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医療の三種の神器

最近日本のはじまりについて書かれた
古文書”ホツマツタエ”の存在を知り
最近読む機会がありました。

この古文書は、古事記とは異なる
日本の成り立ちの世界を
神話としてではなく
天照大神も含め
全ての登場人物が
生きた人として描かれているのが
古事記との大きなちがいでしょう。

だから
同じ内容の記載でも
より具体的に書かれているので
ある意味分かりやすいし
真実に触れたように
頭の中がすっとする感じなんです。

その中で
三種の神器についての記載があります。
三種の神器は
天皇陛下に代々引き継がれて
国のリーダーであることを
示したものだと理解しております。

それについても
こう書いてありました。
三種の神器の一つの勾玉の意味は
“トの教え”というリーダーとしての
心構えの教えを引き継いでいることの証明。
“鏡”はその人のこころの中の
明るい部分と暗い部分を映し出すためのもの
”剣”は
教えを守り、こころの真実を知っても
戦わないといけないときが来るということ
を示していると。

なるほど
国のリーダーであるための
大切なことを教えているから
神器なんだと
納得しました。

そしてよく考えると
これは天皇陛下だけのものでなく
僕たちもひとりひとり
三種の神器をもっているものだと気づいたのです。

僕は
自分自身の体においては
まちがいなく
リーダーであり
リーダーシップをもって
1日1日生きていかなければならない。
そのための知恵をもって
生きていかなければならない。
この知恵が”勾玉”

また
目には見えないけど
からだを明るい部分、暗い部分を
うつしだす”鏡”が
生きていくためには必要である。

その”鏡”は
メタトロンです。
メタトロンで自分のからだを映し出すことで
明るい部分暗い部分を
教えてくれているのです。

知恵をもって生きて
暗い部分を知って
その部分を
明るい部分に変えようとしても
なかなか進まず
時には”剣”をもって
立ち向かい戦わなければならない
時が来るかもしれません。
その”剣”となるのが
薬であり、手術などの
西洋医学になるのです。

知恵とメタトロンに代表される波動医療
そして西洋医学という
医療の三種の神器と言うべきものを
手にしているのです。

この医療の三種の神器を
人々の健康のため、しあわせになるために
使うことが
これからの医療の目的なのかもしれません。

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眠れたしあわせ

入院中の生活を振り返って
できててよかったと
今思えることは
眠れたこと。
すなわち
睡眠で悩まされなかったこと。

入院中は
することがなかったから?
頭が混線してたから?
なのか
夜ごはんを食べて
リラックスして
ゴールデンタイムのテレビを見てる内に
時間にしたら
19時過ぎには
寝てしまって
家族との連絡がつかない・・・という
自体になることも度々ありました。

病気の時は
食事をとれるかの心配もあるけど
眠れるかの心配もあるけど
僕は
この二つに悩まされることなく
入院生活を過ごせたので
本当によかったと思っています。

睡眠は
とても患者さんの悩ます問題で
日常の診察上でも度々
なかなか寝付けない
度々目が覚める・・・・など
睡眠の悩みはつきません。

本当に
眠れなかったら
つらいだろう・・・とも思います。
睡眠に対して悩んでいらっしゃる
患者さんに
寄り添いたく思っているのですが
睡眠できないのは
なぜ睡眠できないかの
根本理由を考えなければ
いけないと思います。

まずは
頭が疲れてないかということを
振り返っていただきたいと思います。
頭が興奮したまま
寝ようとしてませんか?

