年別アーカイブ: 2020

リーダーの素質

 最近
 日本では総理大臣が替わり
 アメリカでは大統領選挙が行われ
 ここ防府市でも
 市会議員選挙など
 リーダーを選ぶ選挙が行われました。

 そこで
 リーダーについて
 少し考えてみたいと思います。

 リーダーとは
 人の上に立つ指導者です。
 人の上に立つということは
 みなさんのことを理解する
 つまり全てのことを
 理解しなければならない立場にいます。

 全てのこととは
 文字通り全てのこと。
 経済などの
 目に見える物質的なことだけでなく
 人の気持ち
 ものを動かす力
 地球、宇宙のエネルギーなど
 全てのものを構成するメカニズムなど
 目に見えない力との調和も
 考えていかなければならないのです。

 物事の道理、真理、真髄を理解し
 自ら行動し、人々を引っ張っていくことが
 リーダーになる人の大きな役割だと思います。
 
 真理を理解し、行動を 
 くみ上げていかないと
 どこかで必ず失敗しかありませんし
 そんなリーダーが作った組織には
 不満しか残りません。
 そんなうわべだけの行動で
 真理に促さない行動をとっている場合は
 いくら知恵を絞っても
 よい知恵、良い結果はえられません。

 これは
 地方自治体だけで無く
 国家においても同じです。

 真理を考えの原点とし
 考え方を変換することが
 国家をも安定させることになります。

 つまり
 リーダーこそ
 意識革命が必要なんです。

 真理に反した行動を続ければ、続けるほど
 もがけば、もがくほど
 地獄に落ちてしまいます。

 世界中のリーダーと言われる方に
 知っていただきたいのは
 私利私欲を優先した行動をしないで下さい。
 真理を無視して
 自己満足優先、自我意識で運営していては
 世界はよくなりません。
 何も変わりません。

 もし、一見経済が復活したとしても
 今回のような
 パンデミックが起きたり
 新たな天変地異が起こるやもしれません。

 子や孫、子孫に残すものは
 財や名誉ではなく
 今いる地球、
 変わらない宇宙、世界のはずです。

 この世界を守るために
 リーダーの意識革命が必要だと思うのです。

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小児科を志す

  進路にも迷いながらも
  医学の道を志し
  無事医学部に入学。

  医学部は特殊な学部です。
  ある意味潰しがきかない学部でもあり
  将来医師になるしかありません。
  ある意味退路を絶ったと言うことになります。
  でもそんな深刻な感じではなく
  周りのみんな
  みな医師を目指す先輩、友人、後輩に囲まれ
  こんな環境に身をおいていたので
  もう迷いもありません。
  別の道を歩こうなんてこと
  考えもしなくなって
  学生生活を集中して謳歌して
  過ごしてました。

  そしてまた
  選択の瞬間がきました。
  それは
  医学部の6年生の時に
  自分の進む方向をまた決めなくてはいけません。

  僕の時は
  現代のような研修医制度がなく
  大学の医局という科に属して
  腕を磨き
  一人前の医師になっていきます。

  学生時代に
  内科、外科、皮膚科、眼科・・・・・など
  全ての科を習い、実習し
  自分の進む科を決めるのです。

  その選ぶときに
  大きな選択になるのです。
  科も大きく
  手術をする外科系と手術をしない内科系
  に分けられます。
  僕は正直にいうと、器用なほうではないので
  外科の選択しはありませんでした。
  内科系、精神科が残ります。
  内科系は、内科系でも
  消化器系、循環器系、内分泌系など細かく
  臓器別に別れていきます。
  癌にも興味があり
  消化器系にも心が揺れました。

  6年の夏休み
  九大の小児科を見学に行きました。
  その時の医局長であられた南先生に
  案内していただき、小児科について説明をうけました。
  その時、先生は
  「こどもを見るのは
  手間もかかるし、時間もかかる
  苦労した割には報酬も少ない科なんだよ。
  でも、こどもひとりを助けた価値は
  そんなお金では換算できないほどの価値があるんだよ」
  と話をされました。

