真実の医療」カテゴリーアーカイブ

自然の声に耳を傾ける

  人類の夢のひとつ
  空を自由に飛びたい 
  宇宙を知り、旅したい。
  そのために
  飛行機を作り
  地球を飛び出して
  宇宙に飛び立とうとしている。

  そして、現代人は
  宇宙をもっと知ろうとし
  大昔人類がバベルの塔の伝説のように
  宇宙をも支配しようとしていないだろうか?
 
  宇宙って
  地球の遠いところにあるのだろうか?
  地球の外にあるのだろうか?
  
  僕は
  今住んでる地球も
  宇宙の一部だし
  地球にいても
  宇宙を感じることができる。
  宇宙を意識して生きるべきだと思ってます。

  宇宙の変化、宇宙を知るって
  僕たちを取り巻いてる
  自然を知ること
  自然の営みを肌で感じ、
  自然の声に耳を傾ける
  ことじゃないでしょうか?

  風も雨も、雲の流れも
  虫や鳥の声も
  自然の中で起きている現象
  全て必然で意味のあること。

  だから、
  昔から
  風向きが変わったら
  世の中が変わる。
  雨が降ったら、もめ事がおこる
  虫や鳥が鳴いたら、いい知らせがある
  なんて言われてます。

  この週末も台風に襲われました。
  雨は浄化のしるしです。
  弱い雨の時は、「心をしずめましょう」
  強い雨の時は、「意識を変えなさい、反省を促すサイン」
  だと言われてます。
  風は、別の空間から意識や
  情報を運んできます。
  いい情報でも、悪い情報でも
  情報が多いところは風が強いとも
  言われています。

  天気、天候は
  その土地に住む人の意識によって
  生み出されているの
  だと思います。

  最近の気候の変動の
  今回の台風は
  我々になにを伝えようとしているのでしょうか?
  我々の意識が変わらなければ
  次の災害が待っている気が
  僕にはするのです。

 山口もこれから
 台風10号の影響が出てきそうです。
 気をつけて過ごしましょう

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認知症は病気ではない?

認知症の第一人者であり
 ご自身も
 認知症になったことを告白され
 認知症について
 医師として、患者としての両方の立場で
 活動されている長谷川和夫先生が
 著書のなかで

 「認知症になると
  時間の間隔がなくなってきます。
  物忘れが増え、その時その時の
  今だけを見ながら
  生きていくことになります。」と
 仰っています。

 人は生きていくうちに
 いつの間にか
 過去を振り返り、そして
 後悔したり満足して
 今を過ごすようになります。
 そして、過去を振り返った状態で
 今と比べてどうなるのかと
 未来を考え、想像し
 不安になったりしていませんか?

 そんな風に
 過去を振り返り
 未来への不安を抱えながら
 年を重ねいくと
 いつかは自分に必ず起こる
 死という問題にぶつかり
 死に対する不安(恐怖)に
 追いつめらることが
 増えていくことになるかもしれません。

 年老いて
 ものを忘れる
 過去、未来の時間軸がわからなくなるのが
 認知症だとすると
 認知症は
 病気なのでなく
 不安なく死を迎えられるために 
 魂が準備してくれた
 プログラムなのかもしれません。

 長谷川先生も次のように仰ってます。
 
 「認知症は
  死への恐怖を思いつめず
  毎日を精一杯生きるように差し向けられた
  神の恩恵ではないかと
  思えるのです」と

 高齢化社会となり
 多少はあっても
 誰もが認知症になるとも
 言われています。
 そして
 誰もが死を迎えるのは確かです。

 穏やかに
 この世での人生を終えるためには
 今
 この瞬間、この時を
 生きることが大事なんだと思います。

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人は肉体だけで生きているのではない

 入院生活を通して
 わかったことのひとつに
 人は肉体だけで生きているわけではない
 ということ。

 左手は
 リハビリをする前には
 感覚はあるけれど
 全く動かない状態でした。

 とある日
 カッターシャツに着替えをしようと
 したときのこと
 まずはパジャマを脱いで
 シャツの腕を左手に通して
 次に右手に通します。

 ここまでは
 いつもと一緒だけど
 今日はシャツを着るので
 ボタンを止めないと行けない
 カッターシャツなので
 ボタンも小さいし
 間隔も近くて
 パジャマのボタンなら
 右手だけで
 できてたけど
 小さなボタンを穴に通すの
 右手だけにするのに
 四苦八苦してたときのこと

