真実の医療」カテゴリーアーカイブ

ご先祖様が必ず喜んでくれる方法

認知症の第一人者で
 ご自身も認知症になられたことを公表された
 長谷川和夫先生が
 著書で、次のようなお話を書かれてました。

 先生の義父が認知症になっていて
 ご家族みんなで食事をされていた時
 お義父様が
 誰が誰かわからなくなって
 頭を抱えて困っていらっしゃってた時
 長谷川先生の娘さんが
 (お義父さんからみるとお孫さん)
 こう言われたそうです

 「おじいちゃんは
  私たちのことわからなくなっても
  大丈夫だよ。
  私たちみんな
  おじいちゃんのこと知っているから
  大丈夫。心配ないよ」
  と言うと
  お義父様は安心された顔して
  楽しい食事会が続いたというエピソードを
  紹介されてました。

  お孫さんの
  神対応の答えに
  拍手喝采ですが

  年取って
  例え認知症になって
  周りのことがわからなくなっても
  周りの人が
  憶えてくれているって
  とても安心だし、とてもうれしいこと
  だろうと思います。

  憶えておくことの大切だと思ったとき
  気づいたことがあります。

  おじいちゃんって
  自分に一番近いご先祖様。
  ひいおじいちゃん、ひいひいおじいちゃん・・・
  会ったことないご先祖様も
  今生きている僕たちに
  憶えてもらえたら
  とってもうれしいんじゃないかと
  思います。

  だから
  時にはご先祖様のことを
  思って
  手を合わせてお祈りすること
  ってとてもうれしいンじゃないでしょうか?

今、ここに生きているのは
  存在するのは
  自分だけの力でいるのではなく
  父母、そのまた父母、そのまた父母・・・・
  限りないほどの人数の
  ご先祖様が命を繋いでくれたから
  今、僕はここにいるのです。

  いつでも
  ご先祖様を思って
  手を合わせる時間をもつことって
  とても大切な時間だと思いませんか?

  自分にとっても
  そして
  ご先祖様にとっても
  
  笑顔でいられますよね、ご先祖様。

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医者はなぜ病気になりにくいのか?

前回のブログで
 病気になる人の特徴を
 お話しました。
 
 僕は、患者さんから
 「先生はどうして
  毎日病気と接してるのに
  病気にならないんですか?」と
 聞かれることがあります。

 何か特別な方法があるなら
 知りたいという顔を
 患者さんはされますが
 全くこれと言ったことはしてません。

 言えることは
 よく食べて、よく寝て
 毎日楽しく過ごしてるからでしょうか?  
 なんて笑いながら答えてました。
 
 実際
 今のように新型コロナウイルスに関しても
 第一線の現場で診療に従事してるからといって
 医療従事者が
 次々に
 感染しているわけではない。

 感染対策をしっかりしていることも
 あるでしょうが
 コロナだけでなく
 インフルエンザにおいても
 一般的に
 人を助けるために平然と
 病気に立ち向かっている人は
 病気にかからないんです。

 それはなぜか・・・・

 その理由が
 最近注目されている
 ”オキシトシン”という
 ホルモンによるものだと
 僕は思っています。

 オキシトシンは 
 お産の時に分泌され
 お産を促したり
 お産の後母乳を出すために働く
 ホルモンでしたが
 その他にも多くの
 作用があることがわかってきました。

  例えば
  ストレスを抑える抗ストレス作用
  うつ症状を改善する抗うつ作用や抗不安作用
  痛みを和らげる鎮痛作用
  そして
  自律神経のバランスを整え
  免疫力をアップさせる効果などが
  あります。

  そして
  注目なのは
  オキシトシン分泌を促す
  共通のポイントがあるということ
  なんです。

  それは
  「気持ちがいい、うれしい」などの
  人と人とのふれあいももつと
  分泌されると言われてます。

  例えば
  手を握る、ハグ(抱擁)する、
  からだを寄り添わせて寝る、座る、過ごす
 と言ったボデータッチでふれあうと
  オキシトシンが分泌されます。

  またふれあいは
  肉体的、身体的、感覚的ふれあいでなくても
  夫婦との会話、家族との団らん
  気のあった友人と食事をしたり、カラオケをして過ごす
  でもオキシトシンはアップします。

