「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
生きる意味
“生きる意味”について考えてみた。
ある人は、人の役立つこと
ある人は、魂を磨くこと
などなど
みんなそれぞれの考えを持ち
どの考えも正しいと思うし
きっと答えはひとつではないのだと思う。
人間だけが
生きる意味を考え
生きていくことが
“人は考える葦と言われる”所以なのだろう。
そんなことを考えさせられた週末
ある子宮頸癌を患っていた 女性の
最後の手記、最後の言葉を知った。
「 一日一日を丁寧に“暮らす”
ひとつひとつを心を込めて“暮らす”
その積み重ねが“生きる”ということなのだと
強く思いました。」と
頭で考えるだけでは
生きることの意味はわからない。
今この瞬間の人生を生ききることで
“生きる意味”わかるのだと思う。
“今を生ききり”
そして
“この瞬間を生きていること”に感謝
老いると軽く生きられる
人生百年時代といわれるように
世の中にはお手本となる
年の取り方を身をもって教えてくれる
人がふえてきます。
例え多少肉体的衰えがあっても
認知症を感じるような変化が垣間見るような
瞬間が増えてきたと客観的に感じられるようになっても
それをマイナスの現象として捉えず
ひとつの文化として積極的にとらえていくと
ああいう風な年をとりたいと思われるのではないでしょうか?
蓮如が「人は軽きがよき」という言葉を残しています。
人は成長すると共に
多くの責任、役割を背負って生きています。
その責任は自分の意志で下ろすことはなかなかできないけれど
老いてくると
肉体的にもできなくなるし
認知症がはじまってしまうと
やることは現実的に無理になってしまうので
自分の意志と関わらず、手放すことになる。
その分
背負ってる分を手放して軽く生きていけるようになるのです。
それが年をとることの現実の生き方だと思うのです。
病名に怯えないために
先日メタトロンえお受けられた方は
別件で入院していて
偶然胃癌と診断され
心配や不安が募り受診された。
思いもかけない診断名に
まさに晴天の霹靂で
主治医の先生に
次々に検査の予定を立てられたが
混乱したままで
次のステップに進むことに
納得もできず
現状での検査での外科の医師に
説明を受けることにした。
精査は必要だけど
胃癌の可能性がある。
手術困難な部位にあるので
治療は内科的なものが
中心になるだろうと
説明をうけたようだ。
体感的には
やや体重は減っていたものの
食欲もあり、痛みなどの苦痛もなく
まさに、晴天の霹靂のできごとで
頭が混乱してる上に
とても几帳面な性格の面もあるようで
今の状態で
これから検査治療をすすめ
からだがどんどん疲れ果ててしまうことを怖れ
別の観点からからだの状態を知りたくて
当院を受診し
メタトロンをうける運びになった。
早速メタトロンを受けてもらった。
確かに
胃には破壊性のエネルギーを認め
確かに病変の可能性がある。
ただ、病名を探ると
現段階で胃癌とは言えず、
まだ胃癌の前段階も含まれる
過形成の胃炎だと思われ
胃癌の前段階
胃の治癒力を上げることで
対応可能かもしれない常態とも
考えられた。
更に
全身検索を続けると
一番変化が大きかったのは
脳の状態である。
かなり破壊のエネルギーが強かったからなのか
今は、その破壊のエネルギーの修復する
段階になっていることがわかった。
メタトロン的には
ある意味
脳の方が胃よりも心配の常態だった。
きっと
胃の病変は確かにあったが
それよりも
胃癌という大変な病名によって
悩み、脳が疲れ切って
病名そのものがからだを支配し
病気を作っている状態が
今改善すべきだということを
示していた。
胃の病変を治すためにも
免疫力を自ら高めることは
どんな治療をするにも
必要なこと。
そのために
楽に楽しく、喜びをもって
