「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
しあわせの方程式
お酒で
人生が大きく変わってしまうこともあると
今までの報道でも
自分のこれまでの人生でも
感じることがありました。
お酒には
魔力があるのだと僕はあるのだと
思うのです。
そのお酒の魔力を知って
対応して生きていかないといけません。
お酒に対抗するものとして
僕が注目しているのは
オキシトシンというホルモンです。
こんな実験があります。
オキシトシンを投与すると
アルコールに対する欲求
そして
アルコールの消費量も減るというのです。
これは
たばこに含まれるニコチンに対しても
同様の結果であったというのです。
つまり、オキシトシンには
「お酒をもっと飲みたい」
「たばこをもっと吸いたい」という
衝動を抑える作用があるのです。
もう少し医学的に解説すると
オキシトシンには
お酒をもっと飲みたいと感じさせる
ドーパミンを抑える効果もあるからなんです。
それでは
オキシトシンの分泌を増やすためには
どうしたらいいでしょうか?
オキシトシンは絆を深まると
多く分泌されることがわかっています。
つまり
絆が深まり、オキシトシンが分泌されるので
「楽しい」「うれしい」「しあわせだ」といった
幸福感が生まれてくるのです。
絆が深まる
環境が整えば、整うほど
オキシトシンが分泌され
しあわせを感じるのです。
ですから
家飲みをするより
居酒屋などや
例え公園であっても
みんなでわいわいして飲んだ方が
オキシトシンも多く分泌されるので
楽しくて
路上のみが増えるのも
当たり前のことなのです。
今はコロナウイルスを防ぐ観点から
仕事さえテレワーク
密を避け
人の接触をさけることを
求められる時代になっています。
感染を防ぐためには
やも負えないことかもしれませんが
しかし
それでは、オキシトシンの分泌も減り
しあわせな生き方ができなくなります。
これからの時代
絆を深める生き方
つまり
家族との絆を深めるなど
リアルでは
本気、本音の付き合いできる
関係を深めるなど
お酒の飲み方だけでなく
人との付き合い方も
考え、大事にしないといけない時代になっくるのでしょうね
牛に引かれて善光寺参り
僕は神社参りが好きで
毎朝起きたら氏神様参りをして
一日をはじめます。
旅行した時には
近くの神社をチェックして
時間があれば参拝しています。
なぜ、神社に行くかといえば
神様にご挨拶して
御利益をいただければと
ちょっとよこしまな気持ちが
ないわけではありませんが
参拝すると
単純に清々しい気持ちになって
元気をもらえるからです。
こんな神社巡りが好きな
僕が最近出会った言葉。
「牛に引かれて善光寺参り」
という言葉。
この言葉を聞いたとき
自分のお参りを見透かされた気がして
ドキッとしました。
この言葉の由来は・・・
「昔、信濃のある国に
不信心な老女が軒先で
布をさらしていると
突然大きな牛が現れて
その布を角に引っかけて
駈けだしたのです。
老女はあわてて牛を追いかけました。
牛は善光寺の本堂まで来ると
消えていなくなったのです。
実は、この牛は
観音様の化身だったのです。
それ以来
老女は善光寺を信仰するようになり
極楽往生した」
というお話です。
お伊勢参りにしても
神社を参拝する目的は
神様にご挨拶するだけでなく
参道の
おまんじゅう屋さんやおみやげもの屋さん巡りが
楽しいものです。
いわゆる
物見遊山の参拝なんて
いかがなものと避難するものではなく
目的は何であれ
参拝して、神様に手を合わせることが大切だ
この言葉は教えてくれるです。
僕が神社巡りをするのは
単純に元気をもらえること
そして
参道でおいしいものに出会えることが
多いからです。
こんな僕でも
神様はニコニコして
僕を迎えてくれる大きな方です。
みなさんも
時間があったら
神社巡りおすすめです。
モーニングセミナー
僕は
病気をして退院してから
毎朝近所の神社のお参りをするのが日課。
雨や風が強いときは
歩いて行くことは危険なので
お参りできないこともありますが
少々雨が降っても風が吹いても
傘を指しても歩けるようなったので
2020年12月から今日まで
連続毎朝お参りができています。
朝も4時に自然に目が覚めて
空が白みはじめる4時半過ぎには出発
歩いてる内に
日の出の時間を迎えるのが日課なんです。
朝は
地球全体がエネルギーにあふれ
動物も植物も
そのエネルギーをいっぱい浴びてるから
元気でいられるんだと
僕もエネルギーをいっぱいいただいてるから
日々元気に過ごせているんだと思ってます。
今は
目覚ましもいらず
自然に目が覚め
