「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
熱がでるのも恵みである
患者さんの心配になる症状の一つに
「熱」があります。
熱があると
元気であっても
大変熱を下げないとと
解熱剤をつかったり
病院に夜中でも駆け込んでしまう
一番、心配な症状の一つでしょう。
熱→悪い病気→熱を下げないといけない
という構図ができあがっていると思います。
確かに
熱が出す病気は様々なあります。
重症な病気が隠れていることもあるので
注意を要する症状の一つであるのは
まちがいありません。
ですから
熱が出るとき
病院にかかることは間違いではありませんし
遠慮なく病院にかかって欲しいです。
でも、熱が出ている時に
心得ていて欲しいのは
熱→あわてて→熱を下げたい→解熱剤を使う
という行動パターンに走るのは
ちょっと待って下さい。
熱=病気のサイン だけれども
熱=悪いサイン とは限らないと言うことを
憶えていていただきたいです。
からだの中に
ウイルスや病原体がからだの中に入ると
様々な免疫細胞が働いて
からだを攻撃する病原体を排除しようとします。
その時、神経細胞は
免疫細胞が病原菌と闘っていることをキャッチして
免疫細胞を援護射撃するかのように
体温中枢神経に働きかけ
体温を上げて、熱を出させているのです。
病原体は熱に弱いからなのです。
熱が出ると言うことは
病気を治そうとする
からだの働きなんです。
そこで
あわてて、解熱剤を使ってしまうと・・・
からだがあわててしまいます。
あれれ、熱上げようとしてたのに
熱が上がらなかった。
大変だ、もっと全力で体温を上げないと
全力で熱をだそうとします。
その時
毛穴を塞ぎ、血管を縮ませ
体温が外部に漏れないような体制をとります。
だから、熱が上がるときは寒がったり、震えたりするんです。
そして
その時に熱を上げるために
体力も使って、ぐったりって言うことにもなります。
熱が出てるとき
ぐったりするのも心配だけど悪いことではなく
からだのサインでもあるんです。
からだが熱を出して集中して闘っているので
うろうろして体力消耗や神経集中できない状況に
させないためなんです。
からだが発する「寝とけ」のサインなんです。
からだが必死で闘ってるのに
そのからだからのサインを無視して
熱を下げ、体力を消耗する行動に走ると
後で、痛いしっぺ返しがくることもあります。
このように
「熱」ひとつとっても
自ら気づかないけれども
自分のためにからだが働いていることって
たくさんあります。
熱もからだからの大切なサイン
からだの中の神様が
守ってることを知らせてくれている
大切な恵なんです。
からだからのサインを発するのは
あなた自身のため。
あなたを苦しめるためではないんです。
病気になっても
あなたを守ってくれているからだに
感謝の気持ちを忘れずに
過ごさないといけないですね。
人は誰かに見守られて生きている
人は
ひとりでは生きていない
ひとりでは生きられないとも
よく言われます。
確かに
人は特につらいときは
誰かが見守ってくれている
自分の元気になるように
願って祈って下さっていると思うと
どんなに力づけられることでしょう
そして
一歩、一歩前に進むことができるでしょう。
僕も入院したとき
家族が、スタッフが
他にも回復を願ってくれる方々の
無心の祈りによって
病から回復し
また今ここにいられると思っています。
人の思いに助けられたのは間違いないのですが
忘れてはいけないのは
僕をどんな時も、守ってくれていた
自然の力があることを知りました。
入院して、感じることができた
自然の力。
恥ずかしながら、それまでは
ほとんど意識することはありませんでした。
それは
僕の心、生き方に問題があったのです。
自然の力は
意地張った心、頑な心では
感じることができないのです。
素直な心になってはじめて
自然の力を感じ、受け入れることができるのです。
素直に自然の力を受け入れることができれば
いつでも、どんな時でも
自然の力は、あなたを、僕を
喜んで守ってくれるのです。
自然の力は
前回お話をした神の経、神経を通して
60兆個の細胞一つ一つに伝わっていきます。
素直な心がないと
すべての細胞を司っている神経が
硬直すると言われています。
神経が硬直して働けなくなると
細胞も同様に働けなくなり
体の中に毒素をため込んでしまいます。
それが
病気や不幸を生み出してしまうのです。
神経は
からだを動かしている働きがあると
現代医学では考えていますが
実は
宇宙からの力が
自然界からの力が
僕たちのからだに伝えてくれているのです。
そして
宇宙からの英知を受け取って
僕たちは生きている、生きられているのです。
そのことを
素直に受け入れていきることができれば
病気になることもなく
心豊かに生きていけると思うのです
進路指導
医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。
それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。
自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。
ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。
でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。
何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。
その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。
みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。
僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。
