今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

いのちのバトン

 

人は必ず死ぬから
いのちのバトンタッチがあるのです

死に臨んで先に往く人が
「ありがとう」と言えば
残される人が
「ありがとう」と応える

そんな一瞬のバトンタッチが
あるのです。
そのバトンタッチがあるから
いままでこころが想いがDNAが
ずっと引きつながっているのです。

そのバトンタッチをきづかなかったとしても
バトンタッチをうけたことを
意識して生きていくかどうかで
あなたの人生は大きく変わってくる。

そして
あなたのバトンをまた渡す日は
必ず訪れるのです。

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魂の修業するとは

この世に生まれてきたのは
魂の修行をして
魂のレベルを高めるためだと
お話をしましたが
魂のレベルを上げるために
どんな風に
生きていけばいいのでしょうか?

魂のレベルは
魂の熱量の差で
決まります。

つまり
魂のレベルをあげるとは
今生きている
自分の人生に対する
温度差で決まりのです。

自分の
人生の温度を高めていく生き方が
魂のレベルを上げる生き方だと言うことです。

毎日
のんべんだらりと
過ごしているけでは
人生の温度はあがりません。

魂の温度が上がるためには
「気づきが多いければ多いほど
波動は高まっていくのです」
僕たちが肉体を持って生まれてきたのは
いろんな事を経験するため。
経験することで
人それぞれ気づきがあります。
その気づき一つ一つが
あなたの魂の温度を高め
そして
その積み重ねが魂のレベルアップにつながります。

気づくことで
心の豊かさを生みます。
気づくことで
心の安定や充実感と言った物が高まります。

今回
生きている人生
身の回りの中で起こる出来事、事件は
どんなことでも
僕たちに何かの気づきを与えるために
起こっているのです。

ですから
一分一秒でも無駄にすることなく
いいこと悪いことも
自分の魂の温度を上げるには必要なこと。
ですから
どんなつらいことがあっても
今この瞬間を大切に
生きることが
魂のレベルをあげ
霊性を高めることになるのです

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魂の修業とは

この世に生まれてきたのは
魂の修行をして
魂のレベルを高めるためだと
お話をしましたが
魂のレベルを上げるために
どんな風に
生きていけばいいのでしょうか?

魂のレベルは
魂の熱量の差で
決まります。

つまり
魂のレベルをあげるとは
今生きている
自分の人生に対する
温度差で決まりのです。

自分の
人生の温度を高めていく生き方が
魂のレベルを上げる生き方だと言うことです。

毎日
のんべんだらりと
過ごしているけでは
人生の温度はあがりません。

魂の温度が上がるためには
「気づきが多いければ多いほど
波動は高まっていくのです」
僕たちが肉体を持って生まれてきたのは
いろんな事を経験するため。
経験することで
人それぞれ気づきがあります。
その気づき一つ一つが
あなたの魂の温度を高め
そして
その積み重ねが魂のレベルアップにつながります。

気づくことで
心の豊かさを生みます。
気づくことで
心の安定や充実感と言った物が高まります。

今回
生きている人生
身の回りの中で起こる出来事、事件は
どんなことでも
僕たちに何かの気づきを与えるために
起こっているのです。

ですから
一分一秒でも無駄にすることなく
いいこと悪いことも
自分の魂の温度を上げるには必要なこと。
ですから
どんなつらいことがあっても
今この瞬間を大切に
生きることが
魂のレベルをあげ
霊性を高めることになるのです

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人間の四つの不変の真理

人類には、どんな時代になっても
変わらない四つの真理があります。

一つ目は「人間は必ず死ぬ」
二つ目は「自分の人生は自分しか生きられない」
こどもの病気や運命を肩代わりすることはできない
三つ目は「人生は一回限り」
人生にリハーサルも本番もない。
全て一発勝負
四つ目は「この悠久の宇宙の中で自分という人間は
過去にも未来にも一人しかいない」

例え生まれ変わりがあったとしても
未来に生まれ変われたとしても
過去に生きた自分、未来に生きる自分も
現在の自分とは異なる存在。
だから
過去にも未来にもたったひとつしかない
この尊いいのちをどういきるかが重要になってくるのです。

