真実の医療」カテゴリーアーカイブ

木偶の坊(デクノボウ)になりたい

木偶の坊になりたいという言葉が
宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩の中に
でてきます。

この詩を読む度に
僕の意志としてのこころを揺さぶる詩です。

この詩の言葉ひとつひとつが
僕に語りかけてくるのです。
そして、僕の生きる目的、使命を
思い出させてくれるのです。

僕が日々こうして文字を綴っている目的に
気づいたのです。

自分はこれまで生きてきて感じた
価値ある思想や教えをひとりでも多くの人に伝える
パイプ役になるのが
自分にとっての大切な役割だと
思うようになったのです。

何も威張れるようなことも、恥じらうこともない
極々平凡な自分だからできることがあると
この詩を読ん強く思うのです。

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希望も投資

夢や希望などなくても
生きようと思えば生きていける。

夢や希望について考えてみると
夢や希望を実現するために
今を犠牲にして
将来の利益を得ようとするという意味では
投資と同じかもしれない。

投資するとき
どんなに慎重に行っても
堅実に行ったとしても
時間が経つと状況は変わり
失敗することもある。

夢も同じ
どんなに確実に、計画的に行ったとしても
自分が思ったように
時間が流れて行かないもの。
夢を叶えるためには
運も必要だともいわれています。
投資も同じですよね・・・・

ですから
夢や希望が叶わない、失敗したからといって
落ち込むことなく
次に進んでいくことが大事だと思うのです。

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病気は愛を知るために

病気になったり
悪いことが起こると
なぜ、どうして
こんなめに合うのだろうかと
考えてしまいます。

僕も病気になって
落ち込み、悩みましたが
日が経つにつれ
病気は
自分に愛とは何かを
教えてくれているような
気がしてきたのです。

人に与えられた最高の感情は
“愛”なんだと僕はずっと思っていました。
今回の病気の経験で
愛を知るためには
悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ、嫉妬など
あらゆる負の感情をも知ることで
本当の愛を理解できる。
つまり
愛とはあらゆる感情の総和
あらゆるものの集合
いいも悪いもない
全ての感情であることに気づいたのです。

そして
あらゆる感情を経験するために
人は様々な経験をするのだ。
様々な経験を通して感じた感情が
人として
心もそして魂も成長させるのだと思います。

だから今回
病気になって感じた
正直な思い、感情を大切にして
生きていくことが大事なんだと
教えてくれていることに
気づきました。

病気になったのも
魂が成長するために必要な事なっことだと思います。
だから今の思いを感じることを大切にして
生きていかないといけない。

実はこれまで
病気になる前にも
愛を学ぶ機会って
沢山準備されてたんですよね。
それにきづくかどうか

今日も
どんな一日になるのか
1分1秒先のことさえ
どんなことが起こるのか
誰にもわかりません。

でも
どんなことが起きても
その時の気持ち、思いを
しっかり受け止めて
その思いを大事に生きていかないといけない。
それ が“愛を知る”というなのかもしれない
・・・・・そんな気がするのです

☆今部屋には温かい朝日が差し込んでいます。
でも、だんだん天気は下り坂とか。
どんな一日でもあっても
今日という日を大事に過ごしたいですね。

追記
今バドミントンの桃田選手のインタビューが
放送されてました。
予期せぬ事故で悩んだと思いますが
その時感じた苦悩、応援などの思いをしっかりと受け止め
大切にして
今回の経験からきっと思いを感じたから
またひとつ強くなられて
オリンピックで必ず金を取るという
強い言葉になったんだと思います。

蘇った桃田選手のこれから注目です。
僕も応援します。

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人間の本質は魂

人間の本質は肉体だけではなく
その中に宿る”なにか”と考えた方が
絶対的に腑に落ちます。
これを”意識体”と呼ぶ場合もあります。

人間の本質は
肉体でも脳による思考でもなく
実は、それらから独立した意識を伴った存在
なのではないでしょうか?