 動くはずのない
 左手が
 自分では意識してないのに
 すっと
 四苦八苦している右手のボタンのところまで
 動きいていったのです。
 僕が意識したのではなく
 左手の意志で
 右手が困難だから助けようと
 しているかのように
 右手の動きに対して加勢してるのです。

 でも
 麻痺がある左手です。
 動かすのがやっとのはず。
 さすがにボタンを入れる細かい作業の
 お手伝いまでにはなりませんでした。

 僕は
 自分のからだだけど
 自分のからだでない光景として
 右手を助けようとする
 左手の様子をみてました。

 なんと美しい光景でしょう
 困ってる右手を
 必死で
手伝おうとする
拙い左手。
 まるで小さい子が
 一生懸命にお母さんを助けようと
 お手伝いしようとする光景に見えて
 自分のからだなのに
 感動しました。

 そんな光景を見ながら
 右手も左手も
 自分のからだのはずだけど
 からだの中には
 自分の意志とはちがうところで
 見えない力が働いていることを知りました

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魂の声に従うと体質が変わる

 体質が変わった
 入院する前と後で
 大きく変わったことのひとつに
 食の好み

 入院するまでは
 甘いものも好きだけど
 もっと好きなのはおせんべい。
 甘い辛いの両刀だけど
 おやつの〆は
 いつも塩味のきいたおせんべいだった。

 買い物に行った妻が 
 我が家はおせんべいの消費量がすごいのよね。
 かごいっぱいにおせんべいを入れて
 買ってきても 
 すぐなくなっちゃうからと
 よく笑って話してました。

 脳出血に大事なのは
 血圧のコントロール
 そのためには塩分を取り過ぎない
 せんべいなんて・・・・御法度
 ということは医者じゃなくてもわかること。

 あれだけ食べてたおせんべいを
 やめれるか?
 食生活の変更を余儀なくされます。
 それができるか?
 それも苦労なくできるか?が
 それが退院してからの
 僕と家族の懸案事項でした。

 その心配は入院中も
 せんべい中毒の
 禁断症状だ入院中からでるか
 いつせんべい食べたいと言い出すか、思うか
 自分も家族もヒヤヒヤでした。
 
 でも実際 
 せんべいは全く食べたいと思ったことは
 入院してから
 今まで一度もありません。

 その代わり
 甘いものを食べたくなります。
 甘いものでも
 チョコレート、ケーキではなく
 あんこ。
 おまんじゅうやドラ焼きなど和菓子を食べたくなるのです。
 食後におまんじゅう1個で十分
 おまんじゅうのおかわりも

 もちろん 
 塩辛いおせんべいで〆なんて
 考えも浮かばないのです。

 今から考えると
 あれだけ狂ったように食べてたのは
 何だったんだろうと思います。

 体質の変化
 嗜好、好みの劇的な変化
 自分でも驚いています。

 退院してからも
 あんこスイーツを楽しんで食べています。
 先日NHkの「ためしてガッテン」でも
 あんこがいいと言ってましたが・・・
 そのおかげで?
 血圧も安定、血液検査も全て正常です。

 こんなに簡単に
 食べ物の嗜好って変わるんでしょうか?