生きて欲しい。
からだのことは
僕たちがしっかりサポートしてるから
自分の望む人生を生きて欲しいと
自らのからだが言っている気がして
そう、患者さんに伝えた。
すると
患者さんの表情が明るくなり
からだが温かくなってきた
と笑顔で帰られました。
これから
様々な困難なことがあるでしょう。
でも、頭で病気を作らないように
からだの思いを正直に伝えることが
僕ができることなんだと
患者さんの生きていくという決意にも感じながら
見送りました。
適齢適所で生きる
「適齢適所」という言葉は
野球人として様々な記録と共に
多くの名言を残している野村克也氏が
74歳の時日本プロ野球界史上最高齢監督に
なった時に残した言葉。
「監督は体力もさることながら
知力、眼力に分析力という経験が大事なんだ。
頭さえしっかりしていれば、年齢なんか関係ない」と
「適齢適所」で生きていくという言葉を残された。
つまり
何歳になっても
衰えを感じてても
「年齢に応じて輝いて生きていける場所がある」
という、還暦を迎えた自分にとって
とても勇気を与えてくれる言葉。
生きていくということは
年を重ねるということは
「若さ」を奪われていくことではない
「経験」を重ねていくことなんです。
更に監督は
「全盛期を過ぎても、落差に絶えつつ必死でやる。
なんてことを惨めと感じる人はいるでしょう。
ところがボクはそう思わないんですよ。
なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する。
その方が美しいという。
これは僕の美意識です」と語った。
つまり、年齢をできない理由にするなということを
教えてくれた言葉です。
死ぬまで輝いていけることを
教えてくれた力強い言葉です。
ボケ道のススメ~よりよくボケるために~
年を重ねると
体の衰えもくるけれど
脳の衰えもきます。
つまり、俗にいうボケが起こリます。
個人差、はありますが
全ての人が経験する症状です。
どうせボケてしまうなら
人に迷惑をかけないボケ方をしたいなと
よりよくボケたいと
だれもが思うことでしょう。
どうせボケるなら
尊敬されるボケ方
愛されるボケ方
孫やこどもにも愛されるボケ方を
したいと思うことでしょう。
そうなるためには
脳の直接的な問題もあります。
そのためには
規則正しい食事、酒、タバコなど嗜好品の使用
適度に体を動かす、頭を使う
人とコミュニケーションを計るなど
各論的方法は人の数ほどあります。
人それぞれ生き方が違うので
ひとりひとりが、今の生き方、これからの生き方を
考えて判断する必要があります。
総論的には
精神的に現役で生きるということでしょう。
それは仕事についてのことだけでなく
人として現役として生きていくことだと思うのです。
ボケないように現役で生きる生き方「ボケ道」を
考えていきませんか?
人はなぜお酒を飲むのか
お酒で
人生が大きく変わってしまうこともあると
今までの報道でも
自分のこれまでの人生でも
感じることがありました。
お酒には
魔力があるのだと僕はあるのだと
思うのです。
そのお酒の魔力を知って
対応して生きていかないといけません。
お酒に対抗するものとして
僕が注目しているのは
オキシトシンというホルモンです。
こんな実験があります。
オキシトシンを投与すると
アルコールに対する欲求
そして
アルコールの消費量も減るというのです。
これは
たばこに含まれるニコチンに対しても
同様の結果であったというのです。
つまり、オキシトシンには
「お酒をもっと飲みたい」
「たばこをもっと吸いたい」という
衝動を抑える作用があるのです。
もう少し医学的に解説すると
オキシトシンには
お酒をもっと飲みたいと感じさせる
ドーパミンを抑える効果もあるからなんです。
それでは
オキシトシンの分泌を増やすためには
どうしたらいいでしょうか?
