「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
結婚
真子様がご結婚されました。
婚約会見されてから
ご結婚されて
様々な報道があり
色々な困難なことも合ったでしょうが
それを乗り越えて
ご結婚できたことは
想像を超えて感慨深いものでしょう。
ご結婚されて
本当に良かったと思います。
おめでとうございます。
真子様のご結婚は
真子様の私的なことと言うだけでなく
世間の人々
あらゆる世代に
それぞれの立場で
結婚というものを考えさせられた
期間になったと思います。
結婚とひと言で言っても
日本だけでなく
世界にも様々な結婚形態があり
同じ日本でも
家ごとでも
様々なしきたりがあるから
結婚って本当に一大事ですよね。
そこで
結婚というものを考えてみたいと思います。
若いうちの結婚は
容姿などの見た目や社会条件や
肉体な要求に大きく左右されやすく
お互い愛を確かめ合い
肉体を求め合うという
今の自分の気持ちを満足させることに
こだわってしまいがちです。
結婚するとき
若いときは
肉体的などの目に見える価値観を
一致する相手を見つけようとしてしまいます。
しかし
本当は魂のレベルで一致する
相手を見つけることが大事だと思います。
若い時に
魂レベルで一致する相手を探すことは
なかなか難しいことが多いことでしょう。
年を重ね、様々な失敗を経験して
魂レベルの一体感や精神性の一致を優先して
自分に相応しい相手を
見極めることができるようになります。
結婚するなら
魂が求める方と言えるでしょう。
真子様も
結婚する前に
「生きていくための必要な選択」と言われました。
その深い意味は
物理的に離れた時期に
ひとりで考えても変わらなかった選択は
魂の判断だと思われたのでしょう。
愛は
求め合うものではなく
与え合うものである。
そして
人間的な愛で結ばれる関係から
お互い霊的に高め合う関係で
なければ続きません。
その様なお相手は
磁石で惹きつけ合うように
出会い共に魂を磨くながら
歩むようになる。
それが真の結婚だと思うのです。
真子様も
魂を磨き合うご関係で
ご自身の選んだ道を一歩一歩
歩んで行かれ
しあわせになられることを
一国民として願っています。
ご結婚おめでとうございます
言霊~西川悟平氏のトーク&コンサートに行って
西川悟平氏は
東京2020パラリンピックの閉会式で
ピアノ演奏して
世界中にその名前が
全世界に轟いたピアニストで
その演奏スタイルから
奇蹟のピアニストといわれている。
実は彼は
海外でピアニストとして
活躍中に
ディストニアという神経の病気にかかり
ピアノを弾くときに
左手の2本しか使えず
右手と合わせて7本指を使ってしか
ピアノを演奏できない
7本指のピアニストとも
よばれているのだ。
病気によって
完全な指の機能を失い
絶望したあるいはできなくなったことに
意識するのではなくて
5本指、7本指でも弾けることに
意識を向けると
有り難い気持ちがわき上がって
現在の状態に復帰するチャンスに結びついた。
また
ピンチをチャンスに変える
言霊についてのお話を
ご自身の経験を幹に
話をされた。
まずピンチが起きたときに
「何とかなる、自分はついてるから」と
何度も何度も唱えるのです。
何度も、何度も・・・唱えていると
こころの中の感情の変化が現れ
ピンチの状況を
こころのどこかでうらやんでいた気持ちが
気づくと
このピンチの状況がなかったら
ひょっとして大事故やもっとピンチが訪れたかも?と
思いつくと同時に
感謝の気持ちが
あふれてきたそうです。
このピンチの状況が
ありがたくて
その感謝の気持ちを伝えたくて
その場にいた方に
感謝の気持ちを伝えたそうです。
すると
後から後から
多くの人の手だすけがあり
ピンチがピンチでなくなって
逆に幸運にもなったという
話をされた。
ピンチの時に
そのピンチをどのようにとらえ、思い
その思いを言葉に表現するで
ピンチがチャンスに変わるのだと
教えていただきました。
言葉に
自分の気持ちを変え、行動が変わり
周りのエネルギーは確実に変わることを
改めて実感しました。
そんな話を聞きながら
これは
神様が僕に伝えたかったことかもしれないと
思うと、熱いものがこみ上げてきて
早く家族に
そしてみなさんにも
しあわせな時をすごす方法をお伝えしたくて