 そういえば
 とある神社の宮司さんが
 「あなたは、あんこが好きですね。
  あんことお抹茶で一服で癒やされますよ」
 と言われたのを思い出します。

 その時は
 両刀だったので
 そうなのかなぁぐらいにしか
 思ってなかったけど

 きっと
 ぼくの好きなものは
 せんべいじゃなくてあんこ。
 ということを魂は知っていたのでしょう。
 魂の思ってる行動をして
 辛いせんべいを食べてたから
 脳出血を起こした。
 魂の声に従って行動したから
 苦もなく自然に行動できるんです。

 病気になるのも
 生活習慣が乱れるのも
 魂の声を聞いていないから。

 魂の声に従うことは
 本当に大切な自分にとって必要なこと
 
 魂は本当のあなたとして
 生きる方法、道筋を
 教えてくれているのです。

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リンゴの種子

 時の文科省の大臣が
 こどもたちが
 コロナになったお友達を
 いじめないようにという
 メッセージをこどもたちに言ってました。

 その発言を聞きながら
 こども達にだけ言う前に
 自分達おとな自身が
 自分の身をふりかえらなくていいだろうか?

 と感じたときに
 こんなお話(寓話)を耳にしました。
 それは次のようなお話

 <りんごの種>
  むかしむかし
  日照り続きで大凶作のある年のこと
  ひとりの男が市場で食べ物を盗んだ罪で
  死刑を宣告されました。
  死刑執行前に、王様が
  「死ぬ前に何か言い残すことはないか?」と聞かれ
  男は
  「私には先祖代々伝わる能力があります。
   その能力とは
   私がリンゴの種をまくと
   ひと晩で素晴らしいリンゴの木に育つのです。
   私が死ぬ前に、その能力を誰かに伝えて死にたい」と
  「それでは、その能力を伝えてから刑を執行しよう」と
  「ありがたいことです。
   ただ、その能力を引き続けられるのは
   生涯で一度もひとをだましたことがないかた
   だけなのです。」
   そこで、王様は
   総理大臣、大蔵大臣など大臣達に
   その能力を引き継ぎように指名したが
   誰ひとり
   これまで人をだましたことのない人はいなかった。
   最後には、王様ご自身も
   人にも種を埋める資格がありませんでした。
  
   そこで、男が言いました。
   
   「あなた方は、この国の
    最も高い地位と権力を持っています。
    でも、あなたがたのうちに
    全く罪を犯したことのない人はいなかったのに
    私は、死刑になったのです」と

 この話をきいて
 どう思われましたか?
 人に責めるなと言う前に
 自分の心を改めることが
 大切なんですよね。

 特にこどもは
 おとなの言うことよりも
 おとなのやってることで
 判断しているのですから

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誰からのメッセージ?

 診察終わった後に
 僕より大先輩の
 初老の患者さんにこう言われた。

 「先生にいつか伝えようと思ってたんだけど
  先生が入院する前と比べて
  顔が変わったし、言うことが変わったなぁと
  思うんですよ。
  自分よりもずっと年上の方に
  診てもらってるような気がしてるんですよ」

 「え、そうですか?
  退院して、めがねをかけるようになったから
  ですかね」と笑って答え
  自分では、全く変わったなんて
  考えたこともないし
  診察のスタイルも
  入院前と比べて変えたこともない。
  だから、きっと少し
  やせた、めがねをかけるようになったと
  見かけの問題だろうと
  言葉はうれしいけど
  実際はそんな風にしか思わなかった。
   
  ただ
  患者さんと話していて
  患者さんの反応が以前とちがうなぁと
  自分自身思うことがある。

  それはやはり患者さんの反応。
  僕と話をしているときの顔が
  いつもとちがう
  目の輝きがいつもとちがう
  うなずきかたも力強くうなずいてくれる方が
  多いような気がしてました。

  もちろん入院前と
  話す内容がちがっているとこと
はありません。

  ただ、後で
  今回なんであんなに真剣に聞いてくれたのか
  今後の参考にしようと
  思いだそうとしても
  不思議と思い出せないこともあるのです。

  
日常生活において
  それほど、自分の話したことが思い出せないと
  言うことはないので
  認知症ではないと思うし
  もちろん検査上も正常です。
  そこは、安心していただきたいのですが

  ふと思ったのは
  その時患者と話してたのは
  ひょっとしたら
  僕以外の人??
  