その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。
僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。
神の経はいのちの親へと続く
前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。
生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。
つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。
神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。
受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。
僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。
僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。
生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。
いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう
生みの親といのちの親
この世に生まれてくるためには
必ず父と母が必要です。
この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。
血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。
血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。
でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。
受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。
3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。
この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。
僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。
ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。
いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。
両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。
僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。
目がつぶれるの意味
前回のお天道様の続き。
お天道様はいつもみてるのの
お天道様は
太陽のことではなく
太陽を含めて
いのちの源の力のことと
お話しました。
なら
ごはんを残すと目がつぶれるの
目は
どこか脅しのような言葉にもとれますが
目を失うとは
実は顔についている目ではなく
心の目という意味らしいのです。
心の目を失ってしまうと
感謝の気持ちを忘れてしまう。
感謝の気持ちがなくなると
不幸、災難、病が近づいてくると
昔の人は考えたのです。
現代人も
感謝の心を持ちなさいと
よくいわれます。
感謝の気持ちを忘れずに生きることが
しあわせへの道へとつながるのです。
毎日生きていくうちに
大切な生活できることへの感謝
今生きていることへの
いのちの源への有り難い気持ちを忘れずに
いきているでしょうか?
自分の利益だけを考え
自由気まままに、わがままに
生きてはいないでしょうか?
いつも
いのちの源である力が
あなたが良く生きられるように
見守ってくれているのです。
そのいのちの源の力、お天道様を
忘れずに、心の根を大切に
日々生きていくことを
忘れずに生きていけなくてはいけないこと
そんな忘れそうなことを
コロナの時代
コロナウイルスが教えてくれているのかも
しれないと僕は思うのです。
小さな奇跡は、神様からの忠告
神様って何気なく
忠告を与えてくれているように思います。
でも、人間は
神様が送ってくれるサインに
なかなか気づかないようで
はっきり気づき、悔い改めるように
仕方なく病気を起こしてる気がします。
例え大きな病気をしなくても
ちょっとしたからだの変調は
神様から送られた
気づきのサインのなんだと
思わされた
小さな奇跡が起こりました。
僕は退院以来、毎朝
リハビリをかねて
近所の神社3カ所、8柱の神様に
日頃の感謝を込めて
お参りさせていただいています。
ある朝、散歩中に
左足親指の先に軽い痛みを感じました。
靴の中に石がはいって
親指を刺激しているんだろうぐらいにしか
思ってませんでしたが
次の日は
靴を履いて、歩こうとすると
左指先に力が入る度に激痛が走るんです。
麻痺ではなく、痛みのために
歩けないんです。
その日は
小雨が降った後でしたし
激痛のため
歩いてすぐの神社にお参りしただけで
その先を行くのを断念しました。
確かに
何かの炎症があるんでしょう
指先は少し赤く腫れてはいましたが
その程度で
こんなんに歩けないものか
明日から自力でスタスタ歩きづらくなる
朝の散歩も
今まで通りお参りができなくなる。
神様にご挨拶できなくなる
悲しみ。恐怖に襲われ、
大げさではなく目の前が真っ暗になりました。
歩けなくなる現実にぶち当たった時
今までお参りした神社の光景が目に浮かびました。
そして
歩けなくてもいける
大事な神様にご挨拶していましたか?
