日別アーカイブ: 2020年11月18日

悟るとは?

前回のブログで
 太宰治は「パンドラの箱」の中で
 人間は死によって完成されると
 書いてあることについて
 書きました。

 同じ文豪であられた
 正岡子規が病床にいたときの
 日々の思いを書き留めていた
「病床六尺」の中で
 悟りについて書かれた箇所があります。

 「悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で死ぬること思っていたのは間違いで
  悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で生きていることである」と
  書いています。

  つまり
  悟りとは
  自分がどう生きていくべきかを
  何か修行をして気づくことではなく
  日々の生活の中で気づくこと
  今を生きること
  すなわち、今を生きていること全てが
  悟りなんだと思う。

  悟りとは
  何を悟るのか? 
  生きている日々の中で
  何を感じたときに悟ったと思うのだろう?

  僕は
  悟りは学ぶものでもなく
  人から教えてもらうものでもなく
  こころで感じるものではないのかと思う。
  こころで感じたものは
  きっと魂が学ぼうとしたもの
  現世に生まれてきた目的
  そして魂の学びを感じられたときに
  悟ったと思うのではないのでしょうか。

  僕も
  病気をして
  全てを失ったときに
  自分の生活、生き方に向き合い
  「愛」の大切さを知りました。

  「愛」を学ぶために
  この世に生まれているのだと思います。
  だから
  今もこうして思い、感じたこと
  つまり僕の感じた小さな悟りを伝えたくて
  毎日ブログを綴ってえるのだと思います。

  今の生活、今生きている瞬間
  全てが悟りの瞬間なんです。
  そんな悟りの時間を
  大切に愛を込めて過ごすことで
  自分の生きていく道、つまり悟りの道が
  広がっていくのだと思います。

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