  オキシトシンをアップするのは
  直接ふれあうことがなくてもアップします。
  プレゼントを送ったり
  誰かのために食事を準備したり
  災害の時にボランティア活動をしたり

  つまり
  人を愛する気持ちがあれば
  どんな行為でも
  あなたの心を安定させる方向に
  オキシトシンは導いてくれるのです。

  人のために
  愛する人のために
  働く気持ちがあれば
  オキシトシンが増えます
  オキシトシンが増えると
  感染からからだを守ってくれます。
  嫌な感情から救ってくれます

  だから医療者は
  過酷な危険なところにいても
  オキシトシンのおかげで
  病院で働くことができるのです。
  
  みなさんにも
  オキシトシンが増える生活を送ると
  こころから健康だと思える生活
  を送れると思います
  これから少しずつでも
  オキシトシンについて
  お伝えできればと思ってます。

  また
  愛を感じながら
  日々仕事ができること
  生きていることに
  感謝です。

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この世を治める神様

毎朝お参りしている老松神社。
  老松神社の社殿の横や裏に
  石造りの小さな祠がある。
  毎日手を合わせているのですが
  どんな神様をお祀りしているのか
  ずっと気になっていました。

  先日
  宮司さんにお会いして
  この祠は
  コノハナサクヤ姫様を
  お祀りしてることがわかりました。
 
  最近古事記を読み返していて
  コノハナサクヤ姫は
  天照大神の命により
  人間界を治めるため
  地上に降りてきた 
  ニニギノミコトのお嫁さんなんです。
  コノハナサクヤ姫は
  山の神様の娘で
  実はイワナが姫という姉もいて
  ふたり一緒にもらってくれと
  山の神様に頼まれ
  ニニギノミコトは
  コノハナサクヤ姫、イワナガ姫二人と
  結婚したのです。

  しかし
  コノハナサクヤ姫はとても綺麗なのですが
  イワナが姫は、みにくく
  ニニギノミコトは
  コノハナサクヤ姫ばかりかわいがり
  イワナが姫は、
  悲しみにくれた毎日を過ごしていました。

  この二人の姫の姿をごらんになった
  天照大神は
  コノハナサクヤ姫は物質の世界を
  イワナが姫には霊性の世界を
  治めるように言われたそうです。

  この話を読んだとき
  文字通り
  イワナが姫は 醜い
  かわいそうな姫と思い
  天照大神は哀れんで
  イワナが姫に手を差し伸べたと思っていたのですが
  そんな自分の解釈の勘違いに気がつきました
  醜い→見にくいと読み間違えていたんです。

  だから、天照大神により
  つまり見えない世界をイワナが姫が治め。
  コノハナ姫は肉体などの物質の世界を治める
  つまり
  イワナが姫は魂やエネルギーなどの
  目に見えない霊性、魂の世界の神様なんですね。
  そして
  物質世界を治めている
  コノハナサクヤ姫と協力して
  波動エネルギーの世界を治めてて
  この世界全体をを安定させるということを
  示しているのかもしれません。

  昔の人は
  物質世界の裏にある
  見ないエネルギーの世界があることを
  ずっと伝えてるのでしょう。

  これからは     
  コノハナサクヤ姫だけでなく
  目に見えない世界を治める
  イワナガ姫二人で活躍する時代を迎えているのです

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男性の役割、女性の役割

総裁選挙告示が行われて
  興味の対象は内閣の人事にも
  人々の興味がいっています。

  その中で
  女性が何人入閣しているかで
  その内閣が評価されると
  話されてるのを聞きました。

  最近
  女性の活躍の場を広げよう
  という動きが高まっています。

  そんな声を高らかに上げてる姿をみると
  僕は
  少し悲しくなることがあります。
  男性も女性も
  生きていく上で平等でないと
  いけないと思います。
  ただ、男性には男性の特性
  女性には女性の特性があります。

  ですから
  男性も女性も
  ひとりひとりの特徴にあった
  生き方があるはず。
  ひとりひとりにあった生き方ができること
  それが本当の平等ではないでしょうか?
  
