天国が宮殿だとしたら

誰も死んだ後のことはわからない。
でも
僕は死んだ後の世界は
きっと自分の望んだことが
全て叶うような世界ではないかと
勝手に思ってるけど・・・

そんな自分の望んだ世界にいるのだとしたら
どうして
またこの世に生まれてこようと
思うのだろうか?

そんな時
ロシアの文豪ドストエフスキーの
「死の家の記録」に
以下のような分があることを知った。

ひとつ宮殿を建ててみるがいい。
大理石や絵や金細工で飾り立てて、
極楽鳥を放ち、色とりどりの庭を作り
ありとあらゆる趣向を凝らす・・・
そしてそこにはいってみるのだ。
きっと
もはやどこにも行きたくなくなることだろう。
諸君は本当にそこからでないかもしれない。
何でもそろっているかららだ!

「幸せ者は高望みをしない」と言うではないか。
急にちょっとした変化が生じる。
諸君の宮殿のまわりが塀で囲まれて
諸君はこう告げられるのだ。
「何もかもおまえのものだ!
存分に楽しむがいい!ただし
ここから一歩もでてはいけない」
すると、請け合ってもいい、その途端に
諸君は自分の極楽を捨てて
塀を乗り越えて外に出たくなるのだ。
そう、そこに足りないものはただひとつ
自由だ!
自由で気ままな暮らしなのだ

とドストエフスキーは書いている。

きっと帝政ロシアの
静粛された時代の中で生きてきて
自由に生きることが
どんなに大切かを感じたのだろう。

多少生きづらくてもいい
自由にその時の自分が感じるままに
生きたい。
そんな自由に生きることを
人間は求めて生きているのだろう。

だから
天国にいたとしても
人はまた生まれ変わってこの世に生きたくなる。
だとしたら
今、どんな状況であっても
この世で生きることが僕たちの望んだこと
だから今という時間を
大切に生きないといけないんですね。

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