「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
偉大な力の存在
最近の報道されるニュースは
世界中での争い
人手不足、値上がりラッシュ、
人々の誹謗中傷の声・・・
世の中の乱れが日に日に強くなり
誰もが不安な気持ちが
ましてきます。
でも
そんな不安な世の中でも
冬には水仙が咲き
その後梅が咲き終わり
河津桜、菜の花そして桜が咲き始め
どんなに人々のこころが乱れていても
春は訪れるし
夜は明け朝仁なり、また日が沈み夜を迎えます。
そして
これは自然現象だけの現象だけでなく
人のからだも
どんな状況でも
呼吸し、心臓は拍動し、
ものを食べれば寝てても消化し
僕たちが寝ても起きてても
からだは働いています。
自分が生きているのは
自分の力だけではないと思わざる終えないのです。
人間も含め
あらゆる物質の秩序は
規則正しく整然とした形式の中にあり
少しの狂いもなく
自然の法則通り
働いているのです。
この自然の法則は
太陽も月も、もちろん地球を含めた
全ての天体に及んでる力がある。
これは
ただの偶然だと考えていいだろうか?
いや、考えても考えても
偶然ではない
何か偉大な力が働いている
気がしてならない。
その偉大な力=神?
思ってしまう。
だから
僕は神は存在している
と信じてしまうのかもしれない
明るいこころ
毎日こども達と接していると、
小さいこども達は
天真爛漫な心、無邪気な心を持っていて、
どんな時も素直な気持ちで過ごしているなぁ
こどもは天性の明るさに溢れている
存在だと思います。
実はこの明るさは
こどもだけの特権ではなく
誰もが持っている
天から授かったもののはずなのに、
おとなになると、
生きていくうちに悩みが増えると
元々持っていた
明るいこころを忘れてしまい
こころが暗くなってしまう気がします。
仕事がうまくいかない時、
心身共に疲れた時こそ、
元々持っていた天性の明るいこころを
取り戻したいものです。
こどもの頃もっていた
天真爛漫な心を呼び起こす時には
こども達と積極的に関わって
童心に戻って見てください。
もしお子さんが身近にいなかったら、
自分の幼い時の写真を見て
そのこどもの時の笑顔に触れることで
自分の心の中にある明るさを
蘇らせられることができます。
天性の明るさを心の真ん中に置く生き方は、
日本人の生き方そのもの。
太陽のような明るい考え方、
明るい表情、明るい雰囲気、明るい言葉は、
すべての人のしあわせな人生に
つながっていると思います。
どんな時も、
心の真ん中に明るい心を
持って過ごしましょう。
人が善行に励むわけ
ウクライナとロシアの戦争も長期化し
中東の国々では戦禍に苦しんでいます。
世界に平和が訪れる日は来るのだろうか?
と思うのは僕だけではなく
戦争反対の声をあげる人は
日に日に増え
それに応じて
その声を上げる行動の表れとして
様々な寄付機関もあり
少しでも平和な世の中になるように
なればと思ってる人が増えています。
世の中が乱れたときに
困った人がいれば
その人を助けてあげたいと思うのが
人情ですが
その時、行動に出るきっかけが何かを
神経学者の池谷祐二氏が
「人は他人の目が合った方が
善行に励む」と
仰っています。
慈善のスタンスは国によって大きく異なるけど
2018年のCFAの世界寄付指数レポートによると
慈善活動をに寄付した国民の割合
第1位が見ヤンマー、2位がインドネシア
いかがオーストラリア、ニュージーランドと続き
日本はランク外
アメリカも最近は寄付離れがすすみ
12位という結果がでたそうです。
その寄付離れの理由は
「他人のための行動は
利己的な行動よりも清らかなことだ」
と寄付を美徳として
崇めすぎた結果だと
池谷氏は分析しています。
つまり
人は他人の目が合った方が
善行に励みます。
名前を公表する方が
寄付も集まりやすいそうです。
そういえば
日本も海外の援助するときも
ニュースになることがほとんどです。
寄付をした行為を
知ってもらえた方が
寄付の励みになるのは
わかる気がしませんか?
