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投稿者「santa」のアーカイブ
警察が生活を守ってくれている
落とし物を取りに
警察署に行った。
警察署の中に入ると
土曜日だったので
窓口は閉まっていたが
多くの職員が働いている
姿が目に入った。
僕が入った途端
皆が一斉にぼくの方に
全員が鋭い視線を投げかける。
そして
僕が危険事物でない?と思ったのか
警察官が柔らかい表情で
近づいてきた。
そして
落とし物を取りにきたことを伝えると
打って変わって優しい笑顔で
椅子に座つように指示された。
休みのためか
入り口のところで
あちこちから事件の電話がかかってくるようだ。
事故の報告
絞殺?など
日頃耳にしない
事件性のあるような単語が
僕の耳に飛び込んでくる。
聞く気はなかったが
事件性を感じると
ドキドキ心拍数が上がってきた。
自分は何も悪いことをしてないと
わかっていても
ここは警察署だと思うと
早くここを立ち去りたい。
でも、待つしかない。
待ってる間にも
次々に人が訪れる。
落とし物を取りに来たり
何か訳ありの相談にきている人もいる。
応対している警察官の方は
とても優しい笑顔で
親身になってくれる。
緊張の場と裏腹に
対応してくれる警察官は
愛情にあふれていた。
警察官がしっかり
僕たちの生活を守ってくれていると
安心した
警察署訪問だった
カテゴリー: 私信
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メタトロンで肉体改造
メタトロンを続けていると
知らず知らずの内に
必要なからだにできあがり
突然事故に遭っても
対応できるからだに
なっていることを
教えられました。
その患者さんは
少年時代からずっと
野球をやっている方。
ご自身は学生時代は
もちろん野球部所属。
社会に出てからは
少年野球でこどもたちに
野球の指導をしながら
自らも
野球チームを作って
シニアの大会に未だ出場しているという
文字通り
スポーツマンの患者さん。
ずっと運動を続けていても
からだの衰えを感じることも増えてきたようで
こどもたちを指導するためにも
元気にからだを動かすことができ
まだまだ
こどもたちに負けない体力を
つけたいので、メタトロンを
健康目的で定期的に続けられています。
ずっと
こどもたちと一緒に
走り回りたいという気持ちが強いことが
診察の度に感じるのですが
人間の肉体には
時間的変化が起こるのが自然の摂理。
その摂理を受け入れ、従って生きることも
大事なことと
メタトロンを受ける度に
いい年の取り方があることを
お伝えしいたのですが
いつまで若いときの肉体のままでありたいことを
思うのは
人間の究極の夢ですよね。
でも、メタトロンをしてることで
その夢を実は叶えてくれていたんですね。
その患者さんが
メタトロンを受ける前の週末
ご自身の野球の試合に
選手として出場したときのことでした。
緊迫した試合のなか
ご自身が塁に出ていて
自分がホームインすれば
さよならだと言う場面でした。
バッターが外野にフライを打ったのを確認し
2塁にいた患者さんは
猛ダッシュしました。
三塁ベースを回ったとき
コーチは、走れのサイン
患者さんは勝利をめざして
スライディング
・・・しかし・・・
そこにいたのは
ホームではなく
大きな壁のように目の前に行方をはだんだのは
体重100kg異常あるような
巨漢の捕手でした。
患者さんは
猛スピードのまま
その男に突っ込み、顔面から飛び込んだので
気づいたときには
目が腫れ、鼻血が止まらなく
目も当てられないような
顔に変わってしまったようです。
それは
メタトロンを受けた5日前のこと
診察時には
右目の下に傷がありましたが
その衝撃のひどさは
話を聞かないとわからない状態でした。
でも、本人は
今日のメタトロンで
どんな状態かとても気にしていたようです。
メタトロンの結果は
骨も筋肉も皮膚も
全く悪い状態はありませんでした。
もちろん
衝突したことを示す所見は
全くみられません。
それどこか
胃も肝臓も腎臓も肺も・・・
からだのどこを診ても
異常はないのです。
これまで
こんなに良かったことはないくらいです。
けがの状態どころか
最高のコンディションであることを
メタトロンが教えてくれました。
メタトロンは
患者さんの若返る体力を望んでいたけど
今の肉体で
