日別アーカイブ: 2022年4月11日

死の道程

今年の1月にお亡くなりになった
石原慎太郎氏の絶筆となったエッセイ
「死の道程」を読んだ。

昨年の秋
余命3か月を宣告され
その後の思いを綴った作品。
息子さんから
日記のような物を勧められたようだが
できあがったものは
数ページのエッセイを最後の思いとして
残された。

石原慎太郎氏は
政治家としての顔もあるが
病気にも負けずに
筆を休ませることなく
小説を発表され
法華経の口語訳をされたり
死とも向き合ってこられた方でもある。

そんな氏でも
死の宣告を受けたときには
思考の半ば停止状態になったと。
そして
なぜか青春時代から何度も読んだ
ヘミングウェイ作「陽はまた昇る」の
主人公になった夢をみたと。

戦争によって不能になった主人公が
昔愛した彼女に対して
新しい彼との門出を祝福しに行く主人公の夢。
石原慎太郎氏は
自分の人生となにを重ねたのだろうか?

若き日の
忘れられない思いのたけがそこにあったのだろう
誰にもある
甘酸っぱくもあり、ちょっぴり苦い
今あのときに戻れたら
少し人生が違って高も・・・という
淡い思い出はあるはず。

氏はきっとそれを思い出したのだろう。

そして
死と向き合ってきた
最後の死に対する思い
死の先にあるものについてこう書き残している。

「虚無は歴然として存在する。
そして、人間の新年や予感も狂わせかねない。
死、そんなものなどありはしない
ただ、この俺だけが死んでいくのだと」

死の宣告を受けて
思考停止に陥ったと。
そして女々しく死んでいこうと。
きっと頭の中で考えた死ではなく
こころの中で感じた
死があるということなのだろう。

思考停止した先にある
死について
語ることはなかった。

死の道程にあるもの
それをみつけるために
誰もが生き続けているということを
氏は教えてくれているのだ。

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