真実の医療」カテゴリーアーカイブ

臨死体験(本日も通常通り診療中です)

人が平等に必ず経験すること。
それは誕生と死。
いつ、どこに誕生するかということは
自分で決めて生まれてくると言う話を
最近よく耳にします。

それが事実であったとしても
生まれてしまった後なので
あ、そうなのかと
自分で納得して生きていくかどうかで
生きていくことに
あまり影響はしないかもしれません。

でも
死については
ちょっと話が違います。
必ず経験することだけど
いつその日が訪れるのか?
死んだ後一体どうなるかも
全くわかりません。

死を経験して
その後の話を聞くことは
できませんが
死にそうになったひとが
耳聞きした経験を知ることがあります。

それを臨死体験と言いますが
自らステージ4の前立腺癌になった
石蔵文信医師の臨死体験の経験を
次のように語っています。

体調が悪く、まもなくいのちが尽きるだろうと
思った瞬間に、
とても奇妙な体験しました。
それは若いときの夢をよく見たのです。

はじめは20代くらいの夢でしたが
そのうち10代後半、10代前半の夢
そして幼い頃の記憶に残ってるような夢も
みました。
奇妙なことに
次第に若いときの記憶に移っていくのです
と語られています。

瀕死の時には
夢として
自分の決めたとき人生を
どのように振り返る時間ではないでしょうか?
その記憶を携えて
我々は旅立っていく。
その次のステップにむかって
進んで行くのです。

死で僕の人生は終わらないは事実かも
その後の人生はその後のお楽しみにして
今は今を大切に生きることが
きっと大事なんでしょうね。

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養生の心得(お盆期間中も診療します)

養生と言えば
健康であるための心得、生き方とも
言えるが
生活に落とし込むためには
それなりの覚悟もいると思う。

石田三成が
処刑場に向かった時
飲み物を進められて
「体に悪いから」と断った
逸話が残っている。

石田三成の
強い意志が感じられる逸話である。
ここに我々が学ぶのは
やると決めたら、最後までやること
それが養生というもの。

養生をするのが
当たり前になるまでやる
どんな時にも身についているのが
養生と言える。

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見えない自分の背中(お盆期間も診療します)

自分のからだなんだから
自分のからだのことが
一番わかっているのは自分。
わかってあげられるのも
自分しかないと思ってしまう。

でも、実際のところ
一番わからないのが
自分という存在では
ないだろうか?

自分のからだなのに
自分の背中を
自分の目で見ることはできない。
人に見せている
自分の顔だって
鏡を見ないと自分の顔すら見ることができない。
うれしい顔も
悲しい顔も
怒った顔も
普通にどんな顔もわからない。
鏡を使ってみても
左右逆の顔しか
知ることができない。

だから
自分については
自分以外の人に尋ねるしかない。

特に
からだが悪い時には
医者などの自分以外の人に
頼らざる負えない
僕自身も
他の人のからだを客観視できるけど
自分のからだは
混乱してしまうことも多い。
だから
相談した相手が
僕の何を見ているのかが
とても大事に思える。

僕のからだを
どんな思いでみてるか?
からだだけでなく
こころも魂も診てくれると
とてもありがたいと思う。

だから僕も
患者さんを診るときには
患者さんが見ている部分だけでなく
患者さんが見えない部分も
診て、伝えて
本当の健康を手にしていただきたいと
思うのです。

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肉体を監督する存在とは?

からだは、家などの建造物と違って
からだの中身も構造も
時間が経つと変わっていることが
わかっています。

10年も経てば
細胞ひとつから
10年前の細胞と全く別の
細胞に置き換わっているのです。

そして毎日の生活においても
僕たちは
毎日食べ物を摂取し、排泄し
その繰り返しを日々くり返す内に
日々
からだの内容を変えているのです。
それなのに
肉体的変化を
感じながらも
統一した同じ自分、自己を
維持し
生涯ひとつの肉体、人生を形作って
生きていけるのは
不思議だと思いませんか?

自分が、自分としての生涯を生きていけるのは
そこには
自分のからだをまとめてくれている
主宰舎のような力が
働いているからではないだろうか?って
感じるのです。

この力があるから
60兆もある細胞
それも日々変化している細胞を
統一されて
昨日と同じ自分
1年前と同じ自分
死ぬまで同じ自分として
生きていけるのでは
ないでしょうか?

