月別アーカイブ: 7月 2020

神も仏もいないのか?

よく人は
 自分の思い通りにならないことや
 苦しむ状況になると
 「神も仏もありはしない」と言う台詞が
 思わず口から出てしまうことがあります。

 人は
 いいことも、悪いことも
 自分に起こっていることは
 何らかの自分以外の力が働いて起きていると
 考えているから
 苦しいときに
 こんな台詞が
 思わず口から出てしまうのかもしれません。

 自分が生きているこの人生は
 自分だけの人生だし
 人生の主人公は自分です。
 だから、今起きていることは
 昨日までの自分の行動の積み重ねの
 結果なんです。

 
 病気になったり
 何か苦しいことに出会ったときでも
 決して
 神も仏のせいではないんですね。

 なら
 神様も仏もいないのでしょうか?
 
 実は、僕は 入院中いつも
 自分を守って、応援してくれている
 存在?力?を感じることがありました。

 病気になったのは
 自分の昨日までの行いの結果であり
 それに気づかそうとして
 僕は病気になったのかもしれない。
 でも
 動かなかった左手も、左足も
 「こうなったのは、おまえのせいだから」とは
 僕にもっと苦難を与えようとは
 決してしません。
 
 なぜなら
 服を着替えようとするとき
 必死でボタンをかけようとする右手を手伝おうと
 無意識に右手の手伝いをしようとする動かない左手。
 「今日もリハビリお疲れ様。夜はゆっくりして
 また明日は、がんばって左足を動かしてみよう」と
 語りかけていると
 翌日は、指がそして足も昨日より動くんです。

 僕は
 からだのメッセージを受け取らずに
 結果として病気になったのかもしれない。
 だけど
 からだは、そんな僕を恨んだりしない。
 逆に、元に戻れるように応援してくれました。

 僕のからだの中には
 僕がどんな時でも
 僕の力になってくれる存在を感じました。

 この力、存在を人は
 奇跡、神の力と言うのかもしれませんが
 僕のからだにも、あなたのからだにも
 あなたをどんな時にも守ってくれている存在がいるんです。
 それを、人は神と呼んでるのかもしれません。

 神様は
 どんな人にも
 どんなに苦しい時でも
 あなたの中にいる力、存在なのだと思います。

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妻の誕生日

昨日は、妻の誕生日。

妻が生まれて
僕と出会い、結婚し
娘が生まれ
そして今がある。

妻が今まで歩いてきた道
これから
共に歩く道。
しあわせを感じる道を
3人で歩き続けられるよう
少しでも迷惑をかけないように
頑張らないと
気が引き締まる日になりました。

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僕が今ブログを綴っている理由?

 脳出血による左半身麻痺が
 僕の入院した時の病名

 その回復のため
 まずは脳出血の治療
 その後は
 左手、左足のリハビリを行い
 生き続けている
 自分がここにいる。

 立てなかった自分が
 今はひとりで、ゆっくりだが
 マイペースで動けるまで回復した。
 全く動かなかった左手も
 今、こうしてパソコンを打てることができるまで
 機能回復した。

 これも
 入院した病院での
 医師、看護師、リハビリ師をはじめ
 食事を作ってくれた方、社会復帰がスムーズに進むように
 段取りをして下さったスタッフの方々など
 大勢の方々の計らいのたまものであると
 いつも感謝している。

 でも、実はもうひとり?
 ひとりかどうかはわからないが
 ある存在にも感謝している。

 実は
 全く機能しない左手、左足だったけど
 入院している間
 全く痛みを感じることがなく
 不自由さはあったが、苦痛はほぼなかった。

 救急で運ばれたときですら
 脳出血を起こしているにもかかわらず
 頭痛などの自覚症状も全くありませんでした。

 リハビリ中も
 先生は筋肉痛が必ず来ますから
 痛くてもリハビリができるように
 鎮痛剤を出すので
 遠慮無く言って下さいと言われたけど
 動けないほどの痛みもなく
 幸い
 医師の鎮痛剤のお世話になることもなかった。