  例えば、医療の神様が
  僕のからだを借りてしゃべってたのかな?
  と本気で思ったりもします。

  でも
  これって不思議な現象でもなく
  誰にでもふと、急に
  思っていなかった言葉を
  口にしたり、聞いたり、思いつくってこと
  があると思います。

  きっと
  これと同じことが
  患者さんの前で起こっただけかも。

  ふと思いついたこと
  不意に口から出た言葉って
  誰かからの大切なメッセージかもしれません。
  ですから
  気づいたことは
  忘れないようにすぐメモにと流ようにしています。
  そんな大切な気づきは
  ブログの元になっていることも
  あります。
  
  僕の言ってることが
  ひとりでも多くの方が
  しあわせの道を歩いてもらうことが
  できたら、僕もとってもうれしいと思います。

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真実を見極める~聖書のうそ?~

コロナ渦だと叫ばれる中
 毎日報道される
 コロナウイルス感染者数
 ピークをすぎて
 数字の拡大が止まると
 なぜか
 重症者患者数の報道に変わったり
 ・・・・
 連日の報道を
 少し冷静になってきいていると
 国民の不安をあおってる?
 感情を揺さぶり行動させたい意図がある?
 となぜか
 ニュースに
 洗脳されそうな恐怖感に襲われた。

 そして
 そんなタイミングで
 世界中で一番信じられている
 聖書が真実ではないかもと言われてる
 ことに触れる機会があった。

 今日は
 聖書が、キリストがもしかして
 偽りかもという
 お話を。

 改ざんされた箇所の最たるものは
 イエス・キリストの誕生シーン

 「イエスは 
  ベツレヘムの馬小屋で
  処女懐妊した母マリアから誕生した。
  誕生を知らせる流れ星に導かれ
  当方から3聖人が祝福に訪れた。
  イエスは
  神とマリアとの間に誕生した
  ひとりっこである」と

  新約聖書には記載してあるが
  別の箇所には
  聖母マリアは子だくさんで
  兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ・・・と
  具体的な名前が書いてあるところがある。

  聖母マリアは子だくさん?
  処女懐妊は虚偽????
  疑問が生まれてくる。

  新約聖書の内容は
  イエス誕生から、
庶民への教導、その死と復活までの物語であり
  大きく4つの福音書
  (マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)
  からなっているが
  その内容は矛盾に満ちている箇所も多く
  多くの改ざんがあるかもしれないと
  ささやかれているのです。

  僕も最近  
  この福音書の他に
  マグダラのマリアの福音書
  というものが存在し
  その古文書の発見によって
  益々疑惑が増していることを
  知りました。

ちなみに
  マグダラのマリアという名前を
  初めて聞かれた方もいらっしゃることでしょう。
  そこで説明を・・・・

  マグダラのマリアとは
  聖母マリアと異なる方で
  聖書では、娼婦であり
  記載はわずかで
  少々卑しい女性だというような
  描き方をされています。

 ところが
 実際には、キリストの妻であり 
  (実はキリストにはこどももいた?)
 キリストに一番愛された人、お弟子さんであるらしい
キリストの復活を最初に発見した人
 と言われてます。

  そんなマグダラのマリアが書かれたという
  福音書の内容にについては
  後日お話する機会もあると思いますが
  その福音書は
  とても興味深いことが書かれていたのですが
  なぜか、今日まで存在さえも伏せられていたようです。

  マリアの福音書の真偽は
  僕には確認するだけの術はないが
  その存在のことは
  是非記憶に留めていて頂きたいと思います。
  僕は、きっと、聖書と言えども
  布教のため、信者を増やすために
  時の権力者の都合のいいように
  事実を歪めて
  人々に伝えることをしたのかもしれません。
  と思えるのです。