僕たちが
今ここにいられるのは
この僕たちのからだをまとめてる
監督のような力の
おかげなんでしょうね。

この自分自身をまとめている力は
自分がこうしようと思って
できるような力ではありません。

この力は
自分では意識できない
深いところにあり
今の科学では解明できないような
非常に複雑な力、働きであり
この力は
自分だけでなく
生きている人や動物、植物にも
存在し、それぞれに働いているのです。

それは
この地球上の生物だけでなく
地球そのものにも
太陽にも
宇宙全体にも働いている力が
存在してるから
僕たちは、今ここに存在できるのでしょう。

この宇宙全体を統一している力のことを
我々は昔から神と崇めている
存在なのかもしれません。

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病気の休日が欲しい

入院中は
日曜日も、祝日も土曜日もなく
毎日決まる
リハビリのスケジュールをこなすのが
入院中の僕の生活でした。

もちろん
先生、看護師さん、リハビリのスタッフさんは
休みがしっかりとれる体制で
毎日おこなわれる
リハビリをサポートしてくれてました。

機能回復ために
1日でも無駄にできないので
毎日、休むことなく
そして、世間ではコロナ感染中の中
リハビリができることは
とても有り難く環境にあることに
感謝していました。

でも
時には休みが欲しいなぁと
勝手なことを思うこともありました。

病気になった人にとって
僕よりも長く闘病している方もいる
痛み、きつさなどの苦痛と戦っている人もいる
強い治療に耐えていらっしゃる方もいる。
僕なんかより
ずっとずっと
病気に苦しんでる方もいらっしゃる。
・・・・と思った瞬間
今まで担当させていただいた
患者さんの顔が目に浮かび
その思いがこころの中に
こだましたのです。

長く病気をしてる方にとって
一番の願いは病気が治ってしまうことでしょう。
でも、治癒の道はまだ途上だと思っているときに
ますは
一日でも病気の休みがあればと
願うでしょう。

明治時代の俳人正岡子規が
こんなことを書き残しています。
「願わくば、神まず余に
1日の暇を与えて
24時の間自由に
身を動かし、たらふく食を貪らしめよ」と。
また
こどもが病気になった時、親は
わたしが代わってあげたいというのをききます。

僕たち医師としての願いも
病気を治すことが
一番の目的だけど
1日でも病気の苦悩を忘れられる
病気の休日を作ることも
考えないといけないと思うのです

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記憶力を維持する方法

年取って健康を脅かす病気に
認知症があります。
認知症になると、
記憶力を含んだ思考能力が低下し
認知症の自身だけでなく
周りにも迷惑をかけてしまうので
自分だけでなく、周りにとっても
悩ましい病気です。

その認知症を防ぐには
やはり有酸素運動がいいのです。

最近の研究で
脳内にある海馬のニューロンが生まれる数は
有酸素運動を行うことによって
飛躍的に増加することがわかったのです。
しかし
その増えたニューロンは、
そのままにしておくと
28時間後には消滅してしまうというのです。

ですから
知的刺激を与えると
ニューロンは活性化され
脳内ネットワークがより密に構築されるというのです。

ですから
仕事を始める前に
ジョギングしたり、泳いだりと
有酸素運動を習慣かにすると
認知症防止できるのですね。

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からだに表れる気づきのサイン~メタトロンが教えてくれること~

僕たちが
この世に生まれ生きているのには
きっと意味がある。
この世でやらないといけないこと
学ばないといけないことがあるから
この世に生まれきたのだと
僕は、思っています。

でも、生きているときは
どうして今ここにいるかなど
目的を忘れてしまうし
違う方向に行っていたり
無理をしていて
頑張り過ぎていたりしまう。

そっちに頑張りすぎていても
気づかないのは
どんな状況でも
自分自身を応援している
自分のからだが頑張っているんです。

僕たちが
がんばれるように
支えているくれていることが
メタトロンを通じて
教えてくれます。

メタトロンで
異常を示すところは
え?この部位に異常が?って
ことが多いです。
痛くも、かゆくもない
思っていなかったところだったりします。

それをみて
このメタトロンが間違ったことを
示してるてるわけでなく
この部分に負担がかかってるよ。
症状がでないように
からだが頑張っていることを
教えてくれるんですよね。

