「子育て」カテゴリーアーカイブ
こどもが楽しそうなのは?
こどもが遊んでる姿を見ていると
見ている方も楽しくなるほど
楽しそうに遊んでいる。
こどもがいつも
楽しそうにできるのはなぜだろう?
こどもが遊んでる所をよく見ていると
こどもはただ遊んでるばかりではない。
あらゆることを学んでいるのです。
学ぶことは知ることです。
知ることは理由もなく
楽しいものです。
こどもの時のことを思い出は
ワクワクした楽しいことばかり
覚えていませんか?
こどもの時は見るもの、経験するもの全てが
おもしろく、楽しくもありませんか?
このこどもが楽しめる理由の一つは
好奇心を持っていることだろう。
おとなになっても好奇心は持っているのに
楽しくないのは、どうしてだろう?
好奇心を持つことは
興味を持つこと。
興味を持つのは
知らないからである。
確かにおとなは
こどもよりも知らないことは少ないかもしれないが
知らないことはまだまだ多いはず。
そして
知ろうとしても
わからないことが多い
解決できないことがあるということを
多々経験したことによるからかもしれない。
おとなは
一種の諦めることを経験させられて
こどもの時に持っていた好奇心を封印して
生きようとしているのかもしれません。
今知っていることだけで
生きようとすることで
自分自身の世界を狭めてしまい
学ぶ楽しさを忘れていってるのです。
だから
おとなになっても
知らないことを知ろうとする
好奇心を忘れてはいけない。
それが人生を楽しんで生きることに
つながると思いのです。
好きなことの中の嫌い
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面がある。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともある。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶ。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返る。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をする。
終わった後は、一瞬で空気が変わる。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってくる。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはない。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれる。
注射を打つ時に僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まる。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるんだと思う。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わる。
嫌な事でもだから、いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを感じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
ほめても叱っても、人は育つ
教育方針というのは
時代によって変わるもの。
僕が教育を受けた時代は
アニメ「巨人の星」や「アタックNo.1」のように
鬼コーチがでてきて
叱って叱って、鍛えあげる
それに対して主人公は
その今ではしごきと捉えられるような教育方針に
涙を流しても、歯をくいしばって
がんばり、目標を達成するのです。
それは鬼コーチとの共通の目標があったからであるだろう。
そしてこれは
アニメの世界だけの話しだけでなく
現実場面でも
コーチもこどもも叱られることに
納得していた。
それが現在では
教育現場だけでなく、世の中全体が
とにかくほめる
ほめて、ほめて、ほめちぎるというのが
「教育」「指導」の手法になっている。
そう言えば世の中のルールを規定している
「法律」は
してはいけないことを決めていて
それに違反した人に罰を与えるという
つまり「叱る」ことで人々をコントロールしようとする
システムによって
人々の生活を維持しようとする
ちょっと古いやり方のような気がする。
ほめられるという法律ほとんど見当たらないけど
選挙前になると政治家がよく言われる
スローガンは美辞麗句が並び
ほめられたいと思える言葉が踊っている。
そして
最近ばらまきなどと批判がちな
助成金などはどこか叱るよりもほめる教育の感覚に
近いきがします。
ここで
叱って育つとどうなるかというと
よい子は真面目な人でいようとして
悪い子は叱られないように隠れるようになります。
隠れて悪事を働くようになってしまうのです。
現在の社会の構図でしょう。
逆に
ほめられる環境で育つと
よい子は自己アピールするようになり
悪い子はそんな偽善ぼやり方について行けず
ふてくされてしまうのです。
この傾向はSNSなどで
「いいね」をする人、しない人がいるように
年々著明になってきている気がします。
つまり、叱ると
真面目な人と隠れる人んあり
ほめられると
自己アピールする人と
ふてくされる人とに分かれてしまいます。
どちらがいいのでしょう?
僕は
叱った方がいい、ほめた方がいいという
単純な問題ではなく
叱る時には叱って
ほめる時にはほめるのが当然ではないでしょうか?
