生きるか死ぬか

最近のニュースを見ていると
いのちを粗末にしているなと
感じることが多くなってきている。

死に急ぐのは
生活に苦しむおとなだとは限らず
これから輝かしい未来がある
若者に言えること。

自らのいのちを粗末にするだけでなく
死刑になるために
人のいのちをあやめよう
殺しの練習するような
あってはならないような
事件までも起こっている。

なぜ、こんなに
簡単にいのちをあやめてしまう
時代があった。

日本の歴史をみると
刀で人をきるという
人のいのちを簡単に奪う時代は
確かにあった。
しかし、戦争にしても
人を着るにしたって
他の人も納得できる
大義名分がありました。

しかし
現代は、その大義名分が
あまりにも軽くなっているような気がします。
これは
一種の平和ぼけの裏返しではないでしょうか?

戦争を生き抜いた
小野田寛朗さんが
ご自身の死生観を次のように述べています。

「生きる」か「死す」か
迷い迷った時、判断、決断が鈍ったとき
私の基準はここにあった。
「生かされている」なら
トコトン、生きて、生きて、生き抜いてみよう。
とことん、闘って
その先に神があたえてくれた道がある。
その先がどんな道であっても甘受する。

と述べられています。
どんな時にも生きて生き抜く
そして
必死で生きている人を
尊重する生き方が
きっとあなたの人生を救ってくれると
僕は思うのです

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