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戦争のない世の中になりましすように

戦争はしてはいけないことです。
日本では、第2次世界大戦以降
軍隊、武器の所有などを放棄し
戦争はいけないものだと教育され
実際戦争をすることもない時代になりました。

僕も
戦争を知らない世代で
実際の戦争を体験した世代も
年々少なくなってきています。

戦争を経験しなくても
世界中のあちこちでは戦争がおこり
自分は戦争を知らない世代だけど
とても平和な世の中になった
という実感はありません。

その理由は
現在の社会は、誰もが口々に
平和を訴えているけど
実際の武力衝突は回避しようとしているけど
現在優勢の資本経済主義社会では
武力衝突ではない形を変えての
戦争が起こっているからではないでしょうか?

暴力は
目に見えて人を傷つけ、尊いいのちを奪い
誰もがいけないことだと認識しています。
目に見える形の暴力はいけないけど
目には見えないけど、お金や原油など
豊かな生活の源泉になると思っている物の奪い合い
それらを奪い、戦い抜く財力が
暴力に代わる形として
人々を支配する道具になっています。

更にいうと
戦場は市場へと変わり
戦争を先導しているのは
軍隊から企業へとかわりました。
そして
軍隊を動かす力は
我々の我欲で変わりはありませんが
前回の戦争は原動力は
生きていくために、生き残るための
自衛の意味合いが強かったのですが
現在は、生存権は保障されていて
より多くの物を手に入れて
裕福に生きたいという
所有欲に変わりました。

このように。現在でも
資本主義の旗の下で
形を変えて戦争(戦闘)体制にあると
考えていいでしょう。

そんな中
コロナウイルスの出現によって
これまでの経済活動が停止する経験をし
世の中は、元の経済活動に戻そうと
頑張っていますが
コロナ流行前に戻るのが
本当にいいことなのでしょうか?

コロナウイルスは
みんなが本当の戦争のない
心から平和だと思える世界に
どうやったらなるかを
考えるチャンスを与えてくれたのでは
ないでしょうか?

これからの世の中が
本当に戦争のない平和の世の中になるように
進んでいかなければいけないのです。

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今日も面白く

同じ人生を生きるなら
面白く、楽しく生きたいと思っても
実際にはそんなに人生甘くないと
思っている方も多いことでしょう

楽しい人生を送ろうと思うなら
まずは、今この瞬間が面白くなくては
いけない。
今日が面白く、楽しめれば
明日も面白くなるはず。
そんな日がずっと続けば
昨日よりも今日、今日よりも明日と
楽しい日が続くと共に
成長していること
成長し続けていることに気がつくでしょう。

日々、漫然と生きているだけでは
人生の楽しさは続きません。

毎日面白く過ごすには
自分に刺激を与え、挑戦し
ちょっと困ったり、うんと頑張ったり
困難を乗り越えた時
喜びは大きくなると共に
昨日よりも一段と成長し続けることでしょう。
そして
この人生はいくつになっても続く
死ぬまで成長し続けることができると
僕は思っています。

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あの世はあるのか?

最近
からだのことだけでなく
魂のこと、こころのこと
目に見えないいわゆる
見えないけどこころで感じることについて
話すことも多くなりました。

世間でも
以前に比べて
目に見えない世界があると信じて
胸を張って語られる方、本を出される方など
情報発信される方も増えています。

でも、依然として
目に見えないもの、科学で証明できないことは
信じないというかたも
いらっしゃるのも事実です。

こう語ってる僕は
目に見えないものは、
科学で証明できないものは
信じない、受け入れないというわけではなく
東洋医学で考えている気が
エネルギーの流れであることが
少しずつわかるようになり
今、ナチュラルメディカルセンターで行ってる
メタトロンも
エネルギー、気の医療だと
いうことになります。

僕は
目に見える患者さんを治療する医者ですが
どうして
このように普通目に見えないような医療を
行えるようになったのは
自分自身の次のような考えがあったからなんです。

この世の物は
全て陰と陽、表と裏、男と女というように
全て2つの面、組み合わせによって成り立ったいるんです。
ですから
目に見える部分が全てと言うわけではなく
目に見えない部分もあるというのも
当然だと考えていいのです。