たまらなくなり
今こうしてブログを書けることに
僕自身もしあわせをいただいています。
西田さん素晴らしいコンサートに
いけたことに感謝です。
ありがとうございました。
価値観を変えるために
今の生活を続けるとどうなるのか
今の生活でいいのかどうかを知るために
定期的に検査をすることを
お勧めしています。
異常な点がなければ
現状のままでよく
患者さんご自身も
データを診る自分自身も
ホッとします。
難しいのは
やはり異常データがでたとき。
それまでの生活を改めないと
もっとからだは悪くなるので
生活の改善を提案します。
甘いものをこのまま食べ続けると
高カロリーのものを食べすぎると
将来糖尿病になりますよ。
このまま高血圧状態が進むと
脳出血、心筋梗塞になりますよ
など
少し脅しにたように
生活の転換を患者さんに迫ってしまいます。
でも
今までの価値観を変えることって
大変なことだと思います。
例えば僕自身も
病気をした後も
病気になる前に乗っていた
少し大きめの車を変わりなく乗っています。
少し大きい方が
運転しているときに
からだ自体にくる負担は少ないので
今は乗っているけれど
今後
年をとってくると
どうしてもからだの機能が衰えてくる
次に車を変えるときには
永く乗るために
自分のからだと相談しながらの
選択に迫られるかもしれません。
その時に
車を変える時
車種選択のメリット、デメリットの
バランスを考えて
決定するといいのではないかと思ったのです。
食事の選択もこれと同じでしょう。
今まで続けてきた習慣を変えるために
今の生活をそのまま続けることの
デメリットだけで判断するのではなく
楽しくなることを考えてみる。
例えば・・・・
生活を変えることで
体重が減り、今まで着れなかった服のサイズも
着れるようになり
おしゃれの選択が増える。
からだも軽く運動もしやすくなる。
人から褒められることも多くなり
うれし思うことも増えてくるかもしれない
などなど
生活を変えることで
単純に病気を防ぐということだけでなく
毎日の生活が豊かになることが
増えてきませんか?
そう考えると
今の習慣を変えることって
難しくないですよね。
価値観を変えて
変わる楽しみを見つけてみましょう。
魂の痛み
我が国の
ホスピス医学の第一人者であり
現在もホスピス医学の第一線で活躍中である
柏木哲夫医師の
インタビュー番組を観た。
2500名以上の患者さんを看取り
患者さんの死の瞬間に向き合い
その瞬間に感じた思いを
語られた言葉は
とても重く、深く
でも患者さんの気持ちに寄り添えてるかと
苦悩にも満ちた日々から
感じた確かな言葉が
僕の心にも重くのしかかってきた。
2500人以上看取った患者さんで
忘れられない2名の患者さんを
紹介された。
ひとりは
大社長さんで末期の膵臓癌で入院されてきた患者さん。
その患者さんは
富も名声も、いわゆる生きているうちに
手に入れられる全てのものを
文字通り手にされててた患者さん。
その患者さんは、柏木先生に
不安だ、死ぬのが怖い
この不安をとることを必死で願われたけど
医学では痛みをとることはできても
こころの不安をとることはできなかった。
患者さんの不安をとってあげることができず
看取った患者さん。
もうひとりは
末期の肺がんで入院されてきた患者さんは。
その患者さんはクリスチャンで
自分の死期を悟られてるのでしょう。
2週間で神様のところに行きますが
それまでの間この胸の苦しさだけを
とって下さいとお願いされたそうです。
その患者さんに治療をし
神様もお恵みがあったのでしょうか
3日後には息苦しさもなくなり
2週間後に逝かれたそうですが
最後の言葉は「行ってきますね」と言われ
安らかに旅立たれたそうです。
人はなくなるときは
生きているうちに
身につけていたものが
全て剥げ落ちて
魂だけの状態となって
旅立つのかもしれません。
死ぬときは
この世で手に入れたものは
何一つもって逝かれません。
持って行けるものは
魂の部分だけ。
人は
魂の修行をしに
この世に生まれたとしたなら
満足した、望み通りの修行ができて
平穏な魂の状態で
魂の世界に戻れる
(死を迎える)生き方をすることを
目指さなければいけないんでしょう。
魂の求める生き方とは
自分でしかわかりませんが
自分に素直に生きていくことで
気がつくのかもしれませんね。
足の痛みが伝えることは?
