月別アーカイブ: 6月 2022

何を食べるか?

人間は食べることによって
エネルギーを得て
この地球で生きて活動することができます。
ですから
何をどう食べるかは
昔からの関心事で
偉い人が様々の言葉を残しています。

例えば、イエスキリストはこうおしゃってます。
「殺した物を口にすると
その死んだ物もまたあなたを殺すことになるから
食べてはいけません。
また火にかけたり、煮たりして
その性質をかえたものは控えるように。
木の果実や畑の作物は
母の生命の炎をそのまま取り入れるので
何を食べてもいい」と。

肉は食べるな・・・てことだけど
現代社会では
少し合わない面もあるけど
この事実を知って食べるかどうかが
からだに影響するのはまちがいありません。

また、江戸時代の木食上人は
肉食を避け、木の実と野菜だけを食べながら
全国を巡り、長寿で仏像を全国に残しています。
その長寿の秘訣の食事方法として
こんな風におしゃっています。

「腹一杯食べるものではありません。
よく噛んで食べてください。
噛めば、水分が増えて
水の天使が体内でそれを
血液に代えてくださいます。
食事は、食欲の天使達に呼ばれるまでは
食卓についてはなりません。
しかし、食事が癖になっているなら
太陽が天に一番高く上がるときに1回食べ
日が暮れてからもう1回軽く食事をします。
すると、あなた方は
もう二度と病気をみることはありますまい」と

現代社会は
からだを作るために
食べないといけないのだいわれて生きてきたけど
これほど食べ過ぎてる時代になったことは
なかった。

今こそ
聖人の言葉に耳をかした方がいい時代に
なったような気がします。

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成分に惑わされるな

健康志向の高まりにつれて
からだにいい食品を摂ろう
その食品を食べるのは
その食品に含まれる○○が
△△にいいから理由で
摂取を勧められることもあるでしょう。

でも
その選択、ちょっと待って。

食べるものを考える時
肉や野菜という「食品」と
リコピンや糖分といった「成分」の
2つがあります。
以前は、食品の成分を分析して
この成分がからだにいいことを証明する時代がありましたが
現在では、考え方がすすみ
食品そのものが重要であって
成分はあまり重要でないという報告も
目につくようになりました。

例えば、くだものを例にすると
りんごやミカンは食品だけど
くだものに含まれている
ビタミンCや果糖が成分だ。

くだものに含まれる果糖は
確かに血糖が上げます。
しかし
くだものを丸ごと食べたときは
くだものの果糖を抽出して摂ったときほど
血糖値は上がらないことがわかっています。

また以前βカロチンはからだにいいと言われてましたが
βカロチンは
肺がんのリスク、心筋梗塞のリスクを高めるという
報告もでています。

緑黄色野菜の摂取は病気のリスクを下げるものの
そこに抽出されるβカロチンなどの成分は
むしろ病気のリスクをあげてしまうことも
知っておかないといけない。

昔から
からだにいいものは、
そのもの丸ごと食べられるものだと言われています。

ですから
からだにいいと昔から言われる
野菜、魚など食品を丸ごと美味しく摂取すると
それがからだにいい食べ方なのですよ。

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夢見る小学校

テストがない
宿題がない
通知表もない
好きなことだけしたらいい
学校があったら
どんなにいいだろう?と
思ったことないですか?

実はそんな夢のような学校があるのです。
映画「夢見る小学校」は
そんな実際の学校の様子
生徒、先生の思いを教えてくれた
映画でした。

そこには
何をするかもじぶんで決めて
追求し作りあげていきます。
ひとつのことに疑問を持ち
その課題を解決すると
それで終わりでなく
自分で見つけた課題だから
次々更なる課題が見つかって
どんどん発達成長していくんです。
まるで脳細胞がシナプスを介して
増えていくんです。

この学校には
規則はありません。
あるのは
「礼儀正しく」
「自分を大切に」
「出会いを大切に」しかないそうです。
なるほど、それで充分なのかも。

またここの学校は
ADHDのように、学習障害と診断され
入学したこどももいます。
そのこどもの入学する条件はただひとつ。
薬を飲まないことだったらしい。
薬を飲まなかったことで、
こどもは何か困ったか?といえば
そんなことはなく
のびのび学習して卒業したそうです。

この学校では
みんなで集まったときも整列しません。
整列すると
見にくいからだそうです。

人と比較する数字でつける
通知表も存在しません。

この映画をみて
我々おとなは
こどもはのびのび自由に育てたいなんて
口では言っているけど
おとなの価値観で
こどもの自由を奪っていないだろうか?