朝起きが苦にもならず
当たり前に起きていますが
はじめから朝起きの習慣が
できた訳ではありません。
自分は
地元の大学出身ですが
卒業後は九州に戻ったので
今のクリニックで開業しようと決断した時
僕の思いをわかって
力を貸してくれたのは妻しかいない
たったひとりでの出発でした。
医療コンサルにもお願いしたりもしましたが
裏切られたり
笑顔の奥の裏の真意がわかったり
人の冷酷な面を接し
打ちひしがれてた時期でした。
その時出会ったのが
経営者の勉強会の集まりでした。
その会は
週1回朝6時から集まって
経営者のどん底から這い上がった経験から
得た思い、やり方など
まさに、その時の自分の境遇にもマッチして
毎週朝6時からのセミナーに
頑張って!早起きして起きて
参加しました。
早起きはつらかったけど
セミナーから帰って仕事はじめるときには
元気いっぱいで
やっぱり早起きは三文の徳だと
実感して、その会にはまりました。
その後
その会の会長までさせていただきました。
会長になると
理由なく休むことなんてできません。
寝坊するわけにはいかず
それまで以上に
目覚ましを念入りにして
寝るようになりました。
おかげで
寝坊することもなく
務めを全うさせていただきました。
そして
会長の間、目覚ましはかけていたけど
いつも目覚ましがなる前に目が覚めて
起きていました。
病気になって
会は退会せざる負えなくなりましたが
今でも朝起きて、神社に行って
一対一のモーニングセミナーに参加しています。
今日の成功は明日の失敗
この言葉は
ソフトバンクの孫正義氏の
言葉です。
成功者ならではの
戒めの言葉です。
今日のやり方で成功したからといって
次の日も
その通りにやったら
また成功するとは限らない。
同じようにやったら
必ず失敗すると
孫氏はいっているのです。
時代の変化が著しい世の中に
生きていることを自覚し
今の状態がいつまでも続くとも限らない。
たまたま、偶然に
成功したと考えたらいいのだろう。
今の現状にあぐらをかいていたら
必ず失敗する。
今日の成功は
明日への失敗だと考えて
常に前に進んできた
孫氏だから、現代の成功があるのだろう。
いや、成功と思っていないから
次々に時代の流れに取り残されずに
生きているのでしょう。
きっとストイックで
こころ安まる時間など
ほとんどないことでしょう。
でも、日々進化して
進化した自分を感じる事を喜び
もっと大きな成長を喜ぶために
生きていかれているのでしょう。
自分も
生きている限り
何歳になっても、どんな時にも
前を向いて歩いて行こうと
背中を貸してもらった言葉です。
かわうそ
「かわうそ」を漢字で書くと
「獺」という難しい漢字。
日本酒好きで、山口県出身の人であれば
日本酒の「獺祭」が有名で
読めるけど書くのは難しい漢字の一つだと思う。
そんな「かわうそ」を題名にした
向田邦子の短編小説を読んだ。
小説「かわうそ」で
主人公宅次が絵画「獺祭図」を
みながら考える場面が出てきます。
「かなり大きい絵で
画面いっぱいに旧式の牛乳瓶、花、茶碗、
ミルクポット、食べかけの果物、パンの切れっぱなし
首をしめられてぐったりしている鳥が
卓上せましとならんでいた」
という、想像しただけでも
ちょっと暗くて不気味な絵難でしょう。
なぜ、これが獺祭、かわうそのお祭りかというと
「かわうそは、いたずら好きである。
食べるためでなく、
ただ獲物をとる面白さだけで
沢山の魚を殺すのである。
殺した魚を並べて、
楽しむ習性があるというので
数多くのものを並べて見せることを
『獺祭図』という」
と解説しています。
この小説は
主人公の妻は
周りに不幸と思われることが起こっても
かわうそのように
どこか楽しんでいるように見えてしまうことに
きづいた、どこか人間の恐ろしい部分を
描き出した
後々まで心に引きずる
短編小説の名作です。
それではなぜ
日本酒に「獺祭」とつけたのか・・・
きっと
日本酒を飲むときは
楽しい場面ばかりではない
葬式ややけ酒など
悲しい時にも飲むこともあるでしょう。
どんな時であっても
日本酒を飲むことを楽しんで欲しい
という思いがあるのでしょう。
獺祭の意味を深く心にとめ
これからも日本酒「獺祭」を
たしなみたいと思います。
受けた恩は絶対に忘れない
人間は一人で生きていくことは
できません。
日々多くの人に支えられ、助けられ
人生を過ごしていきます。
今していること、
今の仕事に関すること
自分の利益につながりそうな人に対しては
誰もが礼を尽くすことを
忘れないでしょう。
でも
自分の目の前を通り過ぎた人
過去にお世話になった人
に対しては
恩を忘れないですか?
