「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
希望をもつな
人は
苦しい状況になると
よく希望を失わないように・・・など
希望をもつことが
大切だと良く言われますし
僕もそう思って
希望は失わないように・・・なんて
よく口にしていました。
でも
今回入院したとき
希望をもつということ
希望を持とうと思えば
自分を苦しめることになりました。
例えば
来月は、3ヶ月後には
今までのように
歩いたりできるんだばどと
希望をもとうとすればするほど
現実とのギャップを感じ
希望の大きさに比例して不安を大きくなったんです。
苦しい時に
希望を持つ、もとうとすることは
決してしないといけないことじゃないと
今では思っています。
退院して
入院していたときのことを振り返って
なぜ、希望がこころの支えにならなかったが
わかったので
今回のテーマは、「希望をもつな」です。
希望をもったとき
自分の目線がどこを観ているか考えてみると
どこか遠くに視線を移し
遠い未来を観ていないでしょうか?
つまり
希望をもつということは
現実を見ずに未来を見ている。
現実を否定し、未来へと逃避することなんです。
希望を持つとは
今は良くないので
未来に期待しようという考えなんですね。
でも
未来を期待したからといて
現実の今は全くかわっていません。
人は
期待に裏切られてしまうと
希望もないといってしまいます。
期待が強い人ほど、絶望感が増し
そして最悪の場合
自殺してしまう人が出てきてしまうのではないのでしょうか
希望をもっても
今を変えることはできません。
もし何か現実のことから落ちこぼれた状態になった時
希望を持とうと思うより
落ちこぼれたって言いじゃないか、失敗しててもいいじゃないか
これから、こうしてみようよ
と考えたり、諭してあげる方が
希望をもとうと遠くの未来のことを考えるより
ずっと心が楽じゃないでしょうか?
病気になったときに
「絶対良くなるから、頑張れ」と
今頑張っている人に対して
もっと頑張れとムチをうちようなことに
ならないでしょうか?
それよりも
「病気になって良かったよ
このまま頑張りすぎてたら、もっと大きな病気になってたよ
ゆっくりね」と
言われた方がどんなに楽でしょう。
希望を持とうと
未来を想像するのは
現実から逃避してしまうことですが
希望をもつよりも
思ってはいけないことは
今を拭こうだと思うことです。
今不幸な状態にあると思うのは
世間や他人と自分を比較しているからなんです。
困難に陥ったとき
失敗だったな、今は反省しようなどと
いまの状況を受け入れることが
心にとっての療養になります。
病気をすると言うことは
反省する、考え直す時間をくれてるんですね。
あなたを苦しめるためではありません。
病気で気づいたことを大切に
これから生きていきましょう。
それが
本当の希望をもつことなんだと思います。
悟るとは?
前回のブログで
太宰治は「パンドラの箱」の中で
人間は死によって完成されると
書いてあることについて
書きました。
同じ文豪であられた
正岡子規が病床にいたときの
日々の思いを書き留めていた
「病床六尺」の中で
悟りについて書かれた箇所があります。
「悟りといふことは
いかなる場合にも
平気で死ぬること思っていたのは間違いで
悟りといふことは
いかなる場合にも
平気で生きていることである」と
書いています。
つまり
悟りとは
自分がどう生きていくべきかを
何か修行をして気づくことではなく
日々の生活の中で気づくこと
今を生きること
すなわち、今を生きていること全てが
悟りなんだと思う。
悟りとは
何を悟るのか?
生きている日々の中で
何を感じたときに悟ったと思うのだろう?