  日本の歴史をふりかえると
  一番安定して、平和で平等だった時代は
  江戸時代だったと思います
  
  鎖国政策などの徳川幕府の
  力があり、政策がよかったから
  かもしれませんが
  僕は、
  家庭で女性が立派な働きをしていたからだと
  思っています。

  家で
  男性が威張ってても 亭主関白、
  つまり関白止まり。
  女性が力があると、かかあ天下
  天下をとれるんですね。

  女性の家庭を守る力には
  素晴らしいものがあります。
  女性が女性らしく生きている社会が
  平等で平和な時代なのでしょう。

  平和で平等な時が続いたのは
  女性の力だけでなく
  女性が活躍できる社会の仕組みが
  あったからではないでしょうか?

  江戸時代から昭和の初期の時代は
  庶民は
  長屋で暮らしたり
  隣組、町内会があったり
  家庭を越えたところに
  コミュニティーが発達していました

  みんなで困ったら助け合うのが
  自然のコミュニティ-がありました。
  その社会には
  男尊女卑という考えはなく
  男も女も役割分担で
  お互いを尊重していた社会だった
  と思うのです。
  
  例えば
  料理の得意の人は料理を
  縫い物が得意な人は縫い物を
  こどもの好きな人は子守をする
  など
  いわゆる主婦業の中でも
  それぞれの特徴を評価して
  活躍できた時代だったんだと思います。

  人それぞれ
  偉人として後世に名が残らなくとも
  女性の役割は大きく
  役割を果たすことで
  女性も活き活き暮らしていた時代だった
  のではないかと思ってます。

  変わって
  現代社会ではどうでしょうか?
  食事の準備をする
  縫い物をする
  こどもたちのお世話をする
  などの主婦業を
  単なる労働力ととらえ
  貨幣価値だけで判断すると
  価値がないようなもの
  してしまった社会になってないでしょうか?。

  お金がもらえない料理は苦痛
  お金にならないなら掃除はしない。
  そんな家庭で育ったこどもたちが
  すくすくと育つことができるでしょうか?

  何でも
  お金で考えてしまう社会だから
  お金を稼いだ方が有意義だ
  家庭をなおざりにして
  外に出て働こうという社会に
  なってしまったのかもしれません。

  女性にも
  立派な社会的な働きをされる方もいます。
  女性だから家のことをしないといけない
  男性だから家のことはしない、
  外で働かないといけない
  というきまりはどこにもありません。

  専業主婦であろうとなんであろうと
  全ての仕事は
  天から与えられた仕事。
  全て自分にとって最高の仕事なんです。

  貨幣判断に縛られない
  自分の役割を100%発揮できる
  社会になればいいなぁと思ってます。

  今日も与えられた仕事に感謝して
  喜んで、すすんで
  働きましょう。

  次期内閣の人事
  どうなるか、その顔ぶれで
  時代の流れが変わるかもしれませんね。
  注目してましょう。

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今こそ和の精神を思い出そう

 昨日次の
 総理大臣が決めるべく
 自由民主党の総裁選挙が告示されました。

 今日は
 この選挙告示報道を見て感じた
 時事ネタを。

 安倍総理が辞任した途端
 国民、マスコミの関心事は
 次の総理は誰になるのか?
 その決め方が
 密室的だ、
 派閥政治で政治は変わっていない
 国民の方を見ていないなど
 様々な知識人、文化人、ジャーナリスト
 芸能人、そしてある国民も
 それぞれの立場で意見を述べられていました。

 声を上げている
 ひとりひとりの意見には
 それぞれの思いも強く
 日本のことを一生懸命考えてるんだと
 頷いてしまう面もあるけど
 僕が感じる
 ご意見の気になる点があります。