人から恩を受けた時の気持ちは
時間が経っても
決して忘れてはいけないものです。
人から受けた恩を忘れず
受けた恩に対して報いる努力をする
自分もまた、他の人に対して
受けた恩を送るような
人生が過ごせたら
しあわせな人生だと思いませんか?
誰にでも
お世話になった人は必ずいます。
両親、師、友人、知人・・・・
誰もがあなたのために
手を差し伸べてくれたのではないでしょうか?
その一人一人に
感謝の気持ちを伝えることができれば
気持ちも人生も豊かに
なるような気がします。
毎日一人づつ感謝したら
一年で365人
3年で1000人近い方に感謝することができます。
現代は、
手紙、電話、メール、ライン
様々な伝達方法があります。
自分に合った方法で伝える
また
決して、形にしなくても
その人に感謝して、しあわせを祈るだけでも
恩を尽くすことのような気がします。
受けた恩を絶対忘れることなく
あなたらしく
感謝をもって日々生きることが
できたら、きっと
あなたの心を豊かにし、
しあわせな人生へと
つながっていくのだと思います。
年取ると頑固親父になるのか?
若い人は
老人のイメージとして
「頑固親父」「石頭」と呼ぶことがある。
確かに年をとると
頭が固くなる傾向がでるのは
少しは自分でも自覚しています。
これは
これまで自分の歩んできた人生を
納得したいからとも言えるのです。
自分の歩んできた人生という時間を
大事に思う裏返しでもあると思います。
60歳を過ぎると
これまで生きてこれたという
自信の裏返しともとれます。
そう自覚していれば
頑固は、理性でもって修正できる
と思ってます。
つまり
「いくつになっても変われる」と思って
生きていけば
石頭になることなく
柔軟に生きていけると思うのです。
何歳になっても
柔軟に生きることができれば
年寄りが望む「若返る」ことも
可能になるかも知れません。
若返るということは
変わろうとしている自分
変わった自分を
「楽しんでいる」自分だから。
そんな姿を周りからすると
きっと、「若い」「若返って見える」
ことでしょう。
そのためには
自分はまだまだできる、伸びるのだという
自分の能力を見切らず、将来を諦めず
こどもの時に持っていた
好奇心を忘れずに生き続ける事が
大事なのです。
輪廻転生を受け入れることの恩恵
最近輪廻転生があると
仰る方が増えています。
僕も、輪廻転生はあると
信じる派ですが
輪廻転生のことを
実際に証明した人もいませんし
証明することは
現代の科学の力を結集しても
難しい問題だと思います。
輪廻転生の存在を証明することが
できなくても
直感的に
存在を信じることはできます。
そして
輪廻転生を受け入れることで
生きていく上で恩恵をうけることができます。
その恩恵とは
死に対する恐怖を克服することが
可能になるのです。
僕たちは
生きている限り
死に対する不安をもって
生きることになります。
死に対して
どうして不安になるかと言えば
それは
死によって全てが終わると考えるから
死によって
生きていた人生の価値が
無意味なものになってしまうと
考えてしまうからです。
輪廻転生があると思えば
今生での死で
僕の人生が終わるわけではない。
死に対する恐怖から解放され
人生に対して
永続的な価値を見つけ出すことが
可能になるのです。
そして
人生自体にたいしても
精神的な余裕が出てきて
人生に対して焦ることなく
ゆとりを持って、一歩一歩確実に
歩めるようになるのでは
ないでしょうか?
余裕を持って生きることは
別に怠惰な人生を送ることを
意味していることではありません。
人生の意味を深く考えられるようになり
自分の人生を
目先の利益にこだわることなく
充実させて生きることに目覚め
大切にいきようとするでしょう。
人生に対して
余裕の気持ちが生まれることで
人生そのものが豊かなものになるでしょう。
恐怖でなく
死を迎えるその瞬間まで
有意義に生きることができる。
そして
死の瞬間その時には
来世に対する希望に満ちあふれた気持ちで
その瞬間を迎えられることでしょう。
まだ誰も証明できていない輪廻転生
信じて生きてみませんか?
NOTE#10自画像と自撮り|Dr.サンタ
NOTE#9病気はからだからのメッセージ
NOTE#8天上天下、唯我独尊|Dr.サンタ
NOTE#7今日の成功は明日の失敗
NOTE#6いのちは地球よりも重い(誕生日に思うこと)
NOTE#5共に働いてる仲間との別れ
NOTE#4下り坂には下り坂の風光がある
NOTE#3日本酒「獺祭」の名前の謎
NOTE#2 友人小児科医との再会
NOTE#1 NOTE始めました
朝はエネルギーの宝庫
毎朝神社参りをしていますが
最近は
陽が昇時間も早くなりました。
朝4時に家を出たときには
周りが
地球が、自然が
目覚める瞬間に出会えます。
すずめが
チュンチュンと鳴いています。
どうして
朝鳥は、ちゃんと目覚めるのか?
