「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
男性の役割、女性の役割
総裁選挙告示が行われて
興味の対象は内閣の人事にも
人々の興味がいっています。
その中で
女性が何人入閣しているかで
その内閣が評価されると
話されてるのを聞きました。
最近
女性の活躍の場を広げよう
という動きが高まっています。
そんな声を高らかに上げてる姿をみると
僕は
少し悲しくなることがあります。
男性も女性も
生きていく上で平等でないと
いけないと思います。
ただ、男性には男性の特性
女性には女性の特性があります。
ですから
男性も女性も
ひとりひとりの特徴にあった
生き方があるはず。
ひとりひとりにあった生き方ができること
それが本当の平等ではないでしょうか?
日本の歴史をふりかえると
一番安定して、平和で平等だった時代は
江戸時代だったと思います
鎖国政策などの徳川幕府の
力があり、政策がよかったから
かもしれませんが
僕は、
家庭で女性が立派な働きをしていたからだと
思っています。
家で
男性が威張ってても 亭主関白、
つまり関白止まり。
女性が力があると、かかあ天下
天下をとれるんですね。
女性の家庭を守る力には
素晴らしいものがあります。
女性が女性らしく生きている社会が
平等で平和な時代なのでしょう。
平和で平等な時が続いたのは
女性の力だけでなく
女性が活躍できる社会の仕組みが
あったからではないでしょうか?
江戸時代から昭和の初期の時代は
庶民は
長屋で暮らしたり
隣組、町内会があったり
家庭を越えたところに
コミュニティーが発達していました
みんなで困ったら助け合うのが
自然のコミュニティ-がありました。
その社会には
男尊女卑という考えはなく
男も女も役割分担で
お互いを尊重していた社会だった
と思うのです。
例えば
料理の得意の人は料理を
縫い物が得意な人は縫い物を
こどもの好きな人は子守をする
など
いわゆる主婦業の中でも
それぞれの特徴を評価して
活躍できた時代だったんだと思います。
人それぞれ
偉人として後世に名が残らなくとも
女性の役割は大きく
役割を果たすことで
女性も活き活き暮らしていた時代だった
のではないかと思ってます。
変わって
現代社会ではどうでしょうか?
食事の準備をする
縫い物をする
こどもたちのお世話をする
などの主婦業を
単なる労働力ととらえ
貨幣価値だけで判断すると
価値がないようなもの
してしまった社会になってないでしょうか?。
お金がもらえない料理は苦痛
お金にならないなら掃除はしない。
そんな家庭で育ったこどもたちが
すくすくと育つことができるでしょうか?
何でも
お金で考えてしまう社会だから
お金を稼いだ方が有意義だ
家庭をなおざりにして
外に出て働こうという社会に
なってしまったのかもしれません。
女性にも
立派な社会的な働きをされる方もいます。
女性だから家のことをしないといけない
男性だから家のことはしない、
外で働かないといけない
というきまりはどこにもありません。
専業主婦であろうとなんであろうと
全ての仕事は
天から与えられた仕事。
全て自分にとって最高の仕事なんです。
貨幣判断に縛られない
自分の役割を100%発揮できる
社会になればいいなぁと思ってます。
今日も与えられた仕事に感謝して
喜んで、すすんで
働きましょう。
次期内閣の人事
どうなるか、その顔ぶれで
時代の流れが変わるかもしれませんね。
注目してましょう。
今こそ和の精神を思い出そう
昨日次の
総理大臣が決めるべく
自由民主党の総裁選挙が告示されました。
今日は
この選挙告示報道を見て感じた
時事ネタを。
安倍総理が辞任した途端
国民、マスコミの関心事は
次の総理は誰になるのか?
その決め方が
密室的だ、
派閥政治で政治は変わっていない
国民の方を見ていないなど
様々な知識人、文化人、ジャーナリスト
芸能人、そしてある国民も
それぞれの立場で意見を述べられていました。
声を上げている
ひとりひとりの意見には
それぞれの思いも強く
日本のことを一生懸命考えてるんだと
頷いてしまう面もあるけど
僕が感じる
ご意見の気になる点があります。
それは
日本人がずっと持っていた
”和の精神”を忘れていないだろうか?