  その言葉に心うたれました。
  お金ではかれないほどの大きな仕事に
  取り組みたいと思いました。

  その他にも
  人間の心にも興味があったので
  精神科も選択しにありましたが

  ひとりで
  まずは自分で診断し治療する医者になりたい
  お金でない価値ある仕事をしたい
  という意味で
  小児科を選択しました。

  お金に価値を置かない考え方
  また
  ひとりで何でも見れる医者になりたいって
  その時は忘れていましたが
  小学校の時した前世占いの
  ぱっと見ただけで診断、治療した名医という
  姿を追いかけていたのかもしれません。

  そして
  自分ひとりの力を尽くして
  病気と闘う人々と共にいようと考えたのは
  自分でもちょっと変わった選択だと思ってました。
  それはB型という血液型による
  自分のせいだからと思って納得していましたが
  実は、魂からの選択であったと
  今振り返ると思えるのです

  そうして
  魂の目的を、夢夢を果たすためかのように
  小児科医として
  歩むことを決意したのでした

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希望をもつな

 人は
 苦しい状況になると
 よく希望を失わないように・・・など
 希望をもつことが
 大切だと良く言われますし
 僕もそう思って
 希望は失わないように・・・なんて
 よく口にしていました。

 でも
 今回入院したとき
 希望をもつということ
 希望を持とうと思えば
 自分を苦しめることになりました。

 例えば
 来月は、3ヶ月後には
 今までのように
 歩いたりできるんだばどと
 希望をもとうとすればするほど
 現実とのギャップを感じ
 希望の大きさに比例して不安を大きくなったんです。

 苦しい時に
 希望を持つ、もとうとすることは
 決してしないといけないことじゃないと
 今では思っています。

 退院して
 入院していたときのことを振り返って
 なぜ、希望がこころの支えにならなかったが
 わかったので
 今回のテーマは、「希望をもつな」です。

 希望をもったとき
 自分の目線がどこを観ているか考えてみると
 どこか遠くに視線を移し
 遠い未来を観ていないでしょうか?
 つまり
 希望をもつということは
 現実を見ずに未来を見ている。
 現実を否定し、未来へと逃避することなんです。
 希望を持つとは
 今は良くないので
 未来に期待しようという考えなんですね。

 でも
 未来を期待したからといて
 現実の今は全くかわっていません。

 人は
 期待に裏切られてしまうと
 希望もないといってしまいます。
 期待が強い人ほど、絶望感が増し
 そして最悪の場合
 自殺してしまう人が出てきてしまうのではないのでしょうか

 希望をもっても
 今を変えることはできません。
 もし何か現実のことから落ちこぼれた状態になった時
 希望を持とうと思うより
 落ちこぼれたって言いじゃないか、失敗しててもいいじゃないか
 これから、こうしてみようよ
 と考えたり、諭してあげる方が
 希望をもとうと遠くの未来のことを考えるより
 ずっと心が楽じゃないでしょうか?

 病気になったときに
 「絶対良くなるから、頑張れ」と
 今頑張っている人に対して
 もっと頑張れとムチをうちようなことに
 ならないでしょうか?
 それよりも
 「病気になって良かったよ
  このまま頑張りすぎてたら、もっと大きな病気になってたよ
  ゆっくりね」と
 言われた方がどんなに楽でしょう。

 希望を持とうと
 未来を想像するのは
 現実から逃避してしまうことですが
 希望をもつよりも
 思ってはいけないことは
 今を拭こうだと思うことです。
 今不幸な状態にあると思うのは
 世間や他人と自分を比較しているからなんです。

 困難に陥ったとき
 失敗だったな、今は反省しようなどと
 いまの状況を受け入れることが
 心にとっての療養になります。
 病気をすると言うことは
 反省する、考え直す時間をくれてるんですね。
 あなたを苦しめるためではありません。
 病気で気づいたことを大切に
 これから生きていきましょう。
 それが
 本当の希望をもつことなんだと思います。

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悟るとは?