メタトロンをすると
日頃気づかないことを
教えてくれる。
その気づきをほっておくと
からだは
もっと強いサインとして
症状をだすことがある。
医師としては
患者さんの症状という苦悩を
取り除こうと
努力するが
これで止まってはいけない。
なぜ、その症状が起こったかも
考え、改善する働きをしないと
本当に治ったとは言えないし
治したとも言えない。
だから
医学的アプローチだけでなく
様々な角度から考えていかないと行けない。
先日
歩けないほどの
足の痛みがあると受診された患者さん。
足を見ると
足の親指が発赤、腫脹し
少し動かしただけでも
痛みが走り、歩くことも苦悩の状態。
骨には異常がない。
痛風発作?なども疑ったが
血液検査も異常なし。
検査しても
異常がないことは
度々経験することであり
そのようなときは
原因がなにより
今苦痛の症状をとることに成り
局所の炎症を取り除く治療を行った。
1週間後再来され
局所の炎症は改善され
痛みも少なくし
歩きやすくなっていたよう。
なのに・・・・
患者さんは
痛みが取れたはずなのに
ちょっと悲しそう、苦しそうな笑顔
なんです。
足の原因の可能性について
もっている医学知識を総動員して
説明したが
患者さんの表情は曇ったまま。
なぜ??
患者さんと
その後診察をくり返しているうちに
夕方になると
涙があふれて来るんです。
患者さんは、
コロナの状況になって
目標を失って
目標探すと同時にからだを休めるために
故郷に戻ってきて
ふるさとの力で
からだは癒やされたけど・・・
こころが癒やされてなかったのですね。
これからの未来に対して
何をするべきか迷いに迷った時期
足の不調も相まって
前に進めなくなったんですね。
ですから
こころの進めない状況を
足の不調が教えてくれているんですね。
前に進んでごらん
一歩前に踏み出してみてごらん
動き出せば
足の痛みも忘れるから
前に一歩踏み出して・・・と
応援してくれている気がしました。
そう、患者さんに
伝えました。
今後
患者さんが前に歩く姿を
後ろからしっかり支えようと思います。
わたしが見た未来②
前回のブログで
夢は潜在意識と健在意識との架け橋だ
ということを書きましたが
みなさんにとって
夢って
意味がわからないことが多くて
記憶もあやふやで
どこかシンボリックな感じなのが
夢だけど
今回の紹介した漫画のように
夢からのメッセージを
受け取れる人も居るんですよね。
夢からのメッセージを
受け取れる人の共通する特徴が
ある気がします。
その特徴とは
日頃から意識が深く
こころが静寂なひとほど
夢をよく覚えているのではないでしょうか?
夢を探求し活用するためには
日頃から
様々な精神レベルでの活動が必要でしょう。
夢というか
夢が勝つ津している領域は
頭で考える世界にあるというより
言語を越えたところにあるのでしょう。
ですから
目が覚めて、頭が活動するようになると
日頃使っている頭の領域を使っている
比較的浅い潜在意識の領域と
夢という深い意識、潜在意識からの情報が
混ざった状態として
目覚めたときになっている。
だから
夢を目覚めてから思い出すと
つじつまが合わなくなってしまうのでは
ないでしょうか?
