投稿者「santa」のアーカイブ
病気の原因は別のところに
毎日の診療の中で
様々なことを
患者さんから教えられます。
先日、来られたアトピー性皮膚炎の患者さん
なかなかよく治らないということで
とてもお困りの表情で来院されました。
皮膚の状態は
カサカサ、ジクジクのいわゆる
典型なアトーピー皮膚炎の状態ではありませんでした。
これは、原因は皮膚以外にあると直感し
ナチュラルメディカルセンターで行っている
メタトロン、オステオパシーを行いました。
すると予想通り!?
皮膚以上に
小腸と大腸が弱っていることが
わかりました。
最近腸は、
消化機能だけでなく
免疫系にも関与していることがわかってきました。
つまり、
腸が疲弊しているために、
アレルギー反応が起きているのです。
ですから、
この患者さんも
根本原因は皮膚ではなく、
腸が原因だったのです。
いくら皮膚の治療をしても、
よくならなかった訳なんです。
皮膚をよくするために
食事に気をつけ、日常生活を見直し
腸の状態をよくすることが
必要だというこがわかったのです。
病気の原因は、
目に見えるところ、思ってるところではなくて、
今回のように
別のところにあるところ場合もあるのです。
ですから、
診断されてもなかなか
よくならない場合は
別の角度から全身状態を見る
必要があります。
ナチュラルメディカルセンターで行う医療は
良くならないと
日々お悩みの方の
力となれる医療です。
ナチュラルメディカルセンターは
一人でも多くの方が
心から健康と思って過ごせるように
努めてまいります
今日の空は特別?
今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。
思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。
そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。
「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。
贈り物?
確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。
今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない
だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね
だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。
人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。
今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。
そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。
今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
夜寝る前には
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終っています
みなさんにとって今日という日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。
こどものお医者さん
以前、小児科学会で
北原白秋の”子どものお医者さん”
という詩を教えてもらった
「子どものお医者さん」
わたしは子どものお医者です。
わたしの病院、乳母ぐるま、
蜜柑の木のかげ、花畑、
すずしいお池や、ゐなか道、
どこへも巡回いたします。
わたしはお医者の博士です。
泣いてる子どもも療します。
こはれた人形や、きりぎりす、
碧いとんぼのトラホーム、
外科も内科も上手です。
わたしは親切なお医者です。
妹の薬局、バスケツト。
たたいた葉つぱや、薔薇の汁、
おいしいパンくづ、粉ぐすり、
ガーゼも万創膏も持つてます。
わたしは子どものお医者です。
わたしは御礼を受けません。
病気したポチ、弱い鳩、
いぢめられたり、怪我したり、
かはいそな誰でもたすけます。
さあさあ、皆さん、いらつしやい。
どうぞどうぞ、こちらへいらつしやい。
(北原 白秋)
こども達が描いてる
こんな医者になりたくて、医者になった
北原白秋が
僕の気持ちを代弁してくれている。
まだまだ、
至らないことも多く、
日々反省することばかりだけど
もっともっとこんなお医者さんに
なれるように精進しよう
いつまでも
どこまでも
白衣着て、聴診器を携え
みんなと笑顔で手を取り合って
レンゲ、しろつめ草の花咲く
ゐなか道をずっと歩き続けたい
・・・・・と思う
大頭神社
天気のいい休日
取り立てて用事がないときは
神社めぐりをするのが
我が家の休日の過ごしかたのひとつ。
今回訪れたのは
大野ICチェンジを降りてすぐの
ところにある
大頭神社に行ってきました。
ここは厳島神社の摂社として
推古天皇の時代(603年)に建立された神社
御祭神は
大山祈命、国常立命、佐伯鞍職命
と宮島の厳島神社の正面に鎮座している
由緒ある神社です。
鳥居を抜け
まず本殿にご挨拶
ふと本殿の右奥に目を向けると
高さ60mの雄滝の凜々しい姿が目に入る
その雄大な姿に惹きつけられるように