 それは
 日本人がずっと持っていた 
 ”和の精神”を忘れていないだろうか?
 ということ。

 ”和の精神”を
 最初に説かれたのは
 聖徳太子の17条憲法の第一条。
 そこにはこんな風に書かれています。

 「和を大切にし、
  いさかいを起こさないように
  心がけなさい。
  人は集団を作りたがるもので
  人格を備えた人は少ない。
  だから
  君主や親にしたがわず
  近隣の人たちともめ事を起こすのである。
  しかし、
  上の者も下の者も
  協調性と親睦の気概をもって議論すれば
  自ずと道理にかなった
  結論を売ることができ
  何事も成就する」
  と書かれていました。

 
  聖徳太子は飛鳥時代の
  推古天皇の摂政として働かれた方。
  その時代、蘇我氏と天皇家との争いの時代
  推古天皇のサポーターと考えられていたが
  最近になって
  推古天皇と蘇我氏の間を
  とりまとめるために働いたことが
  わかってきました。

  つまり
  1500年近く前の飛鳥時代から
  今日のような権力闘争を繰り返し
  それをなくす方法は
  誰もがお互いを尊重する
  ”和の精神”だと言うことを
  17条憲法を通じて聖徳太子は
  令和の時代の僕たちにも
  伝えてくれているのだと思う。

  この聖徳太子が大事にされた
  思いは
  現代にも通じる
  決して忘れてはいけないことだと思います。
  
  聖徳太子が教えてくれた
  ”和の精神”を心にとめて
  政治家も国民ひとりひとりも
  発言そして行動すれば
  日本はいい国になるのだと思います。

  誰が
  どんな発言をされるか
  耳を傾けて
  いい方が総理大臣になることを
  見守りましょう

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病気になる人の特徴

世の中には
 種々の病気があります。
 そして、病気に対しての研究も進み
 日進月歩で
 病気の原因、治療法が
 わかってきました。

 でも
 未だに原因不明、
 治療法不明の病気もたくさんあり
 コロナウイルスのような未知の病気も
 出現しています。
 
 そして
 世の中には
 病気に困っている大勢の方が
 いらっしゃいます。
 今は情報化社会
 医者に聞かなくても
 様々な情報をてにする時代になりました。

 世の中は
 病気、病気の人であふれ
 インターネットを覗けば
 西洋医学はダメ、この治療法がいい
 この食べ物、サプリメントがいい
 ・・・・・など
 病気に対する情報の氾濫状態に陥ってしまいます。
 患者さんのみならず
 治療している側も
 何をしているのか混乱してしまいます。

 僕も
 診療していて
 あちこちの病院にかかられて
 治らなくて
 困りに困って来院される患者さんは少なくありません。

 悩まれている患者さんは
 みんな
 それぞれのこだわりをお持ちの方が多いです。

 この病気の原因はここにあるはず
 西洋医学はいや
 漢方がいい
 薬は飲みたくない
 とこだわりを持たれるだけでなく
 中には
 医学自体に不信感をお持ちの方も
 いらっしゃいます。

 病気になるには
 必ず原因があります。
 
 僕は
 病気の原因は
 ウイルス、食べ物、ストレスなど
 自分の外にあると考えがちですが
 実は
 ほとんどの病気は
 ご自身で作っている場合が多い
 と思っています。

 病気になるかどうか
 病気が治るかどうかは
 その方の考え方
 生き方そのもの
 特に徳を積むような生き方を
 しているかどうかによることが
 大部分を占めていると
 思っています。

 毎日診察していると
 お話をきいていただけない方
 こだわりの強い方
 医療自体に不信感がある方のからだは
 とても
 からだが硬いのです。

 ちょっと触っただけで
 怒ったような顔されて
 びっくりされる方もいらっしゃいます。

 からだが硬いのが原因
 からだを硬くしてるから
 病気になってるんです。

 ちなみに
 ここでいうからだが硬いと言うのは
 実際にからだが曲がらなくて硬いというような
 一般的にいう体の硬さではなく
 診察上で感じる
 触診上感覚的なかたさです。