そういえば
天皇陛下が
東日本大震災の被災者や
コロナの医療従事者に対して
ご自身の資産から1億円寄付された
ことを思い出しました。
みなさんは
天皇陛下のこの寄付のことご存じでしたか?
僕は知りませんでした。
それを知ったときに
天皇陛下は
やっぱり徳を積まれている方なんだと
思いました。
僕も天皇陛下を見習って
僕も他人の目を意識せずとも
善行を積める人間になれるように
日々精進したいと思います。
ぼくが生きてる、ふたつの世界
耳の聞こえない両親のもとで
愛されて育った少年の
生き様を映画化した映画を観た。
ろうあ者である両親は
結婚をもそしてこどもを産むことも
周りから大反対されたけど
二人の強い愛で乗り越えた。
そして、どんなこどもが生まれ
愛情一杯注いで育ててきた。
幸いにも異常もなく生まれたこども大(吉沢亮役)は
成長するに従って
自分の親が周りの親と違うこと知るようになり
人生の挫折があった時に
親に自分がコーダとして生きている環境の
性だと親に自分に対する不満を
親にぶつけてしまうのです。
自分のやりたいことを見つけるために
東京に出て
社会というものを経験し
ろうあ者とコミュニティーに参加することで
自分の知らなかった世界を経験していく。
そして
彼は、自分が両親を支えてきたと思っていたけど
実は、大きな愛情で支えられていたことを
知るのです。
母親の愛情ある姿に
自分の母親の姿と重なり
自分の母親はろうあ者ではないけど
映画中の母親と変わらない愛情を
注いでくれたことを
思い出とともによみがえってきた。
その時どんな思いで僕に接してくれたかは
確認しないことは出来ないけど
母そして父の愛情ある子育てが
この映画と重なって思い出され
両親にも僕の生きてきた世界と異なる世界が
あることを思い出させてくれたたことに映画でした。
天国が宮殿だとしたら
誰も死んだ後のことはわからない。
でも
僕は死んだ後の世界は
きっと自分の望んだことが
全て叶うような世界ではないかと
勝手に思ってるけど・・・
そんな自分の望んだ世界にいるのだとしたら
どうして
またこの世に生まれてこようと
思うのだろうか?
そんな時
ロシアの文豪ドストエフスキーの
「死の家の記録」に
以下のような分があることを知った。
ひとつ宮殿を建ててみるがいい。
大理石や絵や金細工で飾り立てて、
極楽鳥を放ち、色とりどりの庭を作り
ありとあらゆる趣向を凝らす・・・
そしてそこにはいってみるのだ。
きっと
もはやどこにも行きたくなくなることだろう。
諸君は本当にそこからでないかもしれない。
何でもそろっているかららだ!
「幸せ者は高望みをしない」と言うではないか。
急にちょっとした変化が生じる。
諸君の宮殿のまわりが塀で囲まれて
諸君はこう告げられるのだ。
「何もかもおまえのものだ!
存分に楽しむがいい!ただし
ここから一歩もでてはいけない」
すると、請け合ってもいい、その途端に
諸君は自分の極楽を捨てて
塀を乗り越えて外に出たくなるのだ。
そう、そこに足りないものはただひとつ
自由だ!
自由で気ままな暮らしなのだ
とドストエフスキーは書いている。
きっと帝政ロシアの
静粛された時代の中で生きてきて
自由に生きることが
どんなに大切かを感じたのだろう。
多少生きづらくてもいい
自由にその時の自分が感じるままに
生きたい。
そんな自由に生きることを
人間は求めて生きているのだろう。
だから
天国にいたとしても
人はまた生まれ変わってこの世に生きたくなる。
だとしたら
今、どんな状況であっても
この世で生きることが僕たちの望んだこと
だから今という時間を
大切に生きないといけないんですね。
思いやりのこころ
人は日々戦っています。
武器を持たなくても
生存競争、受験戦争に
日々の生活の中で闘い続けています。
生きるためには
必要な戦いもあるけど
ただいのちのためにではなく
自分の欲を満たすために
自分以外の人を傷つけてしまう
戦争も起こしてしまうことも
あります。
人間はいつから
戦うことを覚えてしまったのでしょう。
人間は元々は
戦うことは望んでいなかったと思うのです。
なぜなら
生まれた時は
喜びいっぱいの気持ちに溢れて
この世にいたはず。
そして
こどもの時は誰でも、
困っている人を“助けたい”と、
優しい気持ちを
いっぱいもっていたずです。
それなのに
おとなになるにつれて
優しい気持ちが薄れてしまうのでしょうか?