試合もできて、突発事故にも耐えられる
最高のからだに改造していてくれてたんですね。
メタトロンは
あなたの望むからだを作ってくれるのです。
カテゴリー: 真実の医療
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無農薬より大切なこと
最近は食の関心が高まるにつれて
少しでも
からだにいいものを食べようと
する方も増えています。
同じ野菜を食べるなら
無農薬を選んで食べましょう・・・なんて
消費者だけでなく
患者さんに勧めるときも
農薬の怖さをお話することもあります。
でも
最近自分で
無農薬で野菜を作ってみて
わかったことがあります。
無農薬の野菜を作ること
それを生業にしようとすると
農薬をまけば、その後楽なのに
無農薬の野菜を育てようとすると
草を取ったり、虫を捕ったり
実際にからだを動かして
手間暇かけないといけません。
最近
僕もナメクジを捕りながら
この作業が楽にするために
防虫剤を使えばいい・・・なんて
耳元で悪魔の声?が聞こえてきました。
いや、いや
農薬は虫も殺すもの
それが少しでも体に入れば
からだにいいわけはありませんよね。
虫もよく知ってるんですよね。
自然の力を受けて実った野菜は
美味しいと言うことを。
だから
虫も食べたり
綺麗な形に作るためには
とても大変で
農家さんの苦労は
幾ばくもものでしょうか?
それを考えると
からだにいいものを
食卓まで届けてくれた
農家さん、そして漁師さんの
苦労に感謝せずには
おれなくなりますよね。
我々消費者は
からだにいいものを求めすぎて
ないでしょうか?
からだにいいものを食べるのは
消費者の当たり前の権利だと
上から目線になって
その影に隠れた人々のことを
忘れてはいけないし
感謝して食べないといけないと思うのです。
感謝の気持ちを忘れてしまうと
どんなにからだにいいものも
あなたのために働いてくれないでしょう。
逆に、少々農薬を使っていても
農薬を使わないといけなかった事情が
あるのかもしれません。
ですから
農薬を使っていたとしても
感謝の気持ちをもって
食べないといけないですね。
どんな時にも
農薬を使っていても、無農薬でも
全て我々の血や肉になります。
いつも有り難いと思って
いただきたいですね。
カテゴリー: 真実の医療
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オールマイティを目指さない
世の中が複雑になるにつれて
今後なにが役に立つかわからないから
「いろいろなことに長けていないといけない」と
思っていませんか?
家庭生活を考えた時
シンプルで心地よい家をいつも整えられ
からだにいい料理を食べ
こども自信がやりたいことができて
こどもものびのび成長し
物価高でも
経済的心配もしなくていいくらい
務めてる会社も安定していて
職場環境も居心地がいい
老後の蓄えもしっかりできている
・・・そんな生活ができていたら
何も不満はないことでしょう。
こう並べると
素晴らしい人生を歩んでると思うけど
現実的には
厳しい面があり、ありえないことです。
そして社会で求められる人も
これまでは
「なんでも平均より上の人」が
求められました。
100点はないけれど、10点もない
全部70点でそろえられる人が
求められていた気がします。
しかし、時代は変わり
現代は
100点がひとつあって
あとはみんな20点ぐらいでもいいのです。
というのは
全てのことをそつなくこなすのは
コンピューターや人工知能に任せて
「これだけは得意」というものを選んで
熟知を目指していくのです。
これからの生き方は
ひとつでもいいから
誰にも負けない得意分野を
持っていることでしょう。
カテゴリー: 子育て
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健康に過ごすためにどうしたらいい?
多くの方がが気になることと言えば
健康問題でしょう。
というのは
世間にはあらゆる健康に対する
情報にあふれています。
血液サラサラのために納豆を食べなさい。
ポリフェノール摂取のために
赤ワインがいい。
免疫力を高めるためにできることは・
認知症にはオリーブオイルがいいなど
どれも
その全てが現代では正しいと言われているが
この情報がいつまで言われるのか?
健康情報にも
流行があるのでは?と思っているのは
僕だけでしょうか?