僕は
悟りは学ぶものでもなく
人から教えてもらうものでもなく
こころで感じるものではないのかと思う。
こころで感じたものは
きっと魂が学ぼうとしたもの
現世に生まれてきた目的
そして魂の学びを感じられたときに
悟ったと思うのではないのでしょうか。
僕も
病気をして
全てを失ったときに
自分の生活、生き方に向き合い
「愛」の大切さを知りました。
「愛」を学ぶために
この世に生まれているのだと思います。
だから
今もこうして思い、感じたこと
つまり僕の感じた小さな悟りを伝えたくて
毎日ブログを綴ってえるのだと思います。
今の生活、今生きている瞬間
全てが悟りの瞬間なんです。
そんな悟りの時間を
大切に愛を込めて過ごすことで
自分の生きていく道、つまり悟りの道が
広がっていくのだと思います。
死によって完成する
生きるとは何か
死ぬとは・・・・
この永遠の命題について
昔から
多くの哲学者を始め知識人が考え
各々の考えを残しています。
昭和の文豪太宰治は
著作「パンドラのはこ」の中で
こんな風に語っています。
「人間は死によって完成せられる
生きているうちは
みんな未完成だ。
でも、虫や小鳥は
生きて動いてるうちは完璧だけど
死んだ途端にただの死骸だ。
完成も未完成もない
ただの無に帰る。
人間はそれに比べると
まるで逆である。
人間は死んでから、1番人間らしくなる
というパラドックスも成立するようだ」と。
つまり
今生きているのは
何か目的をもち
自分を成長するために生きていると
太宰は考えたのだろうか?
死は終わりではなく
死をもって生きて経験したことが
意味をなす。
肉体以外に魂があること
魂の成長のために
生きているのだと言っているのか?
太宰治は
破天荒な人生を生きた方のように
僕は思うのが
何かの成長を意識して
生きてこられたのかもしれない。
太宰治が
魂のことを信じていたかどうか
確認する術は
今の僕にはないが
きっと人は
魂を持ってこの世に生きていて
死ぬと、肉体は死骸だけれど
魂はその後もいきると
考えていたのかもしれない。
太宰治の話を聴くことができるなら
是非きいてみたい。
あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と
心豊かに過ごすためにできること
11月になると
朝晩は冷え込む日も多くなりました。
診療のある日は
日が昇る前に家を出て
神様にごあいさつと
日の出を拝んで一日をスタートするのが
僕の日課です。
でも、休日は
時間に縛られることも少ないので
少しのんびり起きて
家族の予定に合わせて
ゆっくり朝食を食べ
それから
神様のお参りに出発します。
いつもは
まだまだ暗く
すれ違う人も
まばらな感じで
みなさんおそれぞれのルーチンワークが
あるのでしょう
黙々とおつとめをされている感じで
すれ違っても
挨拶さえ、はばかれそうな気がします。
でも
休日にすれ違う方は
お散歩を楽しまれる余裕もあるのでしょう。
すれ違うと
あいさつはもちろんのこと
ちょっと立ち止まって
ひと言、二言雑談をすることもあります。
お互い気持ちに余裕があるからでしょう
飼い主がリラックス為ているからでしょうか
一緒にお散歩しているわんこも
尻尾を振ってあいさつしてくれます。
お互いとても心地よく
別れ、お散歩が続けられます。
これは休日だからではなく
気持ちの余裕を持って
一日のスタートができれば
その日はきっといい一日になるのでしょうね。
休みの日だけでなく
仕事の日も
気持ちの余裕を持って
行き交う方々とあいさつしようと思います。
そんな些細や心がけ一つで
その日が心豊かな一日に変わることは
間違いないと思います。
目に見えないのは人間だけ?
目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。
実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。
虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。
このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。
見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。
今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。
だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。
学術会議騒動に思うこと
菅政権になってから
初めての国会が開かれましたが
日に日に増加している
コロナウイルスに関して考えてくれるかと思えば
与党も、野党も
学術会議のメンバーの選定方法ばかり
話し合ってる気がします。
その会議で
6人のメンバーを選んだ云々が
どれだけ今の世の中に関わっているのかと
ちょっとピント外れに見えて
日本のこれからが心配になりました。
世の中を進歩発展させるためには
