真実の医療」カテゴリーアーカイブ

浦島太郎の意味とは

  日本人なら
  誰でも知っているおとぎ話として
  浦島太郎があります。

  ただお話として読んでも
  楽しめるけど
  浦島太郎に関連した伝説が
  日本のあちこちにあったり
  何か深い意味があるのでは
  深読みもできる
  奥の深いお話に思えるのです。

  僕なりに
  この浦島太郎を読み解いてみると。

  浦島太郎は
  この世に、この世界に生まれた意味を
  抽象的に示している気がするのです。

  つまり
  浦島太郎が訪れた竜宮城は子宮
  海は羊水。
  亀に竜宮城に連れて行かれた浦島太郎は
  子宮に連れて行かれたのです。
  つまり
  男女の交尾、つまり太郎は精子なのです。

  竜宮城で
  一定期間四季を竜宮城で
  過ごした太郎は10月10日たって
  家に帰りたいと言って
  家に戻ります。つまり出産を迎えるのです。

  そして
  竜宮城を出るとき
  乙姫様から玉手箱をもらいます。
  物語の中でも
  特に意味深な玉手箱の意味は・・・
  僕は次のように意味が
  積まれているような気がするのです。

  玉手箱の中には
  生まれる前、生まれるまでの記憶が
  詰め込まれ
  そして、この世に学ぶべきこと
  学ぼうとして書き留めた覚え書きのような物が
  入っているのかと思います。

  人間は
  不死不滅の魂としていますが
  この世には
  新たな経験、魂磨く、己自身の成長するため
  限られた肉体を手にして
  これまでの経験を封印して
  生まれてきていると思います。

  人間は
  この世では限られた
  肉体をもって生まれてくるので
  いつか必ず肉体は滅び
  真実の姿、己自身に変えるために必要な物が
  玉手箱に収めて生まれてきているのでは
  ないでしょうか?

  肉体は滅ぶ、限られたいのちのなか
  自分生まれてきた意味があること
  有限ないのちの中にある誘惑におぼれるなと
  言う意味が
  この玉手箱自身をもつ意味ではないかと
  僕は思うのです。

  太郎は
  玉手箱ををついに明けてしまいます。
  1段目の箱をあけると
  あっという間に年をとってしまいました。
  つまり
  この世での目的を知り
  この世で生きていく時間が残り少ないことを
  教えてくれるのでしょう。
  そして
  2段目を開けると
  鶴となって飛び立ってしまいました。

  鶴になった浦島太郎は
  どこに飛び立ったかは描かれていません。
  鶴は渡り鳥です。
  つまり、自分の生まれたふるさとへと
  帰って言ったのではないでしょうか?

  異国の地で
  肉体を得て、様々な経験をし
  学ぶことを学び
  目的であった魂の成長を果たして
  ふるさとへと戻っていった。

  これが
  浦島太郎の伝えてることではないかと
  僕は思えて仕方ないのです。

  人間の真実の姿は
  魂ってことを現代人に伝えてるお話なんでしょうね。

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その人にあった伝え方で

  受験シーズンは終わりましたが
  試験の時
  ある瞬間に閃いて
  予想以上に点が取れて
  合格したという
  ということを経験した人はいるかもしれません。

  試験に限らず
  人生の中でも
  突然頭の中に閃いて
  アイデアが生まれて
  大きく飛躍したり
  難を逃れたことがあるなどという人は
  意外に多いかもしれません。

  僕も
  朝目が覚めたときや
  朝神社にお参りをしたときに
  ふとこうしたらいい、こうしようと
  閃いたり、思いつくことがあります。

  思いついた考えって
  自分の頭の中で考えついたことだと
  思っていましたが
  よく、思い出してみると
  なんだか人の声が聞こえてるような感覚に
  なることもある気がします。