前回のブログで
 太宰治は「パンドラの箱」の中で
 人間は死によって完成されると
 書いてあることについて
 書きました。

 同じ文豪であられた
 正岡子規が病床にいたときの
 日々の思いを書き留めていた
「病床六尺」の中で
 悟りについて書かれた箇所があります。

 「悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で死ぬること思っていたのは間違いで
  悟りといふことは
  いかなる場合にも
  平気で生きていることである」と
  書いています。

  つまり
  悟りとは
  自分がどう生きていくべきかを
  何か修行をして気づくことではなく
  日々の生活の中で気づくこと
  今を生きること
  すなわち、今を生きていること全てが
  悟りなんだと思う。

  悟りとは
  何を悟るのか? 
  生きている日々の中で
  何を感じたときに悟ったと思うのだろう?

  僕は
  悟りは学ぶものでもなく
  人から教えてもらうものでもなく
  こころで感じるものではないのかと思う。
  こころで感じたものは
  きっと魂が学ぼうとしたもの
  現世に生まれてきた目的
  そして魂の学びを感じられたときに
  悟ったと思うのではないのでしょうか。

  僕も
  病気をして
  全てを失ったときに
  自分の生活、生き方に向き合い
  「愛」の大切さを知りました。

  「愛」を学ぶために
  この世に生まれているのだと思います。
  だから
  今もこうして思い、感じたこと
  つまり僕の感じた小さな悟りを伝えたくて
  毎日ブログを綴ってえるのだと思います。

  今の生活、今生きている瞬間
  全てが悟りの瞬間なんです。
  そんな悟りの時間を
  大切に愛を込めて過ごすことで
  自分の生きていく道、つまり悟りの道が
  広がっていくのだと思います。

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死によって完成する

 生きるとは何か
 死ぬとは・・・・
 この永遠の命題について
 昔から
 多くの哲学者を始め知識人が考え
 各々の考えを残しています。

 昭和の文豪太宰治は
 著作「パンドラのはこ」の中で
 こんな風に語っています。

 「人間は死によって完成せられる
  生きているうちは
  みんな未完成だ。
  でも、虫や小鳥は
  生きて動いてるうちは完璧だけど
  死んだ途端にただの死骸だ。
  完成も未完成もない
  ただの無に帰る。
  人間はそれに比べると
  まるで逆である。
  人間は死んでから、1番人間らしくなる
  というパラドックスも成立するようだ」と。

  つまり
  今生きているのは
  何か目的をもち
  自分を成長するために生きていると
  太宰は考えたのだろうか?

  死は終わりではなく
  死をもって生きて経験したことが
  意味をなす。
  肉体以外に魂があること
  魂の成長のために
  生きているのだと言っているのか?

  太宰治は
  破天荒な人生を生きた方のように
  僕は思うのが
  何かの成長を意識して
  生きてこられたのかもしれない。

  太宰治が
  魂のことを信じていたかどうか 
  確認する術は
  今の僕にはないが
  きっと人は
  魂を持ってこの世に生きていて
  死ぬと、肉体は死骸だけれど
  魂はその後もいきると
  考えていたのかもしれない。

  太宰治の話を聴くことができるなら
  是非きいてみたい。
  あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と

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心豊かに過ごすためにできること

  11月になると
  朝晩は冷え込む日も多くなりました。

  診療のある日は
  日が昇る前に家を出て
  神様にごあいさつと
  日の出を拝んで一日をスタートするのが
  僕の日課です。
 
  でも、休日は
  時間に縛られることも少ないので
  少しのんびり起きて
  家族の予定に合わせて
  ゆっくり朝食を食べ
  それから
  神様のお参りに出発します。

  いつもは
  まだまだ暗く
  すれ違う人も
  まばらな感じで
  みなさんおそれぞれのルーチンワークが
  あるのでしょう
  黙々とおつとめをされている感じで
  すれ違っても
  挨拶さえ、はばかれそうな気がします。
  でも
  休日にすれ違う方は
  お散歩を楽しまれる余裕もあるのでしょう。
  すれ違うと
  あいさつはもちろんのこと
  ちょっと立ち止まって
  ひと言、二言雑談をすることもあります。

  お互い気持ちに余裕があるからでしょう
  飼い主がリラックス為ているからでしょうか
  一緒にお散歩しているわんこも
  尻尾を振ってあいさつしてくれます。
  お互いとても心地よく
  別れ、お散歩が続けられます。

  これは休日だからではなく
  気持ちの余裕を持って
  一日のスタートができれば
  その日はきっといい一日になるのでしょうね。

  休みの日だけでなく
  仕事の日も
  気持ちの余裕を持って
  行き交う方々とあいさつしようと思います。

  そんな些細や心がけ一つで
  その日が心豊かな一日に変わることは
  間違いないと思います。

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目に見えないのは人間だけ?