でも
こども達と接すると、
どんなに戦闘モードに入ってた人でも
こどもの時に感じていた
優しい気持ちを思い出す場面があることでしょう。
でも
日々こどもと接すして働いていても
いつもこどもと同じ無垢な感覚を
持ち続けることはできないのが悲しいところです。
しかし
こころが洗われた瞬間があると
今までの生きる世界が変化を感じます。
看護師、保健師、学校の先生などのように
こどもと関わる方々だけでなく
子育て中のお父さんお母さん
子育て中でなくても
バスの中、町中で
無邪気な子供の姿に触れた時
こどもの時感じたことを思い出し
こどもの気持ちをもっとわかってあげられると思います。
子育ては大変だと思われている方
ご家族の介護でお疲れの方
ご家族のことが手いっぱいで
仕事、家事、全てのことを
完璧にできない時もあると思います。
僕も仕事で疲れ切った夜は、
いつも優しい父親でいることはできません。
でも、
こどもの顔を見ると、どんな時でも不思議
と「明日もまた、頑張ろう」と活力をもらいます。
家族は思いやりのこころという
絆でつながっていると思うのです。
だから、
こどもと過ごした時には
ご家族と過ごした時間は貴重な時間です。
生きていることに感謝し、
いつもこどもの頃持っていた
“思いやりの心”を思い出して
過ごすことができれば
きっと、戦争なんて起こらない世の中になると
思うのです。
こころが荒れたと思った時に
そっと目を閉じ
ご両親の温かさや
こどもの時の気持ちを思い出してみませんか?
こころを込める
人は
ひとりでは生きていけません。
でも自分を大事にするあまり
その事実を忘れてしまい
自分勝手な考えに占拠されて
自分と人との狭間で苦しむことがあります。
人のために
喜んでそして心をこめて生きることを
学べるのが育児だなのかな?と思うのです。
育児は毎日山あり谷あり。
お子さんの前で
お母さんもお父さんもはいつも笑顔でいたいはず。
だけど、
思わず大きな声で叱ってしまう出来事も起こります。
叱った後、
大泣きしているわが子を見て、
我に返ることもあるでしょう。
お子さんはその時どう思っているか
不安になることもあるでしょう。
我が子のためと思っても
自分のためになっていないでしょうか?
ある時、
亻(にんべん)の文字をジッとみていると、
「亻」が母の姿に思えてきました。
「優」の字を見て、
幼い頃、憂いの時いつもそばにいてくれた「
「優しい母」のことを思いました。
「信」という字を見た時
どんなことを言われても、
かたわらにはいつも母がいたことを思い出しました。
だから今、人を「信じる」ことができる。
母とケンカしとことも
今では忘れられない思い出になっています。
こどもと、本気で向き合う心は、
母がこどもを思う祈りです。
そして、
母の祈りは
こどもの心の中に永遠に生き続けます。
だから、この思いは必ず届くと信じ、
「この瞬間」そして「この場所」に心をこめましょう。
喜ぶ時も、悲しい時も怒っている時も
おこさんだけでなく相手のことを思い
心をこめましょう。
心をこめた思いは必ず通じますから。
働く目的
仕事をする目的は
生きていくために
お金を稼ぐためだけでない。
自分が生きていくために
お金を稼ぐことだけを
目的にしてはいけないと思う。
働く目的は
人のためになることをするのが目的。
人に喜んでもらえたことで
その対価としてお金をもらえるのです。
働く目的が
私利私欲のためだけではなく
奉仕、利他のこころを忘れてはいけないのです。
だから
人は最高の奉仕と最高の品を
提供してくれる店を好みます。
他者をしあわせにすることが
自分のしあわせにつながること。
自分以外の人がしあわせになるためには
奉仕の気持ちが欠かせないのです。
世の中には反映の法則があります。
自分の利益を追求する
利己主義の法則には従わないのです。
利己主義の追求は
今の世の中を見渡せば感じると思いますが
戦争のような
破滅の状況が待っているんです。
つまり
自分のために生きているのではなく
自分以外の人のために
生きていく存在なのです。
人という感じが示すように
お互い支え合って行くのが
人の道なんです。
だから、どんな仕事をしようが
どんな毎日を送っても
忘れてはいけないのは
誠心誠意、魂を込めて取り組み
決して今の環境に甘んじないことが
生きた仕事ができる環境が
整っていくのでしょう。
チャンスをつかむ
チャンスがない
運がないって
嘆いてないですか?