近くによると
空気がどんどん澄むでくるのをかんじる。
まだ道は続き
奥の森からマイナスイオンが流れてくる。
奥へ進むと
心地よいマイナスイオンに包まれ
肺が爽やかな空気入れ替わってくるのが
わかる。
しばらく歩くと
こどもの遊んでる声が
そこには
水流豊かな雌滝が
そこから
すべてのエネルギーがでている
太陽のエネルギーも高く
エネルギーの高まりの場
自分のからだの中にも
エネルギーがどんどん入り込んでくる。
その滝の姿は
まるで龍の口から
エネルギーと一緒に吐き出している
ように見えて仕方ない。
きっと
ここには山の神様がいらして
龍神様が守っていらっしゃる神社だと思う。
元気がないときは
大頭神社にきて
いっぱいエネルギーを補充したら
元気になること間違いなし。
大頭神社は
間違いなくパワースポットです
手当ての本質
医療の基本は
手当なんだと思う。
小さいころの思い出に
おなかがいたいとき
頭が痛いとき
足をけがをしたとき
病院に行く前
母がしてくれたこと
それは
痛いところに手を当てて、さすってくれると
痛みが軽くなってた気がする。
横に
母が居てくれるだけで
痛みが軽減したのを思い出す。
病気やけがが治ったのは
母のやさしさがあったから
医者の治療が功を奏し
薬が効いたのだと確信している。
母がここが痛いよね、苦しいよね
と温かい手でからだを包みこんでくれる
手当という愛情があったからだと思う。
手当とは
あなたのことを大切に思う気持ちがないと
できないし
あなたのからだを癒やすことはできない。
その人の苦しみを意識しないと
自分のことのように受け入れないと
手当は疎かになる
その人の病を治すことはできない。
それどころか
手当ての気持ちがなければ
どんな軽症の病気であっても
完全に治すことはできないだろう。
「痛いの痛いの飛んでけ」は
本当のおまじない
医療人としても忘れてはいけないおまじない
運が強い人の特徴
世の中には
運の強いと言われる人
がいる。
運が強い人には10の特徴がある。
①自分の人生の正しい目的をさだめ
その目的を自分のちからでやり遂げることを
熱望する
②自分の人生の主人公が自分自身であることを理解ている
③常に自分自身を磨き上げる
④決心を行動で示し、継続することで証明する
⑤自分の成長のためなら、ある程度の苦痛も受け入れられる
⑥自分を信じる根拠を積み重ね、自分自身を信じる
⑦高く登ることだけを目指すのではなく
粘り強く深く掘り下げる
⑧ど根性で最後の一滴まで汗を搾り取る
⑨自分こそ「自分のこころを一番よくコントロールできる人」
である。
⑩一度きりの人生を熱いこころで愛する
つまり
自分の生きる目的
自分がこの世に生まれてきた訳を
しっかり確信していて
ぶれることなく
邁進するひと。
生きる目的がはっきりしているので
頑張れるし
結果に喜べる。
自分自身にとっては、運ではなく
目標を達成できたことが大きい。
別に運がいいとかいう問題ではない。
生きる目標に向かって
誠心誠意込めて生きていく
そんな姿を見て
人はあの人は運がいいと見えるのではないか?
あるとしたら
生まれる、前に決めた目標に対して
頑張ってるひとには
神様の応援があるのかもしれない。
肉体を動かしている見えない力を感じた時
入院生活を通して
わかったことのひとつに
人は肉体だけで生きているわけではない
ということ。
左手は
リハビリをする前には
感覚はあるけれど
全く動かない状態でした。
とある日
カッターシャツに着替えをしようと
したときのこと
まずはパジャマを脱いで
シャツの腕を左手に通して
次に右手に通します。
ここまでは
いつもと一緒だけど
今日はシャツを着るので
ボタンを止めないと行けない
カッターシャツなので
ボタンも小さいし
間隔も近くて
パジャマのボタンなら
右手だけで
できてたけど
小さなボタンを穴に通すの
右手だけにするのに
四苦八苦してたときのこと
動くはずのない
左手が
自分では意識してないのに
すっと
四苦八苦している右手のボタンのところまで
動きいていったのです。
僕が意識したのではなく
左手の意志で
右手が困難だから助けようと
しているかのように
右手の動きに対して加勢してるのです。
でも
麻痺がある左手です。
動かすのがやっとのはず。
さすがにボタンを入れる細かい作業の
お手伝いまでにはなりませんでした。
僕は
自分のからだだけど
自分のからだでない光景として
右手を助けようとする
左手の様子をみてました。
なんと美しい光景でしょう
困ってる右手を
必死で
手伝おうとする
拙い左手。
まるで小さい子が
一生懸命にお母さんを助けようと
お手伝いしようとする光景に見えて
自分のからだなのに
感動しました。
そんな光景を見ながら
右手も左手も
自分のからだのはずだけど
からだの中には
自分の意志とはちがうところで
見えない力が働いていることを知りました
お金で買えないものがある理由
多くのお金を手にし
何不自由のない一生を過ごした
お金持ちの方が
死ぬ前にこう言われたそうです。
「お金があれば
何でも手に入れることができる
と思ってた。
人生の全て、そして愛さえも
買えると思ってたし
実際買って手に入れてたと思ってた。
でも
手に入れてたのは
本当の愛といえるものでなく
本物の人生を
手に入れていないとことに気づいたと」
本物の愛、やさしさ、人生は
いくらお金を出しても買えないと
人はよく言います。
なぜ、お金で買えないと思いますか?