 からだの硬い方は
 話していて
 なかなか心を開いてもらえない
 ご自身の想い、こだわりで
 こころもガチガチになっているように
 感じます。

 こころがガチガチなかたの
 こだわりは
 様々な不安から来てると思います。
 そして
 そのこだわりは
 あなたの生き方からきているんだよ
 と病気は教えてくれているのです。

 からだの声を聞ける人は
 きっと
 自分自身のことだけではなく
 広く
 色んな方の声も聞いて生きている
 つまり
 徳を積んだ生き方をしている人だと
 僕は思います。

 こだわりを捨てて
 色んな声に耳を傾けてみませんか?

 こころもからだも
 きっと軽くなりますよ

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大嵐は贖いの時に来る

 台風の影響で停電
  生活がほぼストップし
  どれだけ僕たちの生活が
  電気に依存しているか
  文明の力の弱さ、もろさを
  思い知ることになりますね。

  でも
  こんな時だから
  命の大切さを感じ
  日々の生活を見直す
  いい時間かもしれませんね。

  そんな時、僕は
  こんな詩に出会いました。

  「贖いの宵に
   花咲く埋もれ木
   明な陽にて候」
  
  すなわち
  「枯れた埋もれた木は
   花を咲かせることはないけど
   特殊な贖いの宵の折りには
   花を咲かせる」
  という意味になるけど

  今台風の最中にいて
  この詩を読むと

  この台風は
  今の世の中を変え
  これからの世の中が変わると
  伝えてくれているのかなという
  気がするのです。

  今、僕たちは
  贖わないといけないものを
  いっぱい背負って生きていて
  気づくと汚れてしまっていないでしょうか?
  この台風の大風は
  そんな僕たちの汚れを浄化しようと
  してくれているきがするのです。
  そして
  大風が去ったあとには
  僕たちの贖いは一応終わる。
  すると
  それまで心の奥底に眠っていた
  心身の清い花々が
  芽吹き、花をさかし
  太陽のような明るさいっぱいの
  世の中に変わってくでしょう。

  そんなことを
  伝えてる詩であると思うのです。

  今日は
  停電の影響で休診をなりますが
  復旧後には
  また、太陽のような明るい医療を
  届けて参ります。

  大変ご迷惑をおかけしますが
  皆様方に
  様々なことにおきをつけて
  お過ごし下さい。

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自然の声に耳を傾ける

  人類の夢のひとつ
  空を自由に飛びたい 
  宇宙を知り、旅したい。
  そのために
  飛行機を作り
  地球を飛び出して
  宇宙に飛び立とうとしている。

  そして、現代人は
  宇宙をもっと知ろうとし
  大昔人類がバベルの塔の伝説のように
  宇宙をも支配しようとしていないだろうか?
 
  宇宙って
  地球の遠いところにあるのだろうか?
  地球の外にあるのだろうか?
  
  僕は
  今住んでる地球も
  宇宙の一部だし
  地球にいても
  宇宙を感じることができる。
  宇宙を意識して生きるべきだと思ってます。

  宇宙の変化、宇宙を知るって
  僕たちを取り巻いてる
  自然を知ること
  自然の営みを肌で感じ、
  自然の声に耳を傾ける
  ことじゃないでしょうか?