  もしかしたら
  これって神様?からのメッセージなんて
  思ったりすることもあります。

  ある方が
  実は神様は、その人にメッセージを常に送っている。
  そのメッセージに気づくかどうかは
  その人次第なんだと。

  気のせいと思うか
  ただ閃いたと思うか
  それを、メッセージと思うかどうかと
  いうことを言ってるのだと思います。

  また不思議な能力のある人は
  目に映像として浮かんでくる人もいるとも
  いいます。

  僕には
  全く映像として閃くことはありません。
  自分のこれまでの生き方って
  視覚よりも、聴覚に強く影響されやすい。
  つまり
  美術より音楽のが得意だったし
  病気になってからも
  自分で演奏するよりも
  音楽を聴く、音楽にあふれた時間が
  とても心地よいと感じるようになりました。

  僕はきっと
  ビジュアルよりも
  聴覚の影響を受けやすいからなんでしょう
  だから
  自分の声として、閃くことが多いように思うのです。

  僕のひらめきを、分析すると
  リラックスしている状態から
  音楽を聴いてリラックスしたときに
  閃くかもしれません。
  ひらめきの理屈を考えたとき
  真偽のほどはわかりませんが
  ひらめきを
  神様から受け取ったとメッセージ思った方が
  なんか神秘的で、わくわくしませんか?

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元総理が語った長寿のコツ

  安倍晋三元総理の兄が
  安倍家の家族についてかかれた
  「安倍家の素顔」という本を読んだ。

  この本は
  作家自身の取材を元に書かれた本ではなく
  安倍晋三氏の兄である安倍寛信氏が
  ご自身の思い出として
  書かれているので
  政治家一家の表の顔、裏の顔が
  政治家としての一面、家庭人としての一面など
  赤裸々に描かれており
  とても興味深い内容だった。

  この本を読んで
  色々感じることもあったが
  このブログで、みなさんに知っていただきたいことは
  90歳の天寿を全うされた
  晋三氏の母方祖父であられ
  昭和の大政治家であった岸信介氏が語った
  長寿のコツについてです。

  氏いわく、長寿のコツは2つあると
  まず一つは不義理をすること。
  不義理と言っても、岸氏も総理まで務められた
  大政治家であり、不義理を尽くさずして
  生きてきたわけではなく
  昭和の大政治家であり一般人以上に義理人情を
  尽くしてこられた方だからこその不義理と言う言葉。

  きっと、義理人情に縛られることは
  寿命をする減らすことになる。
  だから、ある程度の年齢になり
  人生の集大成の年齢になれば
  義理立ても好きなだけにして
  ちょっとぐらい不義理なぐらいで
  生きていく方が、長生きできると言われている。

  僕も先日のブログで
  しがらみの話を書いたが
  しがらみの整理も必要なのかもしれないです。

  2つめは、規則正しい生活だと。
  
  岸氏は戦後すぐ戦犯の疑いがかけられ
  3年間ほど過ごした巣鴨プリズンでの
  生活を振り返られ
  プリズンでは、朝5時半に起き、夜9時には就寝。
  1日1時間は運動、部屋の掃除などさせられ
  食事は腹八部目、間食は一切なしという
  規則正しい生活を3年間され
  これの時の習慣が、それまでの不規則の生活を
  改善してくれた。
  その生活があったから長生きできた
  まさに人間塞翁が馬と語られています。

  この経験を踏まえて
  50歳になったら1回刑務所暮らしをするのがいいと
  笑って語っていたとか。

  思えば、自分も
  50歳過ぎて3ヶ月過ぎの入院生活を経験して
  生活が一変しました。
  全てのことをこなすのが難しくなり
  不義理なことを申し出ることも増えました。
  生活も、入院後今でも
  朝5時に起き、夜9時には寝床に入り
  朝、氏神様へのあいさつをかねて神社まで
  1時間ほどウォーキング。
  食事もほどほど、入院時の体重を維持してます。

  この生活をつづければ
  僕も長生きできるかが証明できるかと
  思いますが。
  もうひとつ、長生きするかどうかは
  本人のもってる寿命がありますから・・・
  実際長生きできるかどうかは
  死ぬときにしかわかりませんが。

  僕が、今言えることは
  病気の後、心身ともに生きやすくなっていること。
  ですから
  みなさんにも
  安倍元総理のおじいさんの岸氏の長生きのコツを
  是非、実践されてみてはいかがですか?