ということ。
”和の精神”を
最初に説かれたのは
聖徳太子の17条憲法の第一条。
そこにはこんな風に書かれています。
「和を大切にし、
いさかいを起こさないように
心がけなさい。
人は集団を作りたがるもので
人格を備えた人は少ない。
だから
君主や親にしたがわず
近隣の人たちともめ事を起こすのである。
しかし、
上の者も下の者も
協調性と親睦の気概をもって議論すれば
自ずと道理にかなった
結論を売ることができ
何事も成就する」
と書かれていました。
聖徳太子は飛鳥時代の
推古天皇の摂政として働かれた方。
その時代、蘇我氏と天皇家との争いの時代
推古天皇のサポーターと考えられていたが
最近になって
推古天皇と蘇我氏の間を
とりまとめるために働いたことが
わかってきました。
つまり
1500年近く前の飛鳥時代から
今日のような権力闘争を繰り返し
それをなくす方法は
誰もがお互いを尊重する
”和の精神”だと言うことを
17条憲法を通じて聖徳太子は
令和の時代の僕たちにも
伝えてくれているのだと思う。
この聖徳太子が大事にされた
思いは
現代にも通じる
決して忘れてはいけないことだと思います。
聖徳太子が教えてくれた
”和の精神”を心にとめて
政治家も国民ひとりひとりも
発言そして行動すれば
日本はいい国になるのだと思います。
誰が
どんな発言をされるか
耳を傾けて
いい方が総理大臣になることを
見守りましょう
病気になる人の特徴
世の中には
種々の病気があります。
そして、病気に対しての研究も進み
日進月歩で
病気の原因、治療法が
わかってきました。
でも
未だに原因不明、
治療法不明の病気もたくさんあり
コロナウイルスのような未知の病気も
出現しています。
そして
世の中には
病気に困っている大勢の方が
いらっしゃいます。
今は情報化社会
医者に聞かなくても
様々な情報をてにする時代になりました。
世の中は
病気、病気の人であふれ
インターネットを覗けば
西洋医学はダメ、この治療法がいい
この食べ物、サプリメントがいい
・・・・・など
病気に対する情報の氾濫状態に陥ってしまいます。
患者さんのみならず
治療している側も
何をしているのか混乱してしまいます。
僕も
診療していて
あちこちの病院にかかられて
治らなくて
困りに困って来院される患者さんは少なくありません。
悩まれている患者さんは
みんな
それぞれのこだわりをお持ちの方が多いです。
この病気の原因はここにあるはず
西洋医学はいや
漢方がいい
薬は飲みたくない
とこだわりを持たれるだけでなく
中には
医学自体に不信感をお持ちの方も
いらっしゃいます。
病気になるには
必ず原因があります。
僕は
病気の原因は
ウイルス、食べ物、ストレスなど
自分の外にあると考えがちですが
実は
ほとんどの病気は
ご自身で作っている場合が多い
と思っています。
病気になるかどうか
病気が治るかどうかは
その方の考え方
生き方そのもの
特に徳を積むような生き方を
しているかどうかによることが
大部分を占めていると
思っています。
毎日診察していると
お話をきいていただけない方
こだわりの強い方
医療自体に不信感がある方のからだは
とても
からだが硬いのです。
ちょっと触っただけで
怒ったような顔されて
びっくりされる方もいらっしゃいます。
からだが硬いのが原因
からだを硬くしてるから
病気になってるんです。
ちなみに
ここでいうからだが硬いと言うのは
実際にからだが曲がらなくて硬いというような
一般的にいう体の硬さではなく
診察上で感じる
触診上感覚的なかたさです。
からだの硬い方は
話していて
なかなか心を開いてもらえない
ご自身の想い、こだわりで
こころもガチガチになっているように
感じます。
こころがガチガチなかたの
こだわりは
様々な不安から来てると思います。
そして
そのこだわりは
あなたの生き方からきているんだよ
と病気は教えてくれているのです。
からだの声を聞ける人は
きっと
自分自身のことだけではなく
広く
色んな方の声も聞いて生きている
つまり
徳を積んだ生き方をしている人だと
僕は思います。
こだわりを捨てて
色んな声に耳を傾けてみませんか?