 鎮痛剤使う、使わないだけでなく
 3ヶ月に及ぶリハビリ生活でも
 毎日、筋肉痛がないかどうか確認され
 自身の負荷に対する抵抗力も
 知っていた方がいいのでってことで
 運動負荷を意識的にかけられたけど
 全く筋肉痛すら来ずに
 翌日、担当のリハビリ師さんに
 筋肉痛がないことを伝えると
 ちょっと残念そうにも見える表情されながら
 「筋肉痛が、でないことは、まだまだできるってこと
  なのでいいことなんですけど」
 とはなされ
 「もう、年だから、明日とか明後日とか
  しばらくしてでるかも」
 と笑ってこたえてたけど、
 結局筋肉痛はでないまま退院しました。

 このように
 麻痺がある以外
 全く苦痛のないリハビリ生活でした。

 退院して
 元東京大学医学部名誉教授で、著名な免疫学者で
 あられた多田富雄先生の脳梗塞でのリハビリ生活を
 振り返られた著書を読ませていただきました。
 先生は、僕と同様の半身麻痺に加え
 構音障害、呼吸困難などの症状もあったので
 しゃべれない苦痛、食べようとしたときの困難
 そして左手、足の痛みの苦しみを綴られていた。

 痛みがあるかないかだけで
 本当に
 毎日の毎日の生活も
 苦しみもちがってくるんだと
 先生の著書を読んで知りました。

 同じような病気でも
 その経過はさまざまだと
 言うことも知りました。

 その差って、なぜ生まれるのか?
 それは
 麻痺以外に症状のなかった自分にも
 麻痺以外の症状があった多田先生にも
 病気になった後の使命があったのだと思います。

 多田先生、病気になった後
 リハビリの大切さを患者側に立ち
 訴えられる活動をされました。
 それが、使命なんだと思います。

 それなら、僕には
 なぜ、病気になったのか?
 それは、病気の立場で考える
 病気が訴えることを
 逃げることなく、素直に受け止められるように
 病気だったことを恨むことなく
 病気と向き合うためだったのかも
 しれないなぁと思ってます。

 つまり
 学びやすいように
 向き合えるように
 苦痛がなるべく案じないように
 僕の使命を果たせるように
 目に見えないけど
 見守ってくれていた存在を感じるのです。

 だから
 僕には病気の、からだからの
 メッセージを伝える使命がある。
 病気をして感じたことを
 ひとりでも多くのかたに 
 伝えることだと思って
 今日もブログを綴っています。

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からだは地球からのレンタル品

 からだの60兆億個の細胞全ては、
 毎日摂取している
 食べたものからできている。
 
 地球にある全てのものは
 炭素、水素、酸素などの無機物を
 植物が摂取し、植物を動物が摂取し、
 さらに人間が地球上の植物や動物を食べている。
 そして地球の元素全ては、
 宇宙からきている
 
 つまり、元をたどれば、
 僕たちのからだは
 全て地球の元素からできていて
 人間のからだは
 地球のそして宇宙の一部ってことになる。
 
 つまり、僕たちのからだは
 地球から一部借りてできあがった
 レンタル品てことになる。
 レンタル品だから、いつか返す時が来る。
 返却の時期が、つまり「死ぬ」ということ。

 それなら、
 このからだを借りてるのは誰だろう?
 借主は自分自身だけど
 自分自身って、誰だろう

 人のからだは、
 1年間もすれば
 細胞は全ていれかわってしまうし
 からだ自体はレンタル品だし
 借主でないのは明らか。
  
 それでは心だろうか?
 心も
 いつも同じ状態ではなく。
 考え方も感情も
 日によってコロコロ変わり
 心もからだ同様
 一定しないなら
 借主とはいえなさそう。

 私たち自身で
 ずっと変わらないものって
 肉体でもなく、心でもないってこと。
 ずっと変わらない普遍なものと言えば
 魂でしょうか?