学問が大切なことは間違いないと思います。
ただ
現代社会の基盤となっている
経済と富を追求する学問のみでは
これからの世界に対し
平和な社会や国家を建設し
そして人類全体に与えること
は望めないと思うのです。
人間は生きているのは
この肉体だけでなく
魂と共に生きているのです。
そして、それは、人間だけでなく
すべての生物、地球自体もそして宇宙全体にも
言えることだと思います。
つまり
人間が生きていくためには
己の魂と宇宙のエネルギー(魂)との関係を
充分に悟り
今まで人類が獲得した叡智と
融合し織り込んでいくことで
学問は発展していくのだと思います。
20世紀の大物理学者であったアインシュタインは
「この宇宙の森羅万象について
化学の説明できることは無に等しい」
「宗教なき科学は、足が不自由である。
科学なく宗教は、物もみえない」
従って
科学もこれまでとように、物質中心ではなく
心とエネルギーのことも考えながら
そして、科学も宗教を付け合うことで
平和な社会を建設し
これからの人類に平和を与えてくれるでしょう。
これは
医学に対しても同じ
人間のからだだけでなく
心、つまり魂を診ることが
重要だと言うことです。
今争っている
学術会議の問題の根本は
人数ではなく
学問の根本について考えていく必要がある
と言うことだと思うのです
進路指導2
医者になる道を
選択したものの
本当に心に描いたような医者になれるか
自信がなかったのでしょう
今とちがう形で
夢を描いていました。
医者には
患者さんを診る医者と
研究する医学者という道があります。
当時
僕には姉が生化学の研究者である方と
結婚することが決まっており
将来有望な医学者として
期待され、近々アメリカへ留学される
予定の彼であり
時々、医者についての話を聞くことがありました。
義理の兄となる人の
後ろ姿を診ながら
そうか、研究者という道がある
そうすれば、世界を股にかけた仕事で
人を助けられるんだ。
そうだ
留学して、癌についての研究をしよう。
そんな医者になろうと決意し
受験勉強に取り組んでいました。
でも、理科的発想ができないのに僕が
世界を渡り歩きたい
そんな医者になる道を選び
それが科学者というのも
今考えている理想とした医師像から
少しピントが外れた選択だったんです。
そういえば
理科系でも難関と言われる医学部に
文科系人間の僕が挑むと決めたのは
医者は理科系頭は必要ない。
人の心も考えないといけない
生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
受験に理科系科目が必要なだけで
医者は理科系頭じゃなくても
できるからと思ったから理科系を選んだんです。
理系に言っても
僕の進む道は、医者になっても
世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
その時点で持ち続けていたんですね。
医学者として
世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
僕はなぜか
臨床医になるのは
夢の夢と思ってたのでしょう。
ひと言でいうなら
サラリーマン家庭でもなれる
医者の道を歩くことを決めたんですね。
まだまだ迷いの多い決断でしたが
魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?
脅威の免疫システムのおかげで今を生きられる
休日のある朝
たまたま観た
「驚異の免疫ネットワーク」という番組。
ちょっと難しいコロナウイルスと免疫のことを
鮮明な画像で解説している一般のかた対象の医学番組。
海外の放送局制作の番組のために
全編英語、でも字幕もあるので
映像の美しさにもひかれ
英語と医学の勉強もかねて最後まで見入ってしまった。
新型コロナウイルスという
新ウイルスと
体内の免疫力との戦いを解説していた。
免疫学の復習もかねて
書いてみると
体内にコロナウイルスであれ、インフルエンザであれ
ウイルスなどの未知の異物が体内に入ると
体内の食細胞が
未知の異物を発見しとらえ
食べてしまう。
その時に、そのウイルスなどの遺伝子を解析し
情報を他の食細胞を共有し
2回目以降の体内に侵入した際には
直ちに攻撃できるように準備している。
しかし
ウイルスも進化し
体細胞に発見されないように
忍者のように
体細胞の中に同化し偲びこんで
食細胞の発見から逃れようとする。
すると
食細胞は免疫第2段階として
侵入者の情報をB細胞という免疫細胞に
情報を渡す。
情報を受け取ったB細胞は
抗体を直ちに造り
細胞に異物が入り込む前に
捕まえようと
抗体を作り出して
ウイルスなどの侵入にあらかじめ備えていく。
この抗体を作る
免疫力を人為的に作らせるのが
ワクチンだということになります。
これで
もう、新型コロナウイルスが体内に
侵入しても大丈夫かと思いきや
新型ウイルスも進化し
どんどん強力かするのです。
今回の新型コロナウイルスでも
多くのかたがいのちを落とされました。
その人々の多くは