という声を聴いたんです。
あ、そうだ
自宅の神棚の神様に
毎朝神棚の隣で身支度を整えているのに
いつもご挨拶を忘れていました。
家の神様のことも
散歩中に頭によぎることはありましたが
これだけ、神棚より大きなお宮に
お参りしているんだから
一緒にしているようなもんだよ
と自分勝手な考えで正当化し
家の氏神様をなおざりにしていました。
神様は
遠くに行かなくてもいい
まずは家の神様に手を合わせなさいと
僕に伝えるために
足指を痛くして、歩きづらくされたんだということに
気がつきました。
「かみさま、ごめんなさい。
かみさまがいつも見守ってくれていたのに
僕の恩知らずの行動を
お許し下さい」と
何度も心の中で思いながら
神棚の前で手をあわせました。
手を合わせたあと
なんだか心がすっとしましたが
痛みはまだ続いていましたが。
その日の午後
神棚の近くでうとうととした後
午後の診療を開始しました。
その時
左足の異変に気づきました。
寝る前までは
靴が当たって圧迫されただけでも
痛みがあったのに
ほとんど痛みを感じなくなっていたのです。
神様の仰りたかったことを
僕が聞けてからだと思ってます。
このことはたいしたことがない
他の人にとっては
何気ない日常の事件
小さい奇跡かもしれないだけど
神様からのメッセージだったんだと
僕は思ってます。
神様からの
メッセージを感じながら生きていけたら
日々救われる気がします。
生い立ち③医師にあこがれていた少年時代②占い
どこかで
医者の生活に憧れていた自分がいましたが
でも、心のどこかで
なれるわけはないと諦めてました。
なぜか
医者になるには
お金がかかるから
お金持ちや
もともとお医者さんの家に生まれてないと
なれないものだと思っていたからです。
僕は
サラリーマンの家庭に生まれてるから
それは憧れだけなんだぞ。
医者になろう、医者になるなんて
考えるなとしていた気がします。
両親も、一度も何になれと言ったことはなく
きっと
医者でなくて普通のサラリーマンになれば
と思っていたと思います
でも
ひょっとして
なれるかもしれないと
心の底で思ってたのかもしれないと思える
ささやかな自分だけの事件があったのです。
それは
学校帰りに
近所のスーパーによったとき
本屋の前にあった
生年月日を入れると
自動的に前世を占ってくれる
占いのゲームがありました。
いつもは
何も気にしなかったのですが
小学校4年生のある日
ちょうどお小遣いの残りもあったので
前世占いをなぜかやってみよう
という気になりました。
そして
出た結果をみてびっくり。
そこに書いてあった僕の前世に
心ときめいたのを今でも
憶えています。
そこには、こう書かれていたんです。
「あなたの前世は医者でした。
あなたは、目の前の人の顔を見ただけで
病気を診断し、治療もしてしまう
名医でした。」
え、本当に。
自分の心に隠し持っていた
僕がなりたいと思っていた姿を
この前世占いが当ててくれた。
びっくりしました。
僕は、そんな名医になりたいと
思っていたことを確信し
もし、そんな名医の生まれ変わりなら
また医者になれるかも?