 魂が
 あなたの肉体を
 地球から借りて
 この世に存在できているのだとしたら
 
 この世に
 魂が肉体を
 地球からレンタルし
 レンタル期間が終われば
 地球に肉体を返し
 あなたは、魂だけの存在になる。
 そして、また肉体をレンタルできる日を
 待っているとしたら・・・・

 魂の存在
 そして
 輪廻転生って確実に存在するのだと思う。

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雅子皇后様が涙された日

この週末、皇室に関する記事を
偶然2本読みました。

ひとつは
保江邦夫先生と浅川嘉富先生の共著
 「令和弐年天命会談」に記されてた内容。
その内容とは・・・

宮内庁や皇居に務めている役人は
最近東大を卒業したエリートで
ある新興宗教団体の信者の若者が多くなってるとか。
そのも目的は
天皇家と神道を切り離すためだと言うのです。

そして
これまで雅子皇后様が
体調を崩されていたのも
天皇家の弱体化しようとする新興宗教団体の陰謀と
天皇家との間の板挟みにあっていた精神的疲労が原因
そして
今上天皇になられる前に
その新興宗教団体との関係についに決別されたたと
いうことが書かれてありました。

この本のこの部分を読んだ時
天皇陛下がかつて
「雅子の人格を否定するような発言があった」
と珍しく過激な発言されたことを思い出し
この発言の真意がわかった気がしました。

また、この話しを読んだ時
バイキングに最近出演されている
平井丈夫フジテレビ上説解説委員のブログ
「雅子皇后が即位式典で涙した日」を読んだのです。

雅子皇后様は天皇陛下の一連の即位行事で2回涙されたそうです。
1回目は
国民式典で嵐が「大丈夫、君と歩いて行こう」と
歌われた時でした。
その時の涙の訳は、ご本人はお話しされてませんが
確か、
天皇陛下のプロポーズのお言葉は
 「僕が一生お守りします」でした。
天皇陛下は、きっと結婚した時からずっと
お気持ちは今でも変わっていらっしゃらないのでしょう。
ずっと変わらなかったお気持ちに感謝されて
涙されたと僕は思うのです。

2回目は祝賀パレードの時でした。
沿道12万人の国民の声援に
受け入れてもらえたという
涙ではなかったのかと思います。

新興宗教からの束縛から逃れ
天皇家として
国民とともに歩んでいこうと思われた
決意の涙だったのではないでしょうか?

常に
日本国民の為に祈りを捧げ
日夜神事を行っている歴代の天皇陛下と皇后様。

今、日本国中
疫病と自然災害に見舞われている
未曾有の時だけど
今上天皇陛下と皇后様が
心合わせて祈って下さってる限り
日本は大丈夫だと確信したのでした。

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自殺をしてはダメなのは?

先週
某有望若手俳優の自殺のニュースが報道されました。

自殺のニュースがあると
今回に限らず、いつも
本人のご冥福を心からお祈りするとともに
今、本人の望む楽な状態であれと願い
手を合わせずにはおれなくなります。

そして、いつも同じことを思います。
自殺された方は
自殺したことで
本当に楽になったのだろうか?って?

自殺は
倫理的観点から
してはいけないことだと多くの人はわかっています

自殺はするべきではないと
僕も考えます。

自殺の
真偽は自殺された方にしか
わからないのかもいれませんが

魂の観点から
僕はこう考えます

自分で自分の生命を終えるということは
自分自身の魂を、この宇宙から切り離すということになります。
人は
魂が成長するために
この地球に肉体をもらって生まれてきます。
そして
この世で死を迎えると
また魂の故郷に帰って、
再び
生まれ変わる日が来るのを待ちます。
そして、再び生まれ変われる日を迎え
魂の成長のため、この世に生まれてくる・・・
これを繰り返す。
これが輪廻転生の考え方です。

もし、輪廻転生が本当にあるなら
自殺すると
自分自身の魂は
この魂の法則が途絶えさせてしまう。

つまり
自殺は魂を宇宙から切り離す行為だから。
自殺すると
生まれ変わりたくても
生まれ変われなくなってしまう。

自殺という行為によって
あなたもあなたの魂も
ブラックホールに吸い込まれるかごとく
消えてしまうとしたら
・・・・・
どんなに今苦しくても
あなたの命そして魂があれば
新たにチャンスがあるとしたら
自殺は間違った選択だと
僕は思うのです。

自殺しても
決して楽にはならない。

あなたが生きてるのには意味があるのです。
決して死ぬために生きているのではない
もっと、もっと輝くために
今生きているということを
どんな苦しい時
僕たちは
忘れてはいけない。

