月別アーカイブ: 3月 2024

無駄な時間も必要

人生には無駄なことはない。
全て自分に起こったことは
自分にとって必要なことなのです。

車のハンドルにもアクセルにもブレーキにも
無駄と思われる遊びがあります。
その遊びがなければ
あなたの運転する車は急に曲がったり、止まったり
自分の意志以外の働きをし始めることでしょう。

人生にとって無駄なことは
ひょっとして回り道をしているように
思えるかもしれませんが
あなたの気持ちに余裕を持たせるために
あなたの視野を広げて
より安全に確実に生きる道を
気づくことができるのです。

人生には回り道が必要なこともあります。
その回り道を歩いたおかげで
今まで気づかなかった風景に気がつけるのです。

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お陰様

「おかげさま」を漢字で書くと
「御陰様」と書きます。
そして、おかげさまという言葉は
一般的には、感謝の気持ちを表した
言葉として使います。

御陰様でいう
感謝の相手は誰なのでしょう?

この言葉が表している
感謝の相手は
自分が気づかないだけで
表に現れず、陰となって支えてくれる人が
いるのだということを伝えてくれている
言葉だと思うのです。

自分の気づけない形で
応援している人を気づくのは
現実的には難しいし
中々難しいです。

あなたを直接応援してくれていなくても
悪口をいったり
足を引っ張っているような人でも
角度を変えてみれば
あなたの成功の力になってるかもしれません。

そして、なんといっても忘れてはいけないのは
あなた自身のからだです。
あなたのからだの中の細胞のひとつひとつが
あなたの成功の力になってたのは
間違いありません。
少し、スピリチュアルな見方かもしれませんが
両親、祖父母だけでなく
全てのご先祖様があなたのことを
陰ながら支えてくれていたかもしれません。

人は
自分自身で気づかないくらいの人たちに
支えられて生きているのだと思います。
だから見ぬものに対しても
感謝の気持ちを忘れないように
「御陰様」の気持ちを常に持ち続けねばいけないのです。

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お任せしよう

お釈迦様は
人間の苦しみの根源は
「生・老・病・死」であると感じ
その苦しみから人を救おうと
修行され、仏教を開いたといいます。

考えるてみると
生きている限り
この4つの苦しみから逃れることはできず
僕も苦しんでいますし
苦しみに襲われることもあります。

この4つの苦しみから逃れることはできません。
生きている限り病気にもなります。
でも病気を克服して健康になったとしても
健康になったからといって
自分が変わったわけではなく
健康の時も、病気の時も
更に生きることも、死ぬ瞬間まで
全てが僕のいのちなのです。

ですから
全て受け入れることは
自分が自分らしく生きて行くことだと思います。

ですから
「生・老・病・死」だけでなく
人生でいいことも悪いこともおこっても
全てが自分の人生。
生きられるのはお釈迦様のいうように
大きな存在のおかげであるなら
その存在に全てお任せして生きることができたら
全てのことが僕を優しく包みこんでくれるのです。

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病と病魔とのちがい

病気になった時
よく”闘病中”という言葉が使われます。
この言葉は
病気と闘うのだという意味でしょうか?
病気は敵なのでしょうか?
病気はあなたを苦しめているから
闘わなければならない。
という、どこか敵を作って
自分を鼓舞する言葉のようにもとれます。

この闘病という言葉
なんと闘うのでしょうか?

僕は闘う相手は
病気ではなく、病魔だと思うのです。

”魔”は仏教の言葉でもあり
別名”奪命者”と訳されます。
広くは、
「生命力を奪い、生きることを阻もうとする働き」
のことだそうです。

ですから
病気は生命力を奪う物であることには変わりはないですが
それは目に見えるものであり
もっと闘う相手は
病気の奥に隠れている魔なのです。

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精神力の磨き方

誰もが健康でありたいとともに
精神力も強くしたい、磨きたいという人は
多いことでしょう。

精神力が上がったなぁと感じる時って
どんな時ですか?
精神力があがると、どうなりますか?

精神力が上がっている時は
何かに集中できている時では
ないでしょうか?
精神力の源は
「好きなことをしていること」
「楽しんでいる」
ところにあるのではないでしょうか?

人生「好きなことをやっていけたら」
精神力もアップし
充実した人生を歩めるでしょう。

でもずっと長い時間楽しめるづけることって
そんなにたくさんないし
人は楽しいことになれてしまい
もっと楽しくなることを探そうとします。

そんな時
自分が楽しむだけでなく
周りの人が喜んでくれたり、褒めてくれたりすると
その笑顔が、言葉をもらうことで
楽しさが持続できるようになります。

ここに人の生きている本質を感じます。
ダライラマ法が
人間の本性は利他と慈悲のこころであり
これが僕たちの魂の正体だといっています。
だから
利他の行動を起こすと、
自然にこころ、魂が反応するのです。
そして同時にこころも魂も、精神力も磨かれるのです。

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医師に必要な4つの力

これから世の中は
AIの登場で大きく変わると思います。
色々な職業が、働き方が
様変わりすることが考えられるます。

でも
僕は人間しかできない力があるか切り
医者という仕事はなくならないと思います。
医者としてはAIが単純作業をおこなってもらえば
仕事内容は効率よく
もっと、患者さんに寄り添うことに
集中できるのではないかと思います。