かつては
僕は、「運動する前には
水分は取り過ぎるな」と
指導されてきた。
実際、水を飲みすぎると、すぐバテるので
水分摂取は運動前には
控えていました。
しかし現代では
水分とるなぁなどと
指導する人はいません。
時代が変わると
考え方は変わるものです。
実際医学という学問も
絶対ではなく
時代がかわれば、新しい知見が現れます。
今の知識が
いつか覆ってしまうこともあるかもです。
健康になるための絶対の真理はどこに
あるのでしょうか
それは
「バランスのとれた食事と適度な運動」
ということになるでしょう。
カテゴリー: 真実の医療
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からだは地球からのレンタル品
からだの60兆億個の細胞全ては、
毎日摂取している
食べたものからできている。
地球にある全てのものは
炭素、水素、酸素などの無機物を
植物が摂取し、植物を動物が摂取し、
さらに人間が地球上の植物や動物を食べている。
そして地球の元素全ては、
宇宙からきている
つまり、元をたどれば、
僕たちのからだは
全て地球の元素からできていて
人間のからだは
地球のそして宇宙の一部ってことになる。
つまり、僕たちのからだは
地球から一部借りてできあがった
レンタル品てことになる。
レンタル品だから、いつか返す時が来る。
返却の時期が、つまり「死ぬ」ということ。
それなら、
このからだを借りてるのは誰だろう?
借主は自分自身だけど
自分自身って、誰だろう
人のからだは、
1年間もすれば
細胞は全ていれかわってしまうし
からだ自体はレンタル品だし
借主でないのは明らか。
それでは心だろうか?
心も
いつも同じ状態ではなく。
考え方も感情も
日によってコロコロ変わり
心もからだ同様
一定しないなら
借主とはいえなさそう。
私たち自身で
ずっと変わらないものって
肉体でもなく、心でもないってこと。
ずっと変わらない普遍なものと言えば
魂でしょうか?
魂が
あなたの肉体を
地球から借りて
この世に存在できているのだとしたら
この世に
魂が肉体を
地球からレンタルし
レンタル期間が終われば
地球に肉体を返し
あなたは、魂だけの存在になる。
そして、また肉体をレンタルできる日を
待っているとしたら・・・・
魂の存在
そして
輪廻転生って確実に存在するのだと思う。
カテゴリー: 真実の医療
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ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生
ロシア出身のピアニスト・ブーニンは
1985年のショパンコンクールで優勝に
当時の人気は
日本でもアイドル並の人気で
明治チョコレートのCMにも起用されほどの
大人気だったのは記憶にとどめていた。
それほど大人気であったのに
最近は全く名前を聞く機会がなく・・・
あれだけのテクニックをもった
天才ピアニストは
きっとどこかで地道に
演奏活動をしているのだろうと
おもっていました。
しかし実際には
闘病していたのです。
職病とも言えるよう肉体を酷使した結果
左手が麻痺、左足は切断するなど
そして当時のソ連から
自由を求めて命がけで亡命するなど
過酷な運命に翻弄されていたのです。
それでも
天才ピアニストとしての
人間としての尊厳を失わずに
生きてきたブーニン。
でも、以前のようなからだではなく
しかし
音楽に対する愛情を忘れずに
復帰コンサートを行うまでに
必死の努力で行えたのです。
そこには
映画ではクローズアップされてないものの
家族の存在があったようです。
この映画を見ながら
ブーニンは僕とほぼ同じ年で
僕も左手と左足が不自由で
ブーニンとは比べものにならないけど
ブーニンの不自由さ、以前とは違う自分と
どれだけ苦しみ
そして、その苦しみから脱出するための
苦しい時間があったことを
この映画から感じることができて
僕にも生きる勇気を与えてくれた映画だった。
カテゴリー: 私信
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過去は変えられる
過去にどんな苦しいことが
あったとしても
大事なのは「今」です。
「今」の連続が未来につながっています。
今、うれしい、楽しい、しあわせだと
思っていたら未来もそうなります。
過去の連続も「今」につながっている訳です。
もちろん過去に起きた出来事は
かえられません。
その出来事にまつわる感情は
変えられます。
過去の連続が「今」
「今」の連続が未来です。
大事なのは
「未来」に向かう「バス」に
誰と乗るかです。
遊ぶ人とバスにのったら
遊ぶ方向に行きます。
勉強する人とバスに乗ったら
勉強する方向にいくのです。
だから
誰とバスに乗る科は
ものすごく大事です。
これがその人の人生を決めるといっても
おかしくないでしょう。
人間関係の質が高まれば
行動の質が高まり
行動の質がたかまれば
結果の質が高まります。
そして、結果の質がよりよくなると
思考の質まで変わってくるのです。
これは循環します。
思考の質がかたまると
いい人間関係が生まれます。
カテゴリー: 今日の言葉
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神も仏もないのか
よく人は
自分の思い通りにならないことや
苦しむ状況になると
「神も仏もありはしない」と言う台詞が
思わず口から出てしまうことがあります。
人は
いいことも、悪いことも
自分に起こっていることは
何らかの自分以外の力が働いて起きていると
考えているから
苦しいときに
こんな台詞が
思わず口から出てしまうのかもしれません。
自分が生きているこの人生は
自分だけの人生だし
人生の主人公は自分です。
だから、今起きていることは
昨日までの自分の行動の積み重ねの
結果なんです。
病気になったり
何か苦しいことに出会ったときでも
決して
神も仏のせいではないんですね。
なら
神様も仏もいないのでしょうか?