そんなことを
今回も教えてくれているのだと思います。

貴い命、そして魂が
再び輝ける日が来ることを願って
改めて
ご冥福をお祈りいたします。

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コロナ感染後の働き方改革

 コロナ前と後の世界で大きく変わるのは
 時間ではないかと思います。
 我々は
 時間と言えば
 時計を連想し、時計の針を見て
 時間を知ろうとします。

 でも、本当の時間は文字盤にあるわけではなく
 日が昇れば朝、日が高くなれば昼、日が沈めば夜
 日が昇る位置でで、春、夏、秋、冬の変化を感じ
 咲いてる花でも、鳥の声でもその日を感じる。

 つまり
 本当の時間は、自然の中にある。
 時間は時計にあるのではなく
 時間は生きていること
 そのものではないか?と思うのです。

 コロナの流行で
 人々の時間は変わります。

 コロナ後から
 人があふれかえっていた大都会から
 人が減ってしまいました。
 
 仕事に出かけていた人は
 家で生活をするようになり
 今まで気づかなかった
 小さな花が咲き始めていたこと
 朝は、鳥のさえずりに耳を傾けたり
 夜は
 家族とそろって食事をとるようになりました。

 そして夜となり、一日が終わり
 太陽が昇ると共に
 新しい一日が始まります。
 日々は、その繰り返し

 自然の中にある時間の流れを
 感じる人が増え
 自然とも自分とも
 そして周りの人とも
 ゆったりと愛情をこめて過ごす時間を
 作れるようになりました。

 こんな時計の時間ではなく
 本当の時間を過ごせていること
 に気がつきませんか?
 コロナ後の世界は
 生きる時間を感じられる生き方ができる
 世の中に変わってくると思います。

 生きていることが実感できる
 時間を使う。
 それが
 テレワークなどのテクニックだけに終わらない
 これからの時代に必要な働き方改革なんだと
 思います

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最近再びコロナ感染が増え始めたわけは?

 緊急事態宣言解除後
 特に6月の終わりの都知事選あたりから
 再びコロナ感染が増加しています。

 コロナウイルスなどのウイルスは
 人間のような肉体はなく
 DNAという一種のエネルー体として存在し
 人の細胞などに寄生し
 増殖し、感染を広げていきます。

 ですから
 ウイルスはエネルギー体と考えると
 寄生した先のエネルギーが強ければ
 力を弱め
 寄生もとのエネルギーが低くなれば
 勢いを増し、感染が広がってきます。

 コロナウイルスとの共存を考えたとき
 自らのエネルギーを弱めない生き方をすることが
 キーポイントになってきます。

 今日お伝えしたいことは
 エネルギーを低くしないために
 気をつけたい事です。

 実は、我々の感情にはエネルギーがあります。
 最も低いマイナスエネルギーは
 人に対する妬みのエネルギーだと考えられています。

 恨みまでいかなくても
 悔しがったり、お互いののし合ったりする
 レベルになってくるとと
 その人のエネルギーレベルを下げてしまいます。

 都知事選が終わったぐらいからの
 小池都知事と菅官房長官をはじめ政府と
 やりとりをみていると
 悔しがったり、ののしりあったりしてるようにも
 みえませんか?
 東京都と政府がののしり合い
 お互いのエネルギーを下げてしまっている。
 だから、東京では、コロナの感染が増え
 日本全体にも徐々に広がりをみせているのです。

 罵り合い、いがみ合いをして
 エネルギーが落ちて喜んでるのは
 コロナウイルスではないでしょうか?

 人を妬む感情をもたずに
 日々過ごすことが
 3密などと同様に
 波動エネルギー的面から見ると
 感染拡大を止めることにつながるのです。

 私たちがコロナ感染に対して
 今からできることは
 周りや社会がいがみ合い、野の知り合いがあったとしても
 ひとりひとりがその争いごとに巻き込まれず
 人を責めることなく、恨むことをせず日々を
 過ごすことなんです。

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からだがアンテナになった!?

