「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
人の素晴らしさ
生まれたばかりの赤ちゃんは
最初は母乳を飲むしか飲まないのに
血液や骨、髪の毛が生えたり
首が座り、立ち、歩き、しゃべるようになり
どんどん成長していきます
でも
母乳を試験管に入れても
血液も骨も組織も臓器も
全く何も生まれません
でも
赤ちゃんは
母乳だけで
どんどん成長していくというのは
とても不思議なことだと思いませんか?
人間には
それだけ、大きな力が備わっている
ということではないでしょうか?
もしかしたら
その力を
宇宙から、大いなる存在から
生きるためにいただいてるかもしれません。
生きているのではなく
生かされているのかもしれません。
だから
生きていることに価値があり
いのちはとっても尊いものだと思います。
生きているってことは素晴らしい
病んでいるときでも
健康なときでも
つらい時でも
苦しい時でも
生きている自分はそれだけで素晴らしい存在だ
と感じることができれば
元気に過ごせるのだと思います。
そんな生きる力を引き出す医療
それが真の医療だと思うのです。
今こそ食生活を変える時 〜ポッテンガーの猫の実験より〜
最近
何をどのように食べるかが
健康に大きく影響していることが
少しづつ認識されるようになりました。
ガン、アレルギーの病気、免疫の病気
精神疾患など
食べ物の影響は無視できません。
そして、実は
現在の食生活が
ご自身だけでなく
こどもや孫の代まで影響するってことを
知っていますか?
このことは
すでに60年ほど前
アメリカのポッテンガー博士の行った
通称“ポッテンガーの猫”と言われる実験で
予言されていたのです。
“ポッテンガーの猫”の実験とは
猫を2組に分けて
一方の組みには健全な餌を与え
もう一組みには不健全な餌を与え
三代にわたって飼育実験をしました。
健全な餌を与えた組は
2代目も3代目も
健康な猫が生まれました。
不健全な餌を与えた組では
2代目は肉体的不調や病気の多い猫が生まれ
3代目の猫は
からだの不健康さだけでなく
高い所から落とすと
背中から落ちて、きちんと着地できない。
他の猫に意味もなく敵意を見せたり
飼い主に噛みつくなど
不器用さと精神的な不安定さが
目立つ結果を示したようです。
この結果を見て
戦後の豊かな食生活が始まり
その影響が
今のこども達に及んでる問題
落ち着きのない子
キレやすいこども達
若者が犯すおぞましい事件の数々
まさに
今のこども達は3代目の猫??
……を連想してしまいます
このままでは
これからのこども達の未来が
日本がそして世界が大変な事態に
なるかもしれません。
今こそ食生活を見直し
食生活を変える時に来ているのです。
そうしないと
こども達の未来は
大変なことになるかも。
今ポッテンガーの猫は
どうなってるかと言うと
実は
この実験は次の4代にわたって
行うことはありませんでした。
なぜなら
実験できるだけの数の猫が
4代目は生まれなかったのです。
ポッテンガーの猫は
現代をそしてこれからの危機を
予言そして警告してるのです
喜びの医療
先日ナチュラルメディカルセンターに
はじめて来られた方は
数年前から度々胃が痛くなり
そのたびに胃カメラなど
検査を受けていたけど
全く異常がない
だけど、痛みは治まらないどころが
日に日にひどくなると
精神的にも疲れた感じで
来院されました。
お話を伺った後
早速
診療を開始。
胃の状態が悪い
直腸の状態が悪い
前立腺の状態が悪い
肝臓にも
リンパ、血流にも
ダメージを受けた痕跡があります。
これでは
からだは不調のはず。
詳しくみると
まだまだ病気の前段階の状態なので
胃カメラ、MRIなどで
見つからなくても不思議ではない状態
でも
このまま放っておくと
必ず本当の病気になってしまう
のは間違いない。
ナチュラルメディカルセンターでは
異常が見つかったところは
たとえ染色体、DNAであっても
波動療法、オステオパシーで
気を高め、エネルギーを高め
免疫力、自己治癒力を高め
全身を整え治療していきます。
だから
帰られる時には
来られたときよりも
からだ中の
細胞ひとつひとつが
元気になって帰られます。
患者さんは
病気の原因がわかり
治療もできたので
喜んで帰られました。
笑顔で帰られる患者さん
患者さんの喜びを感じる時が
僕にとっても喜びの瞬間です
治療を受ける患者さんも
治療を施す医師も
お互い喜ぶ医療が
真の医療なんだと思います。
プラトンが語る病気
