっと宙に舞う感覚とともに
  ドスンと落ちて
  右の胸を
  ガードレールの柱を固めてあった
  セメントの土台にぶつけ
  強い衝撃と痛みで
  僕の楽しい山登りは終わりました。
  肋骨を打って   
  ひびが入ったのでしょう。
  それからしばらくは
  笑っても痛い  
  ベットから起き上がるのも  
  痛くて動きがとれない状況が
  1週間近く続きました。
 
  楽しい旅行の結末は
  苦い思い出になってしまいました。

  でも
  冷静になって振り返ると
  そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
  つまり
  他のカーブを
  曲がりそこなってたら
  深い深い谷底に落ちてしまい
  いわゆる滑落事故として
  いのちがなかったと思い
  今思うとぞっとしてしまいます。
  
  そして
  一年前の脳出血。
  脳出血でいのちを落とした方の
  ことを聞くことがありました。
  今まで元気だった方の
  突然のニュース。
  そんなニュースを聞く度に
  僕もそうなっていても
  おかしくなかったんだと思います。

  亡くなったかたも
  死ぬなんて思わなかったんでしょう。
  
  色んな状況
  同じような状況でも
  死ぬ人と生きている人がいる。
  このちがいってなんでしょうか?

  人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
  僕には
  自分で勝手に生きているのではなく
  誰かによって生かされている気がして
  ならないのです。

  生きる、死ぬも
  自分で決められない
  だから
  毎日いやこの瞬間を
  悔いなく過ごさないといけないと思うのです。

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