 病気になって半年経ち
 左足、左手の麻痺は若干残っているものの
 日常生活も、仕事も
 無理をしない範囲で
 日々過ごせる状態まで回復して日々過ごしています

 これも、医学的には後遺症というけど
 自分にとって必要なことかな?
 という気がした出来事がありました。

 先日梅雨の合間、仲良し家族がそろい
 BBQをしました
 BBQの前に
 神社へお参りに行きました。

 その神社は
 ほぼ無名に近い神社で
 木立の中にひっそり鎮座されている神社。
 大きなお社があるわけでもないし
 地図にものっていない神社。
 でも、そこは気がいいからだろうか?
 行くだけで
 いい空気をいっぱい吸えて
 心もからだも元気になる
 我が家の大好きな場所なんです。

 今回久しぶりの参拝での出来事。
 参道を歩いていると
 なぜか、麻痺のある左手が重く感じるのです。
 足も重いけど、歩けないという感覚じゃなく
 一歩、一歩いつもより確実に足は前にでるし
 重く感じるのは気のせいかな?と思って歩き続けました。
 
 参拝しようとした時
 また、からだに異変を感じたのです。
 左手と左足が今度は引っ張られる感じがするのです。
 引っ張られる方向の先には
 お社がある
 大きな石がある。
 まさにそこに引っ張らるような感覚で
 足が自然に出て
 その石、お社の前にいくと
 引っ張られる感覚は無くなり、止まって
 まるでここでお参りしなさいと言われたかのように
 いつものようにお参りしたのです。

 参拝が終わった後は
 足も手の感覚もいつも通りに戻っていて
 その後楽しくBBQができました。
 
 あの不思議な感覚
 僕は確信しました。
 鈍感な僕にでも
 神さまのこと感じられるように
 僕の左手、左足を敏感にしてくださったのかな?。
 日常生活に困らない程度の力で
 ひょっとして
 神様を感じられるように
 からだをアンテナのような役割になるよう
 にして下さったのかもしれません。

 病気になるのには
 きっと理由があるのだと思います。

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ノアの箱舟が終わった日

7月17日は
ノアの箱舟がアラファト山に
漂着した日と言われています。

京都の祇園祭のピークを
迎える日でもあるらしい。

これは偶然というより
意図してそうしたと僕は思ってます。

なぜなら
祇園祭は日本古来のお祭りだと考えられていますが
実は、ユダヤ教のお祭りが
ベースになっているかのような
共通点が確認できるからです。

ユダヤ教の神殿は
日本の神社のように
鳥居があって、本殿を構える造り
狛犬が2対おかれているらしい。

日本では
狛犬って犬って表現するけれど
よくみると
ライオンのようだし
日本にはライオンなんていませんよね・・・・

また
祇園祭では
おみこしや山車がでるのも
ユダヤ教のお祭りと同じ。
そこに描かれている絵は
日本古来の絵巻物というより
エジプトやユダヤらしき絵が
不思議と描かれている。

ユダヤと日本
実は同じ祖先で
日本人はユダヤ人の血がながれている
日ユ同祖説があるくらいです。

そして7/17はノアの箱舟伝説の終焉の日。
ノアの箱舟伝説とは
大昔の伝説で
神様がおつくりになった人類が
余りにも傲慢になってしまったので、
おつくりになったことを後悔されて
いったん滅ぼそうと
大雨、大洪水をおこし
人類を滅亡させようとされました。
しかし、神様の温情で生きるチャンスをもらった
ノアの一家と動物が
箱舟を作って難を逃れることができて
それから
現在の人類につながったという伝説が
ノアの箱舟伝説です。

大昔のことすぎて
世界中で伝説として語られだけで
実際の物証はほとんどありませんが
単なるお話しではなく
実話ではないかとも考えられ
今でも実際研究されている話でもあります。

そのノアの箱舟が
アラファト山に漂着して
新しい時代が始まった日が
この時期なんですね。

今の現実お日本をみると
先日の日本を襲った大雨
ノアの箱舟伝説規模ではないにしても
同様なことがおこっていました
これって、たまたま偶然なことでしょうか?

もしかしたら
なんらかの計らいがあったかも。
なんて考えてしまいます。

雨があがったからよかったではなく
今の自分、世界の現状を振り返る時間にしないといけないのでは
ないでしょうか?

また
この7/17を中心に
エネルギーあふれる良き日ともいわれています。
この良き日を
無駄にすることなく、今日も前に進んでいきましょう。

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