頭を悩ますものとして
不安、怒りなどの
興奮状態は大きく影響します。
また物理的にも
興奮させられてる生活をしてませんか?
寝る直前まで
スマホやPCを使っていると
頭が興奮した状態でいると
なかなか睡眠状態に入れず
いい睡眠がとれません。

是非
寝る前のスマホの使用はやめましょう。
また
痛み、かゆみなどの
身体的異常も影響しますから
そのことも教えて下さい。

睡眠障害の裏に
隠れてる
からだの使い方の異常を
取り除くのが僕の仕事だと思います。

なぜいい睡眠ができないのか?
睡眠がとれた日の朝は
しあわせにあふれています。
そんな日を過ごせるように
一緒に考え取り組んでいきましょう。

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古代日本の真実の姿は

昔から
古代の日本の姿に興味があり
「古事記」を読むのが好きでした。

古事記を読むと
神々の活躍がとても神々しく
現代に生きている僕の心に
力をくれている気がして
何度も何度もくり返し読み
淡路島などの
古事記のはじまりの伝承が残る地を
訪れたりしてました。

楽しく、興味をもって
接していたのですが
どこか遠い神話の世界
そして
名前しか出てこない神様が出てきたり
神話であるから
少し遠い世界に感じて
真実の姿を知りたくて
ページをめくりながら
どこか悶々としたところもありました。

そんな時
ひょんなきっかけから知った
「ホツマツエ」という古文書
その内容の真偽に対しては
色々な意見があるようですが
どこか引きつけらてしまいました。

同じ古代日本の歴史で
古事記の内容と一致する部分はありますが
古事記とのちがいは
神話でなく、全て生きている人の記録として
描かれていること。

古事記との違いもあり
びっくりしたのは
アマテラスの大神様が男性であったり
その奥さん瀬織津姫様だと書かれていたり
読み進める内に
へー、ホーとそうだったのか
びっくりすることだらけ。
古事記での記載も
同じこともあり
より詳しく、具体的に
みなさんの功績がしっかり書かれていたり
僕の興味のある
ニニギノ命のこともしっかり書かれている
あっという間に
惹きつけられました。

ホツマツエの古代の旅は始まったばかり。
これから古代の日本のことを思い、楽しんで
新しい発見をして
みなさんにお伝えできればと思っています。

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鏡の力

病気になって
感じたことのひとつに
自分のからだの中に
自分のからだを守ってくれている
力があるということ。

どんなに
からだにとって悪い生活
例えば
暴飲暴食、睡眠不足
ストレスを忘れるために
お酒を飲み過ぎたとしても
あなたのからだが壊れないように
必死で守ってくれているんですね。

僕も
リハビリ中も
まだ完治してないのに
残った力が協力し合って
できないことをしようとしてくれている力が
自分のからだの中にあることを感じ
その力に感謝していました。

その力って
もしかして人がいう
神様なのかもしれないなぁなんて思ってました。

最近
古事記より古い
古事記などの元になったかもしれないと
思えるような記述が多く見られる
ホツマツエという歴史の珍本が
あるのを知りました。

その中に
鏡のことが書いてあるんですね。
鏡と言えば
三種の神器の一つでもあり
古代から大切なものと
考えていたのです。

ホツマツエにも
鏡の記載があって・・・

世の中が乱れたときに
瀬織津姫様は
武力では人は変われない
こころを直すことが大事だと考えられ
伊勢神宮の下流の二見浦に
大きな鏡をつけられたたそうです。

なぜ、鏡なのでしょう?

鏡の”か”は明るい部分
“が”はこころの暗い部分
という意味があります。

ですから
自分のこころのなかにある
暗い部分
すなわち責め心、嫉妬、不安などを
知り、そして取り除くのが鏡の役割。

すなわち
かがみから”が”を取り除くことで
“か み”に出会える。
自分の中の神に会えるというのです。

鏡と言えば
日本だけでなく
西洋でも白雪姫などの有名なお話にでも不思議な力が
あると考えられた存在です。

自分の中には
神という存在があるけど
自分の中の暗い部分があると
神の存在を遠ざけてしまっているので
鏡には
本来の美しい自分を見る、知ることが
一番の役割なんですね。

自分の中に神様はいらっしゃるのです。
気持ちが塞いだときには
鏡を見て鏡の自分に笑顔を向け
明るい表情で過ごすと
明るく過ごせると思います。

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コロナウイルスが伝えたいこと

コロナウイルスの拡大が止まりません。
どんなに気をつけていても
ワクチンを受けていても
コロナウイルスは
人間のおこなうことを
ものともせず
感染拡大を広げています。