からだ自身が
僕たちが頑張れるよう
この世の思いを実行できるように
いつも無言で
支えてくれているんですよね。

でも、からだだけでは
支えることが難しくなったら
からだに色んなサインをだすようになります。

頭痛が表れるのは
頑張りすぎていること
だるいのは
休んでもらいたいこと
眠れないのも、食欲が落ちるのも
からだが支えるのが
限界に近づいてることを
教えてくれているんですよね。

いわゆる
からだからのメッセージなんですね。
ですから
頭痛があるのに
痛み止めを飲んで、痛みをごまかしても
また痛みがでる
それも薬が効かなくなるのは
からだがもっと強く気づいて欲しい
メッセージを伝えているのです。

からだからのメッセージは
僕たちのことを思ってのサイン。
だから気づいて、指示にしたがって欲しいのです。
自覚がなくても
メタトロンで頑張ってうことがわかると
いたわりの気持ちをもてもらいたいのです。

その様に
生きていくと
今、生きている時間が
とても輝きだすことでしょう。

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本物の味を知る

入院を経験したことのある方から
こんな話をきいた。

入院中
治療のため
絶食を強いられていた時期が
あったそうです。

絶食中
絶食後初めて食べるものは
どんな食べ物でも
どんなに美味しいことだろうと
思っていたそうです。

しかし
絶食後はじめて口にした
おかゆがとてもまずかったと
教えてくれました。

おかゆは
お米と水が大切なので
とてもシンプルな分
最高のごちそうになるけど
まずい食べ物になるのです。

その患者さんは
舌で感じる味覚の感覚が
絶食したことによって
磨かれ、敏感になったのです。
おいしい水、お米の味を
区別できるようになったのでしょう。
それからは
それまで嫌いだった野菜のおいしさが
わかるようになって大好きになったとか。

僕たちがおいしいと感じるのは
舌で感じた味覚に対して
驚きがあるときなんだと思う。

この驚きを産むために
最近テレビでは
魔法の粉とか、別の素材を使って
驚きのおいしさを演出しようとしているものが
増えてると
舌の味覚が衰え、
本物を知る感覚が麻痺してしまいます。

いわゆる
おいしさを手軽に感じるために
巷では
添加物が多く含まれる食品にあふれています。

実際
舌が元気だと
添加物が多いと
味が濃く感じたり、
なんだかその素材に違和感を感じて
食が進まなくなるのです。

おかゆでさえまずく感じた患者さんは
絶食したことによって
舌の麻痺していた感覚も
改善したのでしょう。

現代は
一年中、季節に関係なく
好きなものをいつでも食べられる
時代に生きているのはのは
しあわせなことでしょうか?

最近、肥満や腸の異常で
受診される方が増えてきている気がします。
自然にあるはずの
本物を取り入れていれば
こんなに今苦労しなくても
良かっただろうにと
食生活の話をききながら
思います。

今からでも遅くありません。
人の手のなるだけかかっていない
自然にある本物のものを
取り入れて生活して欲しい。
そのことをお伝えしたく
患者さんにお話しています

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こころの栄養も大事

何を食べるかって
とても大事なこと。

だから
ファーストフードばかり
インスタント食品ばかり
大量生産された、お弁当や食品ばかり
スナック菓子ばかり
こんな食事はお勧めしないけど
もし、こどもにこんなことを言われたら・・・・

ハンバーガーのM店に
時々食べに行くことがあります。

ここでは
いつも忙しくしているお母さんも、
朝ご飯を作らなくてすむからなのか
ニコニコされています。

みんなが笑顔になれるハンバーガーは大好きです

でも
ファーストフードは栄養面などの点で
オススメはできないし
食べるのを極力控えるべきものです。

でも
食べることは栄養だけが目的じゃない
家族そろって
家族全員笑顔になって、
みんながしあわせな気持ちで
食卓を囲めた食事なら
栄養面以外の大切さがあります。

だから
そのことを理解して
食べるならたまにはOKですよね。
こころの栄養も大事ですから。

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全人的に診療するとは

我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。

患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。

でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。

しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。

最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。

しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。

病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。

でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。

だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。

病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。

生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。

ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う

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