プラトンと言えば
誰もが知っている古代ギリシャ時代の
大哲学者で
様々な現代人にも通じる英知を
授けてくれて
人間が今こうして発展してきたのも
彼の考えや教えによるところも大きいと
思います。
そんなプラトンは
病気のことについても
お考えを残しておられます。
そのひとつを今日はご紹介しようと思います。
著書「法律」の中で
病気について語っています。
病気にも患者、医者には2つに階級に分けられると。
つまり
病気に心奪われて
病気の奴隷として生きる人と
病気になっても心は自由である人の
2種類の患者さんがいると。
医者も
病気の奴隷になってる医者は
走り回っている病気の奴隷の傷を治すために
診療所で待って
患者さんの個人的なことについて気にしたり
不満に対してもきく耳を持とうとしない。
そして
自分の持ってる知識が
絶対であるかのように
自分の経験のみで、薬を処方し
暴君のように命令を下すと
また鼻高々に次の患者さんのところに行く。
病気に自由な患者さんのかかる医者は
自分自身も自由人の医者である。
自由人な患者さんと
色々お話をし、その話の中から
患者さんの不調の原因を見つけ出す。
患者さんだけでなく
必要なら家族、友人とも真剣に話して
情報を集め
考えられるすべてのことを
患者さんに伝えてくれるだろう。
医学知識のみで語る医者は
こんな生まれつきの体質や、性格など
ちょっと哲学的な話を患者さんとしているのを
見ると
心の底から笑うかもしれない。
そんなこと
どの論文、教科書にかいてあるんだ?
エビデンスはどこにある・・・なんて
言い出すかもしれない。
でも、目の前の患者さんは
なぜ病気になったかより
今ある苦痛、不安をとってもらいたいと
思って受診されます。
病気だけを診てる医者は
病気だけを治せば満足し
患者さんもそれで満足だと思うんです。
だけど、そのうち気がつくんですね。
また、同じ病気になったとき
同じ症状をくり返すうちに
どうして、病気ばかりするんだろう?
本当の訳を知りたい
病気から心から解放されたいと
思い出すんです。
例え、病気であっても
安心と安らぎを感じる生き方
心から自由でいきたいと
思うことでしょう。
僕も病気だけを治す医者でなく
患者さんが病気であっても
病気でなくても
本当の病気の真意を探り
心安らかに生きられることを目指す
僕自身も病気の奴隷でなく
心自由な医師であり続け体と思います。
人間は
どんな時でも自由なんです。
自由に生きなくてはいけないんです。
魂の存在理由、目的とは
魂とはなんでしょう
魂は何のためにあるのでしょう。
この命題って
生きている間に
これだという答えを見つけることは
できないかもしれない。
なぜなら
この世での生が終わったときに
魂の謎が明かされる気がするのです。
でも
今、魂と共に生きていると
考えていると
魂について
気づくことがありました。
それは
魂は自分自身である存在のことで
魂は自分自身であるともに
宇宙全体の一部分でる気がするのです。
僕は音楽が好きですが
好きな音楽に例えると
魂は、ひとりひとりに
生まれたときに与えられた楽器の
気がするのです。
つまり
生まれる前に
みんな自分に合ったまたは演奏したい
楽器を持たされて生まれてきます。
ある人はピアノ
ある人はヴァイオリン、チェロだったり
また
美しい声だったり・・・・
思い思いの好きな楽器を携えて生まれてくるのです。
生まれてから
楽器を使う、ならすことが楽しくて
必死でならそうとします。
最初に出す音は
耳の痛い雑音のような音でも
周りと協調できない不協和音であり
とても音楽とは言いがたいかもしれないけど
毎日毎日使っている内に
だんだん美しい音が鳴らせるようになってきます。
すると
もっと美しい音楽を作りたい
色んな人と一緒に音楽を楽しみたい
と思うようになり
異なる楽器をもつ身近な人と合奏
するようになり
美しい音楽めざし、人々と切磋琢磨するようになります。
ひとりひとりずつ
一緒に合奏できるようになると
オーケストラのように大編成になります。
大編成になると
様々な個性のもつ楽器も増え
それぞれの思いだけで演奏しては
美しい音楽にはなりません。
すると
楽器をもっている人をまとめる人が
必要だということに気がつきます。
つまり
指揮者にあわせて
みんなで音楽を奏でることを学びます。
その指揮者の方が
宇宙にいらっしゃる神という存在なのかも
しれません。
神とともに
心、気持ちを一つにして
地球にいるみんなとも思いをすることで
美しいシンフォニーができあがることを知ります。