僕は
症状が出現するのは
からだからのサインだと思っています。
からだが僕たちに伝えたいことがあるから
症状を起こしている。
症状は大切な
からだからのメッセージだと思っています。

例えば
病気になると出現する頭痛は
安静にしていて欲しいから
熱が出るのは
免疫力を上げているから。
嘔吐、下痢もからだに入ってきた
危険なものを外に出すため。
皮膚の湿疹も
からだの毒物を皮膚の機能を使って
排除している証拠。
ですから
症状を抑えるのではなく
どうして今その症状が起きたいたかを
メッセージとして受け取り、
改善して、初めて症状がおさまり
病気が治癒するのだと
僕は考えています。

今、みなさんを苦しめている
コロナウイルスは
どんなことを伝えたいのでしょうか。

あくまでも僕の考えですが・・・・

コロナウイルスに特徴的な症状に
味覚、嗅覚障害があります。
何を食べても美味しくなくなります。
それは
今までどんなものを食べたか?
口にしているかを
考えてみないといけない。
そして重症化すると
肺の特に肺胞がダメージをうけ
とても苦しい状態になります。
そのダメージを受けた組織は
100%元通りに治すのは
困難だと言われています。

重症の患者さんを救うには
人工呼吸器、ECMOを使い
最先端の治療を、24時間つきっきりの
おこなうことになります。

患者さんの苦しさは
実際に想像を絶するものですが
医療人も必死なのも
今はからだは重症患者に寄り添うことはできなくても
こころだけは今でも患者さんと医療者にも
寄り添っていきたいと思っています。

コロナウイルスで苦しんでる患者さんに
こころを合わせたとき
ふと聞こえた気がしたのです。
コロナウイルスが伝えたいメッセージが。

「苦しいのは、助けを求めているのは
患者さんだけじゃないんだよ。
地球も、どんなに苦しい中でも
人々のために今も頑張ってくれてるんだよ。
人々の我欲を追求するばかりで
地球の資源を貪り、消費し
その結果空気はこんなに汚れ
環境は破壊され
自然に感謝せず食べ物をとり続け・・・・
地球は苦しがっていることを
気づいて欲しいんだ。
地球の環境を綺麗にすることが
自らの肺細胞を守ることにつながり
そして
免疫力を強くすることで
治癒できる可能性が広がるのだと」と。

コロナウイルスは
地球上の全ての人類に訴えているんだと思います。
地球の苦しさを
地球に変わって訴えている気がするのです。

コロナウイルスを鎮静するには
ひとりひとりが地球に対して
そしてコロナウイルスにでさえ
優しい、愛をもったこころをもてた時
なのかもしれません

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日本語は深い

毎日日本語を使って
ブログを書いてるし
ブログを書くだけでなく
毎日日本語を使って
日本人である僕は
当たり前のように
日本語を使って生きている。

何気なく日本度を使って
暮らして生きているが
何気なく使っている
日本語の単語一つ一つに
意味があるのです。

例えば、東西南北の意味は?
東は 陽の頭がでるかから
陽のかしら(頭)→ひがし
南は みんなが太陽を見るから
みなが見る  →みなみ
西は にを下ろして、仕事を終えるから
にをしまう  →にし
北は 気がたまる
北はエネルギーをためる →きた

だから
北枕で眠った方が
よく眠れると言います。

ちなみに
夜と言う言葉は
気が蘇るという意味
からきているようです。

ですから
夜遅く寝るのはよくないのですね。
エネルギーが復活することなく
朝を迎えると
その1日が元気に過ごせず
そんな生活をくり返していると
エネルギーが枯渇し
病気に向かうことが想像できますね。

