「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
八紘為字(一字)
お正月は
今年がいい一年に為るように
いろんなお願いをするかと思います。
個人的な願いごともあるでしょう。
世界の平和を祈ることもあるでしょう。
世界平和を祈る言葉の中で
「八紘為宇」というのがあるのは
ご存じですか?
この言葉は、政治家が時々口にする言葉で
東京裁判の時に議論されたり
最近では、三原じゅんこ参議院議員が
国会の発言で注目された言葉です。
この言葉は、日本古来の言葉で
神武天皇が
東征を決断されたときに
兄の五瀬命に述べたことばとして
現在まで伝えられています。
現在の漢和辞典によると
八紘は「天地の八方の隅」で
転じて全世界を意味し
「宇」は家を指します。
すなわち全世界をひとつの家にするとの意味。
その言葉を
神武天皇はきっと
日本全体が平和に収まった状態を
思い浮かべ
日本列島全体が
私たちの家となり
私たちが
同じ家に住む家族となるとこを願い
この言葉を発されたのではないかと
僕は思うのです。
今は
日本だけの問題だけでなく
世界全体が一つの家、家族と
為らなければいけない時を
迎えているのです。
今こそ
八紘一宇の精神で
「奪えばたりなくなるけど
分け与えれば余る」という
応神天皇が引き継がれた精神をも
日本人として生まれたからには
引き継ぎ、世界に広めないといけない
精神なのだと思います。
この精神は
特に、災害が起こったときなど
国全体がピンチに陥った時に
覚えていたい精神だと思うのです。
忍耐の意味
「忍耐」とは苦しい時に耐える、乗り越える
という意味にとらえがちだけど
実は
その苦しみを感じた時に
もう一歩前に、でようとするか、しないかが
曲がり角だということを
教えてくれている言葉だと思う。
前にでようと一歩踏み出すことで
それはもう「苦しみ」ではなくなる。
むしろ「喜び」に変わると言うことを
「忍耐」という言葉が
教えてくれてくれているのです。
生きているのではなく生かされている
新しい年を迎えて
思うことがあります。
それは
今ここにいるのは
自分の力でここにいるのではなく
ここでいるように
生かされている
という気がとてもするのです。
思えば
ひょっとして
今ここに存在しなかったかもしれない
出来事が
これまでに2回ありました。
一つは
今から約15年前。
山登りに魅力を感じていた時期で
乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
乗鞍岳は
3000mを越える山ですが
初心者の僕でも
登頂することができ
山登りの楽しさを教えてももらった
山でした。
山登りは
下山するまでが山登り。
とも言われます。
その時
一緒に同行した方と
下りは自転車で下ろうと提案してくれて
サイクリングの経験はないけど
下るだけなら
ついて行けるだろうと
軽く考えてOKしました。
でも
そこに魔物がいたんです。
長距離の下り
ペダルを漕がなくても
どんどんスピードが乗ります。
それも3000mの下り坂
つづら折りのカーブを曲がりながら
降りていきます。
スピードも乗って、楽で快適です。
でも
ガードレールの下は
絶壁の崖のところばかり
スリルも少しは感じながら
スピード感に酔いしれ
自転車が加速していきます
まさに
風を切り、風に乗ったと思った瞬間
カーブを曲がり切れず
ガードレールを
乗り越えてしまったんです。
目の前が真っ暗に成り
体がふわっと宙に舞う感覚とともに
ドスンと落ちて
右の胸を
ガードレールの柱を固めてあった
セメントの土台にぶつけ
強い衝撃と痛みで
僕の楽しい山登りは終わりました。
肋骨を打って
ひびが入ったのでしょう。
それからしばらくは
笑っても痛い
ベットから起き上がるのも
痛くて動きがとれない状況が
1週間近く続きました。
楽しい旅行の結末は
苦い思い出になってしまいました。
でも
冷静になって振り返ると
そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
つまり
他のカーブを
曲がりそこなってたら
深い深い谷底に落ちてしまい
いわゆる滑落事故として
いのちがなかったと思い
今思うとぞっとしてしまいます。
そして
一年前の脳出血。
脳出血でいのちを落とした方の
ことを聞くことがありました。
今まで元気だった方の
突然のニュース。
そんなニュースを聞く度に
僕もそうなっていても
おかしくなかったんだと思います。
亡くなったかたも
死ぬなんて思わなかったんでしょう。
色んな状況
同じような状況でも
死ぬ人と生きている人がいる。
このちがいってなんでしょうか?