  このことは
  昔の話だけではなく
  同じことが現代においても・・・・
  現代のコロナ報道は
  正しい情報を
伝えているでしょうか?
人々の不安をあおり
  何かビジネスにしようとする
  意図が働いていないでしょうか?
  情報を受け取る側も
  真実はどこにあるのか
  見極めながら情報を受け取る時代
  になってきてると思うのです。

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安倍首相の辞任会見で確信した使命

安倍総理大臣が
体調不良のため
突然の辞任を発表された。

マスコミの前で発言している
お顔を拝見してて
ひょっとしたら辞任もあるかな?
なんて頭をよぎったけど
きっと病気を乗り切られて
頑張ってくれるはず・・・と
思ってたけど
悲しいかな
嫌な予感が当たってしまった。

今は
コロナ渦の中
経済の立て直し
というより
国民全体の生活を支え
来年はオリンピックもあるし
問題山積の中
ストレスも多かったのだろう。

ストレスが大敵の
潰瘍性大腸炎の再発
リングにタオルが投げ込まれ
国政という試合は中断させられ
強制的に退場させられる
安倍首相の気持ちの無念さは
いかばかりか・・・・

志し途中だったかもしれない
長期政権の末期症状など
最近は批判されることも多くあったけど
何かやろうと、変えようと決断した時に
批判なしでやれることはないだろう。
ある意味孤独な中
日本を良くしようと一国の首相として
頑張られたことに敬意を表したいし
大変なお仕事7年以上行ってくれたことに
本当に感謝の言葉しかありません。

そんなことを思いながら
予定されてた会見を見ていた。
弱々しく感じられる少しかすれたような声で
「志し半ばで断腸の思い・・・」と
瞳も潤ませながら
語る姿に胸を捕まれる気がした。

それはとても
人ごとでない気がしたから。

志しを達成できないこと
どんなに無念なことか
人ごとではない思いで
安倍首相の会見をみていた。

思えば
今は診療をすることができているけど
僕も半年前は
現在の医療を変え、
真実の医療を実践し広めていくという
使命、志半ばで
退場させられていた状況ににあったのだ。


こうして、退場させられることなく
志しを進めることができる。
「まだまだやりなさい
あなたにはやらないことがある
やらなければいけないんだよ。
再発する心配もないよ。
少し不自由なことがあっても
できることはたくさんあるし
思う存分使命を果たすために
がんばりなさい」

と医療の神様に
背中を押された気がした。

安倍首相も僕も
生きている誰もが
志しをもって生きている。
志しを達成できたかどうかに関係なく
ステージから降りる時は必ずくる。

いつその時がくるかわからないけど
いつその時が来てもいいように
今できることを続けていく。
それが生きているひとりひとりが
やらないといけないこと。
自分の使命に気づき生きていく限り
神様は応援してくれている。

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年齢を忘れる

 先日メタトロンを受けられた方の感想。

 その方はいつも
 メタトロンの示す結果に
 感心し、納得されて帰られる。

 結果を自分なりに 考えられ、
 素直に受け入れ
 日々過ごされているので
 今日3ヶ月ぶりだったけど
 前回悪かったところは
 すっかりよくなっていた。

 でも
 前回にみられなかった箇所
 子宮、乳腺など、
 女性としての器官の悪化が今回目立った。

 患者さんとお話ししてる時
 気になったのは
 口の端々から出る言葉。
 「若返りた・・・」という台詞。

 女性でも、男性でも
 年をとるに連れて
 そう思うことは多くなるだろう。

 でも
 そう思うことは 
 からだに対して
 「今のからだなんて嫌だ。」と
 からだに文句をいってることに
 ならないだろうか?
 人は生きてる時
 色んな段階を経てからだは変化する。

