ことばは釘穴とおなじ

「ことばは釘穴と同じなんだ」
という言葉を聞いた。

つまり
人を責めたり、叱ったり、皮肉ったり・・・
人は色々ことばを発するけど
間違ったと言って
取り消したり謝ったりしても
相手の心には一度発した言葉は
しっかり残ってしまう。

そう
間違って打ち込んだ釘を抜いて
正しく打ち直しても
最初に打ち込んだ釘の穴が残るように。

何気なくいった言葉
冗談としていった言葉
感情的になっていってしまった言葉は
その人にとって本気でなかったとしても
一度発した言葉は
相手の心に届いてしまったら
元にもどせない。

言葉を発する時には
よく考えて発しないといけない。

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歌われなくなった仰げば尊し

最近、テレビでよく
昭和の歌(歌謡曲)を特集した番組が
よく放送されるので
学生時代の思い出を思い出しながら
観て
また令和の時代に昭和の歌を
知ってもらえることが
うれしく思うのですが

僕たちの昭和の時代によく歌い
思い出が詰まった歌の一つに
「仰げば尊し」があります。
この歌は
小・中・高校の卒業式で歌い
学生時代過ごした思い出を分かち合い
未来に向かって進んでいこうと
誓い合った歌。
今もその時のことを思い出させる
いい歌なのに
今は歌われなくなったらしい。

なぜなのか?

その理由は
現在の先生と生徒の関係にあるらしい。
先生と生徒の関係は対等であり
先生を仰ぎみるということは
今風に言えばあり得ないことらしい。

本当に対等でいいのかと
昭和の時代を生きてきた
自分は思ってしまうのです。

親になった時
卒業する我が子の背中をみた時に
親は様々な光景を思い出すことでしょう。
一年生になって
泣きながらも家をでた不安な表情をした
我が子の後ろ姿に見送った日々。
打って変わって元気に返ってきた我が子の笑顔。
様々なこどもの表情を思い出す。

笑顔と感動の涙で旅立てるのは
多少の不満があったとしても
それは先生のおかげ、
忘れてはいけない
我が師の恩なのである。

その恩を含んだ
多くの思い出が仰げば尊しの
歌詞とメロディーを聞く度に
思い出される。

そういう意味で
大切にしたい歌である

今日から3月。
本格液な卒業シーズンを迎え
「仰げば尊し」
今年はどれだけ歌われるのだろうか?

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今を生きればいい

人間が後悔するのは
過去を思いだしてしまうから。
人間が不安になるのは
未来を考えてしまうから。

過去や未来ではなく
ただ今だけに意識をむければ
こころは満たされて
後悔や不安は弱まっていく。

今感じているものを
大事にして生きていけば
過去に悔いることも
未来を畏れることもはいはず。

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立つ鳥後を濁さず

人生の終末を考えた時
美しく人生を閉じたいと
誰もが思うと思います。
そのためには
人生の終末を意識し始めたら
できるだけ善行を積んだ方がいいと
思うのです、

つまり
立つ鳥後を濁さずというように
きれいな終わり方をした方が
人々の記憶の中で
美しく生き続けることができる
からです。

アメリカのイエール大学の
ジョージ・ニューマンは
人生のバイアスということを
言っています。

これは
例え若い時に、悪いことをしていたとしても
人生の終わりが立派であれば
その人は立派だったと受け止められるのです。
逆に
いくら死ぬまで立派なことをしていても
死ぬ間際に
悪事が発覚すれば
その人の評価が
地に落ちてしまうと言うことは
よく聞く話でもあります。

インドの独立の父といわれている
ガンジーも
若い頃は、やんちゃで知られていたようですが
こころ改めて
最後はインド国民のために
いのちまで捧げ、今でも
世界中から尊敬の念を送られている人物です。

人生の終盤にさしかかれば
善行を意識して生きていきましょう。

立つ鳥後を濁さず
終わりよければ全てよしなのです。

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聞き役に徹する

年を重ねていくと
それなりの経験をするので
その経験を
自分だけのものにするのではなく
この経験を人に、特に若い人に
伝えたくなり
ついつい多弁になってしまうこともあります。

でも
これから自分がどれだけのことが
経験できるかと言えば
どう頑張っても
これからの人生の時間や活力は
これまで通りにはいけないし
世の中には
自分が経験してないことを
山ほど経験している人がいる。

だからこれからは
多くの人の話に耳を傾け
聞き役に徹し
自分の経験とコラボしたら
大きな何かをまだまだ生まれるかもしれないと
思うのです。

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好きなことの嫌い

さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。

実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面があります。

注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともあります。

でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶんです。

”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”

僕は我に返るのです。

今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、

目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をします。

終わった後は、不思議と一瞬で空気が変わります。

こども達の気持ちが僕の心に伝わってきます。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。

注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはありません。

注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれます。
注射を打つ時は
僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まります。

これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるのでは4ないでしょうか。

その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わると思うのです。

嫌な事でもだから、
いいことはもちろん伝わる。

だから、
いつも目の前の人のしあわせを念じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。

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かつてテレビドラマのセリフで
「人という字は
人と人が支え合っている姿を
表している」
がありました。

確かに
棒に見立てた二人の人間が
支え合っているようにもみえるけど
ちょとうがったみかたをすると
「支え合っているように見せかけて
長い棒が短い棒の方に寄りかかっている。
長い棒の方が楽をして
短い棒は苦労している」
と見えると。