こころもからだも
きっと軽くなりますよ
大嵐は贖いの時に来る
台風の影響で停電
生活がほぼストップし
どれだけ僕たちの生活が
電気に依存しているか
文明の力の弱さ、もろさを
思い知ることになりますね。
でも
こんな時だから
命の大切さを感じ
日々の生活を見直す
いい時間かもしれませんね。
そんな時、僕は
こんな詩に出会いました。
「贖いの宵に
花咲く埋もれ木
明な陽にて候」
すなわち
「枯れた埋もれた木は
花を咲かせることはないけど
特殊な贖いの宵の折りには
花を咲かせる」
という意味になるけど
今台風の最中にいて
この詩を読むと
この台風は
今の世の中を変え
これからの世の中が変わると
伝えてくれているのかなという
気がするのです。
今、僕たちは
贖わないといけないものを
いっぱい背負って生きていて
気づくと汚れてしまっていないでしょうか?
この台風の大風は
そんな僕たちの汚れを浄化しようと
してくれているきがするのです。
そして
大風が去ったあとには
僕たちの贖いは一応終わる。
すると
それまで心の奥底に眠っていた
心身の清い花々が
芽吹き、花をさかし
太陽のような明るさいっぱいの
世の中に変わってくでしょう。
そんなことを
伝えてる詩であると思うのです。
今日は
停電の影響で休診をなりますが
復旧後には
また、太陽のような明るい医療を
届けて参ります。
大変ご迷惑をおかけしますが
皆様方に
様々なことにおきをつけて
お過ごし下さい。
自然の声に耳を傾ける
人類の夢のひとつ
空を自由に飛びたい
宇宙を知り、旅したい。
そのために
飛行機を作り
地球を飛び出して
宇宙に飛び立とうとしている。
そして、現代人は
宇宙をもっと知ろうとし
大昔人類がバベルの塔の伝説のように
宇宙をも支配しようとしていないだろうか?
宇宙って
地球の遠いところにあるのだろうか?
地球の外にあるのだろうか?
僕は
今住んでる地球も
宇宙の一部だし
地球にいても
宇宙を感じることができる。
宇宙を意識して生きるべきだと思ってます。
宇宙の変化、宇宙を知るって
僕たちを取り巻いてる
自然を知ること
自然の営みを肌で感じ、
自然の声に耳を傾ける
ことじゃないでしょうか?
風も雨も、雲の流れも
虫や鳥の声も
自然の中で起きている現象
全て必然で意味のあること。
だから、
昔から
風向きが変わったら
世の中が変わる。
雨が降ったら、もめ事がおこる
虫や鳥が鳴いたら、いい知らせがある
なんて言われてます。
この週末も台風に襲われました。
雨は浄化のしるしです。
弱い雨の時は、「心をしずめましょう」
強い雨の時は、「意識を変えなさい、反省を促すサイン」
だと言われてます。
風は、別の空間から意識や
情報を運んできます。
いい情報でも、悪い情報でも
情報が多いところは風が強いとも
言われています。
天気、天候は
その土地に住む人の意識によって
生み出されているの
だと思います。
最近の気候の変動の
今回の台風は
我々になにを伝えようとしているのでしょうか?
我々の意識が変わらなければ
次の災害が待っている気が
僕にはするのです。
山口もこれから
台風10号の影響が出てきそうです。
気をつけて過ごしましょう
iPadから送信
認知症は病気ではない?
認知症の第一人者であり
ご自身も
認知症になったことを告白され
認知症について
医師として、患者としての両方の立場で
活動されている長谷川和夫先生が
著書のなかで
「認知症になると
時間の間隔がなくなってきます。
物忘れが増え、その時その時の
今だけを見ながら
生きていくことになります。」と
仰っています。
人は生きていくうちに
いつの間にか
過去を振り返り、そして
後悔したり満足して
今を過ごすようになります。
そして、過去を振り返った状態で
今と比べてどうなるのかと
未来を考え、想像し
不安になったりしていませんか?