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災害を未然に防ぐには

 災害を未然に防ぐためには
 「人の心が平穏でなかったら
  その心のエネルギーは
  世の中を見出し
  そのエネルギーが集まると
  邪気になる。

  邪気、すなわち悪いエネルギーがたまることが
  災害を産むのである。

  平穏な心で
  人々が過ごすことができれば
  災害がくるのを
  防ぐことができる」と思うのです。

 つまり
 世の中に悪いエネルギーが高まることが原因で
 地震、洪水、津波、疫病を産むのです。
 ですから
 災害を防ぐのは
 今生きている人類の心の
 在りようによると言うことです。

 具体的には
 1日1回短い時間でいいので
 心静め、めを閉じ
 自分の呼吸感じいや
 自分の呼吸に集中する
 自分が息を感じます。
 すると自分が生きているのだという
 実感が湧きます。

 生きているのはなぜか
 生きることができている理由は・・・など
 次々
 自分の生きている意味に
 思い当たることがあります。

 そして次に起こるのは
 生きていることに対する
 感謝の気持ちが芽生えてきます。

 その感謝の気持ちをもって生きる
 その感謝のエネルギーは
 色んな人に伝わっていき
 世の中に平穏なエネルギーで
 あふれることになります。

 その平穏なエネルギーで
 この地球が満たされれば
 人を苦しめ続けるような災害は起こらない
 と思うのです。

 今、コロナウイルス騒動も
 人々の邪悪なエネルギーの影響と思うのです。
 
 今生きていることを感じて
 生きていることに感謝して
 みんなが過ごしていけば
 なにも怖れることはない気がするのです。

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リハビリをゲーム感覚で楽しむ

  入院してから
  大きく2つのリハビリを行った。
  1つは歩くためのリハビリ
  2つ目は手の機能を回復するためのリハビリ
  を行った。

  歩くためのリハビリは
  残った機能を使って
  歩くための筋肉を動かして
  歩行機能を獲得するリハビリ。
  使わない筋肉は
  機能がすぐ落ちてしまうから
  少し筋トレに似たところがあって
  おもりをつけて歩いたり
  文字通り筋トレしたり
  筋力をアップすることやって
  ある意味体育会系のリハビリとも
  いえる。

  されに対して
  指の機能を回復させる
  作業療法は
  力ももちろん必要だけど
  小さい筋肉を共同して
  複雑な手の機能を獲得するための
  訓練、リハビリをしていくのが
  作業療法。

  小さいこどもが
  遊ぶ中で運動機能がアップするように
  リハビリも一歩ずつなんです。

  例えば
  よくお手玉を使って  
  リハビリを行いました。

  お手玉を投げてもらって
  それを受け取って
  受け取ったお手玉を
  箱の中に投げて入れるという
  リハビリをしました。

  3歳児でもできるような
  単純なことですが
  これが実はとても難しいというか
  ボールをとって、すぐ投げる
  それも目標に対して行う行動。
  ボールを受け取って
  即投げるという単純な作業ですが
  全て、使う筋肉が違うのです。
  ということは筋肉を指令する神経も異なる
  と言うこと。

  ですから
  瞬時に神経を切り替えて
  筋肉を動かす。
  行為としては単純なことに思われるけど
  様々な機能が協力し合って
  やっとできることなんです。

  ですから
  ボールをとることだけに
  神経がいってると
  次にボールを投げようとしても
  手が固まった状態でボールを握ったままで
  止まってしまうんです。
  でも、意識して次は投げることを意識していると
  ボールを投げるようにはできるのですが
  それを正確に目的の場所に投げるって
  至難の業なんです。

  これを今まで何も考えずにできたこと
  こどもの発達の能力に感服でした。

  僕にとってのリハビリは
  機能回復するのが目的以外に
  もっと、もっと大事なことを学ぶ機会なんではないかと
  リハビリをしながら感じていたのでした。

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魂を磨くために生まれてきた

輪廻転生があるとすると
 何度も何度も生まれて来る理由は
 本当に自分
 つまり自分の魂を磨くためにあるのだと
 僕は思うのです。

 魂を磨くために、大事なことは
 善行を積むこと。
 よく徳を積んで
 天に徳の貯金をするのが大切だとか
 言いますよね。
 稲盛和夫さんも、利他行が大事だ
 と言われてますよね。