朝日が昇る時
何を感じているのでしょう。
実は
朝の酸素を感じているらしいのです。
酸素はいつもあるじゃないかと
思われるでしょうが
実は朝日が昇るときの酸素は
他の時間の酸素とは異なるのです。
朝日が昇る前
朝日が昇った太陽の光に
木々は敏感に反応して
ごくごく微量の酸素
それも植物の持つエネルギー
いわゆる気にあふれた力ある
酸素を排出しているらしいのです。
その酸素のエネルギーを感じ取った
気に暮らす鳥は感じ取って
鳴き始めるのです。
そういえば
理論物理学者の保江邦夫先生が
著書の中で
超能力を得たいなら
朝日が昇る瞬間の空気を
吸うのがよいと書かれていたのを
思い出しました。
そんなに空気が違うのかと
思いますが
朝日が昇る瞬間の時間に
木の近くを歩くと
とってもいい匂いか嗅ぐってくるのです。
どの植物の匂いかは全くわかりませんが
本当に心から落ち着く匂い何です。
でも匂いを感じるのは一瞬なんです。
「ああ、いい匂いだ」と感じた次の瞬間には
わからなくなるので
本当に一瞬なんです。
だけど
その匂いを感じると
うれしく、心ウキウキ、わくわく
確かにエネルギーをいただいてるんですね。
僕はこれが
植物からもらってる
朝の力だと思います。
前回ブログで
風についてのお話をしましたが(5/11 風立ちぬ)
匂いについても
理由があったのですね。
朝はとても気持ちがいいです。
現代は不安の多い時だからこそ
早起きして
自然の力を、恵をうけてみてはいかがですか?
NOTE#10自画像と自撮り|Dr.サンタ
NOTE#9病気はからだからのメッセージ
NOTE#8天上天下、唯我独尊|Dr.サンタ
NOTE#7今日の成功は明日の失敗
NOTE#6いのちは地球よりも重い(誕生日に思うこと)
NOTE#5共に働いてる仲間との別れ
NOTE#4下り坂には下り坂の風光がある
NOTE#3日本酒「獺祭」の名前の謎
NOTE#2 友人小児科医との再会
NOTE#1 NOTE始めました
小さき者へ
有島武郎の名著「小さき者へ」を
久しぶりに読んだ。
この本は
父親が、小さき幼子に贈った
どこか遺書にも似た本であり
今改めて読んでみると
自分の気持ちを代弁しているように
思えて一気に読んだ。
その中の一節です。
「私はおまえ達を愛した。
そして永遠に愛する。
それはおまえ達から親としての
報酬を受け取るためにいうのではない。
お前たちを愛することを
教えてくれたお前たちに
私の要求するものは
ただ私の感謝を受け取ってもらいたい
という事だけだ。
お前たちが一人前に育ち上がった時
私は死んでいるかもしれない。
一生懸命に働いているかも知れない。
老衰して物の役に立たないように
なっているかも知れない。
しかし、いずれの場合にしろ
お前たちの助けなければならないものは
私ではない。
お前たちの若々しい力は
既に下り坂に向かおうとする
私に煩われていてはならない。
たおれた親を食い尽くして
力を蓄える獅子の子のように
力強く勇ましく
私を振り捨てて
人生に乗り出していくがいい」
自分も
人生の後半、これからは下り坂の人生。
こどもから観ると
情けなく、そして親孝行しようとなど
思うかも知れない。
そんな死に向かう我をかまい
お前の大事な時間を無駄にして欲しくない。
たとえそばで倒れた状態であっても
私を踏み越えて前を歩いて行く
おまえのたくましい後ろ姿を
見送れることが
私にとっての
生きてきた上での一番観たかった風景
なのだということを
知って欲しい。
NOTE#10自画像と自撮り|Dr.サンタ
NOTE#9病気はからだからのメッセージ
NOTE#8天上天下、唯我独尊|Dr.サンタ
NOTE#7今日の成功は明日の失敗
NOTE#6いのちは地球よりも重い(誕生日に思うこと)
NOTE#5共に働いてる仲間との別れ
NOTE#4下り坂には下り坂の風光がある
NOTE#3日本酒「獺祭」の名前の謎
NOTE#2 友人小児科医との再会
NOTE#1 NOTE始めました