実は、僕は 入院中いつも
自分を守って、応援してくれている
存在?力?を感じることがありました。
病気になったのは
自分の昨日までの行いの結果であり
それに気づかそうとして
僕は病気になったのかもしれない。
でも
動かなかった左手も、左足も
「こうなったのは、おまえのせいだから」とは
僕にもっと苦難を与えようとは
決してしません。
なぜなら
服を着替えようとするとき
必死でボタンをかけようとする右手を手伝おうと
無意識に右手の手伝いをしようとする動かない左手。
「今日もリハビリお疲れ様。夜はゆっくりして
また明日は、がんばって左足を動かしてみよう」と
語りかけていると
翌日は、指がそして足も昨日より動くんです。
僕は
からだのメッセージを受け取らずに
結果として病気になったのかもしれない。
だけど
からだは、そんな僕を恨んだりしない。
逆に、元に戻れるように応援してくれました。
僕のからだの中には
僕がどんな時でも
僕の力になってくれる存在を感じました。
この力、存在を人は
奇跡、神の力と言うのかもしれませんが
僕のからだにも、あなたのからだにも
あなたをどんな時にも守ってくれている存在がいるんです。
それを、人は神と呼んでるのかもしれません。
神様は
どんな人にも
どんなに苦しい時でも
あなたの中にいる力、存在なのだと思います。
カテゴリー: 心の調べ
神も仏もないのか はコメントを受け付けていません
神と髪
みなさんは、神様というと
どんな姿が目に浮かぶだろうか?
男?女?若い?老人?
太ってる?痩せてる?
髪はある?
ひげは生やしてる?
みんなさんそれぞれのイメージが
あることでしょう。
僕は
もちろん見たことはないけど
立派な白いひげを生やして
少しはげてて
杖をついた
老人の姿を思い描いてしまいます。
実際
神様は若い方もお年寄りの方も
いらっしゃるようです。
そして
禿げた姿の神様は
知恵の神様らしいです。
悟りだけでなく
先の先まで見通しているとか
神の計画や人生の方向性、天命をなどを司られる
そういう神様は
禿げているらしいです。
つまり
知恵は知恵でも
宇宙のコンピューターの如く
あらゆるものを悟っている頭脳は
禿げた姿で表されるのです。
髪は情感を表すものだと言われているので
お坊さんは髪を剃るのは
世俗の思いとか感情などの表す髪をたって
神の意志を果たそうとするのです。
なら
髪が白くなるのは
人間的に枯れること
つまり原点に返っていくこと。
人間本来のあり方や原点が
わかってきつつある
ことを示しているのです。
年取って
髪の変化は気になります。
決して老いたからではなく
人生における学びの一つの
通過点にいることを
教えてくれるのでしょう。
僕も
病気をして、白髪が増えました。
その意味を
毎日鏡を見ながら
今の自分の立ち位置を振り返っています。
カテゴリー: 今日の言葉
神と髪 はコメントを受け付けていません