そして
どうやって生きていこうか
学べるのは人間だけ。
人が人であるためには
今をどう生きるかを学ぶことなのです。

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古事記に書かれていた科学の真実~天之御中主神(アメノミナカヌシ)の意味とは

日本に伝わる古文書には
実は宇宙創世の秘密が
書かれているということを
書きましたが
古事記などの古文書には
これから解明されるであろう
科学のことが書かれています。

古事記に最初に
天之御中主神(アメノミナカヌシ)という神様が
登場します。

この神様は古事記の最初にしか
登場しません。
その後には存在も忘れてしまいそうなほど
名前だけの登場ですが
とても重要な神様なのです。

天之御中主神は
大宇宙の中心を司り
至高至純、自由、円満、光明、清純の神だと
考えられています。

宇宙創世した偉大な神のひとりだと
言うことです。

その偉大な神様の力、働きが
次に出てくる
高御産日神(タカミムスビノカミ)と
神産巣日神(カミムスビノカミ)という
名前で表されています。

高御産日神は精神、霊、超越を司る神
神産巣日神は物質、肉、内在を司る神
そして
天之御中主神は、この二つの存在を
結合、調和させて
完全なる一致させている
神であると昔から考えられていたのです。

つまり
天之御中主神こそが
物質と精神、心とからだ、平和、安楽
生活、思想、政治、経済など
全てのものを結びつけ、調和させ
この世を安定させている神様なのです。

ここで
神様を信じるかどうかは別として
現代科学の中、現代を生きる人々にも
憶えていただきたい力の秘密が
神様の名前の裏に
隠されている気がします。

この世は
精神と物質の調和
つまり
目に見える物と見えない物を結ぶことで
生成発育発展している世界である
ことはまちがいないと思います。

そのことは
量子力学の発展により
波動などのエネルギーとして
説明され
理解される方が増えてきました。

この世の
あらゆる「物」の本体は
(波動)エネルギーであると
考えられます。

僕たちのからだも
例外ではありません。

人の体を作っている
60兆個ある細胞の中心は
原子核であり
原子核と電子の結合体であります。
そして
細胞一つにとどまらず
地球上すべてのものは
元素と元素が結ばれてできあがっています。
酸素も、水もそうですよね。

ですから
全ての物の本体は
物と物とが結び合ってできています。
そしてその
結合力のことを分子間力とも
現代のひとは言っているし
昔の人は
天之御中主神と言っていたのでしょう

最近の量子力学では
中性子、陽子、陰師に分けられることがわかりました
このことも
神様の名前として書かれています。

高御産巣日神は陽子(遠心力)
神産巣日神は陰子(求心力)
そして
この二つの力を結びつけているのが
天之御中主神は中性子だと
言うことなのです。

ちなみに
天之御中主神、高産巣日神、神産巣日神
のことを造化三神と言われて
元を作られ三神として古事記に書かれています。

じつは
造化三神って
原子核をつくっている
中性子、陽子、陰子のことだったんですね。

力、エネルギーによって
この世の全てはできていると
昔の人の人は知っていて
それを
現代人にまで
わかりやすく伝えてくれてたのでしょう。

また
力が作用するときは
必ず振動が生じることもわかってきました。。
振動は音でもあります。

聖書の人類創世記に
最初に言葉があったと書かれています。
言葉=音
エネルギーが生まれたことを
いっているのではないでしょうか?