確かにそう言われれば
そう見えてきます。

どんな見方をしてもいいのですが
この人の字はをみて思うことは
確かに
人と人は支え合って生きている存在なんだ。

これは
僕にとっても言えること。
医者として診療していて
患者さんの病気を治して
患者さんを支えて働いているけれど
患者さんを診ることで
僕は生きることができる。

自分の
誰かの役に立ちたいという気持ちを
患者さんから頂いている。
だから
次の患者さんに対して
また向き合う力を持つことができているのだということ。
つまり
僕も患者さんに支えられて
生きているのだと言うことに気づいた。

そう言えば
ブラックジャックも次の様に叫んでいた。

「それでも私は人を治すんだ。
自分が生きるために!」

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性格

今日は、自分の性格について。
自分の性格には、好き、嫌いがはっきりしてる。
もし、自分の性格の一つ今変えられるなら・・・・
どんな性格になりたいか考えてみました。

僕は、揺るぎない力に溢れた強靭な精神力を持ちたい。
決断した後も、迷うことなく、ブレることなく
自信に満ちた行動ができる精神力を持ちたい。

ブレない決断をすることは
独裁的、独りよがりでは困ってしまう。
そのためには、やさしさ、思いやり、賢さ、先見の明、リスク
全ての事柄を瞬時に正しく判断することが求められる。

そのために、日頃から
自分をそして自分の行動を信じること。
自分のとった行動が、自分だけでなく
周りのにとにとっても良い結果をもたらすと信じること。
が行動の基準になるのだろう。

そうなるためには
いつも周りの人の思いやりの心を持ち続け
周りの人が望んでいることを知ろうとする努力
自分がとった行動が人にどんな影響を及ぼしたかを
日々意識することが大事だと思う。

強靭な精神力を培った上での行動によって
周りの人から慕われ、信用され
共に行動する同志が増えていく。

その同志と共に誰に対しても
思いやりある決断と行動をすることで
多くの人に安心と平和そしてしあわせが
訪れることが願いです。

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どうすればよかったか?

今年一発目に観た映画。
この映画は
医学部生が突然統合失調症を発症し
その後の家族を含めた人生を
家族が記録したドキュメンタル映画。

観た後の感想は
映画の監督が、家族が、そして何よりも
どうしたらよかったかと考えただろう本人
だけでなく
見終わった後も、自分自身も
どうすれば良かったのかと
思い気持ちにさせられた映画だった。

医者の家庭に生まれ
医者の道を歩み出した時に
突然発症した統合失調症。

医者である両親は
病気でないことを信じ
病気にさせられるのも怖れてなのか
病気受診を拒否し
もちろん専門的治療をもうけず
30年間自宅で
両親の監視の下
ひきこもった生活をしていた。

そして
彼女が治療のきっかけとなったのは
母親が認知症になり
母親の今後の生活を考え
彼女は初めて専門治療を受けた。
幸いに
治療法が見つかり
症状は改善したが
その後母親の認知症は進行し
平和な家族生活は長くは続かなかった。


母親、そして本人にも
病気のことをどう考え
どうすればよかったかと
確認する術はない。
ただ、現在生きている100歳を超える父親は
もしかしたら
病気だったのかもしれないけど
あれで良かったと思うと答える。

そして
家族全員で抱えた問題を
映画として公表することを許可された。

それは
この家族の問題を観て
あなた方だったら、どうすれば良かったと
思いますか?
あなたが親なら
あなたがその本人なら
・・・・
強く強くいつまでも
こころにのしかかってきた
映画だった。

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関係を育てる

こどもの時
植物でも、動物でも
何か自分で育てた経験って
おとなになった時
人間関係を気づく時に
役に立つのだと思う。

友達との関係も
誰かを好きになった時も
人との関係は作るものではなく
育てるものだと思うから。

仲良くなりたくて
勇気をだして一歩を踏み出し
仲良くなった後
いつもいい関係ばかりじゃない。

時には壊れそうになったり
傷ついたり、傷つけたり
でも
また元の状態になれるように努力して
お互いの関係が深まっていく。

その時に大事にして欲しいのが
”育てる”という愛情。

関係を育てるって
”こうすればいいよ”
”そんなことしたらだめだよ”と
自分の考えで
口を挟むことじゃなくて
自分の意見じゃなくて
相手の気持ちになること
だと思う。

”あなたは今どうしたいの?”
”何に困ってるの”
”どんなことに喜びを感じるの?”
”どうされると嫌なの”
相手の立場で
考えよう、答えを見つける努力することで
関係は育っていく。

でも、その答えを
いつも帰ってくるとは限らない。

人は、動物や植物と違って
話すこともできる
聞くこともできるのに
知らないうちに
相手の言葉に耳を傾けていなかったり
自分の思いだけを話したりする。

その時に
こどもの時育てた
何もしゃべらなかった花のこと
何も教えてくれなかった動物のこと
を思いだしてほしい。

あなたの可愛がってる
花を動物のことを
少しでもわかってあげたいと
目、耳、鼻、全身を使って
観察したと思う。
そして
自分なら・・・って考えたと思う。

五感をすべて使い
想像力を駆使して
あなたとその人との
”関係”を育ててほしい。
そうすれば
美しい花が咲くはずだから。

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