今生きている、今体験できている世界があれば
もう一面
目には見えないけど、もうひとつの世界があるはず。
その世界は、唯物論が中心の現代科学では
まだまだ証明できません。
目に見えないから
証明できていないからという理由だけで
否定するのも、少々暴力的な考えだとも
思えるのです。

我々のからだも
2面性で成り立っているのであれば
目に見える肉体そして
目には見えないけど存在する魂によって
成り立っていると考えてもいいでしょう。

肉体と魂があるならば
今肉体をもって生きる世界
そして
魂がいきる魂の世界が
目には見えないけど確実に存在していると
思っています。

この2つの世界のことを
みんなは
この世、あの世といってるのです。
ですから
魂の生きる世界、あの世はあるのだと
僕は思っています。

魂の世界があるなら
なぜ、今肉体をもって生まれてきたのでしょうか?
それにも、意味があると思っています。

これから
僕の考える魂の世界を
お伝えしようと思ってます。

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人間は地球の居候

今年の冬は寒かった。
冬だから寒くなくてはいけないけど
大雪だ、梅の開花が遅れた・・・と
寒さを伝えるニュースが耳ついた冬だった。
今年の夏はどうなる?
昨年以上の暑さになるのか?
天気予報の技術は進んでいても
誰も現時点での確証はもっていない。

科学が進歩して
その日の天気予報はかなり進化して
かなり予報の的中率は上がっていると思うけど。
科学文明はどんなに進んだといっても
自然の前ではまだまだ力が及ばないと
全く無力。
その証拠に
地球のどこかで自然災害が起こっている。
地震、豪雨、山火事、台風、雪崩、火山噴火・・・
自然災害の前では科学の力も及ばない。

自然災害の報道をみる度に
地球が起こってるような気がしてくる。
そして、そう感じる度に
人間は地球の居候なんだと思ってしまう。

人間は地球の居候。
だから
居候しているということを意識して
あるじの機嫌をそこなわないように
気を使いながら暮らすのが
居候の守るべき分であろう。
それなのに人間は
居候であることを忘れ
我が物顔で好き勝手にいきていないだろうか?
山を削り、森の木を切り刻み、海を埋め立て
川、空、海を汚し続け・・・
自分たちの都合のいい哲学を大義名分に
暴れている気がする。

幼い時
祖父が夫と言っていた言葉を思い出す。
「非科学的な所にこそ哲学がある」と。
頭だけで考えるだけでなく
こころの目で見て、考える
時期に今きているのかもしれない。

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愛する気持ち

学がある
技術があるということは
立派なことにちがいない

それは人のしあわせのために
使われてこそ
初めて役に立ったということになる

そして
その人が優れた人間だということに
なるのだと思う。

何よりも大事なのは
人を愛する気持ち

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情緒力

現代人は自分の利益、家族の利益
所属している組織の利益を最優先に考えて
生きているのはまちがいありません。
それは、自分の生活がかかっているので
利害得失を考えて行動するのは
いたしかないことだと思います。

しかし
その考えだけだと
生き続けるために戦いつづけなければ
ならないでしょう。
そうならないために、人間には
他の動物がもっていない
自分の利益を考えていても
「もののあわれ」や
不幸なものに対する
敏感さを感じることが強ければ
戦うこととは別の思考をするようになります。
戦うことで
悲しむ人おこることを感じることでしょう。
この感じる気持ちが「情緒力」です。

感じ方がみなが違うように
もっている情緒力はみな異なります。
だから戦争はなくならないのでしょう。

そして
科学は進歩して
戦争の武器はどんどん増えています。
知能は進歩しても
こころは進歩しないのはどうしてでしょう。

こころを豊かにするためには
たっぷりの愛情が必要
人を自然を愛する気持ちをもっと、もっと育てて
いかなければならないのでしょう

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卑法を憎むこころ

最近では薄れてしまった
日本人が大事にしたこころに
武士道があると思います。
確かに今の時代に合わない面も
あるのかもしれませんが
世を平和にするこころの有り様も
あると思います。

武士道の精神には
誠実、慈愛、惻隠(不幸な人に対する同情心)など
様々ありますが
今の時代特に大事にしたいのは
「卑法を憎むこころ」です。
平たくいえば
「みんなと仲良く」を実践する方法ということです。

