投稿者「santa」のアーカイブ

人は意味不明のものを怖れる

人はあらゆるものに意味を見出そうとする。
だから、診察時
症状について尋ねた時
知りたいのは、ただ咳があるか、熱があるかなどの
症状のあるなしを尋ねるだけで
答えに困る質問ではないはずなのに・・・・
患者さんは表情を曇らせて
「乾燥したから咳が出ます」
「夜厚着をしたので熱が出たのでしょう」と
症状がなぜ出たのかの推測を教えてくれる。

でもその思いが
少々その先の診療を困難にさせる。
原因は、これから一緒に考えたいのに
答え合わせのつもりで僕の話を聞いている。

そんな姿を見ると
「人間は意味がわからないものに対する恐怖を描く」という
言葉を思い出す。

そう、必死で今どうしてこんなに苦しい原因を
捜している。
その思いに決して科学的ではないことが多い。
そして自分の作り上げたストーリーから
なかなか離れられなくなる。

こどもはわからないことをわからないと言えるから
一緒に原因を考えることができる。

患者さんのいうことに
もちろん正解もあるから
僕も患者さんの話に耳を傾けないといけないけど
僕も一緒に病気と闘いたいと思ってることを
信じて
僕の話も聞いて欲しいと思うことがある。

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内在する神はどこにいる?

禅の世界で修行する目的は
自分の生まれてきた目的を知ること
つまり
本来の面目を知るために
座禅などの修行にいそしむのです。

また
座禅する目的は
自分の中にいる仏に出会う
見性するため
昔から修行してきました。

このように仏教などの
宗教の目的は
誰にも
こころの中?に
内在する神がいることを
知ることなんです。

なら、内在する神?って
どこにいるの?
科学が進むに従って
この難題に取り組んでいる
医学者もいます。

内在する神を信じる医師によると
生物学的な神は
今生きているこの瞬間にも
愛と健康を操っていると言います。

その力の源を
生物学的に言うと
視床下部から分泌される
オキシトシンなのです。

オキシトシンは
健康の増進を促進するのみならず
対人関係を向上させ
お互いの信頼関係を獲得することで
身体的精神的
心配、不安を軽減させ
思いやりや奉仕精神を養っていると
考えられているのです。

愛や思いやりを持つことによって
更にオキシトシンの分泌は増え
オキシトシン分子の持つ
固有周波数が
魂を進化させるために必要な
周波数とも言われ
オキシトシンが肉体と魂を
波動的に共振共鳴することで
魂を成長させているのです。

魂を進化させるのが目的で
この世に生まれてきたのであるから
愛のホルモンを
体内に分泌するように
作られているのかもしれません。

そのオキシトシンの力を
神様の力
内在する神と僕たちは感じるのかも
しれません。

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念ずれば現す

「我が思うが如く
我が異なる成り」
これは、整体師野口晴哉先生の
残された言葉。

デカルト、カーネギーなど
世界の偉人達も
同様のことを仰ってるので
思うことが大事だということは
確かに真実だと思う。

まずは自分が
心に決めて、思わなければ
何も始まらない。

まずは意志、意欲があって
その次に
思いを描き
方法、理由や理屈が
ついてくる。

だから
思った通りにならない
念じた通りになるわけではないと
思っている人は
その思いが次のステップにいくことは
ないので
その思いは実現することはないでしょう。
それも思った通り実現してしまったのでしょう。
思いは叶わないと・・・・

自己の可能性に
限界を作ってしまったのは
自分自身なんですね。

ところで
思いは、ひょっとして
いい思いばかりではないでしょう。

例えば
人を呪うことも
思えば実現してしまうかもしれませんが
それで終わりでなく
その悪い思いはまた
自分に返ってくることも
覚えていないといけません。

天に向かって
つばを吐いたら
そのつばは自分の顔にかかってしまいますよね。

そして
あなたが今何を思ってるかは
あなたの顔、表情
つまり人相として現れます。

あなたが
人のしあわせを願って生きてるのか
人のしあわせをうらやんで生きてるのかって
顔に表れているのです。
見る人がみれば、わかるようです。

自分自身の人生を
よくするも、悪くするのも
自分次第なんですね。

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解釈力

人生では
思わないこと、予想外のことに出くわすことは
多々あります。

予期せぬ出来事によって
人生が変わったと思う人は多いかもしれないけど
実は
その出来事が
あなたの人生に影響するのは
その出来事そのものではなく
その出来事をどう解釈するかで
あなたの人生は変わって刳るのです。

「何が起こったか
それが、我々の人生を分けるのではない。
起こったことを、どう解釈するか
それが、我々の人生を分ける」のです。

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無農薬よりも大切な事

最近は食の関心が高まるにつれて
少しでも
からだにいいものを食べようと
する方も増えています。

同じ野菜を食べるなら
無農薬を選んで食べましょう・・・なんて
消費者だけでなく
患者さんに勧めるときも
農薬の怖さをお話することもあります。

でも
最近自分で
無農薬で野菜を作ってみて
わかったことがあります。

無農薬の野菜を作ること
それを生業にしようとすると
農薬をまけば、その後楽なのに
無農薬の野菜を育てようとすると
草を取ったり、虫を捕ったり
実際にからだを動かして
手間暇かけないといけません。

最近
僕もナメクジを捕りながら
この作業が楽にするために
防虫剤を使えばいい・・・なんて
耳元で悪魔の声?が聞こえてきました。

いや、いや
農薬は虫も殺すもの
それが少しでも体に入れば
からだにいいわけはありませんよね。
虫もよく知ってるんですよね。
自然の力を受けて実った野菜は
美味しいと言うことを。
だから
虫も食べたり
綺麗な形に作るためには
とても大変で
農家さんの苦労は
幾ばくもものでしょうか?