 つまり
 世のため人のために尽くすために
 生まれてきたんだと 
 考えて生きるのがいいのですよね。

 世のためにという言葉には
 今自分の住んでいる町などの
 地域社会コミュニティーにとどまらず
 市、県、日本、世界、宇宙と
 どこまでもこの世の世界は
 広がることでしょう。

 実際
 何か行動することだけが
 利他行というわけではなく
 身近な人のしあわせ
 地域の人々のしあわせ
 日本の、世界の、そして宇宙の
 しあわせを願う、その思いをもって生きることも
 立派な利他行、徳積みだと思うのです。

 広い心で
 人類の平和を願う気持ちは
 きっと神にも届き
 地球が、宇宙が輝く世界に導いていく
 と思います。

 そして
 その時、あなたの魂も
 キラキラ輝き出すことでしょう。

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魔がさす

  ニュースで
  地元とあるご住職が
  組織のお金を使いこんだという
  疑惑をもたれているという
  報道を目にした。

  そこは
  立派なお寺さんで
  檀家さんも裕福な方が多く
  いわゆる名士であり
  お金に困ってることもないだろうに
  そんな方が
  もし疑惑が本当なら
  どうして?という気持ちになった。

  信仰心をもっても日々暮らしていても
  きっと魔が差してしまったんだろうと思う。
  宗教って、神様に手を合わせるときって
  特に自分が困ったときや、願いがあるときに
  神社やお寺に行って
  手を合わせる人が多くないだろうか?

  そこには、きっと
  「自分だけがうまくいくように」なんて
  自分だけの利益を取引してないだろうか?

  感謝の気持ちをもつことは大事だけど
  取引したときだけではなく
  いつも、どんな時も
  神様に感謝しないといけないと思う。

  実は
  今物の力が強くなりすぎて
  心や霊性を意識しないと魔に襲われやすい
  時代なんだと思います。

  例えば
  今は、キャッシュレスなどといって
  実際のお金ではなく
  クレジットカードや仮想通貨などで
  支払いができるので
  便利な反面
  そのカード番号が盗まれたり
  悪用されたり
  トラブルも目につきます。

  今、なぜか
  株価もあがっていて
  どう考えても実態経済とは
  異なる状態の世界にいます。

  物の力を動かしてる影には
  必ず魔が隠れているのです。
  あなたが、自分の心に囚われ
  物の力に占拠されたとき
  魔があなたを誘惑するでしょう。

  もっと、もっと
  物の力が欲しくないか?って
  キリストも、荒野で修行したときに
  悪魔からの誘惑され
  その魔の力に打ち勝ったという
  エピソードが知られています
 
  物にとりつかれたときに
  とりつかれる魔の力に注意なんです。
  事件を起こされたご住職も
  きっと魔にとりついていたんでしょうか?

  魔にとりつかれない方法
  今自分がしていることに夢中になってやる
  頭で考えるのではなく
  夢中になっている自分を知ること
  つまり一生懸命「今を生きる」こと何だと思います。

  ちょっと中途半端な
  抽象的な書き方ですが
  追々このブログで
  僕の考えをお伝えできればと思います
  今後ともお付き合いください。

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病は気づきの時

病気になると
  今までと全く違う状況に
  厭がおうでも
  これまでと違う状況に
  置かれることになります。

  すると
  自然に色んなことに気づかれされます。
  
  自分のからだに対して
  どんな風に過ごしてたのか
  反省すべき点もたくさん出てきます。
  でも、自分のからだびことばかりではなく
  自分が生きていた環境についても
  様々考えさせられることがあります。

  僕も、病気したときに
  なんと多くのしがらみの中で
  生きてきたのかと気づきました。
  
  人間は社会的動物といわれるように
  ひとりでは生きていけません。
  人と人の間で生きている動物であり
  その時間が長くなると
  色々と人間関係で悩むことも多くなります。

  仕事での同僚、先輩、後輩
  取引先との関係
  仕事上だけでなく
  家庭上でも親や夫婦、こどもの関係でさえ
  悩み、苦しみことが生まれることもあることでしょう。