一般にこの損自我肉体と繋がっている時は
”魂”と呼び
肉体と離れると”霊”と呼ぶのでしょう。

そして
この意識体が、肉体と繋がっている時を
我々は{生きている}といい
肉体から離れることを「死」と
呼んでいるのです。

肉体から離れた意識体は
肉体から離れても滅ぶことなく
自然に帰っていくと考えられています。

肉体は滅んだ後は
意識はのこり、僕たちの意識体はずっと存在していくのです。

だとしたら
死んだら終わりという生き方を
変えていかないといけませんね。

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天の理にかなった暮らしが一番

日の出と共に起床し(早起き)
よく働き(からだを豆に動かす)、
その土地の旬の食材を使った食事をとり
好き嫌いをせずによく噛んでいただく。
(農薬の心配のない新鮮な野菜、保存料などを使っていない
手作りの食事)
何事にも感謝と思いやりのこころをもち
(ストレスを生まない)
帰宅したら手をよく洗う(清潔)
日暮れにカラスとともに返り、
一家団欒で夕食をとる。
そしておとなも、こどもも21時になれば
当然のように就寝する(早寝)。

これが
今の日本人にあっか
基本の生活習慣なのだと思う。
思い返せば、昭和の時代の生活
それも戦前までの生活なのだと思う。

現代の生活は
テレビ、車、携帯電話、スマホ、パソコン、冷暖房完備など
昭和の時代よりも
ずっと便利な文明の利器があふれていています。
すぐ、知りたい情報を
受け取ったり
欲しいものを手に入れたり
住環境も快適になっています。

でも、現代は、昭和の時代よりも
人間だけでなく、ペットまでも
健康に不安を抱えている時は
なかった気がします。

なぜ、こんな状況になったのか
文明の利器に頼るのではなく
自分の生活を見直すことから
考える必要がある気がします。

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病と病魔とのちがい

病気になった時
よく”闘病中”という言葉が使われます。
この言葉は
病気と闘うのだという意味でしょうか?
病気は敵なのでしょうか?
病気はあなたを苦しめているから
闘わなければならない。
という、どこか敵を作って
自分を鼓舞する言葉のようにもとれます。

この闘病という言葉
なんと闘うのでしょうか?

僕は闘う相手は
病気ではなく、病魔だと思うのです。

”魔”は仏教の言葉でもあり
別名”奪命者”と訳されます。
広くは、
「生命力を奪い、生きることを阻もうとする働き」
のことだそうです。

ですから
病気は生命力を奪う物であることには変わりはないですが
それは目に見えるものであり
もっと闘う相手は
病気の奥に隠れている魔なのです。

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医師に必要な4つの力

これから世の中は
AIの登場で大きく変わると思います。
色々な職業が、働き方が
様変わりすることが考えられるます。

でも
僕は人間しかできない力があるか切り
医者という仕事はなくならないと思います。
医者としてはAIが単純作業をおこなってもらえば
仕事内容は効率よく
もっと、患者さんに寄り添うことに
集中できるのではないかと思います。

そのためには
医者として働くためには
AIがもっていない
能力をもっているからです。

その力とは
身体診察力、論理思考力、プレゼンテーション力
コミュニケーション力でです。

つまり
ひとりひとり大事に、丁寧に
その方に寄り添って診ていく
指先から感じるとる能力が
身体診察力です。
そして、自分で得た、感じたことから
診断し、そして
患者さんに一番の治療を選択していく治療法を
選択していく能力が
倫理思考力です。
そしてその選択をした理由などを
患者さんに伝えないといけません。
それも目の前の患者さんに対して
わかりやすく伝えなくてはなりません。
それがプレゼンテーション力です。
最後は
診療は独りでは行えません。
看護師さん、事務の方、薬品の卸さん、検査会社の方
また時には他科の医師とも連携して
診察を進めなければなりません。
そのためにもコミュニケーション力が必要になります。

