日別アーカイブ: 2025年6月26日

適齢適所で生きる

「適齢適所」という言葉は
野球人として様々な記録と共に
多くの名言を残している野村克也氏が
74歳の時日本プロ野球界史上最高齢監督に
なった時に残した言葉。

「監督は体力もさることながら
知力、眼力に分析力という経験が大事なんだ。
頭さえしっかりしていれば、年齢なんか関係ない」と
「適齢適所」で生きていくという言葉を残された。

つまり
何歳になっても
衰えを感じてても
「年齢に応じて輝いて生きていける場所がある」
という、還暦を迎えた自分にとって
とても勇気を与えてくれる言葉。

生きていくということは
年を重ねるということは
「若さ」を奪われていくことではない
「経験」を重ねていくことなんです。

更に監督は
「全盛期を過ぎても、落差に絶えつつ必死でやる。
なんてことを惨めと感じる人はいるでしょう。
ところがボクはそう思わないんですよ。
なりふり構わず、自分の可能性を最後の最後まで追求する。
その方が美しいという。
これは僕の美意識です」と語った。

つまり、年齢をできない理由にするなということを
教えてくれた言葉です。
死ぬまで輝いていけることを
教えてくれた力強い言葉です。

カテゴリー: 真実の医療 | 適齢適所で生きる はコメントを受け付けていません

しあわせの方程式

一般的というか常識的には
しあわせを感じるときは
欲望が満たされたときと考えられてます。

つまり
「しあわせ度=欲望分の充足」で
分母が欲望の量で、分子が現況での充足で
表されると思います。
例えば1000万円ほしいなぁと思っていて
現在500万しか手元になかったら
しあわせ度は500万/1000万で
しあわせ度は1/2と表現できるとも
言えますが
・・・・実際は
この方程式通り
手元に500万円以上手に入れられると
実際は
しあわせ度がますかと言えば
中々この方程式通りにはいっていないのが
現実ではないでしょうか?

それはなぜなのか?
僕はしあわせ度は
欲望がどの程度を満たされているかで
計るものではなくて
「しあわせ度=少欲分の知足」で計るもの
だと思うのです。
つまり
出来るだけ良くを減らして
今現状で足りていることを自覚して
生きていくことで
しあわせ度を計るのです。

生きている限り
欲がなくなることはありません。
究極的に無欲ならば
分母は0になりますが
分母が0nなることは
この方程式は成り立ちません。

つまり
欲を少なくすると
動詞形で考えたほうが
いいかもしれません。
欲を少なくしようと生きている中で
少ない状態でも
「ありがたい」とどれだけ思えるか
ということではないでしょうか?

世の中の事件をみても
お金が元になったトラブルは後を絶ちません。
お金に絡む欲望は
少なくなることはありません。
雪だるま的に
どんどん増えるばかり。
ブレーキが効かなくなります。

餓鬼は
欲望の奴隷になった姿だと
言われます。
今の資本主義中心の世界の中で
自分自身が餓鬼にとりつかれていると
気づいている人は
どれだけいるでしょう。

欲望の奴隷になると
その欲望が
貨幣への信仰のもと
進歩、発展という信念のもと
技術発展することが
至上課題だと
信じてやまなくなり
進んで言ってしまうのです。

そこには
他の人のことを考える
思いやり心はどんどん薄くなっていることに
気づいているのでしょうか?

カテゴリー: 今日の言葉 | しあわせの方程式 はコメントを受け付けていません