その時
自分の今いる存在の意味を知るのだと思います。
魂の目的は
宇宙にいる神の思いを
みんなと共有して成長することだと思うのです。
メタトロンとは
サンタキッズ&ファミリークリニックでは
西洋医学を中心に現代医療を中心に
診療をしていますが
それとは別に
ナチュラルメディカルセンターで
これまでの医療とは全く
意を異なる医療を行っています。
ナチュラルメディカルセンターでも診療を開始し
2年半が過ぎましたが
同様の医療を行ってる医師は
それほどいなく
ある意味手探りではじめた医療。
きっと
緒方洪庵先生などの
歴史に名を残す先生方がそうであったように
医療そのものより
患者さんから教えてもらうことも多かったと思います。
メタトロンを使った
いわゆる波動医療も、僕自身も
日々わかったこと、進歩、進化
して行ってます。
ここでの医療について
今日は少しお話したいと思います。
メタトロンを行うと
からだの様々な部位
臓器から、細胞、染色体、遺伝子までの
エネルギーの低下
すなわち自然治癒力がどれくらいあるかが
わかります。
自然治癒力とは
からだが元々もっている
病気にならない、病気に負けない力とも
いえますが
この力が低下していると
病気になってしまいます。
でも
急に病気になるわけではなく
健康な状態から
徐々に治癒力が落ちて
自力での回復が認められなくなると
自ら症状をだし
薬、手術などの治療が必要な状態となり
その時点になると
人々は病院を受診をし、治療が始まると
考えます。
でも、実際は
医学の力を借りずに
自力で治そうとからだは
免疫力、神経など持てる力を総動員して
元気で暮らせるように
まさにからだをはって
僕たちを守ってくれているのです。
僕たちは
自分のからだであっても
実際、からだがどのような状態で
どのようにからだを守ってるか
知らないで過ごしてます。
知らなくてもいいのかもしれないですが
からだが頑張っていることを
気付いてあげると
からだも喜んであなたを支えてくれます。
そのことを
気づいてもらえる
わかってもらえると
誰でもうれしいですよね
それが人情というものですよね。
からだが頑張っていることに気づき
頑張っていることに
感謝の気持ちを伝えることが
メタトロンの役割です。
最近はやりのことばでいうと
自然治癒力を上げる
自己免疫力を上げる
自分のからだの内なる声を聞く
と言うことになるのでしょうね。
ナチュラルメディカルセンターでは
あなたの内なる声を聞く
新しい医療をこれからも更に進めていきます。
健康に生きるとは
健康と一口に言っても
人それぞれの考えかたもあるし
人それぞれ
様々な考え方があるでしょう。
世界の健康問題について考えている組織
WHOによると
健康とは・・・
「身体的、精神的、社会的に良好な状態であり
単に病気がないとか、虚弱ではない
ということではない」と
しています。
つまり
からだに問題がない
健診などの検査で異常がない
ことだけが健康ではないということ。
つまり、肉体だけでなく
精神的、社会的の3つの点で
充分バランスがとれているということになります。
これが
全世界でめざしてる健康の定義ですが。
1998年、WHOが健康定義を作る時
「肉体、精神的、社会的」という言葉に加えて
「スピリチュアル」という言葉を入れようとしました。
しかし、スピリチュアルの
メンタルという意味合いもあり
神、霊という意味も含まれ
世界中の国々、社会で様々な考えがあり
統一した見解がないので
生きがいという意味にもとられますが
現在までは
この言葉は保留状態のままになっています。
僕は
この言葉は是非とも入れて欲しいとも思います。
と言うのも
人のからだは
肉体だけでできているわけではなく
肉体、心、魂の3つをもったからだが
社会全体とも調和をとれた状態が
健康な状態と
僕は考えます。
魂をスピリチュアルと
考えていいと思います。
この考えは
僕が考えたわけではなく
日本人は昔から魂の存在を
知っていたのです。
そのことは
日頃使っている日本語を読み解けば
わかるのです。
日本語というのは
他の外国語とは違って
言葉は音を表すだけでなく
一つ一つの音に
意味があるのです。
たとえば、「ひと」について
「ひ」は
いのちや本源という意味という意味
このいのちの源、すなわち尊きいのち(魂)が
とどまっている。
そして
「ひ」の本の国に生まれた
日本人は
いのちの源「ひ」をとどめ、輝かせながら
「霊統(ひと)として霊性進化し、
この世のモデルとして生きる役割」を
になっている存在が我々「ひと」なんです。