オキシトシンは絆を深まると
多く分泌されることがわかっています。
つまり
絆が深まり、オキシトシンが分泌されるので
「楽しい」「うれしい」「しあわせだ」といった
幸福感が生まれてくるのです。
絆が深まる
環境が整えば、整うほど
オキシトシンが分泌され
しあわせを感じるのです。
ですから
家飲みをするより
居酒屋などや
例え公園であっても
みんなでわいわいして飲んだ方が
オキシトシンも多く分泌されるので
楽しくて
路上のみが増えるのも
当たり前のことなのです。
今はコロナウイルスを防ぐ観点から
仕事さえテレワーク
密を避け
人の接触をさけることを
求められる時代になっています。
感染を防ぐためには
やも負えないことかもしれませんが
しかし
それでは、オキシトシンの分泌も減り
しあわせな生き方ができなくなります。
ですから
感染対策しながらも
絆を深める生き方
つまり
家族との絆を深めるなど
リアルでは
本気、本音の付き合いできる
関係を深めるなど
お酒の飲み方だけでなく
人との付き合い方も
考えていく時代になってきたのでしょうね
医は医なきを期する
医師として
人生の半分の時間を
生きてきました。
医師という仕事に
ゴールはなく
日々勉強の毎日
医学が進歩するから勉強を
しないといけないけど
本当に勉強しないといけないことは
真実の医療の姿を
みつけ、確立するためなんだと
月日が経つにつれて
思うようになりました。
まだまだ道は途中ですが
今、思う医としての道は
「医は医なきを期する」と言うことです。
今までの医学の進歩は
強引すぎて、本質から外れた
少し行き過ぎた方面に進み過ぎている気がします。
効果の有無を追求しすぎて
医学本来の目的
「医は医なきを期する」と言うことを
忘れかけていることに気づいたのです。
つまり
医の目的は
この世から医の力を借りずに
生きられる世にすること。
つまり
医が除去された世の中を
目指していくことが
本当の医療の目的なんだと言うことに
気がついたのです。
医は
病気を治すだけが目的なのではなく
再び病気に冒されないように
導いていくべきなのです。
医者の手を借りずに
病気知らずで生きていくためには
元々持っている
自己抗体の抵抗力や自己治癒力を
生かす道を生き
そのために自分の生きる道を
確実に歩んでいく精神、心を強くする
その生き方ができているかを
見届け、指南するのが
医者として生かしていただいた
僕がたどりついた
僕の医師としての道
医道でもあります。
最後に、もういちど言います。
人のからだには
元々自然治癒力をもって生まれています。
ですから
医療は
病気を治すだけで足ると思うことなく
医なくとも生きられる術をお伝えすることなんです。
それが、僕の目指す
「医は医なきを期する」ということなんです。
正しい栄養の取り方
我々人間のからだを構成する物質は
リンとか鉄とか亜鉛とか水とか
地球の自然界普通に存在する元素から
できています。
生体独特のものというものは
何一つありません。
従って
僕たちのからだは
構成物質がなんであるかより
これらの物質の結びつき方
体内での相互の影響しあってることが
重要だということでは
ないだろうか?
体内の構成物質、元素が
凝集して、外界からの力に
かき乱されないように
その物質が持っているエネルギーの力を
遺憾なく発揮して、利用できることが
重要ではないかと思います。
この成分が不足しがちだから
この栄養、食品をとらないといけないと言うことは
気を使ってる方は
多くいらっしゃいますが
その成分が道のように使われているかを
考えながら
摂取している人は少ないことでしょう。
外見は同じ
水晶、ダイヤモンドにしても
粉々にしてしまうと
水晶は六角に、ダイヤモンドは八角に割れると
言われます。
水晶もダイヤモンドも
構成成分は同じでも
外から受けたエネルギーで状態が
変わるということでしょう。
ですから
同じ食品であっても
例え
からだに悪いというものであっても
あなたの持ってるエネルギーによって
よくも働くこともあり
悪くも働くことにもなると言うことです。
ですから
あなたのからだの細胞
からだを形作っている成分一つ一つが
健康状態で働くためには
健康を意識するだけではなく
趣味、強要、知識、感情や
その人を取り巻く
家庭環境、社会の経済状態を含め
個人生活から社会事情に至るまで
幅広く影響していることを
知っていないといけないし
そして、そこも整えなければ
健康になれないと言うことも
知っていないといけないのです。
ニュートンが
リンゴが落ちたのは引力があるから
と万有引力を発見しました。
僕は思うのです。
確かに万有引力は確かにある。
リンゴが落ちたのは万有引力のせいだけではなく
リンゴからしたら
風の力や、熟した時期など
落ちる時期を感じたから
また、ニュートンに食べて欲しいと思ったなど
落ちるための様々なエネルギーを感じたから
木から落ちたのかもしれませんね。
生きていくためには
様々な力が働いていることを
知らないといけないのだと思います。
病気になって知ったゼロパワーの存在
