私信」カテゴリーアーカイブ

進路指導②

医者になる道を
選択したものの
本当に心に描いたような医者になれるか
自信がなかったのでしょう
今とちがう形で
夢を描いていました。

医者には
患者さんを診る医者と
研究する医学者という道があります。

当時
僕には姉が生化学の研究者である方と
結婚することが決まっており
将来有望な医学者として
期待され、近々アメリカへ留学される
予定の彼であり
時々、医者についての話を聞くことがありました。

義理の兄となる人の
後ろ姿を診ながら
そうか、研究者という道がある
そうすれば、世界を股にかけた仕事で
人を助けられるんだ。

そうだ
留学して、癌についての研究をしよう。
そんな医者になろうと決意し
受験勉強に取り組んでいました。

でも、理科的発想ができないのに僕が
世界を渡り歩きたい
そんな医者になる道を選び
それが科学者というのも
今考えている理想とした医師像から
少しピントが外れた選択だったんです。

そういえば
理科系でも難関と言われる医学部に
文科系人間の僕が挑むと決めたのは
医者は理科系頭は必要ない。
人の心も考えないといけない
生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
受験に理科系科目が必要なだけで
医者は理科系頭じゃなくても
できるからと思ったから理科系を選んだんです。

理系に言っても
僕の進む道は、医者になっても
世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
その時点で持ち続けていたんですね。

医学者として
世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
僕はなぜか
臨床医になるのは
夢の夢と思ってたのでしょう。
ひと言でいうなら
サラリーマン家庭でもなれる
医者の道を歩くことを決めたんですね。

まだまだ迷いの多い決断でしたが
魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?

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先輩医師の死

知らせは突然だった。
メールが届いた時には
忘れられない名前なのに
本当に先輩の名前なのか
わからなくなるぐらい
混乱していた自分がいた。

最後にあったのは
昨年春の小児科学会。
お昼のセッションで偶々出会い
一緒に昼食を摂ったのが最後だった。

研修医時代に
新生児医療に対して
文字通り一から教えていただいた
先輩医師。

その指導は
厳しくも、やさしさもあり
いつも僕を信じて指導してくれた。

最後にお会いした時も
そのお人柄は
当時とは全く変わらなかった。

その先輩が、もういない。

その先輩の死が信じられず
生きている証を捜そうと
HPを訪問した。

すると、そこには最後のお知らせが。
そこには病気療養のため
今週末でしばらく休診すると。

そして
休診予告の日が
亡くなった日だった。
亡くなる直前まで
病と戦いながら
こどもたちの診療に当たっていたのだ。

文字通り
いのちの削りながら
過ごされていたのだ。

その生き様を知って
僕にこのように最後まで
小児科医として生きていくことを
教えて下さった先輩医師。

本当に大きなことを
教えて下さった先輩。
ありがとうございます。

ご冥福をお祈り申し上げます
合掌

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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神秘体験

僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。

僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。

でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。

最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。

それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。

魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。

ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。

著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。

「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。

つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。

僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。

重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。

これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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書いている時に考えていること

一昨年から
本を書いています。

1作目は「どう生きてどう死ぬか」は
50代に経験した脳出血を経験して
感じたこと、学んだことを書きました。
2作目は「進め」という
自分の人生を振り返り、
今、若い人に伝えたいことを求めました。

そして、現在3冊目を執筆中。
これは今年還暦を迎え
今後の生き方をまとめています。

でも
今後どう生きていくかは
これまでと違い、体力も落ちるし
今までの考え方通りに行くかどうかは
書きながらも
不安を感じつつ書き進めていきました。

そんな時
これからの人生について書く時の心得を
あるかたから、こんなアドバイスをいただきました。
それは

「人間は70歳を超えると
途端に体力がガクンと落ちます。
あなたはまだ60歳になったばかり。
これからは70代や80代の人生を生きる
自分を想像してごらんなさい」と。

これからの自分の姿を想像しながら
未来の70代の自分になったつもりで
書いてみようと思った。

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好みが変わったのは

病気をしてから
生活も一変しましたが
好みも嗜好も変わった気がします。

入院中している間
体重が7kg落ちました。
食べれないような病気ではなかったし
いつも3食とも完食でしたし
病院だから
カロリー計算もされている食事だったから
やせたんでしょうね。