そんな風に
過去を振り返り
未来への不安を抱えながら
年を重ねいくと
いつかは自分に必ず起こる
死という問題にぶつかり
死に対する不安(恐怖)に
追いつめらることが
増えていくことになるかもしれません。
年老いて
ものを忘れる
過去、未来の時間軸がわからなくなるのが
認知症だとすると
認知症は
病気なのでなく
不安なく死を迎えられるために
魂が準備してくれた
プログラムなのかもしれません。
長谷川先生も次のように仰ってます。
「認知症は
死への恐怖を思いつめず
毎日を精一杯生きるように差し向けられた
神の恩恵ではないかと
思えるのです」と
高齢化社会となり
多少はあっても
誰もが認知症になるとも
言われています。
そして
誰もが死を迎えるのは確かです。
穏やかに
この世での人生を終えるためには
今
この瞬間、この時を
生きることが大事なんだと思います。
人は肉体だけで生きているのではない
入院生活を通して
わかったことのひとつに
人は肉体だけで生きているわけではない
ということ。
左手は
リハビリをする前には
感覚はあるけれど
全く動かない状態でした。
とある日
カッターシャツに着替えをしようと
したときのこと
まずはパジャマを脱いで
シャツの腕を左手に通して
次に右手に通します。
ここまでは
いつもと一緒だけど
今日はシャツを着るので
ボタンを止めないと行けない
カッターシャツなので
ボタンも小さいし
間隔も近くて
パジャマのボタンなら
右手だけで
できてたけど
小さなボタンを穴に通すの
右手だけにするのに
四苦八苦してたときのこと
動くはずのない
左手が
自分では意識してないのに
すっと
四苦八苦している右手のボタンのところまで
動きいていったのです。
僕が意識したのではなく
左手の意志で
右手が困難だから助けようと
しているかのように
右手の動きに対して加勢してるのです。
でも
麻痺がある左手です。
動かすのがやっとのはず。
さすがにボタンを入れる細かい作業の
お手伝いまでにはなりませんでした。
僕は
自分のからだだけど
自分のからだでない光景として
右手を助けようとする
左手の様子をみてました。
なんと美しい光景でしょう
困ってる右手を
必死で
手伝おうとする
拙い左手。
まるで小さい子が
一生懸命にお母さんを助けようと
お手伝いしようとする光景に見えて
自分のからだなのに
感動しました。
そんな光景を見ながら
右手も左手も
自分のからだのはずだけど
からだの中には
自分の意志とはちがうところで
見えない力が働いていることを知りました
魂の声に従うと体質が変わる
体質が変わった
入院する前と後で
大きく変わったことのひとつに
食の好み
入院するまでは
甘いものも好きだけど
もっと好きなのはおせんべい。
甘い辛いの両刀だけど
おやつの〆は
いつも塩味のきいたおせんべいだった。
買い物に行った妻が
我が家はおせんべいの消費量がすごいのよね。
かごいっぱいにおせんべいを入れて
買ってきても
すぐなくなっちゃうからと
よく笑って話してました。
脳出血に大事なのは
血圧のコントロール
そのためには塩分を取り過ぎない
せんべいなんて・・・・御法度
ということは医者じゃなくてもわかること。
あれだけ食べてたおせんべいを
やめれるか?
食生活の変更を余儀なくされます。
それができるか?
それも苦労なくできるか?が
それが退院してからの
僕と家族の懸案事項でした。
その心配は入院中も
せんべい中毒の
禁断症状だ入院中からでるか
いつせんべい食べたいと言い出すか、思うか
自分も家族もヒヤヒヤでした。
でも実際
せんべいは全く食べたいと思ったことは
入院してから
今まで一度もありません。
その代わり
甘いものを食べたくなります。
甘いものでも
チョコレート、ケーキではなく
あんこ。
おまんじゅうやドラ焼きなど和菓子を食べたくなるのです。
食後におまんじゅう1個で十分
おまんじゅうのおかわりも
もちろん
塩辛いおせんべいで〆なんて
考えも浮かばないのです。
今から考えると
あれだけ狂ったように食べてたのは
何だったんだろうと思います。
体質の変化
嗜好、好みの劇的な変化
自分でも驚いています。
退院してからも
あんこスイーツを楽しんで食べています。
先日NHkの「ためしてガッテン」でも
あんこがいいと言ってましたが・・・
そのおかげで?
血圧も安定、血液検査も全て正常です。
こんなに簡単に
食べ物の嗜好って変わるんでしょうか?