本当の自分
本来の自分に目覚めると
自分の中のゼロポイントにつながって
おもいがけない力が
出現したことを
体験することが誰にでも
あると思います。
ゼロポイントに目覚める地
次から次に
本当の自分、本来の自分の心が
露わになり
自分の本音の部分が
出てくるようになります。
ゼロポイントに目覚める
きっかけになるののひとつは
病気の時だと思います。
僕も病気になったとき
これまでの自身の生活や生き方を
振り返り
“本音で生きよ”という
魂の叫びとも思える声に
触れたような気がしました。
実は
肉体は
意識するに関わらず
魂の声に敏感に反応するのです。
からだに出てきた反応は
魂の意向であることもあるのです。
その魂の意向
つまり
本当の自分に忠実になると
宇宙と同一化することができ
宇宙に存在する
ゼロパワーとも接触することができ
それまで想像しなかたような
大きな力を得ることができ
奇跡と呼ぶようなことが起こるのです。
病気になることには
大きな意味があることなのです。
つまり
病気になったことで
魂からの声に耳を傾ける時間ができ
からだの声に従って
本音で生きていく決心をするように
なるのです。
そう決心した瞬間に
あなたの自然治癒力のスイッチがおんになり
それまでとは違う
エネルギーの流れが生まれます。
ですから
病気になったら
医者任せにして生きていくのではなく
どんな病気であっても
諦めずに
自分で魂の声に従って
自分の意志で生きていくことが大事なのです。
あなただけの人生
誰かのため、人の眼を気にして生きていくのではなく
自分の本当の気持ちに気づき
自分の感じる宇宙と一致することで
ゼロパワーをいかして生きていけるのです。
メタトロンが教えてくれること~高血糖の理由~
その患者さんは
当院ができた時
10年以上の付き合いのある患者さん。
患者さんは
糖尿病を長年患っておられ
糖尿病専門医の指導を受けているので
僕は
セカンドオピニオンの立場で
漢方薬とメタトロンでの
診療をずっと続けてました。
その患者さんは
長年薬を内服しているにも関わらず
Hb1acは7-11を変動し
ずっと正常値に至ったこともなく
数値だけ見ると
とてもコントロールできている状況ではない。
数値を初めて聞くと
どの医者も大慌てするとか。
でも
インシュリンは分泌されているとのことで
Hba1cが高くても
インシュリンの皮下注射は使わない方針のこと。
その患者さんを
15年近く僕も診ているが
不思議と合併症状を起こすこともなく
血糖値だけが高いが
からだが高血糖であることを
正常だと言っているような気がして
膵臓だけでなく
セカンドオピニオンとして
全身状態を診させていただいた。
最近は
メタトロンを使って
専門医と異なる着眼点で
その患者さんの診療を続けていた。
その患者さんのメタトロンは
膵臓はもちろん
神経も、腎臓の血管も、目の血管も
合併症がある状況でなく
メタトロンの治療にもよく反応して
毎月メタトロンをする度に
臓器から良くなっているのが
わかっていたので
Hba1cが8代前後で推移しても
そのうち正常値に近づくと予想していた。
しかし
先日その患者さんが受診されたときには
とても心配そうに
「今日は悪いと思う」
「○○内科の血液検査で
Hba1cが9台になったので
今日は覚悟してますと」
糖尿病は
表だった症状が出にくいので
検査値など
他覚的評価中心になるので
取り急ぎ
メタトロンをはじめた。
結果は
前回よりもいいぐらい
膵臓も、神経も、眼も
他に心臓も、肺も若いひとにも負けない
力強い状態でした。
糖尿病の悪化は考えにくい
なら、なぜ血糖値が上昇したのか?
もういちど
患者さんを診ると
腰にコルセットをしている。
尋ねてみると
今、自宅の庭の改築に力を入れられてて
自ら工具を持ち、木を伐採したり
結構日々
重労働をおこない
ギックリ腰になり
まだ痛みが残っているので
原因を整形外科で検索中だとか。
庭作り
7月完成うぃ目指して
今つゆ時期に入り
晴れ間には寸暇を押して
作業に入っている。
メタトロンでも
腰を使っているサインが出ていた。
僕は話を聞いて
血糖値が高い原因は
これだと思った。
つまり
庭作りに頑張っていることが
アドレナリンがでて
グルカゴンがでて
血糖値を上げて
血圧も上げて
からだが戦闘態勢に入っていることがわかった。
Hba1cが高いのは
頑張っているから高いのだ
膵臓が悪いからではない
頑張るからだになるようにしてるんだ。
だから
腰も痛めている
庭作りで頑張り過ぎたからだを
いやしてあげたら
きっと血糖もさがり
血圧も、腰の状態も良くなるはずです。
今の
患者さんの高血糖の原因のことをはなすと
患者さんも納得されて
来られたときのゆうつな表情とは
全くちがう明るい顔で帰られた。
患者さんに1ヶ月後会うのが楽しみ。
そして
7月患者さんの新しい庭に
お伺いするのが
僕も楽しみにして診療を終了した。
検査などの数字だけに縛られることなく
その人の暮らしぶりから
患者さん自身を診ることの大切さを
あらためて教えられました。