この4つの力が大切ですが
どの力も、医者として
目の前に患者さんのために働こうといえば
日々磨かれていく力です。

AIにはできない医者としての力は
患者さんのために自分の今もっていることに
全身全霊込めて働くことだと思うのです。

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「あたま」との付き合い方

毎日診察して感じることは
自分自身の「あたま」「からだ」「こころ」
との関係です。

この3つが整って
初めて健康になるのです。
つまり、
「からだ」が心地よい方向に向かうには
「こころ」が求める方向に生き方がかわり
「あたま」がその2つが望む方向に働けば
健康と感じられるのです。

でも、受診される方の多くは
「あたま」中心の考え方で生きている方が
多くいらっしゃいます。

「あたま」はこれまでの経験したことを元に
「こうすべきだ」「こうしなければならない」という
義務系や命令形で伝えられ
「こころ」からの声は
「こうしたい」「これが好き」「心地よい」という
メッセージを送ってきます。
そのどちらのメッセージを受け取るかで
あなたのからだの状態が決まってしまいます。

いつまでも不調に悩んでいる方の多くは
「あたま」からのメッセージに悩まされている方が
多いような気がします。

「あたま」とのある程度の距離感をもつことが大事。
「こころ」からの声にも耳を傾けることが大事です。

こうはいっても「あたま」もあなたの
体の一部ですから
決してあなたをおとしめようとしているわけでは
ありません。

「あたま」も必死で頑張っているのです。
ただ、情報が多すぎることが原因で
「あたま」も過重労働状況に陥っているのです。
ですから
「あたま」を休ませて下さい。
頭が疲れていると思ったら
スマホ、パソコンのスイッチを切ったり
スマホの電波の届かないような
自然の中に身を置くことが
大切なのです。

あなたが今聞いているのは
「あたま」から、「こころ」からの声ですか?

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病と闘う時代は終わった

これまでは、病気になると
闘病生活に入ると言ったり
病との戦いに勝って必ず元気になって帰ってきます
など、勇ましい言葉で病気と闘おうと
誰もがして、元気になろうと考えてきました。

しかし
「病と闘う」「病を撲滅する」といった
暴力的な発想で生きるのではなく
これからの時代は、病を理解しながら
健康・調和・しあわせを実現するという
感覚をもって生きることが
大切になってきます。

ですから
これからは病気を治すだけでいいという
発想を変えないといけないのです。
病気が治れば健康になるのではなく
健康だから病気も治り
病気ともウイルスとも共存できるようになるのです。

病気を治すことだけにこだわっていると
「病気の症状は消えたのに
体調がすぐれない」と言うことが
おこってしまうのでしょう。

一般的に病気と健康は
逆の立ち位置にあるようにおもいますが
そうではなく
病気と健康はお互い補う関係性であると
思えるのです。

ですから
人は病気を経て健康になり、
健康を保ちために病気になることも
必要なのかもしれません。

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さようならの意味

長い人生の中には
出会いもあれば別れもあります。

特に別れの瞬間には
喜びも悲しみの感情が
一気に教え寄せてきて
その時の感情を複雑にして、本人自ら
混乱してしまうこともこともあるでしょう。

別れは、学校、職場だけの別れではなく
恋人との別れそして死別など
僕たちの魂まで揺さぶられるような
経験をすることもあります。

そんなこころを揺さぶられる別れがあっても
ひとりの努力できるものではなく
自分の力が及ばないことだってあるでしょう。

「さようなら」の語源は
「左様なら」だと聞いたことがあります。
別れは、自分ではどうにもできないもの
そうであるならば(左様であるならば)
別れの感情も全てごまかさずに
ありのまま受け止めて
一緒に経験したことを未来へとつなげようという
気持ちが「さようなら」の言葉に込められている
と思うのです。

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