なんて夢を描いたような
自分の気持ちを
言い当てられた気がして
誰にも今までも語らず
そんな100円程度の占いが
当たるわけもないと思いながらも
その結果を大事に、大事に
財布の中に入れて持ち歩いていました。
そして
もしこの前世占いが正しいなら
将来僕は
医者になれるのかもしれないと
自分の将来をかけている
自分がいた気がします。
その医者像が
今も思っている
僕がなりたい医師像だったのです。
でも
実際医者になろうと決心するまでには
まだまだ時間がかかるのでした。
お天道様
最近耳にしなくなった言葉の一つに
「お天道様」という言葉があります。
こどもの時
「ごはんを残したり
食べ物を粗末にしたら
お天道様に申し訳ない
目がつぶれるよ」とか
「誰も観てないからといって
悪いことすると
ちゃんとお天道様がみてるよ」
なんて言われたことが
よくありました。
最近耳にしなくなった
「お天道様」という言葉ですが
僕はてっきり
太陽のことだと思ってましたが
実は
太陽のことではないことを
この年になってやっとしりました。
お天道様って
太陽のことではなく
全てのいのちの源を育む
自然の力のことを
お天道様と昔の人は呼んでたんです。
人間だけに限らず、動物も植物など
地球上の生物だけでなく
地球も太陽も
宇宙にある全ての星など
あらゆるものがお天道様の力で
生み出され育てられているのです。
科学がどんなに進歩して
人間がどんなに力をもったとしても
「いのち」を作ることはできません。
そして、昔の人は
すべてのいのちをうみだした
いのちの源流であるお天道様を
尊敬し、敬い
日々お天道様に守られ生きて、
お天道様の元にまた帰っていくこと
も知っていたのかもしれません。
お天道様のおかげで
お日様が照ってくれて
土地を肥やし、食べ物ができる
海では、魚が育つ。
我々のからだの元を作っている
今生きているのは
いのちの源の力
お天道様のおかげ。
だから
食べる前には
お天道様に感謝して
いただかせてもらう
食べ終わったら
ごちそうをいただいたと
手を合わせるのです。
すべてのものを
生み育てる
いのちの源の力
「お天道様」に誰をも感謝して
生きていかなければならないと
そのことを忘れてはいけないと
昔の人は
ちいさいこどものうちから教えてたのでしょう。
さらに
目がつぶれるの「目」にも
込められた大きな意味があるのです。
それについては次回のブログで。
善・悪を作ったのはあなた(人間)
善・悪をつくり、判断しているのは
神でも、仏でもなく
人間の都合によって作られた基準による。
たとえば「水」について。
水は人だけでなく全生物にとって
生きていくためにとても大切なもの。
水がないと生きていけないから
暑いときはしっかり水分をとるように
心がけ、脱水症を予防します。
水がないと死んでしまうことは
誰もが知っている常識なこと。
でも
台風が来たり、大雨がふって
川が氾濫したり
津波がおこって災害をおこすと
途端に
水は恐怖の源になって悪とも思ってしまいます。
けれど
どんな状況でも
水自体は、善でも悪でもない。
善・悪を決めているのは
人自身の判断、
人の心だということになります。
そして「死」についても
人は悲しい、怖い、
死ぬのは嫌だと思っている人も
たくさんいらっしゃいます。
でも、もし生まれ変われることができる(輪廻転生)
があると考えれば
死は単なる通過ポイントであり
別に悲しいことではなくなりませんか?
このように
死を恐れたり、憎んだり、悲しんだりする
心の動きが
あなたの生き方を制限しているとは
思いませんか?
暗い気持ちになると
暗い波動(エネルギー)を生み出し
最初はあなたひとりの
ちょっとした暗い気持ち、エネルギーが
人から人に伝わり
負のエネルギーが集積することで
自然界にも大きく影響するように
なるのです。
この宇宙が成り立っているのは
すべて
今生きている
この地球で生活している
人間を始め全ての生物のエネルギー
波動でできあがっているのです。
ですから
あなただけの価値観
善・悪だけで行動することが
あなたの持っている波動エネルギーを変化させて
そのエネルギーはあなただけでなく
周りの人にも影響し、集積し
地球をそして宇宙全体をも変えてしまうことを
知っておかないと行けないのです。
あなたの心が落ち着けば
周りの人々の心もおちつき
やがて
地球全体そして宇宙全体が
やさしいエネルギーに包まれるのです。
世の中には
様々な規則、法律、決めごとがあります。
社会生活をする上で
ルールを守ることは大切なことです。
でもそのルールは
絶対ではなく、人が決めたことであると自覚し
人が決めた善・悪は絶対ではないことを
心にとめ、縛られることなく
心(魂)を磨いて生きていくことが
大事なのではないでしょうか