それを考えると
からだにいいものを
食卓まで届けてくれた
農家さん、そして漁師さんの
苦労に感謝せずには
おれなくなりますよね。

我々消費者は
からだにいいものを求めすぎて
ないでしょうか?
からだにいいものを食べるのは
消費者の当たり前の権利だと
上から目線になって
その影に隠れた人々のことを
忘れてはいけないし
感謝して食べないといけないと思うのです。

感謝の気持ちを忘れてしまうと
どんなにからだにいいものも
あなたのために働いてくれないでしょう。
逆に、少々農薬を使っていても
農薬を使わないといけなかった事情が
あるのかもしれません。

ですから
農薬を使っていたとしても
感謝の気持ちをもって
食べないといけないですね。

どんな時にも
農薬を使っていても、無農薬でも
全て我々の血や肉になります。
いつも有り難いと思って
いただきたいですね。

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忘れられない密な自粛生活

コロナ期間は、今でも
個人的にも色々忘れられない時間が
多くあります。

特にコロナ期間の自粛期間の時間は
僕にとって
入院時間と同じくらい忘れられない
とっても貴重で密な時間でした。

入院中はできなかった
家族3人で過ごすという
それまであたり前だった時間。

朝の散歩から始まり
毎日
妻と娘が一緒に作ってくれた食事を
3人で笑顔で食べ
たまには
手作りのケーキなどおやつを持って
友人の恵みいっぱいの畑や
人のいない大自然の中で過ごす。
そして夜になったら
3人で川の字になって寝て・・・・
また朝になったら、お散歩に行って・・・の繰り返し。

いつも家族3人一緒
何をするにも3人一緒でした。
妻と娘の話し声が
妻と娘といる空間と時間の流れが
僕のからだを心地よく癒してくれました。
自粛期間の家族との密な時間でした。

その後
こんなに長く家族3人で一緒に過ごした時間って
あっただろうか?
これからもそんな時間ってあるだろうか?

退院した後一番望んだことは
家族3人で過ごす時間でした。
この願いを
神さまがそしてコロナウイルスが
叶えてくれたんだと思います。

本当に感謝の日々でした。

今朝いつもの神社には
ひとりでお参りして
神さまに毎日生きていることにお礼して始まった一日。

今日もそしてこれからも
この穏やかな日々が続くことを
願うばかりです。

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この道一筋を生きていきますか、それとも・・・

日本の社会では
「この一筋」という生き方を
重要視されてきたような気がします。

ひとつのことを究めるには
確かに時間がかかるもの。
ある位置に達しても
次の目標に進むなど
ひとつのことを究めるのには
時間があってもいくらあっても足りないと思う。

ひとつのことを究めて
名人域に達する生き方も
ひとつの生き方。
しかし、時代も変わるし
それに合わせて自分も変わって行くことも感じることが多くなった。
老いを感じると
ひとつのことにとどまっていると
孤独を感じ、取り残される。
一筋の道を究めるためには
孤独にもたえないといけないのかもしれない。

還暦を過ぎ、ある意味意自由な時間、経済的余裕ができたなら
今までとぜんぜん違うもの
自分に縁のなかったものを勉強する
世の中でいう「学び直し」という選択も可能になる。

還暦後は
その後の人生を、その道一筋で行くのか
学び直すかの曲がり角に入ってるのです。

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あたりまえ

いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた

でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた

あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ

あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く

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おもしろきこともなき世はおもしろく

これは
幕末の勤王の志士・高杉晋作の有名な歌です。
この歌に共感する人も多いことでしょう。

やはり、人生、おもしろいことなんてあまりない。
憂えることばかりと
嘆かれている方も多いことでしょう。

でも
高杉晋作がいってるように
憂えることの多い中に
自分でおもしろいことを見つけようとすることも大事。
自分が楽しもうと思えば
どんな世の中になっても
人生の楽しみを見つけることは見つけられるのです。

おもしろきなきことと思えば
おもしろさなき人生になってしまう。
だから
おもしさを見つければ
人生はおもしろくなる。
おもしろきことは、周りにたくさんある。
それを見つけて生きるのが人生。

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働かざる者食うべからず

”働かざる者食うべからず”という
言葉があります。

この言葉を聞くと
怠けるなと言われている
ような気がして
ちょっとドッキリする言葉です。

実はこの言葉は
禅語の
”一日不作、一日不食”
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)
からきている言葉です。

禅では、作務をおこないます。
作務というものは
単なるそうじではなく
人が人であるための基本行為
または
人としてやるべきことを
をさしています。

つまり
人のためにすること
人が社会に対してすることが
作務
人間としての
務めと考えているのです。

人は人との関わりで
生きている。
一人では
生きていけないと
わかっているのに

人は
周りの人や
自分が勤めている会社
そして社会に対して
要求ばかりだしてしまいます。
そして
要求が叶わなければ
すぐ
まわりの人や社会のせいに
してしまいます。

一人で
生きているわけではないので

うまくいかなった時
自分で解決する努力を
していただろうか?
自分に対して
甘えがなかっただろうか?

振り返ってみることが
大切じゃないでしょうか?

社会の中では
人はお互い支え合って生きている。
やるべきことを放棄して
支えられることばかり考えていては
社会は乱れてしまう。

どんな小さなことでもいい
自分のできることをする
誰かのために
自分のできることをする

どんな小さな一歩でもいいから
自分の脚で歩いてみることが大事。
誰かのために
一歩踏み出すことができれば
困った時には
きっと誰かが手を指しのばせてくれる。

誰かのためにして初めて
”生きる”意味がわかるのかもしれない。

“働かざる者食うべからず”という言葉は
そんなことを
教えてくれている気がします。

 

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