日別アーカイブ: 2024年3月6日

悩み苦しむ人たちのために

 

ニューヨーク大学医療センターの
ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに
掲げられた詩を紹介します。

大きなことを成し遂げるために
神に強さを与えたまえと求めたのに
謙虚であるようにと弱さを授かった。

偉大なことができるように
健康を求めたのに
人生を間違わないようにと
病弱を授かった。

幸せになりたくて
富をもとめたのに
賢くあるようにと貧しさを授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして
強い力を求めたのに
神様の存在に気づけるようにと
弱さを授かった。

人生を楽しむために
全てのものをもとめていたが
あらゆることを楽しめる命を
自分はすでに授かっていたことにきづいた。

求めたものは
ひとつとして与えられなかったが
真に望んだものはすべてあたれられた
こんな私であるにかかわらず
言葉にできなかった祈りは聞き届けられた
わたしは全ての人のなかでも
もっとも豊かに祝福されていたのだ。

この詩は
アメリカ南北戦争の兵士が
書き残した言葉だそうです。
きっと、自分の死というものに直面したとき
知った大きな愛、人生の意図を
しったのでしょう。

今生きていること、興っていることには
全て意味があることを教えてくれる言葉。
苦しんでも、それでいい
その先には必ず救いがあるのです。

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福分があるなら禍分もある

人間には、
天から与えられた福分というものがあるという。
福分とは、天から与えられた幸運のこと。
ですから、福分のある人は
いつも幸運を呼び込んでいる人のことをいいます。

福分があるのだとすると
禍分というものもあるはず。
福分があるなら、禍分は存在します。
そして人によって福分と禍分は決まっているとも
考えられています。

ですから、
嫌なことがあった時
これを自分の人生に与えられた
禍分だと考えれば
福分も必ずある、与えられると思うと
気が楽にんさりませんか?
頑張れませんか?

人は、とかくしあわせなことばかりに
目がいきがちです。
しかし自分の人生は、
しあわせだけで満たされることはありません。

現代人はしあわせばかりに目がいって
しあわせばかりを追い求めすぎてしまい
一寸でも満たされていないと
世界で一番不幸のように落ち込んでしまうのでは
ないでしょうか?

これは人生だけでなく
何事においても、いい面、悪い面
表と裏があります。
表からみれば、禍分にしか見えなくても
そのことが福分につながっているのです。

ですから
どんなに不幸な状況でも
前を向いて歩いて行きましょう。

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