夢というのは
潜在意識からのメッセージ
目覚めると
シンボリックな内容として
僕たちは受け取っているのでしょう。
すると
夢には、意味があるのだと思います。
もちろん予言的なことだけはなく
こころの心底にある思い
真の自分自身の思い、意識なのだと思います。
でも
夢はすぐ忘れてしまいます。
その意味を知る訓練ができると思います。
夢を知りたい人は
目が覚めたときに
覚えている夢を書き留める
夢日記をつけると
この漫画の作者のように
重大なメッセージにであうかもしれませんね。
私が見た未来①
10/14のブログで
潜在意識と夢について
書きましたが
今回ももう少し夢について書きたいと思います。
夢について
最近巷で話題沸騰中の
たつき諒作「わたしが見た未来」について
1999年に発行された漫画で
東日本大震災を言い当ててた
予言の漫画として
今後の予言のことも書かれているのでは
ないかと
最近完全版として再出版され
話題になっている本で
僕も早速読んでいたのです。
内容について
の真偽については別として
僕にとって
夢について
改めて考えさせられた本でした。
というのも
この漫画のベースになっているのは
作者が1990年前後に見た夢がベースになっている
つまり
作者の夢日記だということ。
夢には
やっぱり不思議な力がある。
夢には夢の働きがあるのかと
思えたからです。
昔から
夢は自分の今いる現実世界とは別の
弁実世界との架け橋になる
とても役立つものだという
考え方があるんです。
夢をみるのは
僕たちが眠りに落ちると
僕達の本質である魂が
日常物質世界から離れて
エネルギーの世界に行き
エネルギー充填をしているんだと
だから
夢は魂が感じた世界ではないかと
考えられているのです。
ですから
夢でみる世界も決して
空想のものではなく、しっかりと
実態の伴うものだと
いえるのです。
でも
我々の感覚は
普段は物質世界に生きていて
物質に焦点を合わせているので
物質世界を意識させる
顕在意識では
夢の世界を意識して管理することは
難しいというか無理なので
目が覚めると
顕在意識が夢の世界を感じていた潜在意識より
優位となり
夢で起こったことを感じないようにしてしまう
だから
夢は忘れてしまうのではないでしょうか?
そんな夢を覚えていた人がいた
例えば、エドガーケイシは有名ですし
今回の話題の漫画の作者のたつき諒さんも
そうなのかもしれません。
夢を覚えてる人って
どんな人なのでしょう。
続きは次回のブログで
よくなろうと頑張らなくていい
病気になって、治療が始まると
周りの人は
病気に負けるな
頑張れ・・・と応援し
病気の本人も
その気持ちに応え
病気を治すことを
闘病などといい
病気に負けないように
頑張る気持ちを自分自身で鼓舞します。
確かに
病気から治すために
周りの人の
自分を思う気持ち
悲しませてはいけない
まだまだ役割があると
自分の気持ちを鼓舞して
健康を目指せば
からだは患者さんの気持ちを受け取り
病気を治してくれるでしょう。
ただ単に
”よくなろう”と思うだけでは
決して
からだは健康に向かわないし
あまりいい結果は生まれないことを
傍で見ていて
感じることがあります。
これだけ頑張ってるのに
なぜ・・・と
治療するものとして
歯がゆくなることもあります。
でも
からだ(肉体)とこころがつながっている
人間の根本は
魂ではないかと
思うようになって
少しずつですが
そのちがいが見えてきたきがします。
ただ
「よくなろう」と思うことは
決して悪くない
力強いご自身の強いお気持ちだから
力になってくれるはずですけど
よくならない時、ひょっとして
「今、この状態は自分にとってよくない状態だと」
病気になった自分のことを
憎んではないでしょうか?
ここに至るまでの
ご自身の生き方を振り返ることなく
ただただ、病気を憎む。
それをバネに病気を戦う、闘病する力にするのですが
ここまでからだを苦しめたのは
からだではなく
ご自身ではないでしょうか?
それに気づいてもらいたいと
からだ自身は思っているのではないでしょうか?
