どんな老人になるかは、今の自分で決まる

今若くても、年をとっていても
今後どんな風に年をとるかは
誰にもわからないし
どんな老人になるか、不安に思う人は
多いでしょう。

自分は還暦を迎え
これから老いの人生を突き進んで行くのだけれど
若い時に思っていたように
年をとることに不安を覚えていない。

よく
お年寄りが、まだまだ若いとよく言っているのを
耳にしたけど
外見だけで判断すると
確かに経年劣化は否めません。

でも、今老境の入り口に立ってみると
「年をとることは進化だ」と思えるのです。
特に今思うのは
世の中の見える部分だけで判断してはいけないということです。
目に見える容姿は若さを失っていても
だから得るものもあるのです。

本当に大事なことは見えないとも言いますが
日々診療していると
検査に頼らなくても
聴診、触診だけで患者さんの状態を感じることが
日々増えている気がします。
つまり、目に見えない真実を
体験しているのです。

この感覚は
今急に身についたわけではなく
若い時からの診療スタイルの
完成形に近づいている様な気がします。

これは僕だけの感覚ではなく
世の中には
90歳になっても
現役で仕事をして、成果を上げている人
何千メートル級の山に登ったり
マラソンを完走したり
超スーーパーマンのような人は
世の中にたくさんいます。

それは
若い時からの積み重ねが在り
今も進化し続けているからではないでしょうか。
ということは
どういう年をとるか、どんな老人になるかは
若い時から始まっているということです。

老・病・死は避けられないことですが
どうかっこよく人生を生きるかは
心がけしだいということです。

年をとることを畏れるな
将来の老いを畏れる余りに
今の若さを犠牲にする生き方は愚かだと思うのです。

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