入院前の食生活が
いかに高カロリーを摂取していたって
ことでしょうね。

入院中の月一回の体重測定で
最初は体重減少するのをみて
生活を反省しながら
体重が減るのを楽しみにしてましたが
毎回、毎回減るので
なんか違う病気があるんじゃないかと
ちょっと不安になったりしてましたが
退院後は
ぽっこりお腹も凹み
顎のラインもしっかりでて
何よりも
今まで切れなくなった、ズボン、シャツなどが
着れるようになったのが
何よりもうれしかったです。

入院中は
ある意味ストイックな生活でしたから
その反動で
退院後は生活が
乱れるかと心配してましたが
その心配はありませんでした。

嗜好が変わりました。
まず、ビールが飲めなくなりました
久しぶりに飲むビールは苦かった。
とても飲めたもんではない。
今まではゴクゴク飲んでました。
飲んでも飲んでも酔わないぐらい
飲んでました。
そんなビールが飲めなくなりました。

ビールを一口飲んだとき
こどもの時、祖父のビールを
一口いただいて苦くて、まずいと思った
記憶が蘇りました。
元々、ビールはダメなんですね。
ビールは飲まないけど
お酒は嫌いではない。
飲もうとおもう機会は少なくなりましたが
リラックスしたいときには
不思議と飲みたくなるんですね。
特に、赤ワインが飲みたくなります。
そして焼酎、日本酒も
リラックスしたときに、食事と一緒にいただき
お酒とは
言いお付き合いさせてもらってるような
気がします。

次に間食です。
僕は甘いものも辛いものも好きな
両刀だったのですが
脳出血を起こしたので
塩分は意識して控えるようにしてます。
甘いものは
あんこが欲するようになったのです。
あんこが食べたくなるんですよね
おまんじゅう、どら焼き
いわゆるあんこスィーツが欠かせません。
クリームよりもあんこ
あんこの後のおせんべいはいらなくなりました。

そういえば
とある神社の宮司さんが
僕が、あんこが好きで、抹茶と所望するのが
好きなんですといわれたのを思いだし
納得しました。

入院中といえば
ストイックな生活を強いられますが
確かに
ある面ストイックな生活ですが
嗜好が変わったというより
本来の自分を思い出す時間
だったと思います。

以上入院後1年たったブログですが
現在は・・・
好みは変わっていないのですが
病気をして6年目となり
年が過ぎ、体重も少しずつ増加中。
当時よりを思い出し
もう少し食事に気をつけねばと
気持ちを入れ替えたところです。

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誕生日を迎えて

本日60回目の誕生日を迎えました。
誕生日を迎えたからと行って
急に成長するわけではないし
おめでとうといってもらうことがあっても
昨日までと
変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
正直な実感です。

そんな時
伊勢物語の主人公でもあられる
在原業平の和歌を知った。

「日やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」という歌です。

この歌の解釈を
作家高樹のぶ子さんが
こんな風に解釈されています。

「この月は
いつぞやの月とは違うのか。
いや、そんなはずはない。
今年の春は
去年の春と違うのか。
いや、そんなはずもない。
我が身として、昔のわたしと変わらない。
それなのに
なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
そうか、
わたしの心が変わったのだ」と
の書いています。

そしてあこがれの人を思い
「あのお方がいた頃のしあわせだった
わたしが見た月や感じた春は
あのかたを失った
今おわたしが見る月や感じる春とは
確かに違う。
それほど、わたしは
あの方を思い続けている」と

熱く、熱く
純粋に人を愛する気持ちを
詠った和歌だったんですね。

自然も時間も
いつも雄大な流れの中に
身を置いて僕たちは生きている。
変わっていくのは
自分の身、思いだけである。
だから
昨日の自分の気持ちと違う
自分として生まれ変わった気持ちで
自分の使命、生まれてきた目的に向かって
これからも明日も、明後日も
しっかり歩いて行こうと思います。

僕がどんな時にも
太陽も、風も、花も虫も
変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
応援してくれている。