自由に過ごすって
口でいうのは簡単だけど
実は自由に縛られてるのかも。

この学校を創立した
堀真一郎先生が
「自由にしていいよ。
だけど”責任”は自分で撮るんだよ」
こう言われて自由にワクワク行動できるでしょうか
「自由にしていいんだよ。
責任は、すべておとながとってあげるから」
といってます。

責任をとれる大きな人間だけが
人を育てることができる。
これは、先生にだけむけた言葉ではなく
僕たち医師にも言えること
だと思う。

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生きてきたように死を迎える

人はピンピンコロリと苦しまずに
死んでいきたいと多くの人が
思ってるかもしれませんが
実際
死のうと思っても
人は死ねるものではありません。

人の生と関わる仕事をしていると
避けて通れないのが死の問題。
人はある意味
死にむかって生きてるし
生きてきたように死んでいくのでは
ないかと思うのです。

ですから
今をどういきるかが大事になって来るのです。

人生は
「集める人生」と「散らす人生」に
分かれると言います。

集める人生とは
お金、物、アイデア、知識などを
集めることが中心になる人生。
散らす人生とは
お金、知識、経験、能力、時間などを
周りの人に散らす人生です。

散らす人生を過ごされた方は
平安な最後を迎えられるような気がします。

散らすものの中で
最も大切な物は時間ではないでしょうか?
人生は時間の集積ですから
時間を自分のために使うか
人のために使うかによって
その人の最後の瞬間がきまるような気がします。

日野原重明先生は
「いのちとは、今あなたがもっている時間のことです。
いのちをもっているということは
使える時間が与えられているということです。
自分が使うことができる時間こそが
いのちであり
それを何にどう使うかということが
生きていくということです
時間の使い方は
そのままいのちの使い方です」

あなたのいのち、
与えられた時間をどのように使うかが
いや使ったが
どのように死を迎えるかということに
なるのだと思います。

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魂の痛み~スピリチュアル・ペイン~

人間の感じる痛みは
4つにあると言われています。

1つは肉体に感じる身体的痛み。
2つめは、不安、おそれ、怒り、鬱状態などの
精神的痛み
3つめは、人間関係、仕事関係などで経験する
社会的痛み
そしてあとひとつは
スピリチュアルペインともいわれ
人間がもつ霊性、魂があるから
感じる痛みがあると言われています。

このスピリチュアル・ペインは
魂の痛みとも考えられます。
具体的には以下の質問の答えを
見いだせずに苦悩する苦しみでしょうか。
例えば
①生きる意味への問い
こんなになって生きていてもしかたない
自分の人生って何だったのだろう
こんな病気になって何を支えにいきていけばいいのか
②苦難に対する問い
こんなに自分だけ苦しみのはなぜ?
これらの問いに対する答えが見つからない苦しみ。
他に答えの見つからない苦しみとして
③孤独感
④罪責感
⑤自分以外の人に迷惑をかける
⑥死後の世界

こんな時感じるのが
魂の痛みです、

この魂の痛みには
自分ひとりでは答えが見つからない
自分以外の人に
助けを求めても答えが見つからない
そして
解決するために死さえ
選んでしまうこともある
とても苦しい痛みだと思います。

この苦しみから逃れるために
こころのよりどころになる思いを
もっていればいいのだけど
人々はずっとそれをもちたいと思っている
それが神であり、宗教なのだと思う。

あなたの魂の痛みを救ってくれるのは
誰でしょう?
あなたには神様はいますか?

僕は神様ではないけど
あなたの魂の痛みを和らげることが出来るように
精進したいと思っています。

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病気になった時の心構え、あなたは?

人は病気になったとき
病気だと診断されたとき
その診断を聞いたとき
その時の反応は
千差万別だとは思いますが
大きく3つに分けられると思います。

「あきらめる方」
「うけ入れる方」
「育むかた」
がいらっしゃると思います。
この3つに違いがあります。

「あきらめる」というと
マイナスイメージがあります。
しかし、あきらめるの元々の意味は
原因をつまびらかにする。
真相をあきらかにする。から
きているそうです。
あきらかにする→あきらめると変化したのです。

「受け入れる」は
拒むことなく許し、迎え入れることです。
僕も脳出血を経験した後
からだの不自由さを
最初はあきらめてましたが
今は
受け入れて日々過ごしています
あきらめるに比べて
こころにプラスな面ががでてきた言葉です。。

そして最後は「育む」ですが
更にプラスの気持ちが増えてきます。
育むは、もともと
親鳥が、ひなを羽で覆い包む
「羽包む(はくくむ)」が語源で
愛情を持って育てるという感じです。

つまり
あきらめるがマイナス
受け入れるは±ゼロ
育むはプラスになった状態です。

病気になっても
人は生き続けなければならない。
つまり
病気になったときに
受け入れ、その状態を育んで生きていくことが
大事なんですよ。

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