日別アーカイブ: 2024年3月19日

道に迷っても、迷うことはない

誰にでも
人生の選択に迫られることがあります。

どちらの道を選んだで進めばいいのか
迷います。
そして考え続けても
明らかな答えはでません。

迷ったときはどうしたらいいのでしょう。
迷ったときの答えは簡単。

「良い道などないという」ことです。

お釈迦様が次のようにいわれているようです。
「人はこの世(夜)に生まれてきたからには
生・老・病・死の悩みから
逃れることはできないのです。
だからこそ、闇の中で
明るく活きることができれば
更に輝けるのです」

つまり
悩みから逃れることができない。
だから悩んでも、考えても
困難から逃れることはできないのです。
つまりいい手がないのなら・・・・
どんな時にも明るく生きていくのが
いいのだということですね。

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真のカルテに書くことは?

 

カルテには、普通
症状が
いつから、
どんなふうに起こったのか、
どのようになってきたのか
事細かに記録していきます。
そして
その情報を元にして
診断、治療に繋げていく
とても重要な作業です。

でも
病気は
症状が出てから始まったわけではなく
その人の無理な生活
頑張りすぎた生き方
ストレスに感じる環境
心の悩みなど
日々からだが蝕まれきた結果が
症状として現れるのです。

ですから
症状が出てからのことを尋ねたり
症状が出た後に
たくさんの検査をしても
病気の状態がわかるだけで
真の病気の原因に迫ることはできません。

医療を施す前に
病気の原因を見つけないと
本当の治療はできないはず。
ですから
医者は、症状についてだけでなく
患者さんに聞かないといけない
ことがあります

“からだに負担になる生活をしてませんか?”
“何を食べていますか?”
“何を飲んでいますか?”
“毎日頑張りすぎてないですか?”
“心に悩みを持ち続けていませんか?”
“ご家族、ご友人と仲良くしていますか?”

“つらいことがあれば、なんでも話してください。
何でも吐き出してください”

あなたの生き方が
あなたのからだの細胞ひとつひとつに
影響しているのです。
細胞のひとつひとつの
訴えが症状になって
あなたに訴えてきてるのです。

だから
カルテには
症状のことだけでなく
実は
その人の生き方を
記録するものでなければならない
と僕は思います。

昔から“医は仁術である”と言われます。
その意味は
医者は
病気だけを診ればいいのではなく
目の前の患者さんの全てを診る
全人的な力量が求められるからでしょう。

医者は
からだが病む時も
心が病む時も
そして
心身が病まないように
いつでも寄り添える存在で
なければならないのだと思います。

だから
医者の前では
包み隠さず、恥ずかしがらず
何でも素直に、正直に
話してください。

あなたの口から出る
真実の言葉が
病気の真の原因を教えてくれます。

☆ 先週末は娘の手料理食べたり
新しくできた周南市立徳山図書館行ったり
娘とのデートを楽しみました。

そして、今週末は……
今、東京に到着しました。
今回もどんな出会いが、学びがあるか、
ワクワクしてます。

ちょっぴり春の訪れを感じる週末。
みなさんもよい時間をお過ごしください。

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実るほど頭を垂れる稲穂かな

誠実に生きていれば
誰でも自分の徳のなさに気づきます。

何事にも手抜きをして
いい加減に生きていると
己の愚かさには気づきにくい者です。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉があるように
知識もあり、体験もある人間ほど
謙虚になれるのです。

だからといって
あなたは何一つとして
特別なことをすることはないのです。

自分を卑下せず
反対に
「大変なこともあったけど
よく頑張ってるね」と
ほめてあげて下さい。

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