世界の長寿域に学ぶ長寿の生活

年を振り返る時に
憶えていて欲しいのは
「年令と衰えは必ずしも関係しない」ということ。
そう考えると
老いに対する不安を感じにくくなり
年を重ねることが怖くなくなります。

衰えは
日々の生活から来るので
長生きをしている人、生活に
長寿のヒントがあるのです。

そこでパキスタンのやジョージアなどの
世界の長寿国の共通する生活を紹介します。

①食事が適切。
食べ過ぎないこと。
新鮮な野菜とハーブをいつも食べている。
肉と脂肪を取り過ぎない。
夕食は満腹まで食べないこと
②生涯を通じて仕事をしている。
こどもの世話をしている
③家族と地域社会を大切にしている。
社会の中での関わりが強い
④運動とリラックスが日常の生活に取り入れている

ということ。
そんなに目新しいことはなく
食べることも気をつけ
運動もして
仕事もして家族のため社会のために
活動している方も
多いでしょう。

これは、頭でわかっているから
生き抜くために、長生きするために
頑張って続けていませんか?
まるで義務感のようにやっていては
ストレスになってるようでは
逆効果になってしますのです。

長生きすることは、目的でなく結果なのです。
毎日人のために生きていると感じ
毎日を楽しんでいると
自然に長生きして
地域に愛される
おじいちゃん、おばあちゃんで
生きていけるような気がします。

カテゴリー: 真実の医療 | 世界の長寿域に学ぶ長寿の生活 はコメントを受け付けていません

夢は夢にあらず

これは
歌手谷村新司さんが遺した言葉。

夢は
それを夢だと思った時に
幻となって消えてしまう。
夢を夢だと思っているうちは
夢のままで終わるというのです。

そうだと思います。
夢は必ず叶うと思わないと
夢は夢のままで終わってしまう。

そのことを教えてくれる言葉です。

カテゴリー: 今日の言葉 | 夢は夢にあらず はコメントを受け付けていません

愛はイナズマ

主人公の折村花子は
こどもの頃から
映画監督なるという夢を追いかけて
ついに映画を撮るという
チャンスをもらえたが・・・

これまでのやり方に固執する
プロデューサーをはじめスタッフに
花子の考え方を完全否定されるが
決して自分の理想を曲げない花子は
理不尽な理由で
映画制作は中止、題材も撮られてしまった。

おとなの世界に傷ついた若者は
世の中にはたくさんいる
夢に破れた時、そこから逃げ出すこともできるが
花子は、自分で映画を撮ろうと決意する。
花子は自身の家族を題材にしていたので
その映画を撮ろうと
家に戻り
それまで離散していた家族が集まり
映画を撮ることにした。

後半は
家族再生の物語となる。

この映画は
家族に問題がある少年時代を過ごし
小さい時からの夢を追いかけたが
挫折し
家族の力を借りている内に
自分たちに同じ血が流れていることを感じ
確認していくという
ある意味ベタな内容だった。

でも
もがく若者の姿を
応援している、涙を流して拍手を送っている
自分が最後はスクリーンの前にいた。

僕は
若者の生きる道をしっかり
応援したいのだと
自分の気持ちが整理できた映画だった。

カテゴリー: 私信 | 愛はイナズマ はコメントを受け付けていません

キューリ夫人 天才科学者の愛と情熱

という映画を観た。
キューリ夫人といえば
ノーベル賞を二度授賞
一度は夫婦で、そして二度目は夫人単独で
授賞された
まさにリケ女の鏡といううか最先鋒の方
という印象があった。
確かこどもの時に読んだ偉人伝を読んだはずだけど
この程度の印象しかなかった。

そこで、今回
どんな功績があるのか、人生の歩みも知りたくて
改めて伝記映画を観た。

思っていた通り
意志の強い、プライドも高い
真実を追究することに信念をもつ
女性として描かれていました。

でも、その中で
こどもの伝記には描かれなかったこと。
科学の発展が
人々のしあわせのためではなく
戦争などの平和を脅かすことに
使われることを嘆いたり。
スキャンダルに巻き込まれ
誹謗中傷に悩まされ
精神的肉体的苦悩を味わされていた。

最後は
持ち運びができるX線装置を作り
実際戦地に自ら赴き
医療者ではないけど
人道的支援も行った姿が
描かれていた。

科学を追求するためには
鋼鉄のような強い意志が必要だとともに
自分の発見が
人類の竹に使われるかどうかを
その後を愛のために使われているかに
常に目を光らせて行かなければいけない使命がある
ことを
キューリ夫人、そしてこの映画は伝えてくれた。

ここからは予断だが
女性であることで
きちんと評価してくれない時代の波に苦しんだ人生。
きっと、キューリ夫人と呼ばれることに
当時は抵抗したと想像します。
今も、世界中にキューリ夫人と呼ばれることに
こだわらず
やさしいまなざしでこの世の行く末を
見守ってくれている気がします。

カテゴリー: 今日の言葉 | キューリ夫人 天才科学者の愛と情熱 はコメントを受け付けていません

死を思うのはなぜ?