人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
僕には
自分で勝手に生きているのではなく
誰かによって生かされている気がして
ならないのです。
生きる、死ぬも
自分で決められない
だから
毎日いやこの瞬間を
悔いなく過ごさないといけないと思うのです。
時計の文字盤が円いわけ
時は、真っ直ぐ進む訳じゃないから。
円環のように、ぐるぐる同じ所を回っているから。
そして、人間は
その円環から、決して逃れることはできない。
円環という牢獄の中に
閉じ込められているのかもしれない。
でも、実は
閉じ込められている円環から
人生のなかで
一瞬その円環から解放される時があるという。
それがいつ起こるのか
いつ起こったかもわからないかもしれない。
しかし、その瞬間に
それまでの人生とは大きく異なる
何かが生まれる瞬間を経験するという。
その時は
一瞬のタイミングであるという。
その一瞬のタイミングを確実につかむために
今この一瞬一瞬を生ききることが
大事なのです。
波動を合わせる
宇宙には
あらゆるエネルギーが充満しており
自然界にあるすべてのものは
宇宙全体とつながっています。
そして人も例外ではなく
全ての人が
宇宙とつながっているのです。
ですから
宇宙全体に波長を合わせることで
大きなエネルギーを受けることが
可能になるのです。
そして
宇宙の波動を合わせることで
自分のもっている波動を
変えることが可能になるのです、
すなわち
医学的に治すことが困難だと
考えられる病気でも
宇宙からのエネルギーを受ければ
治ることも可能だと
考えられます。
これは
病気のことだけでなく
宇宙のエネルギーの波動と
合わせれば
全てのことが
自分の思うままの方向に
動き出すこともできるのです。
でも
そうだと知っていても
現実にはそう動き出すのは
容易なことではありません。
ただ宇宙のエネルギーと
波長を合わせるだけでは足りないのです。
仏教の言葉に
三密加持という言葉があります。
加持の加はというのは
宇宙の力
持というのは
こちら側が受け取る状態であるということ
密は密着しているということ。
すなわち
こころとからだそして魂も合わせて
宇宙からの力を
受け入れる準備ができていることを
表現した言葉なのです。
仏教でも
宇宙からのエネルギーの存在に
合わせて生きていくことの大事さを
教えてくれているのです。
人間は自分ひとりで
生きていない
いえ、生きられるわけではないことを知り
全てのことに感謝して
生きていくことから
全てのことが始まるのです。
円谷英二監督の予言
円谷英二監督といえば
ウルトラマンやゴジラシリーズなどの
怪獣シリーズを特撮技術を開発し
普及した特撮の父ともいわれる方です。
多くのウルトラマンシリーズに
関わってこられましたが
その数多くあるウルトラマンのなかで
唯一自らメガホンをとったのが
「悪魔はふたたびやってきた」の回だけです。
この回は、どこか異種異様なんです。
怪獣アボラスをオリンピックが行われた
国立競技場で戦わせ、
戦いに勝利したウルトラマンはは
完全に破壊された国立競技場を後にして
宇宙に飛び立て終わるんです。
通常なら
戦いが終わった後
ハヤタ隊員が宇宙警備隊のもとに
笑顔でもどってきて終わるエンディングですが
この回はウルトラマンが去って
あっさり終わるんです。
ほかの回とは異種なエンディング。
これは円谷英二監督の未来に対するメッセージが
込められていたのでは思うのです。
実は当時福島原発を福島に建設されることが決まり
実は福島出身の監督が
原発建設の未来に危惧したのではないだろうか?