あきらめてないですか?
実は
チャンスは
誰にも平等に与えられているんです。
そして
チャンスは
自分のまわりに
たくさん転がっているのです。
”チャンスがない”
”運がない”って
嘆いてる人と
チャンスをつかんでいる人との
大きな違いは
自分の周りにある
チャンスに気がつくか
どうかなんです。
チャンスをつかむためには
どうしたらいいのでしょう?
あなたは
人から何か頼まれたときに
どんな風に対応してますか?
即答できますか?
後で、考えてお返事しますって
返事を先送りしていないですか?
実は
頼まれたときに
即答できるかどうかが
できるだけ早く返事をすることが
仕事だけでなく、
何事においても
福を呼ぶ、チャンスをつかむ
というこにつながっるような気がします。
即答する力を身につけるために
何をするべきなのか?
ぼくは、日ごろから
まわりの事をよく観察すること
つまり
まわりに今何が起きているのか
観察し、判断する、そして動く
力を磨くことが
必要なんだと思いいます。
まわりのことを
よく観察するためには
好奇心と人に対する思いやりの気持ち
が大切ではないかと思います。
人に喜んでもらおう
人の役に立ちたい
という気持ちをいつも持っていれば
今
自分にできることはないか?って
まわりに対する観察の目が広がることでしょう。
その力は
自分だけに使うものではない
そして
誰かが察するSOSのサインを
いち早くキャッチでき
いち早く手を差し伸べることが
できるようになります。
その行動を起こすことが
日頃からの
心がけ、即答することで
磨かれる気がします。
まわりの人の
役に立ちたい
喜ばせてあげたい
そんな気持ちで日々過ごすこと
そんな行動力が
自らにもチャンスを生み
そして
多くの人にも
しあわせをもたらすことに
なるんだと思います。
☆ 今日の山口は、曇ったり雨が降ったり
なんだか落ち着かない天気です。
天気のように、僕の毎日も
昨日は昼周南、夜は下関。今日午後は防府市で
あっちに行ったり、こっちに行ったり
忙しいけど、楽しんでる自分がいます。
動けば、動いた分だけ出会いと学びがあるから^ ^
全力で生に仕えよ
生まれてきたものには
必ず死が訪れる。
いつ死が訪れるかは
誰にもわからない。
どんなに偉い人でも、宗教家でも
わからない。
そして
いつ迎えられるかわからない
死について
どう生きればいいのか
多くの人が考えてきた。
例えば曹洞宗の開祖であられる
道元は禅師は生を全うすることを
正法眼蔵で次のように書いている。
「生の時はただ生。
死の時はただ死。それ以外には何もない。
だから、生の時は全力でただ生に仕えよ。
余計なことを考えて他を案じるな。
死の時は
ただ全力を持って死に仕えよ。
それが生きるということであり
死ぬということである。
生と死は
因果関係で結ばれたものではない」
これが生ききることだということ。
頭でわかっていても
実際には難しい