このことは、世界中どこでも
小さい頃から教えられていても
頭ではわかっていても
実行するのは難しいから
今でも戦争が起こっているのだと思います。
もっとストレートに言えば
「いじめは卑怯な行為」であるということ。
そう言えば
幼い頃から親や先生から
「いじめはいけない」
「弱いものがいじめられたら守ってあげなさい」と
言われてたのを思い出します。

でも
どの時代でも
いじめは存在します。
そしていじめる側を懲らしめるっていう話しは
昔話でもありますが
実は例え制裁であっても
やってはいけない禁じ手が5つあると言われますので
紹介します。

①大勢で一人をやっつけてはいけない
②大きいものが小さいものをやっつけてはいけない
③男が女を殴ってはいけない
④武器は絶対に使うな」
⑤相手が泣いたり謝ったりしたら直ちにやめないといけない

このことを
世界のリーダーが知っていたら
今も起こっている戦争も終結するどころか
戦争も起こらないのにと思うのです。

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お金の価値は人生の中で変化する。

人生を振り返った時に
自分の生きてきた時代の中で
お金に対する考え方、価値は
どんどん変化したなぁと思うのです。

学生時代は
お金がないと遊べないと思ってました。
働き始めてからは
お金は自分の働いたことへの代償であり
家庭を持ってからは
生活を維持するために必要。
こどもができたら
こどもを一人前にするために
お金が必要でした。

そして
還暦を迎え
夫婦二人残りの人生を
豊かに暮らすため
こどもや孫に喜ぶ顔が見たいからと
人生のステージで価値観が変わってきていることに
気がつきました。

お金の価値は
自分のその時の生活レベルや価値観によって
変わっていきます。
もちろん
お金の価値が人生の価値に
なるというわけではなく
お金の価値は人生のステージで
変わっていくのだと実感しています。

そして、お金は
自分を喜ばせる手段であり
家族を持つと
家族を喜んでもらうためにと
人を喜ばせるために必要なものだと
思うようになりました。
そして、人に喜んでもらうことで
人に感謝してもらえる喜びを受け取れる
そんな力顔金にはあるのです。

還暦過ぎたら
笑顔のためにお金を使っていこうと思います。

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死に狂い

死に狂いという言葉があるのを
知っていますか?

死に狂いとは
生死二つのどちらをとるかと問われれば
必ず死を選択する生き方を言うそうです。

日常生活においても
死ねために生き、その覚悟を培うことを
最も大切に思う生き方です。

そして、生ある時間を
死にもの狂いでいきて
運良く死ななければ、矍鑠とした
老化を生きることができるというのです。

この思想は
日本人の武士道につながる思想で
前回の戦争では
この思想を持っていたから
ご先祖様はこの精神をもって
僕たちのいのちを守ってくれたと思うのです。

現代においては
この思想を実践する人もいないと思うし
この思想を全面的に推奨するわけでは
ないけど、
この思いをもって
生きていくことは大事だと思うのです。

例えば
人は、便利な方、楽な方向へと
流されがちですが
生きていく中で、選択を迫られた時は
自分が苦しむ方を選んだ方が
その後、強く、自分らしく生きられることもあるのです。

死に物狂いに生きるような選択に
迫られることもあることでしょう。
その時のためにも
「死に狂い」という言葉を
覚えておきたいです。

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死に損なった男

という映画を観た。
この映画は
仕事に行き詰まってしまい
死のうと決断し
電車に飛びこもうと決意して
ホームで電車が来るのを待っていると
ひとつ前のホームで飛び込み自殺があって
その後の電車が不通になり
自殺は決行できなかってしまった。

ただ、自分より先に自殺して人の
ことが気になって調べて、お葬式したその夜
なんとその人が幽霊となって
その人の目の前に現れて
この世に残してしまった心残りのことを
果たしてもらおうと
無理難題をもちかけて来るのです。
それに対して、主人公は
その無理難題のことに対して、どうするのか・・・
先が読めない展開になるのですが
後は映画を観て欲しいのですが

最近、この映画のように
なくなった人がリアルな幽霊として
出現する設定に違和感がなくなってきているような
気がします。この映画のように・・・

あの世の世界ながあるかどうかって
誰にもわからないけど
自然に受け止められるのは
潜在的にあの世があることを
知っているからなのかもしれないと
思わせる映画でした

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