肺に血管が血液が詰まる塞栓症が
原因でなくなる方の死亡がほとんどでした。
そのなくなった方の
血管を調べてみると
血栓の中身は
血液とウイルスと食細胞そして食細胞のDNAだったのです。
つまり
免疫細胞の最後の姿だったのです。
イメージとして
食細胞が最後の力を振り絞って
自滅、自爆した
捨て身の戦法のなれの果ての姿だったのです。
これを医学的に
サイトカインストームだと言いますが
これを起こさせないようにしないと
いう考え方もあるけど
僕は
未知の予想外の相手の
コロナウイルスによって
身を呈して頑張って
捨て身の戦法までとって
闘ってくれる食細胞、免疫細胞に感謝です。
相手がどんなに強大でも
いつも僕のからだを守ってくれていることを
改めて感謝しかありません。
そこまでしてくれて
たとえ僕がなくなっても
責めることも、悔いることもありません。
でも、この免疫力も
急にできたわけではなく
人類が生まれたという5億年前から
様々な病原菌と闘ってきた病原菌との
長い長い歴史の結果なんです。
僕たちは
このご先祖さんから引き継いだ免疫力をもらって
現代社会を生きています。
こんな僕たちも
生まれたときは純粋で、免疫力は働いていません。
しかし
母乳をのみ
数々の感染症にかかりながらも
母の愛、両親の愛、ご先祖さんの力で
演繹力を育みながら
生きている、生き続けられていることを知り
生きていかなければならないということを
コロナウイルスが教えてくれていると思うのです。
神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。
著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
これからもよろしくお願いします。
大統領選挙に思う~世の中を変えるのはあなた~
アメリカだけでなく
日本も世界も
これからのアメリカそして世界を牽引する
リーダーを選ぶ選挙に注目し
すったもんだがありましたが
なんとか
バイデン氏の勝利
次期大統領にほぼ決定したようです。
今回の選挙の報道をみて
アメリカ国民だけでなく
世界中の人々が
世界の、この地球の今後の未来が
どうなるか案じながら
みていた方も多いことでしょう。
僕も
今の政治、それに対する人々の行動が
とても明るい未来を向かっているのか
心配しながらみてました。
人が人を選び
人が人のために働く
その行動が
誰のことを思って行動しているかが
とても重要なんだと感じました。
人はみな神の民人として生まれています。
ですから
人々はみな自分自身の中に
神は、自分の分身の魂の一部を宿して
生まれてきていると言います。
生きていることは
その神の魂に気づき生きていくことで
神ともにあることに気づき
そして神の元に帰っていくのだと言います。
神の魂の存在に気づかずに
一生過ごしてします人もいますが
気づいた人には
それ成りの行動をとる責任があります。
世の中不安定になっている時代だから
人類を救うために
ひとりひとりが気合いをいれて
地球を救うために頑張らないといけないかというと
大統領選挙演説のようなことを表明する
必要はないと僕は思います。
気づいた人、目覚めた人は
誰を救うのか?
地球を救わなければならないのか?
と思って頑張るのではなく
自分自身をが自分自身を救っていく時代に
なってきていると思うのです。
藤井聡太君などのように
高い能力をもった若い人が注目を集め
彼らのことをレインボーチャイルドとも言いますが
現在、周りを見回すと
決してマスコミに注目されなくても
才能豊かなこどもたちが増えてきていると思いませんか?
実際
この世には
レインボーチャイルドのような
世界をあっという間に変えてしまうような
魂の導き手が次々生まれてきています。
これは
自然の力が、自ら地球を救うために
レインボーチャイルドを
どんどん誕生させている時代に
なったということなのです
だから
ひとりひとりが
「我こそが地球を救うために」と
声を上げて頑張る必要もなく
そんな時代でもなくなっているのです。
ただ
僕たちがすべきことは
ひとりひとりが、
目先の利益、欲に目をくらませることなく
魂の声に従って
自信をもって生きていけばいいのです。
あなたのこころの中には
本当の自分の魂があるのです。
魂は神様の思いの一部であるのだと思います。
ですから
人は神の子と言ったりするのだと思います。
だから
いつでもあなたを守ってくれている神様は
あなたのこころの中にも
僕のこころの中にもいるのです。
あなたのこころの中に
あなたをいつも守ってくれている
神がいることを信じて
日々過ごせばいいのです。
誰が大統領になっても
あなたは自分の信ずる道を
自信をもって歩いていけばいい
自分自身を救えるのは、自分しかいないのです。
自分の心が感じるままに生きる
自分の魂の波動に従って生きていけば
あなたの身近な隣の人にも
波動として
あなたの生き方が変わり
世界が、世の中は変わるのです。
あなたが真実の道を歩いて行けば
誰が大統領になっても
世の中は変わっていくのだと
僕は思うのです。