もし
その点に気づくと
からだが気づいてくれてありがとうと
涙を流して!?喜んで
あなたの治りたい気持ちを
受け入れて
あなたのために頑張ってくれる
つまり
治癒に向かうはずです。
病気になったとき
ただ「よくなろう」と
闘う前に考えないといけないことがあった
病気の時も自分のからだに対して感謝することだと
僕も自分の病気をして
気がついたのでした。
カルマをもって生まれてきた
メタトロンや健康診断の結果を
患者さんとみながら
結果を踏まえて
これからどんなことに気をつけて
どのように生活しようかという
話になります。
自分自身で気をつけられることって
食べること
からだを動かすこと
時間の使い方
などなど
色々あって、
生活の中でのちょっとした
心がけになるのだけれど
中々実行するのは難しい。
ことを
自分も含めて
実感されている方も多いことでしょう。
そんな時に
立川談志三が残した
人間の業の肯定という言葉を知った。
その通りだと思ったので
ここに紹介したいと思います。
「人間はすごい。
同時に人間というのは
どうしようもない。
でも、人間っていい」
「酒が人間をダメにするんじゃない
人間というのは
元々ダメなものなんだと
酒が教えてくれる。
ケーキが人間を太らせるんじゃない。
人間の意思の弱さが太らせる。
人間はダメでいいんだ
気づけることが大事」
という言葉を残されています。
お酒がダメ
ケーキがダメ
甘いものを食べるのがダメ
何じゃない。
お酒、ケーキ、甘いものの
せいにしてはいけない。
それを選んで食べているのも
いっぱいたべようとしたのも
人間の仕業。
だから
食べ物を責めるんじゃなくて
食べ過ぎたことを
教えてくれたことに感謝して
口にすると
結果は異なってくるんじゃないかな?
人間って
意思が弱くて、ダメななんだと
思うかもしれないけど
そのことを気づけることが
大事なことなんだよ。
コミュニケーション
やっと全国的に一斉に
緊急事態宣言が解除され
夏休み前の終業式が終わった直後のような
こどもたちの
いや、おとな達の喜んでる歓声が
飲み屋から、観光地から
町中あちこちから聞こえてきそうです。
きっとこれからは
人々が
お互いのぬくもりを感じながら
生活を初めて行くでしょう。
そして
人が動けばお金も動く
経済が回りだすと
ほっと微笑んでる方も
多いことでしょう。
経済優先で
社会が動き出しました。
でも、まだ解除できてなくて
悲しんでる人はいないでしょうか?
僕が入院したのは
一年半以上前の昨年の冬。
退院まえの3月に
ダイヤモンド号のコロナ感染発生
その後
日本全国あちこちで
コロナ感染が報告され
山口県でも発生し
入院していた病院でも
面会禁止
外部の人とは家族であっても
完全にシャットアウトの状況になりました。
その後
ご存じのように
更にコロナウイルス感染は確認し
健康的弱者である
高齢者がいる施設でも
面会制限が行われるようになりました。
1回入院すると
どんな病気であれ、けがであれ
そして
施設に入ってしまったら
自分の意志で人と会うことが
できないのが
現在の現状なんです。
病気やけが
そして老いに対して
ご自身ひとりだけの力で
乗り切るのは
とても大変なこと。
ご自身の苦しい状況だから
ご家族の
親愛なる人の力が必要なんですね。
病気になると
病気が広がってクラスターになったら
大変だから
感染対策の一環としての
強硬な対策だとはわかっていても
現在のこの世に生きる人間は
コミュニケーションをとりながら
人々のぬくもりの中で生きていきます。
魂だけなら
思うだけ、思いやるだけでいいのかも
しれませんが
生きていくためには
人のぬくもりが必要なんです。
隔離期間が長くなって
オンライン面会など
電子ツールなどを使って
コミュニケーションをとろうとします。
僕も最近
オンライン面会を経験しましたが
画像でつながっているけど
その人の思いが伝わらない
わからないってことに気がつきました。
目の前にいる人
画像にうつってる人は
確かに愛する人であるけど
もっとその人を感じたくなるんですね。
生の声を聞きたい
息づかいをかんじたい
この耳で、この目、肌で
感じたいと思って
オンライン面会で
会えたような、会えなかったような
どこかモヤモヤした感覚が
残りました。
全く会えない時とは
断然比較にはできないですが。
そして
僕は毎朝神社に参拝していますが
お社に出向いて
自分の声で神様とお話することって
とても大切
神様も喜んで下さってる
だから
これからも毎朝の参拝は続けようと思いました。
みなさんも
自分の生の声で
こころを伝えて下さいね