物じゃないから。目に見えないから買えない?
そうかもしれません。
でも、僕は
人生で最も大切な物って
お金を出して買う必要がないじゃない。
だって
愛も知性も理性も創造性も
それによって作られる豊かな人生も
もうすでに
自分の中に持っているのだから。
自分がすでに
手にしているから
買えないのです。
買う必要もないのです。
あなたの
こころの中、
生まれたときに持ってきた魂の中に
気づきさえすれば
愛ある豊かな人生を送れるんだと思います。
すでに
持っている物を
敢えて買う必要もないですよね。
コロナ後の世界は
すでに持っている
大切な物の存在を教えてくれてるの
かもしれませんね。
病気は気づきの宝庫~不調の時も呼吸を意識して~
僕たちは
24時間365日
休むことなく
意識することもなく
呼吸をして生きています。
あたりまえのことだけど
呼吸はとても大切な行為。
例えば
数日間飲まず食わずでも
人は生きることができます。
でも
空気がないと
数分で
生きることができなくなります。
そんな大切な呼吸を
寝ていても
意識せずにできていることって
とても有り難いことだと
思いませんか?
日頃
息をしていることを
意識していますか?
当たり前すぎて
息をしていることさえ
忘れていませんか?
そして
呼吸は無意識の中で出来るだけ出なく
意識しても行えます
意識して
大きく息を吸ったり吐いたり
胸いっぱい吐き出したり
意識して呼吸することも可能です。
呼吸を意識して生きて過ごしてみると
からだを変えることができます。
自分の吐く一息一息を
しっかりとらえ、感じることで
自分が今こうして生きていることを
確認できます。
生きていることを感じることって
とても大切なことだと思います。
とかく、僕たちは
健康であるときは
まるで、息なんてしてないかのごとく
日々過ごしていないでしょうか?
しかし
病んで、痛みを持った時始めて
息をして生きていることを
強く感じ始めるのです。
当たり前と思ってたことが
当たり前でないと。
健康の時に気づかなかった
大切なことにきづくことって
病気をして気づくことって
とてもたくさんあります。
ですから
実は病気になることって
決して悪いことではないんです。
神は
病気の時でさえも
気づき学べるという宝を
準備してくれていたんです。
特攻隊員からのメッセージ
戦争を知らない世代でも
戦争はいけないことだとわかっているけど
平和ボケしているからなのか
欲深くなってしまっているからなのか
世界を見渡すと
ウクライナとロシアは戦争しているし
あちこちの国でも
にらみ合って一触即発の状態のところもある
自分の身の回りでも
争いごとって亡いだろうか?
どこか
争いの火種があり
とても平和な状況だとはいえない。
そんな時
たまたま
太平洋戦争の終盤
尊い命を捧げて闘った
特攻隊員の手記を読んだ
特攻隊員が
今を生きる僕たちにこう投げかけてきた。
「あなたの大切な人は、笑ってますか?」
「僕たちが残したかった未来の日本は
どんな風になっていますか?」
「今、日本はいい国ですか?」
あなたは、今の日本、世界の状況を鑑みて
どう答えますか?
胸を張って今の状況を
報告できますか?
特攻隊員のお世話をされてた
食堂のおばさんトメさんが
生き残った特攻隊員に語った言葉が
残されています。
「生き残ったと言うことは
残されたと言うことだよ。
神様があんたを、
この世に残してくれたんだよ。
残されたということは
何か遣ることがあるから残されたんだよ。
神様があんたに役割をくれたんだねぇ。
その役割が何なのかよく考えてみなさい」
僕たちが今いきられるのは
間違いなくご先祖さんの
犠牲の上に成り立っている
その犠牲は、僕たちを、未来の日本をよくするために
あったことを憶えていないと言えない
そしてその上に
僕たちの今生きる意味があるのだ。
今を大事に、未来の日本をよくするために
大切に日々生きていくのが
今を生きている我々の使命なんだと思う