 目に見えないものって
 見えているもの以上にあるのではないかと
 思ったりします。
 
 実は
 人間だけが見えてないのかもしれないし
 見えないものがあると思ってるだけかもしれない。

 虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
 魚も魚眼と言うし
 鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
 蝶は、紫外線が見えるそうです。
 ですから、モンシロチョウは
 紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
 逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。

 このちがいは人間には全くわからない。
 つまり
 人間が見えているものが
 すべてではないということです。
 見えてないと思ってるのは
 ひょっとして
 人間だけなのかもしれません。
 だから
 見えないからないのではなく
 僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。

 見えないから
 すべて否定する
 見える世界だけにこだわる
 科学の姿勢も
 軌道修正する時を迎えているのかもしれません。

 今見えているものって
 本当は見えてないのかも
 真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。

 だから
 僕は診療中も
 目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
 めにみえなていないもの
 心、魂からの訴え、サインを
 見落とさないように
 全神経集中して診療しています。

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学術会議騒動に思うこと

 菅政権になってから
 初めての国会が開かれましたが
 日に日に増加している
 コロナウイルスに関して考えてくれるかと思えば
 与党も、野党も
 学術会議のメンバーの選定方法ばかり
 話し合ってる気がします。

 その会議で
 6人のメンバーを選んだ云々が
 どれだけ今の世の中に関わっているのかと
 ちょっとピント外れに見えて
 日本のこれからが心配になりました。

 世の中を進歩発展させるためには
 学問が大切なことは間違いないと思います。
 ただ
 現代社会の基盤となっている
 経済と富を追求する学問のみでは
 これからの世界に対し
 平和な社会や国家を建設し
 そして人類全体に与えること
 は望めないと思うのです。

 人間は生きているのは
 この肉体だけでなく
 魂と共に生きているのです。
 そして、それは、人間だけでなく
 すべての生物、地球自体もそして宇宙全体にも
 言えることだと思います。
 つまり
 人間が生きていくためには
 己の魂と宇宙のエネルギー(魂)との関係を
 充分に悟り
 今まで人類が獲得した叡智と
 融合し織り込んでいくことで
 学問は発展していくのだと思います。

 20世紀の大物理学者であったアインシュタインは
 「この宇宙の森羅万象について
  化学の説明できることは無に等しい」
 「宗教なき科学は、足が不自由である。
  科学なく宗教は、物もみえない」
 
 従って
 科学もこれまでとように、物質中心ではなく
 心とエネルギーのことも考えながら
 そして、科学も宗教を付け合うことで
 平和な社会を建設し
 これからの人類に平和を与えてくれるでしょう。

 これは
 医学に対しても同じ
 人間のからだだけでなく
 心、つまり魂を診ることが
 重要だと言うことです。

 今争っている
 学術会議の問題の根本は
 人数ではなく
 学問の根本について考えていく必要がある
 と言うことだと思うのです

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進路指導2

  医者になる道を
  選択したものの
  本当に心に描いたような医者になれるか
  自信がなかったのでしょう
  今とちがう形で
  夢を描いていました。

  医者には
  患者さんを診る医者と
  研究する医学者という道があります。

  当時 
  僕には姉が生化学の研究者である方と
  結婚することが決まっており
  将来有望な医学者として
  期待され、近々アメリカへ留学される
  予定の彼であり
  時々、医者についての話を聞くことがありました。

  義理の兄となる人の
  後ろ姿を診ながら
  そうか、研究者という道がある
  そうすれば、世界を股にかけた仕事で
  人を助けられるんだ。

  そうだ
  留学して、癌についての研究をしよう。
  そんな医者になろうと決意し
  受験勉強に取り組んでいました。

  でも、理科的発想ができないのに僕が
  世界を渡り歩きたい
  そんな医者になる道を選び
  それが科学者というのも
  今考えている理想とした医師像から
  少しピントが外れた選択だったんです。