そのためには
医者として働くためには
AIがもっていない
能力をもっているからです。

その力とは
身体診察力、論理思考力、プレゼンテーション力
コミュニケーション力でです。

つまり
ひとりひとり大事に、丁寧に
その方に寄り添って診ていく
指先から感じるとる能力が
身体診察力です。
そして、自分で得た、感じたことから
診断し、そして
患者さんに一番の治療を選択していく治療法を
選択していく能力が
倫理思考力です。
そしてその選択をした理由などを
患者さんに伝えないといけません。
それも目の前の患者さんに対して
わかりやすく伝えなくてはなりません。
それがプレゼンテーション力です。
最後は
診療は独りでは行えません。
看護師さん、事務の方、薬品の卸さん、検査会社の方
また時には他科の医師とも連携して
診察を進めなければなりません。
そのためにもコミュニケーション力が必要になります。

この4つの力が大切ですが
どの力も、医者として
目の前に患者さんのために働こうといえば
日々磨かれていく力です。

AIにはできない医者としての力は
患者さんのために自分の今もっていることに
全身全霊込めて働くことだと思うのです。

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挫折は人生の折り返し点

人生は順調な時ばかりではない
失敗したり、病気になったり
どうしようかと悩み、苦しみ
これまでの人生を考え直さないといけない時が
誰にもあるでしょう。

そんな苦しい状況で味わう挫折は
振り返ってみると
人生の折り返し点、方向転換点に
なっていたことに気がつきます。

挫折の時にも
逃げることなく、その挫折に
正面から立ち向かっていくと
いつまでも挫折の苦しみが続くわけではなく
挫折の先にあるのは希望が見えてきます。
希望を感じたその瞬間に
あふれてくるのが感謝の気持ちです。

ですから
挫折を感じた時は
人間成長するチャンスをいただいているのです。
逃げずに、正面から立ち向かっていきましょう。

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「あたま」との付き合い方

毎日診察して感じることは
自分自身の「あたま」「からだ」「こころ」
との関係です。

この3つが整って
初めて健康になるのです。
つまり、
「からだ」が心地よい方向に向かうには
「こころ」が求める方向に生き方がかわり
「あたま」がその2つが望む方向に働けば
健康と感じられるのです。

でも、受診される方の多くは
「あたま」中心の考え方で生きている方が
多くいらっしゃいます。

「あたま」はこれまでの経験したことを元に
「こうすべきだ」「こうしなければならない」という
義務系や命令形で伝えられ
「こころ」からの声は
「こうしたい」「これが好き」「心地よい」という
メッセージを送ってきます。
そのどちらのメッセージを受け取るかで
あなたのからだの状態が決まってしまいます。

いつまでも不調に悩んでいる方の多くは
「あたま」からのメッセージに悩まされている方が
多いような気がします。

「あたま」とのある程度の距離感をもつことが大事。
「こころ」からの声にも耳を傾けることが大事です。

こうはいっても「あたま」もあなたの
体の一部ですから
決してあなたをおとしめようとしているわけでは
ありません。

「あたま」も必死で頑張っているのです。
ただ、情報が多すぎることが原因で
「あたま」も過重労働状況に陥っているのです。
ですから
「あたま」を休ませて下さい。
頭が疲れていると思ったら
スマホ、パソコンのスイッチを切ったり
スマホの電波の届かないような
自然の中に身を置くことが
大切なのです。

あなたが今聞いているのは
「あたま」から、「こころ」からの声ですか?

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愛と愛情とのちがい

愛と愛情という言葉は
似ている言葉ですが、全然違う言葉なのです。
愛と愛情のちがいを知って
愛を施さないと
相手に対する愛が思わぬ方向に進んでしまいます。

愛というのは
無条件で、しかも厳しいものなのです。
愛情は、愛の下に情という字が入っています。
無条件の愛だったことに
様々な気持ちが入ってしまうのが
愛情なのです。

愛の部分では
やってあげないほうがいいとわかっていても
かわいそうだから
助けたいからと情けをかけて
手を出しまうこともあるでしょう。

愛と愛情が身近でよく混同されるのは
子育ての部分でしょう。
かわいいから、かわいそうだから
自分と同じ思いはさせたくないから
みんなと違ったらかわいそうだから
困らせたくないから
・・・・・など愛の部分を超えて
自分の気持ち、思い込みをこめた
愛情をかけてしまう場面が多くなって、
からだの不調、精神面のダメージを
きたして受診するこども達が増えている気がします。

愛は基本厳しいものです。
愛と愛情のちがいを知り
情けをかけ過ぎないようにしましょう。

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病と闘う時代は終わった

これまでは、病気になると
闘病生活に入ると言ったり
病との戦いに勝って必ず元気になって帰ってきます
など、勇ましい言葉で病気と闘おうと
誰もがして、元気になろうと考えてきました。

しかし
「病と闘う」「病を撲滅する」といった
暴力的な発想で生きるのではなく
これからの時代は、病を理解しながら
健康・調和・しあわせを実現するという
感覚をもって生きることが
大切になってきます。

ですから
これからは病気を治すだけでいいという
発想を変えないといけないのです。
病気が治れば健康になるのではなく
健康だから病気も治り
病気ともウイルスとも共存できるようになるのです。

病気を治すことだけにこだわっていると
「病気の症状は消えたのに
体調がすぐれない」と言うことが
おこってしまうのでしょう。

一般的に病気と健康は
逆の立ち位置にあるようにおもいますが
そうではなく
病気と健康はお互い補う関係性であると
思えるのです。

ですから
人は病気を経て健康になり、
健康を保ちために病気になることも
必要なのかもしれません。

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