つまり
人とは
「霊(ひ)がとどまる」存在です。
霊とは魂と考えていいでしょう
魂が肉体、精神とバランスを保ちながら
他のひと(魂)と学び合う存在であることに
人間の生きる意味があるのだと思います。
これから
肉体、精神的、社会的そして霊的にも
健康であることを目指すのが
これからの真の医療だと
僕は考えます。
ゲーム感覚で楽しんだリハビリ
入院してから
大きく2つのリハビリを行った。
1つは歩くためのリハビリ
2つ目は手の機能を回復するためのリハビリ
を行った。
歩くためのリハビリは
残った機能を使って
歩くための筋肉を動かして
歩行機能を獲得するリハビリ。
使わない筋肉は
機能がすぐ落ちてしまうから
少し筋トレに似たところがあって
おもりをつけて歩いたり
文字通り筋トレしたり
筋力をアップすることやって
ある意味体育会系のリハビリとも
いえる。
されに対して
指の機能を回復させる
作業療法は
力ももちろん必要だけど
小さい筋肉を共同して
複雑な手の機能を獲得するための
訓練、リハビリをしていくのが
作業療法。
小さいこどもが
遊ぶ中で運動機能がアップするように
リハビリも一歩ずつなんです。
例えば
よくお手玉を使って
リハビリを行いました。
お手玉を投げてもらって
それを受け取って
受け取ったお手玉を
箱の中に投げて入れるという
リハビリをしました。
3歳児でもできるような
単純なことですが
これが実はとても難しいというか
ボールをとって、すぐ投げる
それも目標に対して行う行動。
ボールを受け取って
即投げるという単純な作業ですが
全て、使う筋肉が違うのです。
ということは筋肉を指令する神経も異なる
と言うこと。
ですから
瞬時に神経を切り替えて
筋肉を動かす。
行為としては単純なことに思われるけど
様々な機能が協力し合って
やっとできることなんです。
ですから
ボールをとることだけに
神経がいってると
次にボールを投げようとしても
手が固まった状態でボールを握ったままで
止まってしまうんです。
でも、意識して次は投げることを意識していると
ボールを投げるようにはできるのですが
それを正確に目的の場所に投げるって
至難の業なんです。
これを今まで何も考えずにできたこと
こどもの発達の能力に感服でした。
僕にとってのリハビリは
機能回復するのが目的以外に
もっと、もっと大事なことを学ぶ機会なんではないかと
リハビリをしながら感じていたのでした。
健康は目的でない
しあわせに人生を送るために
必要なこと、ものを考えた時に
「健康」と考える人は多いことでしょう。
実際患者さんでも
健康であるために
病気にならないために
このサプリはどうでしょうか?
この方法はどうなんでしょうか?
と流行の健康法の善し悪しについて
聞かれることがあります。
お話を聞いていると
とても健康に気遣っているようだけど
「健康」でいることが目的
「健康」でいようとすることが目的に
なっている気がします。
からだにいいからと言って
好きなものを我慢して
からだにいいと思うものを
頑張って食べたり
食に関して、健康に支配され
不自由生活を余儀なくされて
しあわせを感じられるでしょうか?
僕は
病気をして、後遺症もあり
病気前と比べて、決して健康とは言えないけど
この体を悪くしないように
食事は多少気をつけるけれど
健康オタクにならないようにも
気をつけています。
食事に気をつけるのは
健康にあることが一番の目的ではなく
しあわせに生きるためだと思うと
とても自由に、毎日生きられます
痛みの苦しみがわかる方法
医者であっても、看護師であっても
医療者であるなら
患者さんの孤独と苦しみを理解することが
大事だと思うのです。
僕も、こどもだけでなく
おとなの人に注射をする時にも
「痛いでしょうけど
ちょっと我慢しましょう。(して下さい)」
と声をかけるようにしています。
その様に声をかけるだけで
患者さんの気持ちも和らいでくれると
思っています。
研修医時代
先輩医師が痛い処置をする時に
何もできない新米医師の自分は
患者さんの傍に立って
手を握って、声をかけてあげるしか
できなかった。
だけど、その時
痛みに耐えるように
僕の手をぎゅっと強く握ってくると
僕も力を強くして握りかえしました。
その時の
こどもたちの強い表情は
今でもしっかり、覚えています。
病気の時は
とてもつらいものだし
とても孤独を感じるものです。
その時に
そばにいて
その痛みを孤独を受け止める
ことが医療者もできれば
患者さんも頑張ってくれるはずです。