  そういえば
  理科系でも難関と言われる医学部に
  文科系人間の僕が挑むと決めたのは
  医者は理科系頭は必要ない。
  人の心も考えないといけない
  生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
  受験に理科系科目が必要なだけで
  医者は理科系頭じゃなくても
  できるからと思ったから理科系を選んだんです。

  理系に言っても
  僕の進む道は、医者になっても
  世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
  その時点で持ち続けていたんですね。

  医学者として
  世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
  僕はなぜか
  臨床医になるのは 
  夢の夢と思ってたのでしょう。
  ひと言でいうなら
  サラリーマン家庭でもなれる 
  医者の道を歩くことを決めたんですね。

  まだまだ迷いの多い決断でしたが
  魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?

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脅威の免疫システムのおかげで今を生きられる

  休日のある朝
  たまたま観た
  「驚異の免疫ネットワーク」という番組。
  ちょっと難しいコロナウイルスと免疫のことを
  鮮明な画像で解説している一般のかた対象の医学番組。
  海外の放送局制作の番組のために
  全編英語、でも字幕もあるので
  映像の美しさにもひかれ
  英語と医学の勉強もかねて最後まで見入ってしまった。

  新型コロナウイルスという
  新ウイルスと
  体内の免疫力との戦いを解説していた。

  免疫学の復習もかねて
  書いてみると

  体内にコロナウイルスであれ、インフルエンザであれ
  ウイルスなどの未知の異物が体内に入ると
  体内の食細胞が
  未知の異物を発見しとらえ
  食べてしまう。
  その時に、そのウイルスなどの遺伝子を解析し
  情報を他の食細胞を共有し
  2回目以降の体内に侵入した際には
  直ちに攻撃できるように準備している。

  しかし
  ウイルスも進化し
  体細胞に発見されないように
  忍者のように
  体細胞の中に同化し偲びこんで
  食細胞の発見から逃れようとする。

  すると
  食細胞は免疫第2段階として
  侵入者の情報をB細胞という免疫細胞に
  情報を渡す。
  情報を受け取ったB細胞は
  抗体を直ちに造り
  細胞に異物が入り込む前に
  捕まえようと
  抗体を作り出して
  ウイルスなどの侵入にあらかじめ備えていく。

  この抗体を作る
  免疫力を人為的に作らせるのが
  ワクチンだということになります。

  これで
  もう、新型コロナウイルスが体内に
  侵入しても大丈夫かと思いきや
  新型ウイルスも進化し
  どんどん強力かするのです。

  今回の新型コロナウイルスでも
  多くのかたがいのちを落とされました。
  その人々の多くは
  肺に血管が血液が詰まる塞栓症が
  原因でなくなる方の死亡がほとんどでした。

  そのなくなった方の
  血管を調べてみると
  血栓の中身は
  血液とウイルスと食細胞そして食細胞のDNAだったのです。
  つまり
  免疫細胞の最後の姿だったのです。

  イメージとして
  食細胞が最後の力を振り絞って
  自滅、自爆した
  捨て身の戦法のなれの果ての姿だったのです。
  
  これを医学的に
  サイトカインストームだと言いますが
  これを起こさせないようにしないと
  いう考え方もあるけど
  僕は
  未知の予想外の相手の
  コロナウイルスによって
  身を呈して頑張って
  捨て身の戦法までとって
  闘ってくれる食細胞、免疫細胞に感謝です。
  相手がどんなに強大でも
  いつも僕のからだを守ってくれていることを
  改めて感謝しかありません。
  そこまでしてくれて
  たとえ僕がなくなっても
  責めることも、悔いることもありません。

  でも、この免疫力も
  急にできたわけではなく
  人類が生まれたという5億年前から
  様々な病原菌と闘ってきた病原菌との
  長い長い歴史の結果なんです。

  僕たちは
  このご先祖さんから引き継いだ免疫力をもらって
  現代社会を生きています。
  こんな僕たちも
  生まれたときは純粋で、免疫力は働いていません。
  しかし 
  母乳をのみ
  数々の感染症にかかりながらも
  母の愛、両親の愛、ご先祖さんの力で
  演繹力を育みながら
  生きている、生き続けられていることを知り
  生きていかなければならないということを
  コロナウイルスが教えてくれていると思うのです。

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