ほんとうに
有り難いことです。
今、この時代、この時に
生きていられることに
本当に感謝です。

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大阪万国博覧会の思い出

大阪で万国博覧会ガ開催されました。
大阪で2回目の万博。
前回は1970年の開催だから
僕は当時5歳。

我が家はサラリーマン家庭で
当時は高度成長時代で
父は仕事中心の猛烈会社員だったから
家族旅行なんて
当時数えるぐらいしかないけど
その数少ない旅行の中でも
印象に残っているのが
この1970年の大阪万博。

でも
旅行事態の思い出は
太陽の塔の姿を少し覚えている程度。
きっととても人が多くて
会場ではくたくたに疲れて
楽しむどころではなかったのだと思う。

それでは
何を覚えているかというと
旅行に行く前
家にあったガイドブックを繰り返しみて
旅行を楽しみにしていた記憶。

ガイドブックには
各国のパビリオンの紹介がされていたと思います。
当時、漢字は読めませんでしたから
月の石が展示されたとか
人間洗濯機があったとか
トピックに関しては、全く知らない状況でした。
でも、繰り返しガイドブックを見て
どこに行こうか考えていました。

ガイドブックの何を見ていたかというと
世界にこんなに多くの国があることにびっくりし
日本では見ない独特のきらびやかな民族衣装に見とれ
そして
美味しそうな料理に目が釘着け。
特に
美味しそうなスープ。
何度も、ガイドブックを見て
フランスやイタリアのパビリオンに行きたい
美味しそうなスープを飲むんだと
幼心に決めて張り切って出発したのを覚えています。

どのパビリオンに行って
何を食べたのかは、全く覚えていない。
万博の記憶は
変える前、新幹線を乗る前に食べたそばの思い出と
疲れた感覚。

きっと人が多くて
父も母も姉もくたくただったんだと思います。
でも、世界に多くの国があることを知ったのは
僕にとっては大きな勉強になったこと
万博開催の意義はあったと思う。

2回めの大阪万博は
どんな思い出をこどもも含め残してくれるのだろう。
開幕前には
火星の石の展示、進化した人間洗濯機の紹介されて
今のところ何があるのか不明で
未来型をめざした万博が、明るい未来に繋がり
人々に思い出になる万博になることを祈ります。

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犬は大好きだけど

神社の神官さんに
あなたは犬がこわいですね。
と言われた。

幼い頃から
犬を飼いたいと両親に言ってたけど
その願いは叶わなかった。
でも、犬をずっと飼いたかった
今でも気持ちは変わらない
犬好きだけど
その神主さんの言葉を
否定しかけた時
ふと、幼少時の思い出が蘇った。

まだ幼稚園の時
近所にスピッツのこどもが生まれて
その1匹を
自分の犬と決めて
一時期毎日のようにその子犬の
お世話をしていたことを思いだした。

子犬は大好きだけど・・・・
また、小学校になって
家を引っ越したので
その子犬は会えなくなってしまった。

引っ越し先の
となりの家には
雑種のジョンという成犬がいました。
その犬は番犬としては優秀で
人が来たらよく吠えるのです。
そして僕が傍を通っただけで
凄い形相で威嚇するので
怖くてたまらなかったです。

ある時
ジョンは、いつも繋がれているのに
鎖を外して
となりの空き地にいたのをみつけて
一歩も家から出られなくなったのを
思い出します。
今でもその時の恐怖感は
記憶にのこっています。

次にこのことは
親から聞いた話だけど
2.3歳の時
叔母の家で飼っていた犬を預かっていて
その犬が家の裏に繋がれていて
僕をみつけると
吠えて僕が怖がるのを楽しんでるように
威嚇するのです。

だから
裏の入り口から
決して外に出なかったんだけど
ある日
親が大丈夫だからというので
その犬の横を通ろうとすると
そんな僕をみつけて
ちょっとからかってやろうと思ったのか
吠えたのです。
案の定僕は驚いて
こけてしまいました。
すると、その犬が
勝ち誇ったように倒れた僕の上に
立ったのです。

僕は、助けを呼ぶために大泣き
その声を聞きつけた母は
驚いて僕を助け出したのでした。

その体験は怖かった。

その幼少時の体験が
今も心に残っていて
それを感じて神主さんは
僕が犬が怖いと言ったのでしょうか?

そこはわかりませんが
僕は大好きな犬で恐怖体験をしたことを
その言葉で思い出しました。

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