  風も雨も、雲の流れも
  虫や鳥の声も
  自然の中で起きている現象
  全て必然で意味のあること。

  だから、
  昔から
  風向きが変わったら
  世の中が変わる。
  雨が降ったら、もめ事がおこる
  虫や鳥が鳴いたら、いい知らせがある
  なんて言われてます。

  この週末も台風に襲われました。
  雨は浄化のしるしです。
  弱い雨の時は、「心をしずめましょう」
  強い雨の時は、「意識を変えなさい、反省を促すサイン」
  だと言われてます。
  風は、別の空間から意識や
  情報を運んできます。
  いい情報でも、悪い情報でも
  情報が多いところは風が強いとも
  言われています。

  天気、天候は
  その土地に住む人の意識によって
  生み出されているの
  だと思います。

  最近の気候の変動の
  今回の台風は
  我々になにを伝えようとしているのでしょうか?
  我々の意識が変わらなければ
  次の災害が待っている気が
  僕にはするのです。

 山口もこれから
 台風10号の影響が出てきそうです。
 気をつけて過ごしましょう

iPadから送信

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認知症は病気ではない?

認知症の第一人者であり
 ご自身も
 認知症になったことを告白され
 認知症について
 医師として、患者としての両方の立場で
 活動されている長谷川和夫先生が
 著書のなかで

 「認知症になると
  時間の間隔がなくなってきます。
  物忘れが増え、その時その時の
  今だけを見ながら
  生きていくことになります。」と
 仰っています。

 人は生きていくうちに
 いつの間にか
 過去を振り返り、そして
 後悔したり満足して
 今を過ごすようになります。
 そして、過去を振り返った状態で
 今と比べてどうなるのかと
 未来を考え、想像し
 不安になったりしていませんか?

 そんな風に
 過去を振り返り
 未来への不安を抱えながら
 年を重ねいくと
 いつかは自分に必ず起こる
 死という問題にぶつかり
 死に対する不安(恐怖)に
 追いつめらることが
 増えていくことになるかもしれません。

 年老いて
 ものを忘れる
 過去、未来の時間軸がわからなくなるのが
 認知症だとすると
 認知症は
 病気なのでなく
 不安なく死を迎えられるために 
 魂が準備してくれた
 プログラムなのかもしれません。

 長谷川先生も次のように仰ってます。
 
 「認知症は
  死への恐怖を思いつめず
  毎日を精一杯生きるように差し向けられた
  神の恩恵ではないかと
  思えるのです」と

 高齢化社会となり
 多少はあっても
 誰もが認知症になるとも
 言われています。
 そして
 誰もが死を迎えるのは確かです。

 穏やかに
 この世での人生を終えるためには
 今
 この瞬間、この時を
 生きることが大事なんだと思います。

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人は肉体だけで生きているのではない

 入院生活を通して
 わかったことのひとつに
 人は肉体だけで生きているわけではない
 ということ。

 左手は
 リハビリをする前には
 感覚はあるけれど
 全く動かない状態でした。

 とある日
 カッターシャツに着替えをしようと
 したときのこと
 まずはパジャマを脱いで
 シャツの腕を左手に通して
 次に右手に通します。

 ここまでは
 いつもと一緒だけど
 今日はシャツを着るので
 ボタンを止めないと行けない
 カッターシャツなので
 ボタンも小さいし
 間隔も近くて
 パジャマのボタンなら
 右手だけで
 できてたけど
 小さなボタンを穴に通すの
 右手だけにするのに
 四苦八苦してたときのこと

 動くはずのない
 左手が
 自分では意識してないのに
 すっと
 四苦八苦している右手のボタンのところまで
 動きいていったのです。
 僕が意識したのではなく
 左手の意志で
 右手が困難だから助けようと
 しているかのように
 右手の動きに対して加勢してるのです。

 でも
 麻痺がある左手です。
 動かすのがやっとのはず。
 さすがにボタンを入れる細かい作業の
 お手伝いまでにはなりませんでした。

 僕は
 自分のからだだけど
 自分のからだでない光景として
 右手を助けようとする
 左手の様子をみてました。

 なんと美しい光景でしょう
 困ってる右手を
 必死で
手伝おうとする
拙い左手。
 まるで小さい子が
 一生懸命にお母さんを助けようと
 お手伝いしようとする光景に見えて
 自分のからだなのに
 感動しました。

 そんな光景を見ながら
 右手も左手も
 自分のからだのはずだけど
 からだの中には
 自分の意志とはちがうところで
 見えない力が働いていることを知りました

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