日別アーカイブ: 2025年6月19日
安心・安全の世界とは
今回は
「安心・安全」について。
安心・安全は
言葉上はよく似てる気がしますが
実は意味の上では全くちがう言葉何です。
安全とは
危険を取り下げること
または、危険のリスクを下げることです。
安全を達成するためには
誰もが納得できる基準
特に科学に裏打ちされた基準が
求められます。
例えば
シートベルトは車の死亡事故を減らす
とか
感染については
感染源を特定し、感染経路を断てば
感染を抑えることができるなどのような
誰もが納得する科学的根拠が
存在しています。
ですから
データーを示すことで
人々は納得できるのです。
それに対して
”安心”という言葉には
科学的根拠は存在しません。
人々の頭の中に浮かんだイメージ
すなわち
人が作り出した幻なんです。
安心という言葉には
科学根拠というものは存在しません。
そこにあるものは
安心という言葉を発した人が
”安心”したいという願望を表した
言葉なのです。
その言葉は、
こうありあたいという願いを表した
言葉なのです。
どんな行動をすると
どんな効果が起こり
感染リスクが下がるから
安全なんだと考えたらいいのです。
僕も診療中や日常生活でも
よく使ってる言葉ですが
言葉の意味をおかみしめながら
使っていきたいです。
溺愛してもいいのか?
こどもはかわいいもの。
でもかわいくても、溺愛するのは
ちょっと問題だから
厳しく育てないと・・・よいう意見が
昭和世代のおじいちゃん、おばあちゃん
そして
教育パパさんからの声が聞こえてきそう。
溺愛してしまうと
こどもをダメにしてしまうのだろうか?
答えはNO。
いっぱい愛してあげて下さい。
愛された経験は
愛する力になるし
常に強さと工夫して乗り越えていく力が
育まれていく。
ただ、愛することと
過保護とは違うということ。
過保護は、その子をダメにしちゃうのです。
過保護とは
その子が困らないように
経験豊富な親が先回りして
危険を回避するようにしてしまうこと。
我が子が
失敗して、苦しんでいる姿を
見るのはこころが痛むもの。
だから失敗しないようにという行動に走る気持ちは
わからないでもないが・・・・
脳は失敗したことで
知恵やセンスは育まれるということを
覚えていて欲しい。
歩き始めたこどもにとって
大事なことは転ぶこと。
歩く経験より
転んだ経験から多くのことを学ぶ。
だから、見守って
転んだ時に手を差し伸べられるようにしておく。
もし
親の予想を超えて
こける場面をこけずに済んだら
こんなに大きな経験は
大きな成長につながる。
もし予想を超えてできた時
「すごーい」と声をかけるより
「できたね」「よかったね」がいい。
できなかったら
「そんなこともあるよね」という声かけをすると
こどもは次にやる気のスイッチを入れる。