  そんな時
  ちょっと立ち止まって考える時間を
  病気が与えてくれてたと思います。
  しがらみの中で苦しんでいるなら
  ちょっと立ち止まって
  考えたらいい。
  そんな時間を病気の時
  いただいたのだと思います。

  無理をして生きてませんか?
  嫌なことを我慢してないですか?
  無理して笑顔でいようとしてないですか?
  ・・・・
  などなど
  そんな時、病気は
  ちょっと立ち止まって
  考える時間をくれたんだと思います。

  どうしていいかわからなければ
  ちょっと物理的、時間的に距離を
  明けてみればいい。
  無理して、がんばっても
  あなたの魂は喜びません。

  我慢して嫌な時間を過ごすなら
  好きな人と好きなことをして
  心豊かな時間を
  心満足するまで過ごしたらいい。

  そんな時間を過ごすことが
  自分自身を大事にして
  自分自身を愛する生き方
  魂が喜ぶ生き方
  そして
  誰もがしあわせになる生き方だよと
  病気の時
  気づいたのです。

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何のために生まれてきたのか?

こどもは
 素朴に疑問に思ったことを
 ストレートにおとなに聞いてきます。
 その質問を投げかけられたおとなは
 ハッとさせられたり
 考えさせられることってよくあります。

 先日も
 こんな質問を投げかけっれました。
 「人間は、最後はみんな死んでしまうのに
  どうして生きなければならないの?」

 死ぬとわかっているのに
 なぜ生きないと生きようとするのか?
 生きる意味、本質をついた質問を
 就学前のこどもに
 投げかけられて
 あたりまえのことに
 どう答えたらいいのか
 考えさせられました。

 家に帰って
 家族にもこの質問を投げかけました。
 鋭い質問という感想と共に
 家族でも考えてみました。

 いつも魂について話してるので
 家族でもよく話すテーマですが
 死が終わりでないと思うかどうかで
 疑問が解けるのではないかという意見が出ました。

 みなさんは、最後は死んでしまうのに
 どうして生きていると思いますか?

  仕事をするため? 
  苦労をするため?
  楽しいことをするため?
  愉快な人生を送るため?

 そんな時
 大思想家でもあられる稲盛和夫さんの
 講演での話を聞く機会があり
 その中で
 生きていく意味についてお話をされていたので
 ご紹介します。

 稲盛さんは 
 我々の人生は、自分自身の魂を
 浄化、純化、深化するためにある。

 人生は 
 たった1回しかない
 やり直しのきかない人生だとも言われるけど
 仏教を学ばれた稲盛さんは
 仏教では、我々の本質である魂は
 輪廻転生をくり返しているので
 今回がたった1回の現世での人生は終わらないと
 考えています。

 肉体が滅ぶことを死と考えるなら
 確かに
 現在の肉体は必ずなくなるので
 この肉体で生きる人生は
 1回きりかも知れません。

 でも
 人間の肉体が滅んでも
 稲盛さんが言われるように
 魂は生き続け
 何度も生まれ変わる輪廻転生があるとすれば
 魂の浄化、成長のためにこの世にまた生まれてくるという
 大前提があるなら
 この世に生まれてきた意味があると思います。

 誰も確認することができない
 魂があるという大前提で
 生きていくことが
 今生きていることに
 大きな、大きな意味を持つことは間違いないと思います。

 人は目に見えないこと、科学で証明できないことは
 スピリチュアルなことをいって
 相手にもしない方も多くいらっしゃいます。
 こんなこというのは
 不思議な医者だとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 でも
 大事なこと、本質的なことって
 目に見えないところにあるものだと
 僕は思っています。

 だから
 お話しないことには
 伝えることはできないんです。
 僕が感じる魂の世界
 魂が在るということを
 これからお話ができればと思います。

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東日本大震災10年経って今思うこと~FUKUSIMA50を観て~

東日本大震災が起こって10年
  東日本大震災と言えば地震、津波のことは
  絶対忘れてはいけないけど
  もうひとつ絶対忘れていけないことは
  福島の原発事故。

  当時原発事故の状況が
  刻一刻、タイムリーに
  原発建屋などの事故の状況が伝えられ
  結局
  建屋の屋根が水蒸気爆発で吹き飛んだ状況は
  今でも記憶にしっかりとどめている。