もしかしたら
題名の悪魔は原子力発電所。
その悪魔による破壊が再びやってくる
そのことを予言し、危惧した
メッセージっだったように思えるのです。
人間の文明発展には
完全ではなく、大きなリスクもある。
そのことを考えて未来を作っていかないといけないと
思うのです。
嫌な体験を未来につなげるために
年が明けると
将来に向けての活動が活発になります。
そのうちのひとつが
受験シーズンでもあり
おとなだけでなく
こともたちにとっても
今までにない
不安な気持ちを抱き
日々嫌な気持ちが湧き上がって
来てしまう中
人々は必死に生活されていることでしょう。
どんな嫌なことを体験したとしても
学ぶべきことはあります。
その嫌な体験を
嫌なことだと思うだけで
学ばないままにしてしまうと
いつまでもその体験は
嫌な思い出として
今後の人生に尾を引いてしまいます。
ですから
嫌な出来事が起こった場合
「決して無駄な経験ではない。
何科学ぶべきことがあるはずだ」と
思い直してみて下さい。
嫌なこと、体験を逃げずに
様々な立場で
その思いを体験を
眺めてみて下さい。
そして
こんな思いを二度としないですむ
生き方をしていこうと
決意しましょう。
その時
こころに留めていただきたいのは
自分にとって大事なのは
過去でなく
今をどう生きるかということです。
過去は今後につながる
土台となるものです。
全ての過去の経験が積み重なっていくことで
強固な石垣となり
その上に自分の城が築けるのです。
文明の利器
脳出血になって
歩けない時期
それどころか
立ち上がることすらできなくなり
それでも
リハビリのおかげで
今では
自分で立つことも
自力で歩くこともできる。
入院した時の
医師、看護師、そしてリハビリ師さんの
おかげだと
今もそしてこれからみ
そのご恩は忘れることはできません。
生活することには
全く不自由はないのですが
正直な話
発病前と全く同じ状況では
ありません。
歩くスピードは
発病前の80%ってとこで
走ることはできません。
持久力も
以前はどんな山道でも
どんどん歩くだけの脚力はありました。
しかし今は
道なき道を歩くのは
大きな冒険であり
正直躊躇します。
でも、先ほどお話ししたように
僕の自由は
病気によって奪われることはなく
自由な生活を取り戻しています。
自由な生活ができるのは
文明の利器の
恩恵のおかげなんですね。
行きたいことがあれば
自分で歩かなくても
車を運転すれば
どこにでもいける
欲しいものがあれば
インターネット経由で
全国いや全世界から
取り寄せることだってできる。
会いたい人がいても
連絡手段には事欠かない。
本当に
有り難い時代にいるから
僕は生きていけるのだと思う。
そして
今、この時いられるのは
周りの方々のやさしさ、思いやり、気遣い
のおかげ。
ものにも人にも感謝の気持ちでいっぱいです。
人は
ひとりで生きているわけではない。
ひとりで生きていけるわけではない。
だから
全ての人にものにそして出来事に
感謝なんです。
AIが考えるしあわせの方法
今巷で流行っているAIに
「しあわせを感じるためには
どうしたらいいですか?」ときいてみた。
すると次の五つのことが大事だという
答えが返ってきた。
①他人との繋がりを大切にする
②自分の価値を認める
③感謝の気持ちを持つ
④前向きな考えをもつ
⑤こころとからだを健康に保つ
そして最後に
「しあわせは
努力次第で手に入れることができるものです。
これらの方法を参考に
是非しあわせを感じられる自分を目指して見て下さい」
と粋なコメントが添えられてあった。
AIは生きてる人のように
そして
答えだけでなく
その先にこころを揺らがされるコメントが
返ってくるのが
AIが人の心を捉える理由なのでしょう。
僕は
生身の人間として
AIに負けないように
寄り添い、こころを届けようと思います。
美しい言葉を
人間が発する言葉は
「言魂」と言って
口から発する言葉そのものにも
魂があり、言葉のもっているエネルギーが
その言葉を聞いた人の魂の奥まで届苦こともあり
そのひとことで
いのちそのものも
活性化することもあれば
奪ってしまうことさえあるのです。
「覆水盆に返らず」という
言葉が示すように
一度相手の向けられた言葉を
再び取り返すことはできません。
ですから
「的確にかつ素直に相手のことを思って」
「こころを和らげる言葉を選んで」
などを心がけて
日頃から言葉を発することが
大事です。
心地よい言葉を使っていると
こころもからだも
うれしく良い方向に進んでいきます。
こころとからだは
言葉に影響されるのです。
以上のことを思って
日頃から言葉を使ってると
他の人の発する言葉が
神様や仏様の言葉と思えるように
素直にきけることでしょう。
「行動、言動は習慣を作り
習慣は人格を作り
人格は運命を作る」というように
「いつも感謝のこころを持ち
感謝の言葉を素直にいつも発する」
ここから
心地よい人生が紡いでいくのだと思います。