そういえば
とある神社の宮司さんが
「あなたは、あんこが好きですね。
あんことお抹茶で一服で癒やされますよ」
と言われたのを思い出します。
その時は
両刀だったので
そうなのかなぁぐらいにしか
思ってなかったけど
きっと
ぼくの好きなものは
せんべいじゃなくてあんこ。
ということを魂は知っていたのでしょう。
魂の思ってる行動をして
辛いせんべいを食べてたから
脳出血を起こした。
魂の声に従って行動したから
苦もなく自然に行動できるんです。
病気になるのも
生活習慣が乱れるのも
魂の声を聞いていないから。
魂の声に従うことは
本当に大切な自分にとって必要なこと
魂は本当のあなたとして
生きる方法、道筋を
教えてくれているのです。
リンゴの種子
時の文科省の大臣が
こどもたちが
コロナになったお友達を
いじめないようにという
メッセージをこどもたちに言ってました。
その発言を聞きながら
こども達にだけ言う前に
自分達おとな自身が
自分の身をふりかえらなくていいだろうか?
と感じたときに
こんなお話(寓話)を耳にしました。
それは次のようなお話
<りんごの種>
むかしむかし
日照り続きで大凶作のある年のこと
ひとりの男が市場で食べ物を盗んだ罪で
死刑を宣告されました。
死刑執行前に、王様が
「死ぬ前に何か言い残すことはないか?」と聞かれ
男は
「私には先祖代々伝わる能力があります。
その能力とは
私がリンゴの種をまくと
ひと晩で素晴らしいリンゴの木に育つのです。
私が死ぬ前に、その能力を誰かに伝えて死にたい」と
「それでは、その能力を伝えてから刑を執行しよう」と
「ありがたいことです。
ただ、その能力を引き続けられるのは
生涯で一度もひとをだましたことがないかた
だけなのです。」
そこで、王様は
総理大臣、大蔵大臣など大臣達に
その能力を引き継ぎように指名したが
誰ひとり
これまで人をだましたことのない人はいなかった。
最後には、王様ご自身も
人にも種を埋める資格がありませんでした。
そこで、男が言いました。
「あなた方は、この国の
最も高い地位と権力を持っています。
でも、あなたがたのうちに
全く罪を犯したことのない人はいなかったのに
私は、死刑になったのです」と
この話をきいて
どう思われましたか?
人に責めるなと言う前に
自分の心を改めることが
大切なんですよね。
特にこどもは
おとなの言うことよりも
おとなのやってることで
判断しているのですから
誰からのメッセージ?
診察終わった後に
僕より大先輩の
初老の患者さんにこう言われた。
「先生にいつか伝えようと思ってたんだけど
先生が入院する前と比べて
顔が変わったし、言うことが変わったなぁと
思うんですよ。
自分よりもずっと年上の方に
診てもらってるような気がしてるんですよ」
「え、そうですか?
退院して、めがねをかけるようになったから
ですかね」と笑って答え
自分では、全く変わったなんて
考えたこともないし
診察のスタイルも
入院前と比べて変えたこともない。
だから、きっと少し
やせた、めがねをかけるようになったと
見かけの問題だろうと
言葉はうれしいけど
実際はそんな風にしか思わなかった。
ただ
患者さんと話していて
患者さんの反応が以前とちがうなぁと
自分自身思うことがある。
それはやはり患者さんの反応。
僕と話をしているときの顔が
いつもとちがう
目の輝きがいつもとちがう
うなずきかたも力強くうなずいてくれる方が
多いような気がしてました。
もちろん入院前と
話す内容がちがっているとこと
はありません。
ただ、後で
今回なんであんなに真剣に聞いてくれたのか
今後の参考にしようと
思いだそうとしても
不思議と思い出せないこともあるのです。
日常生活において
それほど、自分の話したことが思い出せないと
言うことはないので
認知症ではないと思うし
もちろん検査上も正常です。
そこは、安心していただきたいのですが
ふと思ったのは
その時患者と話してたのは
ひょっとしたら
僕以外の人??
例えば、医療の神様が
僕のからだを借りてしゃべってたのかな?
と本気で思ったりもします。
でも
これって不思議な現象でもなく
誰にでもふと、急に
思っていなかった言葉を
口にしたり、聞いたり、思いつくってこと
があると思います。
きっと
これと同じことが
患者さんの前で起こっただけかも。
ふと思いついたこと
不意に口から出た言葉って
誰かからの大切なメッセージかもしれません。
ですから
気づいたことは
忘れないようにすぐメモにと流ようにしています。
そんな大切な気づきは
ブログの元になっていることも
あります。
僕の言ってることが
ひとりでも多くの方が
しあわせの道を歩いてもらうことが
できたら、僕もとってもうれしいと思います。