その時、大事なのは
お互い相手を思いやる気持ち、愛情、信頼感の存在が
あるかどうかが大切なのです。
☆アリサ・リュウの運命
ミラノコルティナオリンピックが閉幕しました。
今回のオリンピックでも様々なドラマ、主役が現れました。
その中のひとりが
女子フィギアスケート金メダリストの
アリサ・リュウ選手です。
彼女の生まれは
四緑木星の生まれです。
とても運がいい星なので、今回も金メダルをとり
しかし、これまで突然引退し、また復活したのも
実は運命星通りなのです。
また彼女の経歴を見ると
ちょっと生まれに複雑な経歴で
これからも度々親族の問題で悩むことがあるでしょう。
彼女はみなに愛されキャラであるので
困難を乗り越えていけるでしょう。
そして、彼女が成功するためには
これからも目標を失わずに動いていくのが
彼女の開運法です。
素直な心
若い時は
「上へ上へ」と上を目指してがんばる時。
憧れのおとなを目標に
なりたい自分目指すためには
成長しないといけない時期。
成長するためには
いつも自分はスタートラインに立ってるという
気持ちが大事。
”チャンスがある”と思った時には
後ずさりすることなく
手を伸ばして
その”チャンス”を掴んで欲しい。
成長するには
チャレンジすることは不可欠です。
でも
いつも成長できるわけではない。
いつもチャンスがつかめるわけじゃない。
その人の持って生まれたもの、環境などで
成長の度合いも違ってくる。
思ったように成長できず
落ち込んでしまうこともあるかもしれない。
そんな時は”上”ではなく、周りをみたらいい
周りに共感できるものを探してみたらいい。
その時大切なのは”素直な心”
いつまでも
こどもの時からもっていた透明な心で
まわりをみて
向き合い、感動したり、驚いたり、喜べることを
見つけられる心が大事。
どんなことに対しても
素直な心で向き合えば
どんな時でも
1つや2つはきっといいことが見つかる。
素直な心を持ち続ければ
必ずいいところを見つけることができる。
いいところを見つければ
そのことに興味をもち、勉強し
もっともっと、深く学ぶようになり
自分の器が広がっているのに気がつく。
素直な心は
それは成長するために必要な心。
こどもの時
誰もがもっていた素直な透明な心。
いつまでも
素直な心を忘れず持ち続けてほしい。
☆りくりゅうペアが金メダルとれた理由
りくりゅうペアがフィギアペアで大逆転の金メダル。
多くの方が感動したことでしょう。
二人が金メダルを獲れた理由を
九星学的に探ると、その理由が見えてきます。
二人は本命星は二人とも八白土星ですが
月命星は、三浦璃来さんは一白水星、木原龍一さんは五黄土星です。
五黄土星の彼は元来波乱万丈の生まれつきで
パートナーの影響を強く受ける方です。
ですから、ペアー転向は大正解で、
ペア相手と組むかで成績が変わります。
今回組んだ彼女は芯の強い女性で
一見穏やかそうに見えますが突発的に
感情的になることがあり
今回彼が失敗した時、お姉さん的に激励したと言っていたので
きっと、側からみると激しい面があったかもしれません。
そのおかげがあって
彼は立ち直れたのです。
二人はとても生まれ星からみて
相性が良く運命的な出会いだったのは間違いないです。
2人の努力の結果ですが、
彼と彼女が出会った時から
今回の結果は決まっていたのかもしれません。
明日は女子のフィギュア フリーです。
誰が金メダルを取るのか
勝利の女神が微笑むか楽しみです。
自由に学べるのも国家の目的
1949年 湯川秀樹博士が
日本人初のノーベル物理学賞を授賞され
戦後直後の日本国民に
希望を与えた明るいニュースだったことでしょう。
日本人湯川秀樹博士大フィーバーだったことでしょう。
僕ももし当時生きていたなら
僕も大興奮したと思います。
当時大喜びしたのは
国民だけでなく
昭和天皇も大喜びだったようです。
当時、湯川博士授賞のニュースを聞いて
次のような和歌を詠まれているのです。
「うれひなく学びの道に
博士らをつか締めてこそ
国のさかえめ」
つまり
何にも心配することなく
国民が自由に学ぶことができることが
国の役目であり、
そのような国になったことがうれしい。と
いう気持ちがこの和歌に感じられるのです。
奇しくも
今日は共通テスト初日。
試験は大変だけど
勉強できること、学べることができることに
しあわせを感じて
頑張ってもらいたい。
こどもは空想の天才
こどもは、空想の天才です。
空想の世界では、
魔法を使って使願いを叶えることができる
でも、怪獣がいる世界。
怪獣にだって、負けない。
だって強い武器もある
力強い味方がいるから
・・・そんな空想の世界に
こどもの時に遊んだ記憶があるでしょう。
この空想の世界に生きること
こどもにとって大事なことなんです。
「エルマーの冒険」や「おさるのジョージ」の訳で
知られる児童文学翻訳家渡辺茂男氏が
次のような言葉を残しています。
「架空の生き物が
心底いると信じること。
それがこどものこころに椅子を作る。
こどもは架空の生き物を
椅子に座らせる。
やがておとなになって
そんないきものは存在しないと知り
その椅子から彼らが去る。
やがておとなになって
そんな生き物は存在しないことを知り
その椅子から彼らが去る。
今度は本当に大切な人を
私たちはその椅子に
座らせることができる」と。
つまり
こどもの時の空想は
自分にとって大切なものに気づき
その大切なものを
見つけるための旅を始める準備を
しているのでは内でしょうか?
そして、一人で旅を始めて
自分のこころから大切におもうものを
見つける旅にでるのです。
怪獣たちに変わって
椅子に座ってくれる大切な人を
探すのが人生なんです。
くつろいだ暮らしの時間
健診などで
まだ生まれて間もないお母さんが来られると
出産という大事業を終え
疲れを癒やす間もなく
ぐっすり眠る時間もうばわれる
3時間ごとの授乳。
きっと大変だろうと思い
お母さん方に思わず
労いの言葉をかけるのですが
当のお母さん方は
「大丈夫ですよ」と笑顔で答えられる。
その笑顔には
偽りの苦笑いではなく
しあわせいっぱいの笑顔に見える。
男性にはわからない
母の授乳の時何をかんがえているのだろう?