夜は
エネルギーを充填する時間
睡眠が大事だと言うことを
昔から日本人は知っていたんですね。

さりげなく使っている
日本語は深い
これからの時代
グローバル化になってきているからこそ
日本人が
日本語を大切にしていかなければなりませんね

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君が代の力

オリンピックが終わり
パラリンピックが始まりました。

パラリンピックでは
日頃目にしない
競技を知る機会になり
また競技が異なっても
障害のあるなしに関わらず
選手達の
頑張ってる姿にこころふるわされます。

テレビで
選手の姿に感動しただけでなく
何度も”君が代”を聞く機会があり
君が代のもってるすごい力に
気がつきました。

メダル授与式では
金メダル授与式では
金メダル選手の栄誉を讃えて
金メダル選手の国歌に合わせて
国旗が掲げられますが。
実は
試合開始前に
両国の国歌斉唱があるんですよね。
その場面を観て
君が代のもってる力を感じました。

君が代を斉唱した後には
どこかシーンとした
場が静粛された印象を
テレビを観ていて感じました。
代わって
欧州の国歌斉唱。
明るくて、聴き終わった後には
闘志あふれる気持ちになりました。

どの国の国歌にも
様々な力を与えてくれます。

僕は
君が代には
君が代を歌うことで
場が静粛になるのではないか
きっと
その場の魔を払い
浄めてくれる力があるような
気がしたのです。

そんな時
こんな話をききました。

古来から伝わっている歌として
和歌があります。
最も古い歌は
スサノオが八岐大蛇を退治して
めでたくクシナダ姫と結ばれたときに
歌われた和歌

「八雲立つ 出雲八重垣 妻こみに
八重垣作る その八重垣を」
と言われています。

和歌は
57577の31文字でできています。
なぜ31文字なのでしょう?
31と言う数字は地球が太陽の周りを回る
時間を365日を12月で割った数になることを
現しているという話を聞きました。

そして
君が代の歌詞を見てみると

「君が代は
八千代八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで」
で字数を見ると
5/7/6(字余り)/7/7
で32文字なんですね。

この31文字でなく
一字多い32文字だと言うことに
意味があるのです。

和歌の字数は
お日様の周期を現していると
書きました。
お日様は昼間の世界を支配し
夜の世界を支配している星はお月様
お月様の周期は
太陽の周期よりも1日ほど
短いことが昔からわかっていました。

昼と夜の周期の差が
1日ほどある
昔の人々は
その1日の狭間に
”魔”が入り込むと考えました。

その”魔”を払うために
1文字多い32字の”君が代”を
作ったというのです。

小さい頃から
必ず式典の前にみんなで歌いました。
運動会でも、入学式でも、卒業式でも
みんなが集まる場では
必ず歌ってました。

幼い頃は
義務的に歌って(歌わされて)
退屈だなと思ってました。

でも今
改めて
君が代を歌ってる場を客観的にみたり
自分が経験した
君が代を歌ったときのことを思いかえすと
確かにどこか
静粛な気持ちになったことを思い出しました。

”君が代”を歌うことで
その場の”魔”が払われ
浄められてたことを実感しました。

あらためて君が代のもってる
すごい力を知りました。

昨今では
君が代を歌わないことも
増えているとか?
オリンピックの国歌斉唱を聞きながら
どこか
荒れ始めている気がする昨今を
浄め、乗り切るためにも
国歌斉唱の意義を再確認するときに
きている気がしました。

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作られたしあわせ

今若い人たちの間で
昭和の時代がブームだとか。

山口百恵、松田聖子、中森明菜などの
昭和アイドルの歌が
その歌詞に
描かれる世界に憧れるようだ。
今の時代
会えない時でも
メール、LINE、インスタ,Face Bookなど
今すぐ連絡をとる手段がいっぱいあります。
でも、昭和の時代は
今連絡とりたいr時には
家の電話しかなく
本人がでるともわからず
でも、連絡したいから
思い切って電話する。
そんな
今ならもどかしいような
生活スタイルが
新鮮なのかもしれない。

そして
昭和喫茶を訪れる人も多いとか。
昭和の調度品や
クリームソーダやミルクセーキ
鉄板に乗ったパスタでなくスパゲッティなどの
懐かしいメニューが求められるとか。
若い人にとっても
なぜか懐かしさを感じるという。

そして
そのどこか懐かしい風景を
記録しようと
写真をとるのが
今の時代の楽しみ方。

写真を撮って映えるもの
つまり
写真映えするものを
喜ばれるようだ。
写真映えするものが人気だから
写真映えするものを作ろうとする。
つまり
インスタ映えする風景を
作ろうとする。

でも
インスタ映えを求めるあまり
真実の姿を感じ損ねていないだろうか?