  その時、現場の方々は
  原子炉がメルトダウンを起こすのを
  指をくわえて見いたわけじゃなくて
  吉田所長をはじめ
  現場で働く人々の
  尋常でない努力のおかげもあったと思っていた。
  その時の状況を知りたくて
  当時現場の状況を映画化した
  FUKUSIMA50を今回はじめて観た。

  映画では予想通り
  緊急電力も途絶えるなど
  想定外のことが起こる中で
  最悪の放射能漏れ
  原子炉の爆発を抑えるために
  まさにからだをはって
  命がけで戦った職員の姿が描かれていた。

  現場は死線の状態
  いついのちがとられるかもわからない戦場。
  そんな状況を知ってか知らずか
  官邸や会社本部からは
  日本を守らないといけないという使命もあるから
  現場に対して
  オンラインできびしい注文が次々にとんでくる。

  恐怖との戦いで
  現場は究極の重責で
  きっと逃げ出したかったかもしれないが
  日本を守るという責任から

  逃げ出さずに守ってくれたおかげで
  あわや
  東日本に人が住めなくなるかもしれない
  状況から救ってもらえ
  現在があることを
  決して忘れてはいけないことを
  この映画は伝えてくれた。

  映画を観ていて
  10年前の福島の原子力発電の状況、対応は
  今の新型コロナウイルス感染との
  共通点が多いと言うことに気がついた。

  放射線事故は
  コロナと同じように目に見えない相手の戦い。
  目に見えない放射線を相手に
  放射能汚染が広がらないように
  電力の途絶えた建屋で
  バルブの操作をしたり
  目に見えない相手に対して
  文字通り手探りで戦っていた。

  
  もしあのとき
  2号機の建屋が爆破してたら
  日本の人口の半分は放射能の汚染に今も苦しみ
  東日本には住めない状況になっていた
  かもしれな状況だった。
  日本が残るかどうかのギリギリの状況だったようです。

  でも
  そうなる状況を
  神様は望んでなかたのかもしれないです
  なぜか
  2号機建屋の屋根の一部分が壊れたおかげで
  圧力を下がる抜け道となり
  大爆破、大惨事を逃れて
  我々は今、こうして日本で暮らしていけてるのです。
  
  なぜ
  屋根の一部だけが
  自然に壊れただけで難を逃れた理由は
  今もってもわからないと
  映画の中で語られていました。

  あわや危機一髪の大逆転のことが
  奇跡が起こっていたのです。

  僕は、神様がくれた再生へのチャンス
  なんだと思うのです。
  それは、我々人類特に日本人に
  かわらないといけないことに気づくチャンスを
  いただいたのではないだろうか?
  この10年で 大切なことに気づき変わっただろうか?
  
  思えば
  当時原子力発電は
  安全で、クリーンな発電だという触れ込みだった。
  自然を壊し、人間自身の生活を豊かにするために
  原子力発電を推進してきた
 
  その姿は
  人間の科学の勝利に酔っているかのように
  奢ってなかっただろうか?
  人間の知恵なんて
  自然の前では無力なんだぞ
  自然が地震、津波という事象で
  教えてくれたんではないでしょうか?

  真実を見極めろ、気ずけ、めを覚ませと
  言われているような気がするのです。

  この10年
  復興をすすめているけれど
  元の生活に戻すことが
  復興ではないことを伝えたいんじゃないでしょうか?

  何も変わってないから
  地球はウイルスを撲滅することじゃないよ
  人間の考え方、生き方が間違ってることに
  気づいてもらうために
  津波という手段の次に
  ウイルスを送り込んだ気がするのです。

  復興オリンピックっていってるけど
  言葉だけで 
  どう変わったオリンピックになるの?
  賛成できないよ、もっと考えなさいと
  神様が言ってるような気がします。
  
  今こそ変わらないといけない
  そんな変われる変化をまたもらったのだ
  もし、変わらなければ・・・・
  
  東日本大震災の教訓を生かして
  規制の価値観からの脱却が必要では
  ないでしょうか?

  本当に大切な物は
  目に見えない、目に見えないところに
  あると思うのです

  変わりましょう。

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