月別アーカイブ: 10月 2022

今日の空は特別?

今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。

思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。

そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。

「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。

贈り物?

確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。

今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない

だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね

だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。

人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。

今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。

そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。

今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
夜寝る前には
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終っています

みなさんにとって今日という日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。

 

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こどものお医者さん

以前、小児科学会で
北原白秋の”子どものお医者さん”
という詩を教えてもらった

「子どものお医者さん」

わたしは子どものお医者です。
わたしの病院、乳母ぐるま、
蜜柑の木のかげ、花畑、
すずしいお池や、ゐなか道、
どこへも巡回いたします。

わたしはお医者の博士です。
泣いてる子どもも療します。
こはれた人形や、きりぎりす、
碧いとんぼのトラホーム、
外科も内科も上手です。

わたしは親切なお医者です。
妹の薬局、バスケツト。
たたいた葉つぱや、薔薇の汁、
おいしいパンくづ、粉ぐすり、
ガーゼも万創膏も持つてます。

わたしは子どものお医者です。
わたしは御礼を受けません。
病気したポチ、弱い鳩、
いぢめられたり、怪我したり、
かはいそな誰でもたすけます。

さあさあ、皆さん、いらつしやい。
どうぞどうぞ、こちらへいらつしやい。
(北原 白秋)

こども達が描いてる
こんな医者になりたくて、医者になった

北原白秋が
僕の気持ちを代弁してくれている。

まだまだ、
至らないことも多く、
日々反省することばかりだけど
もっともっとこんなお医者さんに
なれるように精進しよう

いつまでも
どこまでも
白衣着て、聴診器を携え
みんなと笑顔で手を取り合って
レンゲ、しろつめ草の花咲く
ゐなか道をずっと歩き続けたい

・・・・・と思う

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大頭神社

天気のいい休日
取り立てて用事がないときは
神社めぐりをするのが
我が家の休日の過ごしかたのひとつ。

今回訪れたのは
大野ICチェンジを降りてすぐの
ところにある
大頭神社に行ってきました。

ここは厳島神社の摂社として
推古天皇の時代(603年)に建立された神社
御祭神は
大山祈命、国常立命、佐伯鞍職命
と宮島の厳島神社の正面に鎮座している
由緒ある神社です。

鳥居を抜け
まず本殿にご挨拶
ふと本殿の右奥に目を向けると
高さ60mの雄滝の凜々しい姿が目に入る
その雄大な姿に惹きつけられるように
近くによると
空気がどんどん澄むでくるのをかんじる。
まだ道は続き
奥の森からマイナスイオンが流れてくる。
奥へ進むと
心地よいマイナスイオンに包まれ
肺が爽やかな空気入れ替わってくるのが
わかる。

しばらく歩くと
こどもの遊んでる声が
そこには
水流豊かな雌滝が
そこから
すべてのエネルギーがでている
太陽のエネルギーも高く
エネルギーの高まりの場
自分のからだの中にも
エネルギーがどんどん入り込んでくる。

その滝の姿は
まるで龍の口から
エネルギーと一緒に吐き出している
ように見えて仕方ない。

きっと
ここには山の神様がいらして
龍神様が守っていらっしゃる神社だと思う。

元気がないときは
大頭神社にきて
いっぱいエネルギーを補充したら
元気になること間違いなし。

大頭神社は
間違いなくパワースポットです

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手当ての本質

医療の基本は
手当なんだと思う。

小さいころの思い出に
おなかがいたいとき
頭が痛いとき
足をけがをしたとき
病院に行く前
母がしてくれたこと
それは
痛いところに手を当てて、さすってくれると
痛みが軽くなってた気がする。
横に
母が居てくれるだけで
痛みが軽減したのを思い出す。

病気やけがが治ったのは
母のやさしさがあったから
医者の治療が功を奏し
薬が効いたのだと確信している。

母がここが痛いよね、苦しいよね
と温かい手でからだを包みこんでくれる
手当という愛情があったからだと思う。

手当とは
あなたのことを大切に思う気持ちがないと
できないし
あなたのからだを癒やすことはできない。

その人の苦しみを意識しないと
自分のことのように受け入れないと
手当は疎かになる
その人の病を治すことはできない。
それどころか
手当ての気持ちがなければ
どんな軽症の病気であっても
完全に治すことはできないだろう。

「痛いの痛いの飛んでけ」は
本当のおまじない
医療人としても忘れてはいけないおまじない

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