インスタ映えする写真は
確かに一瞬心ひかれるが
なぜか、すぐその気持ちを忘れてしまうから
不思議。

その写真は
真実の姿ではなく
作られた部分だけしか
切り取られていない気がする。

世の中を見渡せば
つくられたしあわせであふれている気がする。
そのインスタ映えするしあわせを求めることで
インスタ疲れしてないだろうか?

本当のしあわせは
写真の中にはない。
写真には記録されない
この目でしか見ることのできないもの
肌でしか感じることのできないぬくもり
としか
感じられないのだと思う。

作られたしあわせではなく
日常生活の中に
本当のしあわせが光ってることを
忘れてはいけないと思う。

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病気に感謝

病気になって1年以上
生活復帰して1年以上経ち
僕の生活は
病気する前と
同じようにできるようになり
できるのは
リハビリのおかげであることは
間違いありません。
しかし
病気の前後と全てが全く同じというわけではありません。

どうして
治った部分と
治らなかった部分がでてきて
しまったのでしょうか?

それは
僕が今生きていくために
必要なことは
回復できることができ
改めなくてはいけなかったことを
学ぶために
完全回復できなかったのかなぁと
思ったりします。

一番異なることは
ひと言で言えば
走ったり
ある行動をするときに
どうしても今までよりも
時間がかかってしまうことでしょうか?

走れなくても
一歩一歩歩くことが
大事なんだと言うことに
気がつきました。

振り返ってみると
それまでの自分は
忙しく、走り回るのが
いいことだ、
時間は自分で作って
働き、色んな会にも参加してました。
でも
生き急いでいたことを
教えてくれたんですよね。

今回の病気で
一歩一歩確実に
今日会った人とじっくりと
向き合える時間
そして
魂と魂の交流をするべく
生きていきなさいと
教えてくれた気がします。

気づきを与えてくれた病気に
今は感謝の気持ちです。

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本①神との対話

   入院中リハビリ以外の時間は
    安静の時間。

  からだを休めるのが目的だけど
  こころを休めるのも大事なこと。
  そこで
  日頃読めなかった本を
  例えば小説など
  気持ちがゆっくりしないと
  落ち着いて読めないような
  小説など中心に読む
  読書の時間がとれました。
  また
  買っていたのに
  いまだ読んでいなかった
  いわゆる積ん読のままだった
  本を読むのには
  いい時間だと感じ
  外泊を許された日に
  積ん読されたままの本の背表紙を見渡し
  手を伸ばしたのは
  Nウオルシュ著「神との対話」でした。
  この本は、全く普通の主人公が
  人生のどん底にあったある日、
  突然始まったまった神様との対話を記録した
  本だった。
  その内容は
  主人公に対しても衝撃だったけど
  読んでる内に
  神が主人公に話しかけている本の中の世界ではなく
  僕自身に話しかけてくれているかのように
  神が話しかけてくれいる気がしたのです。
  神が話してくれた
  自分について、人生について
  魂について、人生について・・・
  様々なことを
  何もわからない僕にも
  理解できるように
  根気強く説明してくれるのでした。
  ハッとさせられる
  気づきの時間でした。
  でも
  本を閉じると
  神はいなくなり
  神はやっぱり
  本の世界での話だと思ってしまいました。
  そして
  神と対話できる
  主人公をとてもうらやましく思えました。
  本を読む度に
  神に出会えるので
  僕にとって
  読書は至福の時間でした。
  本はいつかは終わります。
  読み終わった時は
  まだまだお話したい気持ちになりました。
  また神に会いたいとおもってたからか
  別の作者の
  神様との会話を記録した本にも出会うことになるのです。
  その本のご紹介はまた次の機会に
  この時間は
  神様とほんとに会ってたような
  対話していたかもしれないなぁ
  と今では思うような
  不思議な時間でした。
    サンタブログ20210826

 

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