なぜ?言葉が最初に書かれていたのか
不思議だと思いましたが
実は聖書も
古事記と同様なことが書かれていたんですね。

古事記も読見とけば
真実が書かれていますが
聖書にも、色々考えさせられることが
実は書かれているんですよ。

聖書についての話は
またの機会に

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「ハーメルンの笛吹き男」の真実

グリム童話の話し。
当時ネズミが街中にあふれていて
困った街の人が
男にネズミを追い払ってくれたら
報酬を与えようと約束。
男は、街中の全ネズミを笛を吹いて
おびき出して海へと導きネズミを退治した。
しかし、おとなは報酬の支払いを拒否したのです。
時間が経ち、再び男が待ちにあらわれ
今度は笛を吹くと
街中の全こどもたちを連れ出してしまったのです。

こどもを奪われるという話しは
物語だけの話しだけではなく
実際にもあるのです。

例えば
中国で始皇帝の時代
千人を超えるこどもを仙人に捧げて
不老長寿の薬を選ろうとしたとか。
ヨーロッパでも
十字軍に数千人のこどもたちが
マルセイユまで運ばれ、その後の足取りは不明だとか。

こどもが
おとなのエゴに巻き込まれて
犠牲になることはあってはならない。

このことは決して過去だけの話ではなく
現代においても
ガザのこどもたちが飢餓状態にあるかという
情報が錯綜している。

お金よりも、経済よりも
こどもたのいのちを守ることが大事。
どんな時代になっても、決して
こどもたちがおとなの犠牲になることは
許されないのです。

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どのように生きるかは、結局・・・・

誰もが
これからどんな風に生きようかって
考える時があると思う。
高校生も、大学生も、社会人になっても
結婚しても、親になっても、
おじいちゃんになっても・・・・
年齢に関係なく、
誰もがどんな風に生きようか
と考える瞬間があるのだと思う。

生きている先に必ずあるものは”死”
誰にでも最後は”死”が訪れる
誰もが”死”に向かって毎日生きている
つまり
今生きていると言うことは
例外なく”死の途中である”という事実。

だから
生き方を考えることは
実は、どんな風に死を迎えると
言うことなのかもしれない

今どんなに成功してても
今どんなに絶望の淵にいても
今どんなにしあわせであっても
今どんなに不しあわせだと思っても
それは
今は、その人の最終結果ではなく
まだ人生の途中段階ということ。

「死に物狂いで頑張れ」
「死ぬ気になってやれ」なんて
檄を飛ばすことがある。
でも、今どんな風に生きていても
次の瞬間に死ぬかもしれないから
毎日が命がけの連続
誰もが毎日
死ぬつもりで頑張っている状態じゃないか

今生活にもがき苦しみ過ごしていたとしても
今だらだらとした生活をしていたとしても
この瞬間を精一杯生きていることに
なるんだと思う。

この状態が死ぬまで続けたいのか
この状態のまま死を迎えたいのか

どんな死を迎えたいのか?を考え
それに向かって生きることが
生き方を考えると言うことかもしれないと

どのような死をを迎えたいのか?

東京へと向かう新幹線の中
次々風景が変わる車窓を眺めながら
ふと”生きる”について考えてみました

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運動会 変わる時代の写し鏡

10月10日はスポーッの日でした。
スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培い
健康で活力のある社会を戦う日とされ
2020年までは「体育の日」。

この日は61年前の東京オリンピックの開催日。
どうしてこの日が選ばれたかというと
一番晴れの日が多い日だから・・・と聞いたことがあります。

だから
僕が小学校の頃は
この日は休日で運動会がおこなわれた日でした。
運動会は両親がお弁当をもって
応援に来てくれる中
徒競走、リレー、騎馬戦、ダンス、組み体操などの
競技が華々しくおこなわれていました。
そして、リレーや徒競走、優勝チーム
それを引っ張る応援団など
新たなヒーローが現れてみなが歓喜する行事だったはずが・・・

10/13朝日新聞の一面には
「運動会 変わる時代の写し鏡」のみだし
そう、あの頃の運動会とは違うようなのです・
新聞には
「個性を大事にという自由化路線の中
パラドキシカル(逆説的)とも言える現象が
起きているというのです。

花形競技である”徒競走”が
足の遅いこどもにとっては
恥をかかされトラウマとなる場になるという
議論がおこり
東京の37自治体のうち21自治体が
徒競走に順位をつけないという。

確かに、人間には
能力の差があり、得意不得意があるから
徒競走では1等からビリまで生じる。
毎年1等の子もいれば、ビリの子もいるのは確か。
きっとビリの子は走りたくない子もいた。