誰にもいつか必ず
訪れる死。
その死について
いつ来るかもわからない
死んだ後もどうなるのかわからない
死に対することを
いくら考えても、誰も答えはでない。

でも、実際誰もが必ず経験する
死を思い、考えることは
とても大切なことだと思うのです。

死を考えるいると
死の先を考えてもわからない分
死の瞬間のことを思うと
考えはその先に進むというより
それまでの日々
すなわちどう生きようか
どう生きたらいいのかと
生きると言うことに考えが行くようになります。

そして
死を終わりであり、死を敗北と考える
人もいることでしょう。

僕は死は敗北ではないと思います。
刻々の生を大切に生きていると
死は生んお終わり・敗北ではなく
生の最終結果、生の勝利なのです。
死は勝利のゴールに向かって生きること。
死を迎えることは、決して空しいことではないはずです。

カテゴリー: 真実の医療 | 死を思うのはなぜ? はコメントを受け付けていません

母のこどもに対する願い

解剖学者の養老猛司先生のお母さんは
小児科医の医者で
亡くなる95歳になるまで
現役で医師として働いていたことを
先生の自伝を知りました。

そのお母さんが
養老先生に遺した最後の言葉が
「おまえがこどもの時と同じ顔しているから
安心した」で、この言葉が忘れられないと
語られていました。

解剖学者でバカの壁の著者として
有名になり
超多忙な毎日を過ごした先生のことを
ストレスを抱えて生きているのでは?
とお母さんは心配されていたのでしょう。
こどもの時から昆虫好きだった先生が
オーストラリアで虫を採る番組を観た
お母さんから言われた言葉のようなのです。

僕の親もそうでしたが
こどもの思い出は
小さい時の面影をずっとこころに抱いていて
その無邪気だった時のまま
生きて欲しいと思っているのでしょう。

親にとって
おとなにとっての成功するかどうかよりも
無邪気の心のままで
いつまでも過ごして欲しいと思っているのが
わかった
養老先生のお母さんのエピソードでした。

カテゴリー: 真実の医療 | 母のこどもに対する願い はコメントを受け付けていません

第三の人

英国の詩人のエリオットに
次のような詩を紹介します。

「いつも君の傍を離れず歩く、
あの第三の人はどなたでしょう。
数えると、君と僕しかいないはずだが
しかし、はるかにつづく白い道を歩む君の傍らには
いつも、もう独りが寄り添う
どなただろう、その方は?}

エリオットは
この第三の人にイエス様を
イメージしたというようです。
日本にもお遍路さんで
同行二人という考え方もあります。

宇宙創成138億年の歴史の中で繋がっている
我々にも
計り知れないものは多々ある。
だから
第三の人がそっと我々に
メッセージを送ってくることがある。

何か感じる
不思議なご縁にであう
セレベティビリテイといわれる
偶然とは思えない偶然の出来事に
出くわすこともある。

我々が気づかないだけで
多くのことが
第三の人の計らいであり
いのちのわずかなリスクでも
直ちに当人につたえようとする
第三の人からのメッセージかもしれません。

カテゴリー: 真実の医療 | 第三の人 はコメントを受け付けていません

一華五葉

この言葉は
禅の達磨大師の言葉。

「人には、元々仏心をもっている
だから、そのことに気づけば
心の中にあった
仏心の5枚の花びらが開き
悟りが成就する」
という言葉。

座禅をすることは
自分の心にある仏心に
気づき、アプローチできた時に
自身が進歩、成長を感じる。

そして、そのことが
自分自身の持ち味となり
自分らしく生きることができるようになる。

口で言うのは簡単だが
実際には難しいことなのだけど
これは真実だと思う。
ここに気づけば誰もがしあわせに生きる
ことができるのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 一華五葉 はコメントを受け付けていません

生きたように死ぬ

大先輩が
亡くなったという知らせをいただき
葬儀に出席しました。

父より年令も上の大先輩で
一緒に働いたこともなく
面識も一回挨拶できただけの大先輩の医師。
面識なくても
そんな大先輩の医師が
近くにいらっしゃると思うだけで
こころの余裕をもって
日々診療できたと思います。

葬儀に出席させていただき
大先輩の人となり
その最後の瞬間をお聞きできた。

とてもいつも物静かな方であり
大病を患っていたにも拘わらず
高齢であったため根治治療はせずに
ご自宅でゆっくり過ごされたようで
最後の時も
付き添いの方も気づかないぐらい
眠るように
天に召されたという話でした。

確かに、とても閑かな先生であることは
お会いした時にも感じました。
そして、その状況が
臨終の時まで続いたようで
そのお人柄どうりの最後だったようです。

人は
生きたように死の瞬間を迎えるのかもしれません。

そして
その夜
寝ている時、先生がお礼に
訪れた気がしました。
これも先生のお人柄ですね。

これまでお疲れ様でした。
安らかにお休み下さい

カテゴリー: 真実の医療 | 生きたように死ぬ はコメントを受け付けていません

達磨安心

人間の心には不安の気持ちは
いつでも生まれてしまいます。
この不安の気持ちがなければ
どんなに楽に生きられることか。・・・と思いませんか?

これは僕たちの悩みではなく
先人達も悩ましたことなのです。
不安の乗り越え方について
「達磨安心」という禅語があるので
ご紹介しようと思います。

禅宗の開祖・達磨大使とその弟子慧可禅師との
問答がもとになっています。

達磨大師が壁に向かって座禅をしているところに
弟子の慧可禅師がやってきて
「わたしの心は不安で不安でどうしても安心できません。
どうか安心させて下さい」と懇願した時
達磨大師は
「わかった。
それでは、おまえの不安とやらを
ここにもっておいで。そうしたら安心させてやろう」
慧可禅師は懸命に不安を探しますが
どこを探しても、どうしても見つかりません。
しかたなく、そのことを師に告げると
こんな答えが返ってきましyた。
「さあ、もう、おまえの心を安心させてやったよ。」と。

この悩みは
不安に実態はない。
それは自分のこころが創り出しているに過ぎない
ということなんです。

そのことに気づいた瞬間
悩みのほとんどはなくなってしまうのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 達磨安心 はコメントを受け付けていません