 生まれてから
 地球で生きていけるように
 からだを成長させて
 おとなになれば
 次の種を伝えるために
 こどもを産み、育て
 そして
 目的を果たしたからだは
 自分のために生き
 そして安らかに死を迎えるように
 からだは変化していってるのだと思う。

 そうできるように
 その時、その時を
 当たり前のように
 いつものように
 生きて過ごせるように
 からだは変化していく。
 特に男性ホルモン、女性ホルモンなどの
 ホルモンの働きは大きいと思う。

 その時々の変化は
 人生の時計からみると
 生きていくためには
 とても大切なこと。
 人生のタイムテーブルに合わせて
 からだは変化していることに
 僕たちは気づいていない。
 
 そして自分はまだ若いんだと思い
 無理をし
 こんな年取ったからだが嫌だと
 文句を言うようになってしまう。

 からだが
 年齢共に変化することは
 必要なこと。
 これまでの生き方を
 見直せるように
 からだは変化しているのかもしれない。

 どんな時にも
 年をとっても
 からだはあなたを裏切ることはない
 そして
 あなたの望みを叶えようとしてくれる。

 からだは
 年をとっても
 あなたに良いと思える
 からだにしてくれている。

 それを
 満足せず 
 こんなからだ嫌だ
 もっと若返りたいと思えば
 からだはその願いを叶えようとする。

 それを人はまた
 病気だとというのかもしれない。

 生きていくためには
 とても大切なこと。
 人生のタイムテーブルに合わせて
 からだは変化していることに
 僕たちは気づいていない。
 
 そして自分はまだ若いんだと思い
 無理をし
 こんな年取ったからだが嫌だと
 文句を言うようになってしまう。

 からだが
 年齢共に変化することは
 必要なのかもしれない。
 これまでの生き方を
 見直せるように
 からだは変化しているのかもしれない。

 どんな時にも
 年をとっても
 からだはあなたを裏切ることはない
 そして
 あなたの望みを叶えようとしてくれる。

 それを人はまた
 病気だというのだと思う。

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人類はずっと魂の存在を信じてきた

 人を含め
 この世の生物は
 全て肉体を持って生まれてきた。

 そして死んだ後、どうなるのか?
 肉体が滅んだ後のことなんて
 誰もわからないし
 死んだ先のことを答えられる人は
 誰もいない。

 西洋医学では
 死の後はないと考えているし
 人は肉体で生きているので
 死んだら全て終わりだと考えている。

 しかし
 全世界の人々は
 人類が生まれ、
 文明文化をもってから
 ずっと死んだ後のことを考え
 そして、宗教が生まれた。

 例えば
 古代エジプト人は
 沈んだ太陽がまた昇ってくるように
 万物も再び光り輝く時を迎えると考え
 人類も現世とは別の世界がある。つまり
 死後の世界があると信じ
 肉体が滅んでも、魂(霊魂)は生き続けると
 考えていた。

 そして
 現在世界最大のキリスト教においても
 イエス様は一度死んだけど復活したように
 死んだ後には、誰もがうける
 最後の審判の前には
 どんな人も復活すると信じて
 現世では、キリストの教えの愛を実行している。

 現代医学だけでなく
 現在は科学の時代、物質の時代である。
 だから
 目に見えるもの 
 科学で証明されるものを
 信じる時代に
 今僕たちは生きている。

 科学の時代になっても
 わかっていないことってたくさんある
 目に見えない、証明できない
 死後の世界、魂のことを
 にわかに信じることはできないかもし
れない。

 証明できないものだから
 目に見えないからと言って
 いつの時代でも
 人種に関係なく
 人類共通にたどり着いていた魂の世界のことを
 簡単に否定していいのだろうか?

 たどり着いた結論が同じと言うことは
 真実の可能性があると
 僕は考えます。

 真実は
 全て目の前にあらわれているとは
 限らない
 素の心になったところに
 真実はきっと目の前に現れる

 と僕は思います

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