歌手の加藤登紀子さんが
次のように語っている。
出産を終えて、自宅で過ごしている時に
語った言葉です。
「一生のうちで一番くつろいだ暮らしかも
しれない毎日です。
夜中に起きてお乳を飲ませることも
さほど苦しいことではなく、
赤ん坊と一緒に眠り、
一緒にお乳を飲む時間を慈しむという
何のこだわりのない繰り返しです。
もちろん、わけのわからない時に
ぐずぐず泣いたり、抱き上げればもう
すっかり安心しきって
うっとりしていたり
駆け引きを心得ているがごときです。
細くて、小さな手で空をさぐり
とてもいろんな可愛い表情をします。
お乳を飲む時は
しっかり、乳房をのがすまいとする風だし
うまくいかないち、きーとひっかいたりします。
お乳を飲んだあとは、
うっとりして、y時にはもう笑います」
と書いています。
母親にとって
授乳時はその時にしか味わえない
しあわせな時なのでしょう。
そう言えば
自分の母親が
一生懸命おっぱいを飲んでいた自分の様子を語り
可愛かったと話していた言葉を
今も思い出します。
母親の愛に感謝です。
そして
赤ちゃんとの出会いの時間を
大切に過ごしてもらいたいと思います。
母親はなぜ強いのか?
どんな女性も
こどもを産むと強くなると言われます。
それは
こどもを守るとする
母性が働くから・・・と
わかったような理由がよく聞かれます。
なぜ、強くなるのかは
出産を経験した女性にきくのが一番。
歌手の加藤登紀子さんが
出産を間近に控えて次のようなことを述べています。
「女は、子供を産んで強くなるというけれど
多分、きっと、赤ちゃんを産んだその時に、一度、
死ぬだろうと思います。
親が悪戦苦闘して
こどもを育てる頑張りの図が目に浮かぶけれど
ほんとうは、自然の摂理にいったいとなって
母のからだは、透明になってしまうのではないかと
思うのです。
その時、母は、
旅するこどもの日影しかない。
そしていつか子供は
母の影の存在にかかわりなく
一人で歩いていってしまう。
女は、こうして、生き死にをくり返していくのでしょう」
と書き残しています。
なるほど
女性が母親となり
母親に育まれたこどもが一人で歩んでいく
女性は、赤ちゃんを産んだその時に
それまでの人生と決別、つまり死ぬのです。
現代版”知らない人について行ってはいけない”
僕たちがこどもの時には
親や先生から
「知らない人について行ってはいけません」
とよく注意されました。
もちろん現代でも
誘拐事件がないわけではないので
もちろん
事件に巻き込まれないためにも
知らない人について行ってはいけないのですが
これに加えて
こどもたちに伝えたいのは
「知らない人の言葉を気にするな」と言いたい。
昭和の時代と比べて
現代はSNSが発達して
ネット社会では知り合、知り合いにかかわらず
誹謗中傷する言葉にあふれている。
自分に関係ないとわかっていても
攻撃な言葉に触れると
気持ちいいものではないし
もし、自分についてであるなら
どんなに傷ついてしまうだろう。
匿名性ではなく
本人に直接言うべきだし
いちいちネットの言葉に左右されることは
決していいことではない。
最近あまり聞かれなくなった言葉
「影でこそこそ言うな」
「知らない人の言葉に左右されるな」
という言葉を付け加えたい。
言葉を話せないだけで思いはいっぱいある
みぞろぎ梨穂さんという詩人がいる。
この女性は
普通の女性と言うだけでなく
この女性は生まれてすぐ低酸素によって
一生寝たきりの最重度脳障害の女性なんです。
自分で食事もできない
しゃべることもできなかった彼女が
どうして詩人になれたかというと・・・
國學院大學で障害児教育を研究されている
柴田保之先生との出会いによるものです。
柴田先生は
障害の重いこどもの中に存在する
「内的な言語の存在」に気づかれ
梨穂さんの内面にある言葉を
引き出してくれたのです。
柴田先生に引き出された詩のひとつを詩を紹介します。
「私の未来はどんな未来だろう
私はひたすら生きる意味を探して
今を生きる
本来の私は
どこで終わるかわからない
けれど終わりの日が来ても
悔いを残さないように
楽しく今を生きる
私の人生は大変なことばかりだった
苦しいこと何回もあった
だけど今はとても幸せ
私を理解してくれる人は増えたし
私の声を聞いてくれる人は増えたし
私の声を聞いてくれる人も
多くなってきた
そんな時代に生まれてきた私は
幸せかもしれない。
今はまだ生まれてきた意味は
曖昧だけれども
いつか必ず見つけてみせる」
この詩を読んで
障害者といわれる人にも
いっぱい言いたいことがある。
僕も小児科医として
そのこどもたちの声を感じて
診療していかないと行けないと強く思った。