でも、周りのおとな達、先生は
順番にはを言う前に
頑張ったこと、去年よりもかっこよく走れたこと
一生懸命の姿をみて褒めてくれた。
だから、次の年も頑張ろうと思ったものだ。

順番にこだわりすぎるのはおとな側ではないだろうか?
父親だけでなく母親も仕事があり
先生方の”働き方改革”の影響だろうか
プログラムも減り
午前中で終了・楽しかった家族のお弁当の時間もないという。

10月でもまだ、真夏のような日もあり
気候変動も影響しているでしょうが・・・

歴史を振り返れば
明治時代は学校を楽しい所だと知ってもらいたくて
はじまった運動会。
その後社会とつながるため、そして
集団で取り込む大切さをしるため
と運動会の意義が変わってきた。

もし運動会がなくなったら
不登校のこどもが増え
個人主義が進む
そんな日本にこどもたちが生きていくのだろうか?
そう考え過ぎるのは、考えすぎだろうか

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人を変えるよりも自分を改める

人は、自分が行動したことで
学ぶことは多い。

自分のやったこと
自分の思い、要求に
相手にストレートに伝わったがために
相手から逆に
嫌悪感、拒絶、怒りを生み
しっぺ返しを受けたとしても
自分のわがままに気がつかされ
学ばされることが多い

逆に
周囲の人にあわせている時や
他人に求めている時は
自分の思い通りにならないと
不満を募らせてしまう。

この問題さえおこらなければ
この子が、もっと頑張ってくれれば
会社がもっと協力してくれたら
・・・・なんて
誰かのせいにして、
思わず不満を爆発させてしまう。

でも、
不満を爆発させたところで
実は何もかわらないんですよね。

こんな時はの対処法は
ただひとつ。
それは
”自分自身を変える”ことで
目の前の扉が開く。

”人を改めさせよう、変えようと思った時は
まず自分が改め、変わればよい”と
倫理法人会の丸山敏雄先生はおっしゃっています。

こどもに手を焼くのは
親に問題がある。
親自身の生活をただし
夫婦愛和で日々暮らせば
こどもは自然に立ち直ってくる。

”自分が正しい、相手がまちがっている”と
いう態度だと
永遠に平行線のまま、何もかわらない。

相手の心を温かくしたいなら
自分の心に火を灯してみましょう。

☆ 今、福岡にいます。雨はこちらは降ってないですけど
台風の動きとともに、雨がとっても心配ですね。
我が家はこれから熊本、えびの高原パワースポット巡りです。

写真は、俺の割烹で食べた。唐揚げ。唐揚げを注文すると
丸ごと一羽出てきて、最初びっくりしたけど、次の瞬間
かぶりついてた肉食家族です

それでは、天気が心配ですけど、
みなさん、いい一日をお過ごしください。

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無限城

いったいここはどこなんだろう?

走っても、走っても
どこまでも続く廊下。
廊下は部屋と続き
その部屋からは誰かが
こちらを覗いてるような気配を感じる。

目的はひとつ
最大の敵を捜すのだ
この城はそんんあに大きな城ではなかったはず。

入っても
どこまで続くかわからない廊下を走るうちに
どこからか襲ってくるかもしれない
恐怖がどんどん大きくなってくる。

敵はどこにいるんだ
どこに隠れているんだ
どこに潜んでいるんだ。

場面が切り替わり
この城を空から観ると
まるで大都市がまるで
タイムプラスの画像を見ているかのように
次々建物が建ち上がっている。

今できあがった建物に
この廊下は続いている・・・ということは
いつ終わるかわからない
果てしない世界。

まずい息があがってきた
そこにいるのは上弦の参の赤座だ。
強敵な相手だが
俺の相手はもっと強敵な相手
ここでやられるわけにはいかない。

手に汗を握る死闘を続けたすえ
エンドロールを迎える。

あ、これは「鬼滅の刃」の映画だったんだ。
終わった後
周りの人々の首を気にしている自分がいた。

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